2009年11月30日月曜日

「終わりよければ全てよし」

早いもので明日から師走で、2009年も残り1カ月となります。


年を重ねるごとに、1年の進む感覚は早くなると言いますが、まさにそんな感じです。

今年は仙台に戻ってきて、5月からこのギャラリーをオープンし、全く知らない方々との出会いや協力があり、なんとか3度の写真展、いくつかの企画を行ってきました。やることなすこと全て初めてなので、試行錯誤の連続でした。そんな中、なかなか思うように行かない状況にじりじりしながらも、あせらずに、出来るだけ楽しんでいこうとだけは思っていました。

昨日もテレビを見ていると、プロスポーツ界でも大詰めなんだなと思わせる中継がいくつかありました。女子プロゴルフでは、最終戦1打差での逆転賞金女王、ボクシングの内藤・亀田戦はその壮絶な打ち合いで、徐々に崩れてくる内藤選手の顔を見ながら、華やかな中にとても残酷な部分を見せつけられる思いがしました。

プロスポーツの世界では、必ずスポットライトを浴びる一方に、必ず影となる存在がいます。影となる存在になった人々は、大げさにいえば、これまでの実績や経歴がその時、その瞬間で崩れてしまうわけです。厳しいですね。

「終わりよければ全てよし」と言う言葉があり、これまでいろいろと問題や混乱はあったけれど、結果としてうまく言ったので良かったというような形で使われる場合が多いと思います。たしか、シェークスピアの戯曲の題名だと思いますが、芝居や原本を読むとそうとばかりは言えないように感じます。

それについては深く言及はしませんが、この物語が単純なハッピーエンドの喜劇だとは思えないし、登場する人物それぞれの立場により、事の顛末としての解釈が違ってくるからです。極端なことを言えば、結果は本人にしか分からないし評価し得ないことなんじゃないかなと思うわけです。

逆に、そんな自己評価に対して、周りの共感や賛同している姿や声を聞くことで、本当にこれで良かったんだろうなと再確認させられるんだと思えます。だから、終わり自体は、決して多くの人々に良しと認められることじゃなくて全然構わないのだと、僕は思っているのです。

2009年11月29日日曜日

「Nearness Of You : The Ballad Book」

部屋でよく聞いているアルバムです.


「Nearness Of You : The Ballad Book」 マイケル・ブレッカー 2001年


マイケル・ブレッカーと言えば、圧倒的なテクニックとパワフルな演奏スタイルで有名なテナーサックス奏者ですが、その彼があえてバラードに挑戦したアルバムです。その為、ファンの間では賛否両論があるようですが、僕は他のミュージシャンのスタジオワーク(1人の演奏者として)での演奏を聴いた時に感じていた優しさや柔らかさが表現されているのでとても好きです。

マイケル・ブレッカーは、2007年、57歳という若さで亡くなっています。ジョン・コルトレーン以降、その演奏スタイルで多くのミュージシャンに影響を与えたとも言われているマイケルは、ジャズファンのみならず、さまざまなジャンルの方々から死を悼まれたことはまだ記憶に新しいことです。

このアルバムは、ジョン・コルトレーンのバラッドを意識していると言われているように、非常に解りやすいフレージングを用いて、一音一音をとても大事にして吹いているのが分かります。メンバーも豪華すぎるほどなのですが、個々の個性が出しゃばることなく、良い意味で見守っているような様子が浮かんできます。当時も体調的に激しくブローすることが困難であったという話もあり、メンバーもそんなマイケルを気遣っていたのかもしれません。

確かにこれまで発表してきたアルバムとは異質で、今まさにやりたいことをやる的な演奏とは真逆ですが、なぜか心が捉われます。いわゆるヒーリング・ミュージックと称されるものとは明らかに違う表現者としての一面が、このアルバムにはあると思うのです。

タイトルの「Nearness Of You」はスタンダードですので、いろいろな方が歌っています。

このアルバムではジェームス・テイラーでしたが、こちらはノラ・ジョーンズのものです。

 http://www.youtube.com/watch?v=2eIH-7qq-WA
 
 

2009年11月28日土曜日

「LOVE CAKE PROJECT」~「The Missing Piece」

街はすっかりクリスマス・イルミネーションに彩られ、仙台でも12月12日から年内一杯「光のページェント」が開催されます。表参道イルミネーションも13年振りに復活するようで、みんなで日本を元気にしたいという思いを感じます。


そんな折、ふとしたことで、こんな運動を知りました。

「LOVE CAKE PROJECT」(ラブ・ケーキ・プロジェクト)

これは、国際NGOワールド・ビジョン・ジャパンが行っている食糧援助プロジェクトで、クリスマスのホールケーキを1人分だけカットして、その1ピース分のお金を貧困や飢餓で苦しんでいる子供たちへ役立てようとする運動のようです。詳しくはこちらのHPでご覧下さい。

http://www.worldvision.jp/
 
参加しているケーキ屋さんは、東京、横浜にある数店のようですが、暗いニュースばかりが報道される中、何かホッとするような話題でもあります。


そんな1ピース分カットされたケーキを見ていると、約30年前に出会った一冊の絵本を思い出しました。僕がまだ大学生の頃で、真っ白な表紙に当時流行っていたテレビゲームのパックマンのようなものが描かれていました。

「ぼくを探しに」シェル・シルヴァスタイン著 倉橋由美子訳 講談社 1979年

かなり有名な絵本ですので、一度は見かけたことがあると思います。僕の場合、訳が倉橋由美子さんだったので、それに惹かれて、何気なく手にしたものでした。

非常に簡単な文章と稚拙とも言える絵で描かれたその世界は、とんでもなく深く、しかも含蓄に富み、子供の絵本とは思えないほどでした。僕は、その後、やっとの思いで(当時はネットもなく地方では洋書は限られたところでしか手に入らなかった)原書「The Missing Piece」を手に入れ、ふたたび読んだ覚えがあります。

覚えがあるというのは、今は僕の手元にはないからです。当時好きだった女の子にあげてしまったように思います。われわれの年代までは、「自分探し」などと言って、大学を一種のモラトリアムとしている風潮が残っていました。そんな自分の置かれている立場で、そこに書かれている1つ1つの言葉に読んでいると、他人ごとではない普遍的な何かを感じていたのだと思います。

今でも、普段は意識していなくても、自分の「The Missing Piece」を探しているのかもしれませんね。

2009年11月27日金曜日

朝陽の中で微笑んで

今日は朝から用事が立て込んで、午前中外出していたので、更新がチョット遅れました。毎朝一番でこのブログを書きながら、いろいろと思いを巡らせ、13時オープンの時間を迎えるのが日課のようになっています。


サラリーマン時代は遅くても始業1時間前には自分のデスクにいましたので、朝8時前には出勤していたことになります。電車のラッシュがひどくいやなことも一因ではありますが、この朝の時間はその日の行動や以前から検討していたことを考える時間としてとても大事なひとときでした。

でも、この習慣は40歳を超えてからの話です。それまでは、いつもぎりぎりに出社しては、即仕事のような感じでした。以前にも書いたと思いますが、僕が勤めた会社は、製造関係だったため、昼夜工場は動いていました。その為、夜間の問題事は、現場サイドでのレスキュー対応に任せ、翌日からの事後処理が常です。(しばしば、夜や休日に呼び出されることはありましたが。)

ですので、朝早い時間での情報収集が必要になります。メールが常用的に情報伝達方法となってからは特にそうで、朝一に確認するメールの数は日増しに増え続け、100通を超えることは当たり前にありました。

人間の情報処理能力(僕の能力)には限りがあり、全てを把握することは難しいですから、当然取捨選択するわけですが、既定のルールに従っていないメールはなかなか曲者で、見逃しが後で大きな問題を起こす場合があります。不思議なもので、このようなメールは結構見ているもので、徐々に危機察知能力みたいなものが備わってくるのかなとも思ったりします。

そんなこともあり早起きだったのかもしれませんが、暖かい朝の日差し(冬場を除いて)は、とてもすがすがしい気持ちにさせてくれます。朝の来ない夜はないとはよく言ったもので、その通りだなと思えることが何よりの幸せなのかもしれません。

今日もとても穏やかな朝でした。この調子だと日中も暖かいことでしょう。
そんな時はこんな曲を聴きながら、ギャラリーを開くとしますか。

http://www.youtube.com/watch?v=4ALbujzAQvw
 
儚い透明感に包まれているこの曲は、気分的にはチョット違うかもしれませんね。


でも、そんな小さな希望の積み重ねが、今ここに或ることに他ならないと思ってもいるわけです。

2009年11月26日木曜日

「QUINAULT」 ~クウィノルト~

濃密な空気感と眼も眩むほどの緑の色彩。


「QUINAULT」上田義彦著 2009年 青幻社

1993年、京都書院より初版刊行後、2003年、青幻社より再版、そして、2009年再々版された写真集です。僕が初めて書店で手にしたものは初版だったと記憶していますが、当時はまだ写真についてはそれほど興味が薄く、購入はしませんでした。しかしながら、圧倒的な描写力は、写真の域を突出しているような印象を受けました。


アメリカ・インディアンより「QUINAULT」と名づけられた森を正面から見据え、8×10により忠実に撮影したこれらのイメージは、太古の昔から現在へと繋がっている生の強さを感じます。

この写真集の特徴は、幻想的ともいえる森の情景に臆することなく対峙している姿が一貫して感じられること、美しすぎるほどのプリント品質(オリジナル・プリントは別物だと思いますが)、そして、裏写りを考慮して、1ページが折り返しされ、袋状になっていることです。

