2011年3月31日木曜日

「いつものように」~頑張ろう-18

今日で3月が終わり、震災から20日目になります。ずっとそのままにしている自室の片付けもしなければと思ってきたところです。ほとんど寝るだけの部屋に近いので、今すぐどうこうするつもりもなく、また余震もあったり、ガスも復旧していないから、片付けはそれからでいいかと思っていました。


テレビでは津波で水をかぶった部屋や商店の人々が、土砂やごみと化した家具類を片付けている姿が映し出されますが、単純にスゴイなと感じてしまいます。震災の被害がスゴイと思うのではなくて、こんな状況で何もしたくないだろうに、それでも懸命に事に当たっている姿にスゴイなと思うわけです。

元来、僕はずぼらな方ですから、周りが散らかっていても気にしないし、今必要なものがここにあればいいやと考えてしまうので、面倒なことは後々にしてしまいます。もちろん、それは僕自身にのみ関わることに限っていて、他人にも事が及ぶものについては、逆に早くしなければとの思いが強く、今この時点でしなくても良いのにと考えながらもしてしまっていることが多いです。

今は取りあえず自分のことだけを考えていれば良いのかもしれません。それでも、今の行動がどこかで周りと繋がっていることを意識しなければならないとは思っていて、関係ないだろうと高を括っていると思いがけない方向へ進み、取り返しがつかないことも経験的に分かっています。

だから、ほとんどお客さんも来られないギャラリーを、開けていたところで何になるのと言われるのを承知で、「いつものように」開けているわけです。

「いつものように」って、普段の生活でもっとも大切なこと。

これも、震災から受けた教訓のひとつだから・・・。



今日はあいにくの雨。でも、何か温かさを感じさせる雨です。

じき、春が来るのでしょう。



心待ちにしながら、頑張りましょう。

2011年3月30日水曜日

目に見える形~頑張ろう-17

今回の震災ではさまざまな反省や教訓がありました。


地震当日、被災地は電気も止まり、携帯も繋がらず、周りから孤立した状態になりました。ギャラリーのすぐそばには消防署があります。自家発電で明かりが点った1階のロビーには多くの市民が集まって来ましたが、避難所ではない為、職員がかかりきりで対応しているわけではありませんでした。

ひっきりなしに入ってくる出動依頼や急患の連絡がスピーカーから流れ、そのたびに消防隊員が隣の車庫へと行き来していました。以前から災害時の対策、マニュアルがあったと思われますが、その想定を上回る災害に隊員たちの顔には普段では決して見られない緊張感や不安感があったように感じました。

普段から事故や火事の現場に直面している彼らですらそうですから、僕たちのような一般市民は何をどうすれば良いのかさえ分からない状態だったのが正直なところです。直後に少しだけ繋がった携帯で、一番身近な家族の安否を確認するだけが唯一頭に浮かぶことでした。

翌日の夜、幸いなことにこの地域に電気が通りました。テレビから流れてくるおよそこの世の光景とは思えない映像を見るたびに、胸が締め付けられる思いがしました。PCも使えるようになり、そこにある溢れんばかりの情報を目にすると、ますます大変なことが起き、これからどうなるんだろうとの不安を感じました。

津波が街を襲い、自分の家や職場が流されていく状況を目の当たりにしていた人たちのその時の気持ちを推し量ることは出来ませんが、僕にとってはテレビやネットからの映像や情報が現実に起きたことを知るすべだったわけです。被災地でありながら、何か客観的にそれらを見ている自分自身にとても違和感を覚えました。

やがて、他県に住む人たちから携帯に電話やメールが入って来ます。そのひとつひとつに返事をしている時でさえ、彼らの方が事の重大さを感じているようで、僕としては明日食べるものをどうしようといったことだけを考えていたように思います。

とても、小さい自分を感じながら、どうすることも出来ない状況から自然に逃避しようとしていたのかもしれません。実際、夥しいほどの情報のほとんどは整理が付かず、生きていく為の情報のみを見ている自分がいましたから。


そんなエゴイスティックとも思えた自分を変えたのは、家族や周りの人たちの言葉や行動でした。気持ちや心から素直に発せられ、実際に目に見える形で伝わってくるものに敵うものはないと改めてそう感じたのです。



