2009年5月30日土曜日

村上春樹さんのこと

今日の仙台はあいにくの雨模様。せっかくの週末がこんな天気ではと思ってましたが、ずいぶん久しぶりなので周りの緑には恵みの雨なのかもしれません。

昨日29日に、僕の好きな作家である村上春樹さんの5年振りの新刊"1Q84"が発売されました。ニュースでも取り上げられ、発売日に4刷68万部と知り、驚いているところです。出版業界の不況(出版業界に限りませんが・・・)を考えれば、これは異常なことなのでしょう。

僕が初めて村上さんを知ったのは、1979年の夏だったと思います。当時大学の2年だった僕は何故かは判りませんが、暇をもてあまし本ばかり読んでいました。ジャンル問わず、読みあさっていた感じでした。ある日いつも行く本屋の新刊コーナーに平置きされていたその本がとても気になりました。よくレコードでジャケット買いをするのと、よく似た感じです。手に取り数ページ読み始めると、その感覚は確信に変わっていきました。すぐさま、レジで購入し、自転車で自宅まで飛ばして帰り、一気に読んでしまったことを覚えています。
その本が村上さんのデビュー作"風の歌を聴け"でした。村上さんのことは、色々なメディアで取り上げられているので、詳細を書くつもりはありませんが、その当時は、とても都会的で、非常に安易な表現を用いつつもとても内容は深く、かつその内省的な部分に惹かれました。それ以来、"ノルウェイの森"までは、単行本や雑誌も含めてほとんど読んでいました。

それからは、少し遠ざかっていたのですが、今年2月のエルサレム賞受賞の記念講演が報道されてから、再び読みたくなりました。

村上さんは記念講演の中で、-私たち(小説家)は、隠れている真実をおびき出してフィクションという領域に引きずり出し、フィクション(小説)の形に転換することで(真実の)しっぽをつかもうとします。-(エルサエム賞受賞記念講演から引用)と話しています。全文を読めば判るのですが、ここでも非常に安易な言葉を選び、隠喩(壁と卵)を用いる事により自身の意思を成立させています。

この内容は、ある意味あらゆる表現するものに共通していることのように、僕は思います。写真にしても、人間の眼に映るものを、カメラの眼で切り取ることにより、違う意味を持たせてみたり、内包する真実をあらわにしていったりするのです。

明日、この雨が上がったら、久しぶりに本屋さんにでも行こうかと思っています。でも、もし売り切れていたら、これまた異常ですよね。

2009年5月29日金曜日

作品としての写真


僕が写真を作品として意識したのは、オランダの写真家であるエド・ヴァン・デル・エルスケンの個展"サン・ジェルマン・デ・プレの恋"だったと記憶しています。1986年に東京のプランタン銀座で開催されました。それまで、ほとんどの方がそう思うように、僕自身写真を記録としてしか見てきませんでしたが、この写真展はこれまでの写真に対する概念を変えるものでした。作品自体は、1950年代当時のパリに過ごす若者達をドラマチックに写し撮ったもので、プリントもモノクロームの基調である黒がとても印象的に出ていたことを覚えています。
今でも、時々その図録を手に取る事がありますが、誰しもが経験した若かった時代の生の輝きや切なさが胸に迫ります。そしてそれは、いつの時代でも、誰にでも感動を与えることが出来る類のもので、絵画やその他の手法では成し得るなかったのではないかとも思います。作家の持つ眼をカメラの眼に置き換え、プリントととして表現する写真だからこそ出来たのです。
僕が観に行った時に、偶然、エルスケン自身が会場に来ていました。僕は図録にサインと握手をして貰いましたが、その時の、手の柔らかさといたずらっぽい笑顔が忘れられません。

晩年、癌に侵され、弱っていく姿を自身でビデオで収めたドキュメンタリー番組が、2度目の出会いでした。とても悲しい現実でしたが、優しい目元は変わっていないように、僕には見えました。

2009年5月28日木曜日

ネコも移動で大変だ・・・。

僕の部屋には、今年で11歳になったオス猫が一匹います。そうです、プロフィールに正面切って載っているヤツです。11年前に当時住んでいた多摩川沿いのマンションの前に、生後間もない状態で捨てられていました。捨てられていた時は、ハムスターと見間違えるほど小さく、片目がまだ開いていない状態でした。病院に連れて行くと、もしかしたら片目しか開かないかもしれないと言われましたが、今では両目もくっきりし、たるんだお腹を引きずらせています。