上田義彦さんの作品を最後に見たのは、2006年暮れから2007年春まで東京大学総合研究博物館で開かれた「CHAMBER of CURIOSITIES 東京大学コレクション-写真家上田義彦のマニエリスム博物誌」展だったと思います。冷たい小雨が降る中、博物館に入ると、そこは小川洋子さんの世界でした。入口から、夥しい量の学術標本が展示されている部屋を通り過ぎ、やや奥の一室に作品が展示されていました。

いわゆる記録写真(学術写真)には主観性は必要ないのですが、ここにある一枚、一枚にはそれぞれの個性といったものあり、柔らかさや奥行きのようなもの(作家性に通ずるもの)を感じました。確か、インクジェットによるプリントだったと思いますが、充分に表現されていると感心したものです。写真集も刊行されていますので、眼にした人は多いかと思います。

上田義彦さんは、2006年に「at HOME」という、家族を写した写真集も出しています。この写真集はライカで撮影、モノクロですが、柔らかい光にあふれ、写真家上田義彦の違った一面が見られる秀作であると思います。

いずれも、機会があれば、手にとって見ていただきたい写真集です。




2009年11月25日水曜日

「花の命は短くて…」

polkaよりも長い付き合いで、かれこれ12年以上生きているものが、部屋にいます。


それがこれです。



もうだいぶ痩せてしまいましたが、どこにでもあるミニチュア観葉植物です。花の名前はとんと門外漢なので不明ですが、かなりぞんざいな扱いにもめげず、葉を茂らせています。


このような植物の寿命がどれほどのものなのか、僕には全く分かりませんが、ホントよくもっているものです。ほとんど日光には当たっていないし、ときどき水を替えるくらいで、手入れもしていないまま12年以上もじっと耐え忍んでいるかのようです。

「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」

これは、「放浪記」で有名な昭和の女流作家、林芙美子さんが色紙などによく書いていた言葉ですが、著作にはそれらしい言葉はなく、解釈もいろいろとあるようです。林さんが亡くなったのが48歳、その点では自身の生涯の短さを予測していたかのようにも思えます。

井上ひさしさんの戯曲「太鼓たたいて笛吹いて」では、晩年の林さんの仕事振りを評して「緩慢な自殺」としていましたが、とても気性が激しく、真っ直ぐな、そして現代にも通ずる行動的な女性でした。また、その少々エキセントリックな行動の為、周囲でも林さんの事をよく思っていない人が多くいたと言われています。

当時の女性に対する位置づけは今とは大幅に違っていましたので、言葉に隠された意味に深いものがあると思いますが、今となってはその真意は分かりません。

毎朝目覚めると、この観葉植物が目の前にあります。何も語らず、ただそこにいる(或る)だけですが、なぜか安心します。同時に、polkaの耳障りな鳴き声を聞いてまた安心します。時折、永遠にそこにいるような錯覚を覚えますが、そうではないことも充分分かっています。

「花の命は短くて…」、…以降の言葉は、人それぞれでしょうが、短いのは花の命だけではないのだろうと、歳とともに強く感じていることは確かですね。

2009年11月24日火曜日

今朝届いたメール

今朝早くあるお客さまからメールが届きました。


ハービー・山口スペシャルイベントにも参加して下さり、本当に写真が好きな方なのだと思います。メールの中で、今まで首都圏でしか見られなかった作品が仙台でも見られることを大変喜んでいらっしゃる内容がありました。

僕自身、東京で28年、写真を本格的に見始めてから約7年ですが、毎週のように美術館、ギャラリーを巡り、オリジナル・プリントを見てきました。写真集やHPに紹介される画像とは全く違う世界が広がっていることに改めて感心し、その見かたも徐々にイメージ優先から背景にある思いや温度や感情のようなものを感じ取るスタイルに変わってきたように思います。

1枚の写真に心を捉われてしまうことは、実は非常に稀なことです。確かに、圧倒的な力や存在感が感じられる写真はあるにはありますが、その一枚によって得られる情報はとても少ないものです。ですので、あるテーマや作家の思いを持った写真作品は、意図して展示された一連の作品群を写真展として見ることで、明確になると思っています。

その上で、写真集を手に取られると、表現手段の違いはありますが、同じような感覚を違った観点で見ることが出来ます。また、それは、脳内に記録された写真展の感覚を、引き出しから引っ張り出す発露にもなるわけです。

今朝のメールは僕にとって、とても勇気づけられるものでした。

今回初めてギャラリーに来られた多くの方は、前回、前々回の写真展に来られなかったことをとても残念がっています。これは、僕自身の宣伝不足であり、本当に申し訳ないなと思います。

でも、そのようなお客様のお話を聞くことが、とても僕の力になっています。場所は分かりづらく、入口も何か入りづらいギャラリーですが、少しだけ重いドアを押し入ってもらえると、世界が変わります。

ほんの少し変わったおやじが、そこにいます。実はとても人見知りなのですが、話を始めると、あっと言う間に1時間以上過ぎていることがよくあります。ですので、出来るだけ時間に余裕を持って来てもらいたいと思っています。先ずは、こころゆくまで作品を楽しんでいただくことが第一です。

そのついでで構いませんので、疑問、質問等があればいつでも話かけて下さい。

2009年11月23日月曜日

ピアニストの贈り物 ~辻井伸行・コンクール20日間の記録~

昨夜は21:00からずっとテレビの前にいました。「JIN 仁」から始まって、NHK ETV特集、そして古澤君が出演していた「ママさんバレーでつかまえて」と、約3時間連続で見るなんてことはめったにありません。昨日が休廊日だったこともあって、昼間に雑務を済ませて、夜はのんびりできたのも理由のひとつです。


NHK ETV特集は、ピアニストの贈り物 ~辻井伸行・コンクール20日間の記録~と題されたものでした。今年の6月、こぞってマスコミに取り上げられ、CD売上が増大、コンサート・チケットも入手困難になってしまった全盲のピアニスト、辻井伸行さんが「第13回バン・クライバーン国際ピアノコンクール」で優勝するまでのコンクールのドキュメントでした。

クラシックはほとんど聞いたことのない僕ですが、6月にこのニュースが流れた時には正直驚きました。なんか、とんでもないコンクールに優勝したんだろうなとか映し出される映像を見ながら、全盲でよくこんな素晴らしい演奏が出来るものだと素直に思いました。

僕はバン・クライバーン国際ピアノコンクール自体知らなかったのですが、昨夜見た内容を見る限りでは、あまりに苛酷であり、しかも課題曲演奏を比較評価するのではなく、プロとしての資質を見出すためのコンクールのように感じました。ファイナルまでに演奏した曲数は、ソロ、室内楽、協奏曲、リサイタルと11曲に及んでいました。それを、約2週間で行うわけですから、ファイナルまで進んだ演者には、大きな緊張とストレスが強いられるわけです。それだけでも、まるでマラソンのようなスポーツをしているように、持久力と体力が求められます。

それが、若干20歳、全盲の辻井さんがファイナルまで勝ち上がり、ついには優勝してしまったのですから、日本人関係者だけではなく、そのコンクールに関わった人たちの驚きは並大抵のものではなかったはずです。しかも、コンクールの間の辻井さんは、非常にリラックスして、冷静に見えました。ファイナル演奏後、舞台裏でペットボトルの水を飲んでいる光景が、唯一、やはり緊張していたんだなと感じられる部分でした。

番組が終了して、僕の頭の中に浮かんだ言葉がありました。

「私たちみんなが、才能を等しく持ってはいない。
しかし、自分の才能を伸ばしていく機会は等しく持てることでしょう。」

そう、J.F.ケネディーの言葉です。

このコンクールは、ある意味、この言葉を具現化したものでもあるのでしょう。

さて、辻井さんは、これで輝く未来へのスタートに立ったわけです。しかしながら、コンクール優勝のニュースが6月、そして今は11月後半です。約半年が経って、どれほどの人がこの奇跡的な快挙を覚えているのかなとも思ったりします。

物事の流れが早く、少しでもメディアから遠ざかってしまうと忘れ去られるような昨今です。ピアニストもそうですが、全てのアーティストというものは、その活動をサポートし応援している人々がいるから成立していると思います。

だからこそ、実際にコンサートへ行ったり、CDや作品を買ったりすることが大事なんです。もちろん、アーティストはそうなるように、プロとしての意識と継続した努力が必要なのは言うまでもありません。

2009年11月22日日曜日

「IZU PHOTO MUSEUM」

10月に高松宮殿下記念世界文化賞を絵画部門で受賞した杉本博司さんの写真展が、現在静岡県長泉町にオープンした「IZU PHOTO MUSEUM」で開催されています。「光の自然(じねん)」展と称された写真展では、杉本さん自らが設計した美術館外・内装とともに、カメラを使用しない「放電場」シリーズやカロタイプは発明したタルボットの当時のネガをプリントして作品などが展示されています。


杉本さんと言えば、現在世界的に知名度のある日本の写真家の一人で、写真のみならず古美術やアートには深い造詣の持ち主です。今回も美術館設計にも関わり、世界各国で行った展示会の経験を存分に生かしていると想像出来ます。U2の最新アルバムジャケットに使用されているイメージが、「seascape」シリーズの作品であることも有名ですね。

現存するタルボットのネガの多くは著名な美術館で所蔵し、文化的遺産として管理、保管されているのですが、杉本さんは15点のネガを自身で買い取り、プリントを行っています。劣化しつつあるネガを美術館は貸出しませんからね。それでも、自分で買い取ってまで、約170年前の写真に対する感動や状況を再現し、作品として表現しようとするところが、杉本さんのすごさだと素直に思います。 

「IZU PHOTO MUSEUM」は、以前このブログでも紹介した「クレマチスの丘」に新設されたものです。古屋誠一展を観に行った時にも感じましたが、少し高台に位置する丘稜に作られた庭園や美術館は、時間を忘れてしまうほど美しいものでした。現在、「IZU PHOTO MUSEUM」を含めて、3つの美術館があるわけで、ジャンルもそれぞれ違っているので、幅広い楽しみ方が出来るのではないでしょうか。