同じ思いを抱いた人は多くいたように思います。

今度はそんな人たちに僕が何を出来るかですね。



今日も無理せず、頑張りましょう。

2011年3月29日火曜日

rebirth~頑張ろう-16

仙台を離れて約30年。一昨年戻ってきた時には、幼い頃に目にしていた光景はすっかり様変わりしていました。立ち並ぶビルやマンションの多さや整備していった道路の状況は、そこで生活する為の利便性や効率性を考慮しながら、徐々に変化をしていったのだと思います。でも、その変化の在り様をこの場で見ていない僕にとっては、時折まるで知らない場所に入り込んでしまったような感覚を覚えたものです。


政令都市になる前の仙台市は、あくまで個人的な印象として、今の範囲よりもかなり小さかったように感じます。まぁ、高校までの話ですから、その時の僕の行動範囲も非常に狭く、周りの光景イコール仙台であったわけですから、そう感じるのは当たり前のことです。もっとも、物事の全てが無常であるのなら、それはごく自然の成り行きなのかもしれません。

古き良きものの価値を認め、そこに新たな変化を融合させつつ、住む人たちの生活を便利で豊かにしていくことが、地域に共通した都市化の認識だと思います。そこで暮らす人々在りきが前提となるわけで、誰それに自慢したいとかどこぞの都市と肩を並べることが目的ではないはずです。

今回の震災で、沿岸部の街はそれ自体がほぼ消滅してしまったり、家も人も流され、この先自分の住む街がどうなっていくかがまるで見えない状態だと思います。復興という名の元に、元通りになることを目指していけば良いのかもしれません。或いは、街そのものを全く新しく作り上げていく必要もあるかと思います。いずれにせよ、非常に重い荷が住む人自らに背負わせられたことには間違いありません。

人は皆、母親たる安心、安全な胎内から、このように辛く、苦しいことのある世界に生まれてきます。しかも、多くは、本能として自分で生まれてきます。これから起こるであろういくつかの災難や困難に立ち向かう為の産声を上げながら。

だから、僕は誰にもDNAとして再生する因子を持っているのだと思っていて、それらが繋がり、集まることでさらに大きなものが生まれると信じています。

そして、それはむしろ地域に根ざした人々であるからこそ出来ることのように思えるのです。


“rebirth”


未来ある子供たちの為にも・・・。


今日も無理せず、頑張りましょう。

2011年3月28日月曜日

一日の始まり~頑張ろう-15

今朝7時24分頃、大きめの余震がありました。半地下のギャラリーでも大きいなと感じた僕は、すぐに自室へと戻りました。自室のドアを開けると、いつもは待ちかねたようにpolkaが出てくるのですが、やはり出てきません。部屋の様子はと言うと、まだ震災時と同じような状態なので、倒れそうなものはありませんから、特に変化はありません。


震災直後もそうだったのように、予想通りpolkaはベッドにもぐり込んでいました。そこが安全な場所と思っているのか、おびえていたり、興奮した様子もありません。ゆっくりとベッドから降りると大きく伸びをし、僕の足元に頭をこすりつけてきました。

いつもの変わらない行動に安心しながら、水とエサを交換し、朝の儀式が始まりました。僕がソファーにあぐら座りをし、ブランケット変わりに毛布で覆ったその場所に、polkaは身を丸めます。背中を撫でつけながら、テレビを付け、「てっぱん」を見終わるまでその状態でいるだけ。

ただそれだけのことです。そして、これが僕にとっての一日の始まりです。polkaは少し興奮している様子で、尻尾をやや膨らませます。身体を撫でつけたり、頭を小突いたりするのですが、それでも嫌がるわけでもなく、置物のようにじっとしています。しばらくして、何も無かったかのように僕から離れていくのですが、そうなった時点でギャラリーへ向かうようにしています。

ネコは一般的に気ままで自分勝手と言われています。飼い主との主従関係もあまり無いように感じます。それでもこの短い時間は、お互いの生存確認であり、良し悪しや気分は別にして、今日もまた一日が始まるよと心落ち着かせ、充電しているようにも思える大切なひとときなのです。