ヤツの名前はポルカと言います。家ネコなので、ほとんど外部との接触はありません。いつも寝ているか、食べているかのどちらかです。名前を呼んでもたいていは自分では無いようにそっぽを向いています。又、極端に人見知りなので、たまの来客の時はほとんど隠れてしまい、全く可愛げがありません。多分、自分自身ネコとは思っていないようです。



今回東京から仙台に移る際、もっとも困ったのはヤツの移動でした。以前、多摩川から都内に引越しした際に、その朝キャリアに入れるのに、両腕を血だらけにされた記憶があったからです。しかも、前回は半日ほどペットホテルに保管してもらっただけでしたが、今回は約300kmの旅になるのですから。

専門のペット搬送業者に頼んだのですが、やはりキャリアには入れなければいけないとのこと。朝8時の引取りで当日夕方6時の引渡しで、なんと飛行機での移動でした。しかも、仙台-東京の便が無いので、羽田から飛び立ち、小松で乗り継ぎ、さらに仙台に飛んだ後、車で部屋まで移動というヤツにとっては生涯経験したことも無い壮大な旅になったのです。

引越しの当日、完全防備で格闘の末どうにかキャリアに入れ業者へ引き渡し、夕方時間より少し早めにポルカは部屋へ運ばれてきました。運んできた女性に、途中、中でオシッコをした以外は特に変わった事は無かったと言われ、ほっとしながらキャリアの扉を開けましたが、なかなか表に出ようとはしませんでした。

30分程たったところで、ポルカはのそのそとあたりを確かめるようにキャリアから出てきました。その日は長旅の疲れもあり、僕には一切近寄らず、押入れの隅でじっと寝ていたようです。それから数週間は、あらゆる個所の確認を行い、安全を確かめ、ご飯を食べるとベッドに潜り込む日々が続き、今ではすっかり元から居る場所のように、くつろいでいます。



引越してきてたった一つ変わったことがあります。
それは、朝5時には僕を起こすことです。

理由は分かりませんが、その為、僕はいつも少々寝不足気味の毎日を送っているのです。

2009年5月27日水曜日

叔父と写真

昨日、今年で82歳になる叔父がギャラリーに来てくれました。父方の長兄で、子供もいなかったこともあり、小さい時分にはよく可愛がってくれたものでした。僕がまだ小学生だった頃のある日、叔父と二人で食事に行ったことがありました。1960年代終わりの頃です。なぜ二人だったのかは今では思い出せませんが、場所は当時仙台では超一流だった仙台ホテルだったと記憶しています。地下にあるそのレストランは、幼心にもとても緊張させられる造りでした。叔父は好きなものを頼めば良いと言ってましたが、僕にはメニューにある料理がほとんど理解出来ませんでした。唯一知っている料理と言えば、カレーライスだけだったので、それを頼むことにしました。

ほどなくウエーターが料理を運んで来て、先ずご飯以外何も載っていない皿が目の前に置かれました。僕は間違って運ばれてきたと思いました。こちらから何かを言う間もなく、銀の食器が大柄のスプーンと共に置かれたときに、カレーは別なんだと知りました。大げさですが、当時はテレビの一場面でしか見られないような光景が現実としてあることを知った瞬間でした。

叔父との思い出はこれ以外には、あまりありません。まして、大学に進み、就職で東京に出てからはほとんど会う機会がないままだったのです。又、叔父は公務員であった頃から写真を趣味とし、写真サークルにも入り、毎週のように撮影を行っていたと言います。そんな叔父も数年前に病で倒れ、足が不自由であると、仙台に来てからなんとはなしに両親から聞いていました。

さて、当日、ギャラリーの入り口で父に支えられている叔父の姿を見つけ、僕の差し出した手を握りながら、一段一段と階段を降りる途中、叔父の暖かい手から、遠い昔の幼かった日を思い起こされたように感じました。それから叔父は会場の作品の一点、一点を確かめるように見ていました。特に銀塩作品は、懐かしいものを愛でる様に、顔を近づけている姿が印象的でした。

帰り際、叔父は僕に・・・今度家で俺の写真を見てくれ、一杯あるんだ。・・・と言った時、その眼は叔父が甥を見る眼ではなく、写真を共有のものとしている仲間のそれに近く感じたのです。その時ばかりは若かりしあの頃に戻っていたように思えてなりませんでした。