そういえば、2007年に開催された古屋誠一展が、来年5月にふたたび行われます。当時の再現らしく、IZU PHOTO MUSEUMではなく、ヴァンジ彫刻庭園美術館で行われるようです。もう一度、行きたい場所ですね。

詳細はこちらからどうぞ。

http://www.clematis-no-oka.co.jp/main.php
 
 
 

2009年11月21日土曜日

鍋が恋しい季節

毎日寒い、寒いと書いているようですが、寒さと不景気も影響してか、今年は家庭などでも鍋が増えるようなことをネットで見かけました。確かに、寒い季節になると不思議と鍋が恋しくなるものです。

家庭や友人と一緒にひとつの鍋を囲み、楽しい会話の中で同じ食材をつまむことは、それぞれの皿にきれいに盛り付けられた料理よりも味わい深いものがあります。なにより堅苦しさがないし、それに鍋ってあまり制約がないじゃないですか。その辺が良いところですね。

サラリーマンの頃は忘年会、新年会や普段の飲み会でもよく鍋を食べに行っていましたが、一番強烈だったのは、今から15年程前に韓国出張で食べた鍋です。ソウル市外に仕事場はあったと思うのですが、一週間の短期出張の間、毎日鍋(チゲ)を食べた覚えがあります。夏の暑い盛り、昼の気温はゆうに35℃を超えていましたが、近くに料理屋があまりなかったこともあり、昼食はいつも同じ店で、熱々のチゲでした。

いまでこそ日本にも多くの韓国料理店があり、普通にチゲを食べられるようになりましたが、当時はよっぽどでなければ、そのような場所に行く機会はありませんでした。チゲやチジミなんていう言葉もその時知ったわけだし。

店の中は、東南アジアの多くがそうであるように、半袖ではとても寒いくらいクーラーが効いていて、チゲを食べるのには適した環境でした。結局5日間毎日その店でチゲを食べたわけですが、3日目ぐらいには飽きてしまうだろうと思っていたのですが、毎日違う種類が用意され、飽きることはなかったですね。元来、辛いだけのものはあまり好きな方ではないのですが、辛さよりもうまさが先に立ち、その種類の多さにも驚かされました。日本でも地方や家庭でそれぞれ特有の鍋がありますから、その種類は思った以上に多いのでしょうね。

食文化は、その土地、土地で独特の発展をして、人々の生活と非常に密接な関係を作っていますから、知らない土地に行った時は、鍋に限らず、好んで土地のものを食べるようにします。当時思っていた韓国イコール焼肉というイメージは、この5日間で飛んでしまったかのようでした。

さて、仙台はどうなんだろうかなと考えましたが、秋田のきりたんぽ鍋のような特徴ある鍋が思い浮かびません。僕が知らないだけなのかなと思いますが、もしかしたらこの冬の間にそんな鍋に出会えるかもしれませんね。

2009年11月20日金曜日

僕とpolkaのルーチンワーク

ホント、寒いですね。昨日は関東では日中でも10℃を下回るほどだったと聞きましたが、仙台も自転車に乗っていると手がしびれるような感覚を受けます。僕もついに一昨日の夜から、ガスストーブのスイッチを入れてしまいました。出来るだけ先延ばしにしていたかったのですが、一番の理由は、部屋に戻った時、いつも撫でているpolkaの体がとても冷たかったからです。


僕がいない時のpolkaがどんな行動をしているかは分かりませんが、大抵は寝ているのだと想像出来ます。polkaは夜、部屋のドアの鍵を回す音に反応し、いつもドアが開くのを待っています。そして、僕の姿を見るのと同時に、やっと戻ってきたとでも言っているかのように、一声鳴き、体をすり寄せてきます。

その後は、水と餌の要求に移ります。まだ充分に残っている水と餌の容器の前にすくっと立ちながら、上目遣いに僕を見つめた後、交換しろと鳴きます。僕は少しじらすように、2度目の鳴き声を待ちます。それから、2度目の鳴き声を聞いた後、おもむろに水と餌を交換するのですが、交換している間は、polkaは関係ないとでも言いたげに、離れたところでうろうろとしています。

そして、少し経ってから交換された容器に近づき、新しいものであることを確認してから、ようやく食べはじめます。そのあとは、さも当然と言った顔つきをしながら、今日のお気に入りの場所へ移動して、食後の胃を休めるようにゆったりと寛ぎます。もうその時点では僕はどうでもいい存在になっているかのようです。

この一連の行動はpolkaにとっては、長年続いているルーチンワークです。生存の為のルーチンワークと言ってもいいのかもしれません。年齢を重ねてもこの変わらぬ行動が、polkaの体の状態を示してくれています。ときどき起こす便秘状態の時は、この行動をしないことが多いですから。

ルーチンワークと言うと何かネガティブなイメージを受けますが、長い期間同じことを同じように繰り返し行うことはなかなか出来ないものです。僕なんかはとても面倒くさがりなので、毎日しなければならないことを、忙しさにかまけて先送りしてしまうことが頻繁にありました。

物事には優先順位があり、その結果として当たり前に日々行わなければならないことを反故にする場合は仕事ではよくあることです。そのため、一般的にはルーチンワーク的な物事をより簡単に短時間で片付けられるようにしようと考え、システムとして取り入れてしまうわけです。

でも、まぁ、毎日行われるこのやりとりを、polkaがどう思っているかは分かりませんが、僕自身はただのルーチンワークとは思っていません。今日も部屋を出るときに、違う場所で寝ていましたが、それはそれでいいのです。また、今夜行われるであろう、ある種儀式のようなひとときが、僕自身の生存のルーチンワークでもあるのです。

2009年11月19日木曜日

「役に立つ」

「役に立つ」


幼い頃よく、これは後からでも役に立つから覚えておきなさいとか世の中で役立つ人になりなさいとか言われたことがある人は多くいると思いますが、この「役に立つ」ってどういうことなのかなと今でもふっと思うことがあります。もちろん、生活する上で実益として役立つ(人に対しても)ものが第一なんだろうとは思うのですが、それだけではないよねという気がいつもどこかにあるのです。まぁ、自分の中では、これだなというところはあるにはあるのですが・・・。

一昨日の「プロフェッショナル仕事の流儀」で紹介されていた、山口県の作業療法士、藤原茂さんが行うリハビリ療法の現場と言葉にはそんな「役に立つ」の原則のようなものが表れていました。藤原さんが扱う患者さんは、脳梗塞などで体の一部が失われてしまった人たちで、その中の多くの人は己の身の上に絶望し自殺を考えたことがあると言います。

藤原さんの目指すリハビリは、患者さんの機能回復だけではなく、人生を回復し、障害を抱える前よりも、もっと輝かせることです。番組の中で2人の患者さんとのやり取りが紹介されていました。

一人は女性で、左手が不自由な方でした。その女性は車椅子生活から解放されこそしましたが、左手は動かないままです。自身の生活の為、右手だけで料理を作ることを考え、実践するようになります。その方法が口コミで広がり、多くの方から料理方法を是非教えてほしいということになり、女性の周りにはそんな人たちが多く集まるようになりました。その後、女性は大きな機能回復のリハビリを行わなくても、他の人に料理を教えることで、表情が一変し、明るく若々しくなっていきます。

そして、女性本人が笑顔で語った一言が素敵です。

「私が出来ないのは左手が使えないことだけです。その他は全て出来ます。」

もう一人は男性の方でした。その方も8年前に脳溢血で仕事も出来なくなり、車椅子の生活からようやく自立でき始め、まだ60歳である自分の人生を今後どう生きていくべきか悩んでいる時期でした。男性は自立出来たとはいえ、足元はまだ不安で、後遺症の為に失語症を患ってもいました。

藤原さんはその男性に、利用者の代表として、施設の見学者を案内する「水先案内人」を務めてもらうことを提案します。これは本人にとっても藤原さんにとっても、リスクのある提案でした。失敗すれば、男性は再び大きな挫折感を負うわけです。

既に「水先案内人」をしている患者さんと一緒に病院を回ったときには、見学者への返答にも窮し、途中車椅子に戻ってしまいました。案内時間の2時間は男性にとっては、途方も無い時間に感じられたに違いありません。すぐ後に、藤原さんは男性の意思を確認します。男性は挑戦することを望みます。藤原さんは不安を抱えながらも、本人の意思を尊重し、男性のために名刺を準備すると話します。

いざ、本番の日が来ました。新しく作成された名刺を渡された男性は、意を決したように案内を行います。しばらくは無難にこなしながらも途中疲労が見られるようになり、様子を窺っていた藤原さんに車椅子を差し出されます。一旦は車椅子を使用しましたが、廊下を曲がり、藤原さんからの視線が見えなくなったその時に、車椅子から立ち上がり、自分の足で案内を続けます。藤原さんは追いかけ、その事実を確認すると、何も声を掛けることなく、その様子をじっと見つめていました。

その後姿は、まさに親が子を見ているかのように、僕には感じられました。

それから、ある療法を行っているグループに見学者は興味を示します。でも、その療法は自分では興味がなく、全く知らないと言ってもよいものでした。これまでは、自分の考えを言葉にすることで説明を行っていましたが、失語症の影響で他人にはよく理解されず、結果的に自分よがりになってしまうことが多々ありました。

その時男性は、自分では要領の得ない作業をしている女性に質問をします。見学者の興味を自分が質問することで、聞き出す方法を取ったわけです。当然、女性はその療法を好んで行っているので、的確な回答が導き出されることになります。男性はそうやって見学者とのコミュニケーションを取ることを見つけたのです。