変わらずに今こうしていられることに感謝、そして、これから変わっていかなければならないものに向かっていく為に。

震災後であっても、時は止むことなく、刻み続けているのですから。



今日も無理せず、頑張りましょう。

2011年3月27日日曜日

繋がり~頑張ろう-14

ギャラリーに寝泊まりするようになって半月が経ちました。いつもギャラリーは非日常の空間と話していますが、今や僕にとっては日常の空間になってしまいました。日に2度程自室へと戻り、polkaへの食事と様子をうかがいに行きますが、9割以上はギャラリーにいるわけです。それでも、家を失った方、家に戻れない方々は、100%そういった状態ですから、僕はまだましな方だと思っています。


普段、僕を始め、多くの人は日常の中に少なからず不平、不満を抱えながら生活を送っているのですが、今はその日常に戻ることが最重要になっています。しかしながら、県内で現在避難所におられる方は、約9万人と言われています。その中には家を流されてしまい、戻る場所すらない人が数多くいます。県外への避難、仮説住宅への入居等が急務となっていて、行政、政府はその動きを活発化させています。

おそらくは泣く泣く、或いは仕方なく移住を決める人がたくさんいるのだと思います。なぜなら、僕は震災後に改めてコミュニティーの強さを感じているからです。非常時だからそうなんだと思われるかもしれませんが、30年近く東京で生活をしてきた僕ですら、その恩恵を受けながらいることを感じています。

大きな暴動やパニックもなく、皆で分け合い、助け合いながら生きている源って、その土地に対する愛情があってこそですし、さまざまなコミュニティーという同胞意識の強さがあるからのように思えます。そうでなければ、安全、安心が確保された場所へ移動することになんら不安を感じるはずもなく、大抵の人々はそれに従うはずです。

それでもそう簡単に割り切れない理由は、コミュニティーという姿が見えづらいものを構成しているものが、この土地にいる人々の心や気持ちの繋がり以外の何物でもないからです。それって、ある意味オープンな環境を阻害する要素にもなりかねないのですが、逆に大きな活力を生むとも思っていて、きっと復興への足掛かりとして大切なものになるのでしょう。

代償はあまりに大きく、復興への障害や壁は幾重もあります。

それでも想いはひとつのような気がします。

自分を取り戻すこと、そして周りの人々を思いやること。

僕もそこから始めます。



決して無理せず、頑張りましょう。

2011年3月26日土曜日

自分は二の次~頑張ろう-13

震災から2週間が過ぎ、いまだその被災の規模や範囲が確定されていません。福島原発周辺の方々、避難所暮らしをされている方々、安否不明で心穏やかになりえない方々にとって、昨夜未明から降った雪はなんて非情なんだと思ってしまいます。


今、日本を始め世界中から支援や義援の動きが活発に行われています。頑張ろう、立ちあがろう、との復興の声がいつもどこかで聞こえてきます。被災者を元気づける、勇気づけようとするそういった言葉は、今だけではなく、ずっと送り続けて欲しいと思います。

そして、今後徐々に明らかにされていく事実もあるのでしょう。その時、自分の命を顧みず、周りの人々を救うことに奔走した名もない人々、今も懸命に見も知らない方の為に力を注いている人々、そういった高潔な心を持ちうる日本人が数多くいることを。

彼らには仕事としての使命感や立場といった部分より、個人としての思いの強さや意識の方が上回っているのだと思います。そう、自分は二の次なのです。そして、その事を身を持って示してくれたし、今もなお行っています。

やがて、落ち着きを取り戻し、冷静に現実が見えてくる時期がくるのでしょうが、その時点で初めて自分の置かれている状況を把握することになります。そして、新たな苦しみや悲しみに出会うことになるかもしれません。安心や安全、物も何もなく、生きることに一生懸命なこの時よりも、ずっと苦しい選択や決断を迫られるかもしれません。

そんな状況になった時、自分は二の次なんて言っていられないし、むしろその方が正しいことのようにも思えます。それでも、僕たちは忘れてはいけないのです。彼らのとった行動や意思を。