いつか必ず見に行きます。

2009年5月26日火曜日

ギャラリースペースと展示

今回の横木安良夫写真展は、東京で2回、京都、名古屋で開催され、仙台で5度目になります。僕自身は東京で写真展を観たのですが、先ずその展示方法に興味がそそられました。それは、壁一面に大小さまざまなデジタル・アーカイブ・プリント品が直にピンで止められていたからで、これまで、作品自体を直接ピンで留めて展示してある写真展を経験したことはありませんでした。そして、そのインパクトが非常に強烈であったこともありましたが、撮影された当時の熱気や混沌さが一見ランダムに展示された作品群と非常にうまくマッチングしているように感じられたのを今でも思い起こされます。

まだ東京にいて、仙台でギャラリーを開設しようと思った時、そのオープニングに何を持ってくるかも検討していました。いくつかの候補の中で、この写真展のことが幾度となく頭に浮かんでいました。ギャラリーの候補地も何か所かありました。そして元雀荘であり、天井と壁全面ヤニで黄色に変色したこの半地下の屋内を見たときに、気持ちは固まりました。サイト上でレイアウトを載せていますが、入り口から逆L字のレイアウトをしているので、入った時は、L字の短い方が見えません。入ってすぐの3方の壁全体にデジタル・アーカイブ・プリント品を展示し、見えない一角で額装品を展示したいと思ったのです。実際その場で眼を閉じてみると、頭の中ではすでにその光景が浮かんでいました。

モノクロームが持つ力強さや奥行きのある銀塩プリントの緻密さを、動と静との対比の中、同一空間で鑑賞することが出来ると思います。又、現在、ギャラリー内でアンケートを行っています。御来廊の何人かの方には記入して頂いていますので、まとまりましたら、皆様の声をアップしたいと思っています。

御来廊の際には、気軽にアンケート用紙にご記入をして下さい。

2009年5月23日土曜日

カロスって・・・

約1カ月間あれこれ悩んだ末に、ギャラリーの名前を"Kalos Gallery (カロス・ギャラリー)にしました。はじめは、仙台にちなんで杜を入れてみようかとか、七夕、青葉に関連するものはないかとか地元を意識するような名前を考えていました。なかなかぴったりとしたものが思いつかないまま、昨年11月に金沢21世紀美術館で開催された杉本博司"歴史の歴史"という写真展の記事の中に、タルボットと言う文字(名前)に目が留まりました。

写真が好きな方なら一度は聞いたことのある名前だと思います。イギリスの科学者であったフォックス・タルボットは史上初のネガ・ポジ法を発明した人で、その製法をCalotype(カロタイプ)と言います。ギリシャ語のKalosから命名され、"美しい"を意味します。この人の発明がなければ、現在まで続いたフィルムでの写真史は語れなかったと言えるでしょう。又、杉本博司さんはその記事の中で、写真史の終焉のようなことを話され、現存するタルボット自身のネガから作品を制作しています。

僕自身以前から滅び行くものへの美学や美しさに魅かれるところもあり、"美しい"イコール"アート"では無いことも承知の上、Kalosの1文字をいただきました。

しばらくはカロスではなくカオスのような状態ですが、あせらずやって行きたいと思います。

2009年5月22日金曜日

Kalos Gallery オープンしました。



5/19(火)Kalos Galleryはオープンしました。
オープンにあたり、関係してくださった皆様に感謝致します。
写真専門の商業ギャラリーとしては、おそらく仙台では初めてだと思います。質の高いオリジナルのアート写真を気軽に鑑賞し、購入も出来るギャラリーです。
現在はネットやその他メディアの急激な発展により、世界中どの場所でも共通の情報を得ることが出来ます。しかしながら、現実や現物をその目で見、聞き、触れたときの感動は、何事にも代えがたいものだと思っています。Kalos Galleryは、そのような環境と機会をより多くの方に提供したいと思っています。写真愛好家の皆様を始め一般のお客様にも気軽に入っていただき、世間の喧騒も忘れ、アート写真の世界を堪能していただけるようにしたいと思います。
入口は少し入りづらいかもしれません。階段で3段ほど降りた半地下の入口を抜けた瞬間、いままでとは違った空間が広がります。そして、展示されている作品の一点、一点が、皆様の心に直接語りかけることでしょう。
お花も頂きました。
本当に有難うございます。
皆様の御来廊をお待ちしています。