2時間の見学が終わり、藤原さんとの会話の中、男性の体を気遣って、次は2カ月後ぐらいにしましょうかとの問いに、男性は今月中でもいいですと、何かをつかんだような様子で語ります。

この2つの出来事は、たぶんはたから眺めているだけだと、それほどの事ではないように感じるかもしれません。でも、本人や後押しする藤原さんにとっては、その後の人生もかかっているのですから、大海に1人小舟で出航するような思いだったと想像出来ます。そして、結果的に周りの誰かの為という生きがいのようなものを見出すわけですが、その前提として、先ず自分の為にということもあるわけです。



「役に立つ」…… 自己と他者とのつながりで、結果として互いに求めあう何か。

ほんの小さな一石が、やがて大きな波紋となるように。

いまは、そんな気分ですか。

2009年11月18日水曜日

「ツイッターは一度もやったことがない」

「ツイッターは一度もやったことがない」


これは、先週来日したオバマ大統領が、中国市民との対話集会での発言です。

ツイッターとは、サイト上に140文字以内の短い文章(つぶやき)を投稿できるネットサービスで、他の人の「つぶやき」も見ることができます。特定の人の「つぶやき」を一覧に登場できる機能があり、これを「フォローする」と言います。自分が「フォローされる」と、その相手の画面上に自分の“つぶやき”を載せることができ、ゆるやかな交流が可能になるわけです。

日本でもこの半年で爆発的に利用者数が増大し、その一因としてオバマ大統領も参加しているというフレコミが挙げられます。実際、オバマ大統領と思われるアカウントは存在していますし、利用者のほとんどはオバマ大統領の「つぶやき」と信じていたと思います。

ネットの世界は、当初だれでもつながり自由に閲覧可能な空間を与えてくれるものとして考えられていたように思いますが、実際のブログやSNSなり結局閉じられた世界の中で、情報のやり取りが行われていたように感じます。それは、蓄積型とでも言えばいいのかもしれません。

一方、ツイッターは短いセンテンス、何気ない言葉をフォローしていくことで、不特定多数の人間と瞬時に情報だけでなく、時間までも共有しうるものとして、よりオープンでフラットな世界として受け入れられています。フロー型(消えていくもの)と言えますかね。

元来人間は、日々の出来事を瞬間、瞬間に理解し対応していますが、その全てを記録として残すことは出来ません。その中の情報の一部が脳に蓄積され、データベース化されていて、必要な時に引き出しから出すように思い起こすのだと思います。そういった意味では、フロー型は自然な流れなのかもしれません。

さて、今回のオバマ大統領の発言が、どんな波紋を起こすかは不明ですが、少なからずショックを受けた人はいるのでしょうね。ネット上とはいえ、共感や共有していたと信じていた人々は、そうではなかったことを本人が明言して、知ってしまったわけですから。

ネットの場合、その匿名性から、有名人のブログやコメントを誰が書いていても、実際見る人には分からないわけですし、その辺の許容は個々にはあるのかもしれません。だからといって、他人の言葉と分かっている場合、たとえ署名が本人であっても、その人本人の発言として理解することに違和感を覚えることは当然の事と思います。

人間関係の希薄さや言われもない閉塞感に満ちている現在において、ネットのようなオープンな世界は必要だと感じています。また、そこでの表現や行動が自身の生きるすべとなっている方も実際に多くいるのですから、やはり情報提供や発言には出来る限りの良識や正直さが必要なのかなとも思います。

そうでなければ、所詮は絵空事に過ぎない仮想世界になってしまうからです。

2009年11月17日火曜日

「out of noise」



「out of noise」


数日前から、ギャラリーを閉めた後によく聞いています。

2009年3月に発売された坂本龍一さんの5年ぶりとなるオリジナルALBUMです。

CDの紹介では、國崎晋氏(Sound & Recording Magazine)によるALBUM解説や坂本龍一による参加アーティストの紹介、写真素材を多数掲載したブックレットが付属する豪華仕様の“フルアートワーク盤”と、アートワークを排除し、純粋に「音源」のみを楽しんでもらう目的で制作された“パッケージレス盤”の2形態でのリリースとなっています。

僕が持っているのは前者のものです。でもまだブックレットをよく読んでいません。だったら、“パッケージレス盤”でいいんじゃないのと言われそうですが、奏でられる音を自分の中で消化できたころにぼちぼち読もうかと思っています。

坂本龍一さんのことを30歳前の方はどれほど知っているでしょうか。もちろん、音楽だけではなく、坂本さんに関わる著書が多く出ていますので、幅広い層で知られているとは思います。ただ今は、メディア(主にテレビ)への登場が少なくなっているし、毎年のようにCD発表を行っているわけでもなく、世界的に著名なアーティストの一人として認識される場合の方が多いのかもしれません。

坂本さんが一般に認知されたのは、1970年後半に結成したYMOだと思います。その後、忌野清志郎さんとのシングルリリースでテレビへの出演も増え、その知名度が上がってきました。そして、役者としても出演した映画「戦場のメリークリスマス」、続く「ラストエンペラー」でのアカデミー賞作曲賞受賞により、世界的にも認められる音楽家となりました。

映画で使用された曲をはじめ、とてもオリエンティックで抑制された美しい旋律が特徴だとおもうのですが、それだけには止まらず、現代音楽やボサノバなどを取り入れたりして、その音楽の幅を広げていったように感じます。

今回の「out of noise」もさまざまな音源を取り込み、ミニマムかつ刺激的な楽曲を聞くことが出来ます。今は何か「音響系」なるものがあるらしく、このアルバムもそういった意味では、1つ1つの音源の響きを大事にしつつ、きちんと計算されながらも坂本さん自身の自由さも感じられます。坂本さんを昔から聞いていない人にとっては、やや単調で難解のように聞こえるかもしれませんが、僕はとても気に入っています。

「out of noise」なにかとても象徴的なタイトルですね。騒音の外というか、喧騒を離れてというか、今の坂本さんの心情と創作の自由さが表現されているようにも思えます。

2009年11月16日月曜日

2回目のファイン・アート・フォトグラファー講座

昨日、2回目のファイン・アート・フォトグラファー講座が開かれました。


参加していただけた方は、3名と少なかったのですが、その分個々の質問や意見について充分な時間が取れましたので、とても活発な意見交換が出来ました。3名ともアート写真に対する興味や自身の写真についての思いが、ストレートに感じられ、僕にとっても非常に刺激的でした。少人数であっても開催したことは、素直によかったなと思え、こちらでも自己表現や発表出来る方が多く存在し、その場の提供や環境作りを充分出来うるのではという、何か確信めいたものを感じています。

一回、9800円という参加費。自己啓発や勉強の機会として、高いように感じるかはその人それぞれの価値観により違うと思います。ただ、自分の目標や希望を具体的に持ち、それが写真家であり、それをフォローするギャラリーに関連することである場合、実際の現場での経験や学習はその職種につかない限り分からないものです。

また、本当に市場が求めている写真作品や写真家は、作品を取り扱い、写真家との交流に多くの経験を持つギャラリーでなければ得られないものと思っています。そんな部分を知っていただき、今後の方向性や指針なりに気づいてもらう講座であるわけです。

ですので、この講座を受けることで、写真家としての成功や道を直接的に得られるものではありません。あくまでも、その道を切り開くのは参加された方自身です。

今回で2回目となりますが、幸いなことにその意向をきちんと理解された方々が集まってくれていますし、当たり前のことですが、それは首都圏のみに限られたことではありません。いまやネット環境は大きく変貌し、どの場所にあっても表現や意思を発言する場は提供されています。しかしながら、やみくもに発信していても伝わらないことも事実としてあります。

そういった状況や問題の解決の糸口には、自分の知らなかったことを求める前向きな姿勢と自己投資が必要だと思います。また、そう感じ、実行する時期は、若ければ若いほどいいと言われています。(個人的に年齢は関係ないと思っていますが)

ただ、そういう時期の多くの方は、生活の為がまず先に立ち、なかなか踏み出せない現実があるのも承知しています。人間、食べるためにだけにあらず、というとても理想論的な言葉もありますが、そうはいかないことも現実としてあるわけです。

でも、自身の志の中で必要と感じた時、その為の自己投資を行わなければ、前に進むことすら困難であるような気もします。知ることへの希求のようなものは、僕の場合、年を重ねれば重ねるほど大きくなっていったように思います。そのたび、あの時に知っていればなんてことをよく感じてしまいます。

今後もこの講座やフォト・コンサルティング・サービス等を通して、多くの方と出会いたいと思っています。是非、一歩踏み出してみて下さい。

2009年11月15日日曜日

三谷幸喜作、演出ミュージカル「TALK LIKE SINGING」 オフ・ブロードウェーで開幕

三谷幸喜作、演出によるミュージカル「TALK LIKE SINGING」が、日本時間13日にオフ・ブロードウェーで開幕したようです。


SMAPの香取信吾さんが主演なので、その話題が先行していますが、オフ・ブロードウェーで日本のオリジナルミュージカルが上演されることは今回が初めてです。劇場も850名収容、約2週間の公演後、赤坂ACTシアターで日本公演を行うとのことで、流れが逆なのも今までになかったことです。

三谷さんのミュージカルというと、2000年、2003年に上演した「オケピ!」が有名ですが、その時も既存の役者さんが演じていましたし、後のWOWOW生中継の際に、本人いわく「既存のミュージカルの枠に囚われない画期的なミュージカル」と話していたように、構成も含めて大変面白いものでした。なお、2000年版で岸田國士戯曲賞を受賞しています。

「TALK LIKE SINGING」は、赤坂ACTシアターHPによると、出演者が4名とミュージカルにしては非常に少なく、日本語と英語が繰り返し演じられる一風変わった作り方をしているようです。三谷さんはストーリーテラーとしても第一線の方ですが、演劇的な実験もよく考えていますので、興味をそそられます。(日本公演も同じ演出をするかも含めて)

