2011年6月23日木曜日

今日もいつも通り考えよう

雨です。地震です。


今朝はちょっと気分が重いスタートになっていますが、そうも言ってられません。何しろ、本会期は今日を含めて後4日、次回の準備も来週から本格的に始まりますから、その下準備も進めなくてはいけません。

参加者は普段仕事を持っているので、ギャラリーで打合せが出来る時間は限られていますから、僕はその貴重な少ない時間にどれだけ効率よく、内容のある話が出来るかを考えるだけです。普段のやり取りはメールでも出来ます。その内容から想像出来うることをあれこれ考え、具体的な処理や方法を検討している感じです。

特に宮城県外の方や県内でもギャラリーから離れている方については、わざわざ来てもらうわけですから、考える範囲は拡がります。だから、ギャラリーやアート、写真とはおよそ関係ないことも調べなくてはいけません。

展示に関わることをネット等で調べても、実際使えなければ話にならないので、時にテストもします。たとえ最終的にそれが使われなくても、特に気にしてはいませんし、もっと良い方法があればそちらを選べば良いのですから。

ただ気を付けないといけないのは、参加者寄りに目を向け過ぎて、見る側の意識をないがしろにしていないかという点です。奇抜な考えや演出は時に必要ですが、自己満足的な楽しさだけが前面に出ても、見る側は白けてしまいます。言葉は悪いのですが、歩み寄る部分と突き放す部分のバランスが重要なんだと思っています。

自分の考えや思いを自分のやり方でもって表現することがアートであるわけですが、ただそれだけを追い求め、やや権威的で押しつけがましい提示をしただけでは、お互いが不幸になるだけです。そこには、一種のシンパシーが発生しなければ、何も生まれないものだと思っています。

だから、僕のしていることは言葉を変えると、参加者と見る側、作品と参加者、作品と見る側、それぞれの立場、立場を考えながら、同じ時間を生きている者として、何かひとつでも共有、共感出来るものを探していることなのかもしれません。

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