そうして、これから先、自分が出来ることを考え続けていかなければと思うのです。



頑張れ、自分自身。先ずはそこからです。

2011年3月25日金曜日

震災の写真~頑張ろう-12

一昨日の夕方、実家で夕食を終えた後に、父親が何を思ったのか僕や弟が写っている茶色に変色した写真を数枚出してきました。40年程前に写された写真の一枚、一枚は、当時はちゃんとアルバムに貼り付けられていたのですが、引っ越しの際にはがし取ったと見られ、セロテープの部分の変色が一層時の流れを感じさせました。


写っている祖父や祖母、そして父や母、近所に住んでいた友だちは、当時の様子も含め鮮やかに思い出されるものです。そして、それらは確かに今と繋がっているように感じられます。

写真はその時々の記憶を記録として焼きつけたものの結果と言えます。写真に写り込んでいない状況や空気感も取り込みながら、一枚の絵として切り取っているわけです。撮る側はそれを無意識のうちに感じとり、シャッターを切っているのだと思います。

震災後のがれきやすっかり生活感を失ってしまった光景は、ずっと人の記憶に残っていくものです。それらを撮影し、記録として残すことは大事なことのように思います。おそらくは多くの方が、今もカメラを持ち、撮影していることでしょう。

いずれ、がれきは整理され、さまざまな形で修復されていきます。どれほどの時間がかかるかは分かりませんが、少なくても人がそこで生きていく限り、その活動は止むことはないのだと思います。

そうして、何年後かに震災の状況を写真として改めて見た時に、その光景に何が見えてくるかですね。あの時はホント大変だったねと笑顔を持って見る必要はないけれど、少なくても忘れてしまったとは言えないのですから、やはり今からが大事になってくるわけです。

かといって、無理はしちゃいけません。感情に逆らって、自分を押し殺すこともありません。
皆いっしょですから。



今日も頑張っていきましょう。

2011年3月24日木曜日

一条の光~頑張ろう-11

曇り空の中、時折差し込む陽の光が気持ちを温かくしてくれます。風はまだ冷たく、春の気配すら感じられないのですが、それでも太陽の暖かさは地震があったことを一瞬忘れさせてくれます。


今なお予断を許さない状況にある原発周囲の地域や沿岸部で家族や家を失ってしまった方々にとっては、そんな余裕すらないのでしょうが、少しでも陽の光を体に受けて欲しいと思います。

自然は残酷でもあり優しくもあります。僕たちはそんな自然の一部として生き、生かされている存在です。そうした自然との関わりの中から、生活として必要な水や電気、ガスといったものも享受してきたわけです。とても大きな代償と引き換えに、このことを今、再認識させられています。

今は絶望感しか感じられない人もいますし、未来に希望を見出せない人も数多くいることでしょう。それでも、僕たちはこの自然とこれからもうまく付き合っていかなければいけないし、生きていかなければならないことだけは明らかなことです。

そんな中、人間関係が希薄で、孤独感や閉塞感で包まれていると言われ、実際そのように感じていた人でさえ、実は人の心や気持ち、向き合い方は太古の昔からあまり変わっていないことに気付かされたのではないかと思います。

本来持っている優しさや温かさ、互いを思いやる気持ち、そしてそれを形や行動、言動として表わすことが出来さえすれば、永遠に真っ暗な闇の中にいることはないのです。現実的でないと言われることを承知の上で、僕はそう感じています。

一条の光があれば、向かっていけるはず。

そして、その光は周りにいるみんなで発していけば良いし、もしその光が出せない程疲れ果てている人は、それについていけば良いのです。



だから、僕はそれをアートや写真で提示していくしかないのかなと。



今日も無理せずに頑張っていきましょう。

2011年3月23日水曜日

子供らの笑顔~頑張ろう-10

僕の実家はギャラリーから自転車で5分程の距離にあるマンションです。この地域でも古い時期に建てられたものですから、今回の震災でも大きな損傷を受けています。当日は玄関の扉が軒並み開かなくなったりして、部屋にも入れない方がいらっしゃいましたが、今はだいぶ落ち着いてきました。