ミュージカルと言えば、音楽です。今回の音楽監督は、元ピチカート・ファイヴの小西康陽さんです。香取さんとは、「慎吾ママのおはロック」以来になりますか。ピチカート・ファイヴは、1990年代に「渋谷系」といわれ、一世風靡したグループですが、デビュー当初は日本ではほとんど受け入れられず、むしろアメリカやヨーロッパでの知名度が高かったと思います。一番知られている曲はこれですね。

http://www.youtube.com/watch?v=NJ1vq_utNV0


来月はクリスマスですのでこちらも。

http://www.youtube.com/watch?v=t8iGzd1vbjM


香取さん以外の出演者は、三谷作品にはよく出ている中から他のミュージカルにも出演されている方を選んでいます。特に堀内敬子さんはストレート・プレイでも秀でた女優さんです。テレビでは、主役を演ずることはないのですが、大抵の舞台役者さんがそうであるように存在感のある脇役を好演しています。

「12人のやさしい日本人」(WOWOWで生中継されたもの)がアップされていましたので興味があれば是非。(三谷さんの作品はDVD化されることが少ないので貴重です)

http://www.youtube.com/watch?v=d6ad2fWxQhw


それにしても、三谷さんの創作意欲には感心します。テレビでの人形劇シナリオ、先日紹介した「なにわバタフライN.V.」と立て続けに作品を発表しています。周りがそうさせている部分もありますが、やはり本人次第ですからね。

2009年11月14日土曜日

ブルーノ・セナ

ブルーノ・セナ


セナと聞いてF1を思い出す人は数多くいるはずです。そう、ブルーノは、かつてF1ワールドチャンピオンであったアイルトン・セナの甥です。2010年、新規参戦する「カンポス・メタF1」からF1デビューをするそうです。

目元や顔の輪郭が、叔父であるアイルトンを彷彿させます。アイルトンはブルーノのドライビングの才能を、生前から高く評価していて、マクラーレンチームを離れる際のインタビューに「もしあなたが、わたしを優れたドライバーだと評価するのなら、それは私の甥のブルーノを見るまで評価するのを少し待ってください」とも語っていたと言われています。

1994年サンマリノ・グランプリでの不慮の事故死まで、アイルトンは常にF1界のトップでしかもアイドル的存在でした。当時の日本でもホンダの参戦もあり、非常に人気があり、グランプリごとにテレビ放映もされ、その動向も注目されていました。

最近では、日本からはホンダ・トヨタ、そしてタイヤメーカーであるブリジストンがF1から撤退するニュースが報じられていました。この世界的不況下で、F1運営にかかる経費が企業自体を圧迫し、資本投資するほどのメリットが受けられないことが原因ですが、何かとても悲しいことです。

かつてモータースポーツは、その開発技術が市販車へ有効に活用されていました。しかし、昨今のエコに対する風潮は、走りや性能もそうですが、環境への配慮が重要視され、市場もそれを求めています。いわゆるスポーツカータイプが市場に出てこなくなったのが現状なのです。

実は、僕も一般に走っている車については、走ればいいぐらいの感覚でしか見ていなく、あまり興味がありません。なので、F1は純粋にスポーツとして好きで見ていました。また、最先端の技術を駆使して競っているのに、1レース、1シーズンの中に、とても人間くさいドラマがあります。そこに惹かれ、毎回レースを見ていたような気がしますし、その時のアイドルがアイルトンだったわけです。

さて、親の七光りならぬ叔父の七光りでもあるブルーノは、周囲もかつてのアイルトンの再来を願ってもいますし、とても大変だと思います。ブルーノも来年で27歳、途中母からのレース禁止の時期もあり、2005年からF3本格参戦、その後GP2とキャリア的には浅い感じもしますが、可能性を感じずにはおられません。

チームも新規参戦ですので、非常に難しいですが、初戦から表彰台なんてことになったら、本国ブラジルはもとより、かつてアイルトンから希望や感動を受けていた世界中の人たちが、再び表舞台に立ったセナの名前に感動することでしょう。また、楽しみが増えました。

2009年11月13日金曜日

「JIN 仁」、「深夜食堂」

10月に入ってから毎回見ているテレビドラマが2本あります。


1つが東芝日曜劇場枠で放映されている「JIN 仁」、そして、もう1つがTBS系で金曜深夜に放映されている「深夜食堂」です。正確に言うと、「深夜食堂」は地元局では放映されていませんので、ネット動画で後から見ています。

最近はいろいろなネット動画が出ていますので、関東圏のみで放映されている番組でも評判が良ければ、比較的安易に見ることが出来ます。本当、便利になったものです。特に深夜帯の番組で忘れていたり、忙しくて見逃したりすることは良くあることで、画質は落ちますが録画した番組を選んで見るような感覚ですね。

2本とも原作は漫画です。ともに青年向け隔週誌に掲載されているもので、この青年向けというところがいかにも日本的です。アニメ大国である日本の中でもこの分野は、世界でもあまり見られないところですからね。

漫画が原作となっているテレビドラマや映画はここ数年多いです。文字離れやミックスメディアが言葉として現れ始めてから、若者層でもより手軽にやさしく見ることが出来る漫画に良質な物語が生まれてくるのは当然の流れのような気がします。また、漫画の世界はまさしく絵コンテそのものですから、いろいろな意見はあると思いますが、映像として表現しやすいのかもしれません。

さて、この2本は、それぞれ内容もテイストも全く違います。内容はここで紹介するよりも、いろいろなメディアに出ていますのでそちらに委ねますが、共通する魅力として登場人物やそれを演ずる役者さんにオリジナリティがあることと、強さも弱さも同時に持ちうる等身大の人の姿を描いているところだと思います。また、時代背景にも惹かれます。

「深夜食堂」に関しては、主演が小林薫さんなんで特に気に入っているのですが、起用されている役者さんを見るだけでも面白いですね。監督として松岡錠司さんや山下敦弘さんが起用されていたり(山下監督の「リンダ、リンダ、リンダ」は、岩井俊二監督「花とアリス」と並んで、女子高生を描いた秀作です)、フード・コーディネーターが「かもめ食堂」の飯島奈美さんだったり、深夜帯のテレビドラマとは思えない豪華さです。逆に深夜帯だから出来る番組でもありますが。

ここ数年、翌週も楽しみに見たいと思えるテレビドラマがあまり無かった(もっともテレビは見ていなかったので)のですが、久々にはまってしまいました。原作も読んで(見て)みようかと思っているのですが、印象が変わってしまうかもしれないので、どうしようか思案中です。

興味があれば、見てください。

でも、「深夜食堂」は、ダイエット中の人には酷かもしれません。

その辺の責任は負えませんのであしからず。

2009年11月12日木曜日

進化系カメラ 「GXR」

昨日は朝から強い雨が降っていました。このところ、まとまった雨も少なく、すっかり乾燥していましたが、久しぶりの雨でギャラリー内もしっとりとした感じでした。

こんな日は、ほとんどお客様も来られないので、雑事をこまごまと奥の部屋で行っていました。元来の面倒くさがりはこの年になっても相変わらずで、常日頃またこの次にでもやればいいやと思いながら、結局はずるずると残ってしまっていた事をぼちぼちこなしていたのです。

そんな時、ネットで流れてきたデジカメ新製品のニュース。

リコーが12月に発売予定のレンズ交換式デジカメ「GXR」です。このカメラは一眼レフカメラのようにレンズだけを交換するのではなく、レンズと撮像素子が一体化した「カメラユニット」をワンタッチで交換できる斬新な仕組みを採用しているのが特徴です。

もともとリコーは、GRシリーズやGXシリーズで軽量、コンパクトでしかも映りの良さを前面に出し、一部のカメラファンから圧倒的な支持を受けていましたが、今回発売されるGXRは、この定評を崩すことなく、一風変わった作りになっています。

各社コンパクトデジタル一眼として、独自規格のマイクロフォーサーズ採用し軽量化を図り、レンズ交換可能なタイプとし、女性をターゲットに商品発表をしていますが、リコーはあくまでもコンパクトデジカメにこだわり、かつ「カメラユニット」交換により状況に適した設定を提供しようとしています。
YouTubeにも概要がアップされています。

http://www.youtube.com/watch?v=OdfceTxv1p8

ラインナップを見ると、カメラユニットには50mmマクロと24~72mmズームの2タイプが用意され、本体と含めると9万円~13.5万円前後と価格が高いように感じます。また、ユニットは年2~3本程度の発売を見込んでいるようです。

いかにもリコーらしい発想と言えばそう言えなくもありません。工業製品の多くは、ユニット設計の集合されたものが、完成体として製品になる場合がほとんどです。特に製品が大きくなればなるほど、そのような形で設計されています。ユニットごとでの設計、製品品質を上げていき、それを組み合わせた方が、不具合時にも原因特定や被害の広がりをより小さい範囲で見つけることが出来ますから。

僕も以前よくリコーで部品打ち合わせをしていましたので、技術・開発者の製品に対するこだわりや品質への思いは良く分かります。市場がどう受け止めてくれるかですね。

それにしても、プレスリリース会場に大森事業所と載っていたのを見た時は、何かとても懐かしい気持ちになりました。

2009年11月11日水曜日

久しぶりに戯曲を読んで

休廊日でもある月曜日に、久しぶりに戯曲を読みました。このところ、夜にDVDでちょくちょく芝居を見てはいたのですが、繰り返し見ているものでもあり、新鮮さという意味ではちょっと刺激が少ないなと思っていました。(繰り返し見ることで新しい発見はあるのですが)

