2011年6月13日月曜日

普通の生活

今日は朝からpolkaの糞詰まり治療で久しぶりに病院へ行ってきました。土曜に兆候が見られ、何度かトイレにいったものの出ないまま、昨日はすっかり諦めたのか、じっと大人しくしていました。これは無理だなと思い、今朝一番で病院へ連れて行った次第です。


行く時はいつものようにケージの中で盛んに鳴き声を上げるのですが、診察台に乗せられてからは以前のように暴れる素振りはありません。観念しているのか、どんなことをされるのかをもう分かっているかのような表情です。この後、自分もスッキリとまではいかなくても、元通りになるのですから、しょうがないなと思っているのかもしれません。

施術は無事10分程度で終わり、部屋に戻ると安心したように自分の体をいろいろな所にこすりつけます。これも、あれも自分のものとでも主張しているようにも見えます。ほとんど僕のことはお構いなしです。よくやってくれたとお礼などされませんし、感謝の気持ちを表してもくれないのだけど、そんな普通のいつもの姿を見ながら安心している自分を感じることが出来ます。

やはり、普通って素晴らしいことなのですよね。嫌なことや理にかなわないこともあるけれど、それって多分その人にとって普通ではないからそう思うわけで、そうではない大部分の中でいられることが笑顔や安らぎへと繋がっているのだと思います。

だから、アートにしたって、人が生きている普通の中に無くっちゃ駄目なんです。決して特別なものではなく、パーツの一部のような、そしてスパイス的な存在であれば、生きることの価値が一層豊かなものへと変わっていくのだと思うのです。

効率やモノだけでは決して得られないもっとかけがえのないもの、とても漠然として、ぼんやりしているものだけど、誰だって感じて、触れて、手に入れたいと思っているのだし、やっぱりそれは普通の生活の中でしか得られないものですから・・・。

0 件のコメント:

コメントを投稿