そのマンションの一階の3分の2が保育園になっていて、昨日から園児の受け入れが復活しました。ガラス越しに子供らの姿や声が見え聞こえてくるのですが、彼らの無邪気で屈託のない笑顔を見ていると、心が安らぎます。

幼いながらも今回の震災は理解しているはずで、たびたび起こる余震に不安になり、知らず知らずのうちにストレスも溜まっているのだと思います。それでも、彼らには将来を不安視している様子は見られません。幼いがゆえの無知さと言ってしまえばそれまでですが、決してそれだけではない力強ささえ感じます。

むしろ、将来に不安を抱え、これから先が見えないと感じているのは、僕のような大人なのです。僕らはこれまでに様々な経験や学習をしていますから、将来を予想することに長けているし、実際そういった予想が自らの不安を一層煽ってもいます。

子供らにとって大事なのは、今であって、先ではないから、あんなにもとびきりの笑顔を見せてくれるわけです。笑顔は知らない人々を元気づけてくれるものです。そんな彼らの笑顔に大人は答えていかなければならないのです。

今、僕は少しでも笑顔になれる写真を見たいのかもしれません。アートとか主義・思想とかそんなことを飛び越えてしまった何物かを求めているのですね。そして、まだ本当に漠然としているのですが、多くの人に伝え、お見せしていけないかと考えています。しかも、ここにいる身近な人々と一緒に。

提案・意見はいつでもお受けします。



今日も頑張っていきましょう。

2011年3月22日火曜日

展示変え~頑張ろう-9

昨日一部展示変えをしました。


“Photo Showcase”側の江口さんと小出さんのものです。江口さんは新作と個展”Beyond”からの抜粋を変えています。小出さんの作品は、A3ノビブリントマット額装品から、A4プリントを29枚グリッド状にしています。

こちらがその状況です。




江口さんの新作「深海」は画像ではうまく見えないので載せていません。


いずれも、展示を変えるだけで、壁の表情が一変します。その辺りが、展示することの楽しさ、良さでもあり難しいところです。

小出さんの作品は、全てiphoneで撮影されています。普通、携帯やスマートフォンで撮影をしていても、それをプリントするまでは考えません。せいぜい、サイト等にアップするぐらいのように思います。

おそらくは、彼の中には写真を作品化するにあたり、それは実体を伴うものでなければならないのだと思います。展示・発表はその手段であり、その為のプリントは、撮るカメラがなんであろうと関係ないのでしょう。

つまりは、向き合い方というか、姿勢みたいなものです。そして、そこには明確な意識が彼自身に伴っていて、したがって、見る側にも伝わるのだと思います。

是非、一度見に来て欲しいと思います。

今日はちょっと出かけるかもしれません。それほど長い時間ではありませんが、もし、その時にギャラリーが開いていない場合は、ごめんなさい。


では、今日も頑張っていきましょう。

2011年3月21日月曜日

「ありがとう」~頑張ろう-8

「ありがとう。」


被災以来よく耳にするようになりました。見も知らない人たちと身を寄せ、暖を取りながら、互いに物を分け合い、誰もが自分ひとりでいるわけではないことを感じた時に自然に言葉として出てきます。

普段は、あまりに身近にある家族に対しては、何か照れくさく、目を見てなんて言えないけれど、ぼつりと素直に言葉になります。当たり前と思えたことが当たり前ではなかったことを改めて実感した今、不思議なことにいつもより人を想う気持ちが強くなったように思えます。

人の真意はその表情だけでは見えにくいものです。それは、ビジネスの場において、顕著に表れます。言いたくもない、実体の無い「ありがとう」も時には必要です。でも、今の状況での「ありがとう」は、そうではありません。

皆、心から素直に発せられるもので、言われた人の心に実を持って伝わってきます。そんな場面に出会うたびに、あっ、これからやっていけるよねと思えてしまいます。先のことは分からないけど、何か理由の無い確信のようなものを感じます。

これってすごく楽天的だと思われるかもしれないけど、実は一番大切な根っこの部分だと思うわけで、それ無しでは何も前に進まないんじゃないかなと。だって、互いに思いやる気持ちがないと出てこない言葉ですからね。