そんな中、2週間ほど前に購入していた、以前紹介したこともある「せりふの時代」秋号をようやく読んでみました。個人で仕事を行っている人は分かると思いますが、こういう仕事はなかなか公私の区別がつきづらく、落ち着いて本なんかを読むことが以前より少なくなってしまいます。先日は、あえてオフと言い聞かせながら、読み始めたら、これが予想以上に面白くて、2本続けて読んでしまいました。

鄭義信「バケレッタ!」、マキノノゾミ「晩秋」の2本です。

両方ともごく最近舞台で上演されたもので、「晩秋」は現在明治座で行われています。
鄭義信さんは「焼肉ドラゴン」の作家でもあり、とても好きな作家の一人です。一方、マキノゾゾミさんと言えば、自身の劇団であるMOPが以前より好きだったので、劇団公演は良く観に行っていました。しかし、外部公演では割と大きなものを扱っていたりして、その形態も以前からある芝居のそれを踏襲するようなものだったので、なかなか観ようとは思いませんでした。(「晩秋」も明治座ですから)

「バケレッタ!」は、長年小さな劇団を支えてきた座長の葬式から物語が始まります。かと言って、暗いだけの話ではありません。死期を意識した座長の再演や劇団にかける思いなんかが、本当にさりげない言葉に感じられ、それを取り巻く劇団員それぞれの悲喜こもごもも面白可笑しく、そして少しだけ哀しげに描かれています。とてもベタで、なにか、アングラの香りさえ感じられます。劇団「黒テント」を経て、87年に「新宿梁山泊」を旗揚げした鄭さんらしいような作品に思えます。

後で分かったのですが、この戯曲は在日韓国人を自ら公表し(当時の芸能界では公表することがタブーでもあった)、若くして亡くなった女優の金久美子さんへのオマージュでもあるそうです。

一方、「晩秋」ですが、これがとても素晴らしいんです。何が素晴らしいのかと言うと、状況がはっきり頭の中に浮かぶこと、いたずらに修飾されたセリフが無くすんなりと入ってくることです。それでいて、その一言一言にはきちんとした意味があり、決して押しつけがましくない優しさを感じます。奇をてらっていない正攻法の「お芝居」(悪い意味ではなく、素直に)を見せつけられた思いです。

明治座の公式HPによると、坂東三津五郎、八千草薫、森光子とそうそうたるメンバーが名を連ねています。いかにもといった、うがった思いなしで観られると、相当に楽しめる芝居だと思います。主演の坂東さんは歌舞伎役者でありながら、セリフ回しでそんな風に感じることが少ないので、違和感なく芝居に入り込めるのではないでしょうか。

いずれも上演すると、2時間30分程度ですが、読んでいるとそれほど長くは感じられません。実際、両方を2時間程度で読んでしまいましたから。

毛色の全く違った作品でしたが、生と死といった人間の織りなすドラマはやはり普遍的なもので、時代や環境が変わっても、変わらずに受け入れられるものがそこにはあるのかな、と改めて感じさせられました。

2009年11月10日火曜日

ベガルタ一色

一昨日夕方、地元新聞社から市街各所で号外が発行されていました。

地元J2ベガルタ仙台のJ1昇格決定のニュースでした。昨年の入れ替え戦に敗れ、今年は開幕では若干の出遅れもありましたが、その後順調に戦歴を重ね、7年振りにJ2での3位以内が決定し、自動的にJ1昇格が決まったとのことです。

今年はプロ野球での楽天とベガルタ仙台の試合結果が、毎日のように朝夕のニュースで流れ、結構地元では盛り上がっているのだと改めて思っていました。

J1が発足したのが1993年で、当時僕はカズやラモスが所属していたヴェルディー川崎の本拠地、等々力競技場に程近いマンションに住んでいたので、毎週末に行われる試合のたびに会場の明かりで夜空が照らされている模様や大きな歓声を聞いていました。地元でもかなり盛り上がっていたことを思い出します。

あまり詳しくは知らないのですが、その後下部組織であるJFLからJ2と新JFLとに移行があり、現在のようなJ1、J2、新JFLといった形になり、J1とJ2では毎年入れ替えがあるようになったようです。

ベガルタ仙台も2001年に東北で初めてJ1入りを果たしましたが、2003年にはJ2降格、その後なかなかJ1昇格を果たせなかったので、今回のJ1昇格で地元ファンや関係者の喜びはひとしおだったのではないでしょうか。号外まで出るくらいですからね。翌日の新聞での扱いも地方紙とは言え、凄かったです。全面ベガルタ一色でした。

スポーツの世界で、プロの団体が各地域に出来てきたのは、いつごろからだったのでしょうか。といっても、知名度や規模的にも野球とサッカー、バスケットぐらいだと思いますが、また、全国的な広がりという点では、サッカーが一番なんでしょうね。

いずれにせよ、プロとして行うことの経営的な部分と恒常的に地域を活性化させる部分(文化・スポーツ振興という意味で)で最も重要なものは、地域との密着度とファンや地元の人々のバックアップですね。プロスポーツって或る意味夢を売っているものだと僕は思っていますが、ただ声援を送るといった無形の援助・応援だけでは成り立たないものです。

ですが、このあたりの曖昧模湖とした部分も含めて、うまく成立させることはなかなか難しいのも現実としてあるわけです。

それにしても、ベガルタ仙台が来年J1で大活躍し、楽天も今シーズン並みに注目度を浴び、仙台がいよいよ注目されるようになれば、それはそれで良いことです。

名ばかりの「地方の時代」を払拭する意味でも、とても大事なことです。

2009年11月9日月曜日

「見えるもの」、「見えざるもの」

展示における演出効果を意識させられた写真展に、2007年10月に東京都写真美術館で開催した「鈴木理策」展が挙げられます。

僕はそれまで様々な写真展をギャラリーや美術館等で観ていましたが、整然と並べられる作品群の美しさはやはりそこでしか得られないもので、その様式的な美も含めて楽しんできたように思っていました。しかし、同時にもっと演出的な展示でその作家が表現しようとしている世界をより効果的にすることが出来ないのだろうかとも感じていました。これは、僕自身舞台が好きであることも影響していると思います。

「鈴木理策」展は、その一つの回答でもありました。この写真展は小説や芝居でいうと大きく3つの章で分けられています。「海と山のあいだ」、「KUMANO」そして「White」・「桜」だったと思います。それぞれが、そのテーマに合わせた形で展示され、ライティングにもかなり工夫を施されていました。言葉で会場の様子を表現するのは非常に難しいですね。作品自体から受ける印象が会場の雰囲気により一層濃いものとなり、観る者にとっては何か熊野の山やその自然の一部に入ってしまったような印象を受けます。

会場を出て、ガーデン・プレイス内にあるベンチに腰を掛けながら、しばらくは茫然とその余韻に浸っていたことを思い出します。これは、写真集のような媒体では得られないものです。展示会として、その場でしか体感出来ないものであって、やがて会期が終了し、無くなってしまうことにある種はかなさも感じてしまいました。

写真は時代やその場の感動や状況を一瞬に捉え、残すという、いわゆる記録としての性格が重要な部分だと思っています。それはまた、単純に美しさや悲惨さや喜びなどを表すだけではなく、その内面にあるもっと大切な部分をも写し取っています。

「見えるもの」しか写らない写真でありながら、「見えざるもの」に人は感動を覚えているとも言えます。ですので、本来はそんな演出効果は必要ないのかもしれません。(余計な情報を与えないという意味で)何かまとまりが付かなくなってきましたが、とにかく「鈴木理策」展での展示演出には、ハンマーで頭を殴られたほどの衝撃だったわけです。

今回で3回目の写真展ですが、それぞれの演出を自分なりに考えて行ってきています。その基本は、会場でしか得られない感情が内に湧き上がるかどうかです。

お客様が来られる動機はさまざまです。偶然手にした案内状で、あるいは何かの拍子でたどり着いたホームページの内容に共感を覚え、見に行こうと思い立つわけですからね。

そのための演出(会場の雰囲気)は、僕個人としては、とても大切なものだと思っています。

2009年11月8日日曜日

商品開発の陰で

11月6日のasahi.comによると、デルが個人向けノートPCブランド「Adamo by Dell」の第2弾として、「世界最薄」の最薄部9.7mm、最厚部10.3mmを実現した「Adamo XPS」を、11月18日に発売すると掲載されています。

PCに限らず、さまざまな商品の「軽薄短小」の動きは、1980年代、高度成長からの変化の一環として、消費者のライフスタイルや考え方により自然発生的に生まれてきたもので、現在もエコにも通ずるものはその流れの中にあると言えます。

PCもここ10年のハード・ソフト、インフラ等の急激な発展により、いわゆるデスクトップ型よりも携帯出来る、どこでも使用出来るノート型がその一端を担ってきたと思われます。ネットPCやB5タイプのものと比較すると、重量はありますが、今回のデルの製品は最薄なんだろうと思います。

これと対抗するアップル社の「MacBook Air」が、最薄部4mm、最厚部19.4mm(アップル・ストア13.3インチ版技術仕様から)ですので、「Adamo XPS」は平均的な薄さで際立っています。まぁ、PCはその処理能力など見た目だけでは良し悪しを判断するのがむずかしいですし、使用する人の嗜好もありますので、どちらが優れているとは言えませんが、機構、外装設計の開発にはかなり困難を極めたことは容易に想像出来ます。

さまざまな特徴(素材やデザイン等)を画面で見ながら、かなり前ですが、僕が家電量販店で衝撃を受けた製品を思い出しました。正確に言うと、漠然とした姿・形を思い起こしただけですが、気になったのでちょっと調べてみました。

それは、1998年に三菱電機が、HP社との提携により、カスタムメードの部品で製造された「Pedion」というPCでした。

スペックは今と比べれば相当に劣っていますが、最厚部で18mmと「MacBook Air」に勝っています。液晶が12.1インチと若干小さめですが、当時では十分に大きなクラスでした。
しかしながら、見た目以上に、そのスペックの低さや使用感の悪さなどにより消費者の支持を受けることが出来ず、その後改良版も出しましたが、ついには2001年にシリーズの幕を閉じることとなったそうです。

僕も当時の仕事柄、お蔵入りになった製品や事業撤退に至ったものを何度も間近で見てきましたが、開発者の落胆した表情を垣間見た時やその後の部署移動とかの連絡はとても悲しいことでした。

それでも、そんな失敗を繰り返しながら、さまざまなヒット商品を作っていることも事実としてあります。
また、ほとんどの開発者は純粋に物作りをしている人ですので、他の分野でも真摯に取り組んでいる姿を見せてくれていました。

それが無かったら、物作りなんて出来ないですからね。

2009年11月7日土曜日

今少しだけ悩んでます…。 「上海バンスキング」復活公演

今、少しだけ悩んでます。

でも、仕事のことではないんです。昨日、「なにわバタフライN.V」再演のことを書きましたが、もっとすごい再演が同じ時期に行われるのです。

それは、渋谷シアターコクーンで行われる「上海バンスキング」復活公演です。

以前、「上海バンスキング」のことはこのブログでも載せましたが、いまや伝説となっている音楽劇のひとつです。僕自身、この芝居もですが、オンシアター自由劇場にはすごい思い出や思い入れがあるし、たぶんこれが最後だろうなとの思いもあるからです。

配役は開演1時間前に発表されるので、ダブルキャスト、トリプルキャストなんてことになるかもしれませんが、やっぱりオリジナル・キャストで、吉田日出子さんのマドンナことまどかを演じる姿をもう一度観たいのです。

吉田日出子さんは最近ではテレビや映画、舞台での出演がなく、僕が最後に観た芝居は、2005年両国にあるシアターχ(カイ)で公演された「母アンナ・フィアリングとその子供たち」でした。その後2007年に、この芝居の再演が吉田さん主演で行われる予定でしたが、体調不良で降板するニュースが流れていたので、とても気がかりでした。この時の劇場関係者の話で、吉田さんがメニエール病を患っていることが書かれていました。最近でも、美保純さんが同じ病状で舞台降板の記事が出ていましたね。

もし、復活公演で出演すれば、約4年ぶりの舞台出演になるわけです。吉田さんの魅力はなんと言っても、独特の声質とその存在感です。好き嫌いは分かれるところですが、吉田さんの出演無しでは、「上海バンスキング」はありえないと思います。

さわりはこちらから。
http://www.youtube.com/watch?v=hZzj5VoO8E8

吉田さんの役者としてのすごさが出ているテレビ番組では、鶴瓶の「スジナシ」があります。「スジナシ」は、元は名古屋の中部日本放送が製作したいわゆる地方のみに発信された番組でしたが、その内容が評判を呼び、BSをはじめ、関東圏でも放送されるようになり、2006年には新宿紀伊国屋の舞台上で行われもしました。決まっているのは場面設定のみ、台本や打ち合わせもない状態で約15分程度の芝居を鶴瓶さんと毎回違うゲストが行います。ですので、即興性はもちろん、役者としての力が地で出てしまう面白さがあります。DVDでもレンタルされていますので、興味のある方は是非見てください。(たぶん第2巻だったと思います)

さて復活公演には当然、串田和美さん、笹野高史さん、小日向文世さんのクレジットもありましたので、本当にオリジナル・キャストです。ただ、余さんの名前がなかったので、リリー役は違う方が演じることになるのかと少し残念ではあります。

あぁ、悩みます。東京にいたなら、速攻でチケット購入してしまうところですが…。

もうちょっと考えます。でも、このチケットって、おそらく即予約完売になると思われるので、手にいれることすら難しいかもしれません。コクーンのチケットメイトも解約してしまったし、いやはや何ともです。

2009年11月6日金曜日

「なにわバタフライN.V」

昨日は一転して穏やかな秋模様、先週末の寒さを忘れてしまいそうな天気でした。

最近は季節の変わり目でもあるので、毎日の気温がコロコロと変わってしまい、その日の朝何を着ればいいんだと悩むことも多いと思いますが、僕の場合は衣装持ちではないので、そこらにあるものを適当に着てしまいます。

ギャラリーの中は、その日の気温に応じて暖房を入れたり、切ったりしていますので、大きな変化はありません。半地下の割には意外に乾燥することも分かり(エアコンの影響もあり)、夏に大活躍の除湿機も奥の部屋にしまっています。その時にならないと分からないことがままありますから、適宜対応といったところです。

さて、PARCO劇場やぴあのメールマガジンで、来年2月にある三谷幸喜作・演出、戸田恵子主演「なにわバタフライN.V」再演の案内が、頻繁に入ってきます。2004年PARCO劇場で初演したこの芝居は、三谷幸喜さんも戸田恵子さんも初めての1人芝居でした。師走の寒い風が吹く中、観に行った覚えがあり、もう5年前のことだったことに、月日の早さを感じてしまいます。

今回はタイトルにN.Vと付いているように、ニューバージョンのようです。詳しい内容は明かされていませんが、音楽が無くなったことだけが公表されています。三谷さんの作品は再演が多いのですが、そのたび毎に脚本の見直しを行っています。三谷さんと言えば、シチュエーション・コメディーでは一線級の実力を持った方で、2時間暗転無しなんて芝居はこの人ぐらいじゃないでしょうか。今回もどんな味付けになっているか非常に楽しみですね。

初演の時は、PARCO劇場と比較的大きな劇場だったこともあって、舞台上には楽屋をしつらえたようなセットを作り、舞台の半分程を使用していました。700人規模ですので、ちょっと後列の人はつらかったと思います。今回は世田谷のシアタートラムですから、大きさ的(約200名収容)にもちょうど良いのではないでしょうか。

芝居は演ずる役者の表情が見えるくらいでないと話にのめり込めないと私的には感じています。かと言って、オペラグラス片手に表情だけを追いかけても、全体が見えなくなるので興ざめしてしまいます。
また、芝居はよく総合芸術と言われてもいますが、観客も一緒に考えながら観ることで、その一員を担っていると思います。現に、役者のひとつの仕草や一言のせりふで、その場の空気が変わってしまうことを、僕は何度も実感したことがあります。そんな雰囲気に呼応しながら、役者も演ずる部分で否応無く変化してくるのです。

これは僕だけが感じていることかもしれませんが、戸田恵子さんは意外に気性が激しい人のように思います。何度か出演している舞台を観ましたが、カーテンコールでの表情に、自身の納得度みたいなところが表れます。そのあたりも注目かもしれませんね。

でもこれだけ紹介しておきながら、僕はというと、多分その頃は次の会期で観に行けないだろうなと思います。

チケットは少々お高いです(本当に最近の芝居は高いです)が、お近くの方は必見です。

なんと言っても、芝居は生が一番ですから。

2009年11月5日木曜日

テレビのある暮らし

仙台に戻ってきてからテレビをよく見ています。受信料を支払っているからというわけではありませんが、NHKを見る機会が多くなりました。特に、23時以降にある番組は、時にNHKらしからぬ番組もあって、いつのまにかリモコンのボタンに手を伸ばすようになったと思います。

東京に出たときは、会社の寮に入っていたので、当然のように部屋にはテレビは無く、談話室のような部屋で流れている番組を眺めるでもなく過ごし、その後、寮を追い出され、6畳一間キッチン付の安アパートに暮らし始めてからも、しばらくはテレビを買うことはありませんでした。その当時は音楽や映画の方に興味があったので、もっぱら家では音楽、外に遊びに行けば映画館ばかりだったように記憶しています。

それから20代後半になり、次第に会社でも仕事を任され始めると、周りのエンジニアがそうであったように、遅くまでの残業は当たり前、徹夜もしたりで、帰宅してのテレビはお決まりのリバイバル映画だったり、ほとんどが見るだけで疲れるものばかりで、ただテレビのスイッチを入れていただけでした。
その頃から、レンタルビデオが出だしたので、映画館へは足が遠のきはじめ、家で映画を見ることが多くなり、何故かアートにも興味が出てきて、美術館なんかに行きだしました。まぁ、当時は写真も好きでしたが、もっぱら絵画や彫刻を見に行ってましたね。

そして、30代は、特に中盤以降ですが、ある事情で外の世界(テレビも含め)とのつながりが希薄になりました。今はまだ話す時期では無い(多分ずっと無いと思いますが)ので飛ばしますが、40代で新たな会社に入社し、住居を川崎から池上のマンションに移してから、自宅にホームシアターを置き、当時は出たばかりのHDDレコーダーも購入し(ハイビジョン番組が8時間しか録画できない!)、レンタルDVDや番組を録画したものを楽しむようになりました。

芝居を観にいくことを再開したのもこの頃です。仕事は信じられないほど忙しく、帰れない日もしょっちゅうありましたので、HDDレコーダーは重宝しました。でも、そんな趣味の関係で、もっぱらWOWOWやBSの番組を録画しては、後から見ているケースが多かったのです。ですので、テレビで有名な芸能人とかお笑いなんかは、全くと言ってよいほど知らなかったわけです。

そして、今、2年後どうなるのかなと考えながら、地上波放送を20年分ぐらい、一気に見ているような気分なのです。

それにしても、いまさらこんな自己紹介のようなことを書いているのか自分でもよく分からないのですが、眼の前に展示されている作品のミュージシャンらの若かりし頃への懐かしさや今を生きている若者達の笑顔とまっすぐな眼差しにほだされてしまったのかもしれないですね。

2009年11月4日水曜日

初日…夜空には満月

昨夜は見事な満月でしたね。

19:00過ぎに表に出た瞬間、かなり低い位置にまん丸の月が眼に入りました。一日中冬のような寒さでしたので、大気は澄みきり、とてもくっきりと美しかったです。
それにしても、夜になると一層寒さが増して、久しぶりに顔が痛い感覚を受けました。

そんな寒い中、昨日見えられたお客様はほとんどが初めてのお客様でした。連休最終日でもあったし、今年一番の寒さも手伝って、いきなり押し寄せるようにはいらっしゃらないだろうと思っていましたが、それでも来ていただいたお客様には感謝です。

僕も出来るだけ来ていただいた全てのお客様とお話をしたいのでが、何人か重なってくるとどうしても出来ない場合があります。本当にごめんなさい。
でも、話かけてほしくない人もいるわけで、僕の方も何となくですが判るようになってきました。逆に話しをして欲しいと思っているお客様も、何となくですが判るようになってきました。

仙台のお客様は全体的にとても遠慮深く、時間の流れも少しゆったりしている印象です。僕も高校までは仙台でしたが、その後東京での生活のほうが長いせいもあり、都会のせわしなさや人との稀薄性を感じながら、今ここでとか、こちらから動かないと、と言うような、一種脅迫めいた感覚がどこかにあるような気がします。

いい悪いは別にして、そんな文化や地方性はどんな世の中になっても残っていくべきだと思います。日本全国画一化していっている現在、地方都市が小東京化していく感覚は、利便性や効率性を考えれば、それはそれで正しい動きなのかなとは思いますが、何かつまらないですものね。まぁ、そんなことを時折考えながら、1人ギャラリーの扉が開くのを待っているようなわけです。

蔵王や泉ケ岳(この山は仙台市内になっています)には初冠雪があったのですが、今日は少し、暖かさが戻るようです。この時期、コンビニのおでんが一番売れるようなことを今朝のニュースで言っていました。寒さに慣れる前に、急に寒さに触れ、暖かさを求める人の気持ちが影響していると解説していました。

今日も、ギャラリーの中は暖かさに溢れています。

身も心も温めていってもらいたいと願っています。

2009年11月3日火曜日

今年一番の寒さですが、本日お披露目です。

急に寒くなりました。

昨日は、午前中、自転車を飛ばして、DMを置いてもらっている所を何カ所か覗いてきましたが、どこもほぼ半数ぐらいになっていました。会期途中で補充しようと思います。
昼食後、午後早くギャラリーに戻ってきたのですが、寒さが尋常ではありません。自転車置き場からかじかんだ手をさすりながら、ギャラリーの入口扉のカギをポケットから取り出そうとした時、ポツリ、ポツリと冷たい雨が降ってきました。

体感的には10℃を下回っていたのではないでしょうか。仙台は、もうコートの季節だなと思っていたところに、扉をたたく音がしました。返事をして開けてみると、いつものヤマト便の人です。

「今日は小さい荷物です。」と言いながら、段ボールで1箱を手渡しでくれました。写真集「HOPE 空、青くなる 」でした。昨日来なかったので、どうしたのかなと思っていたのですが、日曜日だったこともあり、今日の状況次第で連絡をしようと思っていた矢先でしたので、とりあえず開催に間に合って良かったと胸を撫で下ろした次第です。

いつも来るヤマト便の人は、2名程いるのですが、最近は一人作業になり、大変だと言っていました。僕に来る荷物は大抵巨大なので、前回の高橋数海写真展での大判(1200×1500mm)を搬入する時には、2人で運んでくれました。2ヶ月後、つい先日こちらから運び出す時は1人でしたので、ほとんどの荷物を僕と2人でトラックまで運びました。

トラックへの積み込みが終わり、支払も済んで、僕もほっとしたところ、ヤマトの人は一旦ギャラリーから表に出てから、少ししてまた戻ってきたのです。何かあったのかと思ったのですが、手伝ってくれたお礼にと、飲み物を置いていきました。これが、あきらかに、前にある自動販売機から買ったものなんです。

これって自腹なんだろうなぁと思いながらも、悪い気はしませんでした。でも、他のところでもそんな感じだと大変だよなとも思いました。大変と言うのは、ヤマトの人はもちろん頼んだ人もですね。僕の場合は手伝える状態だったので良かったのですが、そういうお客さんだけとは限りませんから。

そう言えば、サービスセンターに引き取り依頼をした時にも、荷物の大きさすら聞かれなかったことを思い出しました。保険の件もドライバーに話して下さいと言われて、変だよなと感じてたんですよね。荷物を見て、保険のことを話した時、人の好いそのドライバーは、結構慌てていましたから。

どの会社でも、事務方と現場とに実務の部分で温度差があります。特にこの不況の折ですから、その言われも得ぬ不条理感は、解っていてもね…、と言うところはあります。「踊る大捜査線」(古い!)じゃないですけど、時に叫びたくもなる気持ちは充分理解出来ます。

僕はどうなのと言うと、今のところどっちも一人でしてますので、幸か不幸か文句を言う相手がいません。時折ある自己矛盾に向き合う程度です。

まぁ、そんな時は目の前にある作品を眺めては、小っちゃい、小っちゃいと心でつぶやきながら、結局は作品に癒されてしまっています。(癒されるという表現はあまり好きではないのですが、ちょうど良い言葉が思いつかないので)

さて、本日お披露目です。

寒さもあるので、入口のドアは微妙にしか開いていないかもしれません。
少し重いドアを押し開いた先は、暖かい空間に包まれます。

どうぞ、気をつけてお入り下さい。

2009年11月2日月曜日

暖かい陽だまりのような空間で・・・

ハービー・山口写真展もいよいよ明日開幕です。

今回のギャラリーは明るさで一杯。作品の持つ温かさを感じてもらいたいためです。
観る方が自然に笑顔になってくれれば、しめたものです。

言葉や講釈は必要ありません。感じるままに感じてもらえれば、それで良いとさえ思っています。(本当はそうじゃない気もしますが)

開幕までの準備期間に、その時々で展示構成や演出を考えるわけですが、今回も作品を見続けている内に自然と決まっていく感じで、何か作品自体に導かれているような錯覚を覚えました。本当はより客観的に判断し、決定していかなければとは思っているのですが、感覚が先に立ってしまいます。まだまだ、アート写真好きのおやじなんですね。

企画展も3回目となりますが、高橋数海写真展の時には、来廊者の半数以上が初めて来られた方でした。今回はハービーさんの知名度もあるので、どれほど多くの方との新たな出会いがあるかも楽しみです。もちろん、毎回来て下さるお客様は、来るたびに違ったギャラリー空間をお見せしているつもりですので、それはそれでお話を伺うだけでも面白いです。

仙台はまさに寒い冬へと向かっている時期ですが、暖かい陽だまりのような空間で、写しだされた笑顔やまっすぐな想いの一つ一つを感じてもらえればと思います。お一人でも構いませんが、出来れば、身近な誰かと一緒に時間と空間を共有してほしいとも思っています。

きっと、優しい風がこころの中を通り過ぎていくことでしょう。そして、あまりに身近であるがゆえに、普段気にかけてもいない本当の安らぎといったものが、実は目の前にあったことに気付くはずです。

それは、ほとんどの人は自分を取り巻く本当に小さな世界の中で、感情と共に生き、ごくごく身近な人たちと親しい関係を持ちつつ、ほんのわずかであれ幸せを希求しながら生きていくものだと、僕自身が信じていることを意味しているのです。

2009年11月1日日曜日

「決定的に自由であるために」

世の中にはすごい人がいるものだと、衝撃を受けることって誰にでもあることだと思いますが、まさにそんな人を見てしまった気分です。

その人は、生け花作家の中川幸夫さんでした。

偶然スイッチを入れたテレビから映し出されたこの作品を見た瞬間、なにかとんでもないものを見てしまったような感覚を覚え、作品の映像が無くなってもしばらくは画面から眼を離すことが出来ませんでした。

中川幸夫「花坊主」1973年 

カーネーション900本を自作のガラスの器に密閉状態にし、白いふすま紙の上に逆さに1~2週間程置くと、赤い液体が流れ出てきて、このように拡がった状態になると解説していました。こういう生け花としての表現があること、そしてそれ自体が決して奇抜さだけではなく、アートとして成立している姿に、僕は感動していたのだと思います。

中川幸夫さんのことは、多くの方がすでに知っているのかもしれません。しかし、僕自身生け花はおろか、花の名前さえよく知らない門外漢ですので、どんな人なのか興味が湧き、少し調べてみました。

中川さんは、3才のとき、怪我がもとで脊椎カリエスにかかり、それ以来背中は曲がったままです。小学校卒後、大阪の石版印刷屋へ奉公に出るが、病気により9年後帰郷。祖父、おばが池坊に属していたことから、いけばなを始め、1949年「いけばな芸術」へ送った作品写真が重森三玲に認められました。しかしながら、1951年家元と衝突、絶縁状を叩きつけて上京。それ以降は、どの流派にも所属せず、独自の前衛華道の道を歩むようになったそうです。

「決定的に自由であるために」が、池坊脱退声明でした。戦後間もない頃ですから、当時は並々ならぬ決意と行動であったと想像出来ます。それからは、生活も困窮の極みではありましたが、個展をはじめ作品制作を精力的に行い、現在は故郷の香川で過ごされているようです。

おどろおどろしいまでの赤の色彩と密閉された空間で悲鳴を上げているかのようなカーネーションの花びら達、死してもなおその生の美しさを、「活ける」ことによって表現していかのように僕には感じられます。

中川さんはガラス作品制作も行っています。また、写真との関わりも深く、自身の作品の写真も撮ら、図録に載せています。師事した写真家は土門拳さんだと言います。

まだまだ勉強不足ですね。世の中には僕の知らないとてつもない人がまだまだ沢山いるのでしょう。

「決定的に自由であるために」…… それにしても、すごい言葉です。