今日もいつもより多い「ありがとう」が、さまざまな場所で交わされることでしょう。

これもひとつの拠り所になります。

さて、今日も頑張っていきましょう。

2011年3月20日日曜日

頑張ろう-7

仙台中心部は少しは落ち着きを取り戻してきたようです。ライフラインが回復していない地域はまだまだありますが、ひとりひとりが節度を持って生活しています。ギャラリーのすぐそばにあるCOOPにも、昨日までの長蛇の列は見られなくなり、各自が最低限必要なものだけを買い、今日は休息に当てているのかもしれません。


地震後の1週間には、その人自身の隠された日常を垣間見た思いがします。普段は何も言わずに明るくふるまっている方々でも、それぞれの事情を抱え込みながら生きているのだということです。

自身が持病を持っていたり、同居するものに体の不自由な方がおられたり、身寄りもなく生活をされていたりと、普段はこれぽっちも口に出さないことが表れてきます。それだけあらゆる面で切迫しているのだと思います。

僕はそんな事情を耳にするたび、何も出来ない自分が情けなくなります。どれほど励まそうとしても、それは実際の問題を解決してくれるわけではなく、ひとつの言葉よりも一滴の水の方が彼らを救うのだと思えてしまいます。

だからといって、仕方ないとは言いたくはありません。やはり、自分が出来ることをやっていくしかなく、その中で笑顔を取り戻せる、心が安らぐ瞬間を感じてもらえればと今は考えようと思います。

昨日、”Love and Joy”へ参加したいとギャラリーを訪れてくれた女性がいました。有り難いことです。彼女は昼夜2か所で働いていて、その間の少ない時間の中、写真を撮っていたと言います。今回の震災で1か所が就業不可になり、時間が出来たことをポジティブに捉え、今すぐにでも自身の伝えたいことを表現したいと、明るく話されました。

ホント、元気づけられました。

今夜もしくは明日に、”Photo Showcase”の展示変えをします。そんなことをしても仕方ないじゃないと言われそうですが、以前から告知したものですし、参加者の意向でもあるし、可能でもあるから、そうするだけです。

気分転換に、ちょっと暖まっていきたい人は、買い出しのついでに休んでいって下さい。



今日も、頑張っていきましょう。

2011年3月19日土曜日

頑張ろう-6

今日も朝が来ました。晴れた空から窓に差し込む朝の光は、それだけで心穏やかにしてくれます。避難所暮らしや病気を抱えている方々はそれどころではないのでしょうが、少しでも暖かな陽の光で身体を包んで欲しいと思います。


昨日、2名のお客さんが見えられました。よく知った顔の人です。無事な姿を拝見して、ホッとしたと同時に、こんな事態にわざわざ来ていただいたことに感謝しています。

僕は仙台で生まれ、高校を卒業後この地を離れました。一昨年戻って来た時には、ほとんど知り合いもいない状態でしたから、日々初めての出会いの方々と接したことになります。

皆さんは僕の人となりなんか分からないのですし、東北で初めての写真専門ギャラリーですから、まるで興味が無い人の方が多いわけで、全てが手探りの状態でした。

そんな中、人数は少ないですが、ギャラリーに集い、作品を発表して下さる人たちも現れ、その人たちの間にも交流が生まれ始めてきました。僕は決してその中心でなくても構わなくて、自然発生的に小さな点が呼び合い、そして繋がり、徐々に塊りに変わり、やがて面へと広がっていけばと、夢のようなことを考えていました。

その矢先の大地震。でも、これは事件ではないし、事故でもないのです。(原発の問題は別としても)自然の摂理の一部で、誰の責任でもないのですから、皆で立ち直していくしかないのだと思います。地震からの一週間、周りの人々の行動や言動を見ればよく分かります。今も、見知らぬ人に声を掛けあい、助け合う姿があちこちで見られます。

3・11

決して忘れられない数字を心に刻みながら、ひとりひとりが出来ることから始めれば良いのです。

僕だって現実から逃げだしたい、そう思うことは絶対あるだろうし、不安で不安でどうしようもない時も必ずあるでしょう。それでも、前を見ながら、今を全うしていくしかないんです。

そして、取りあえず僕が出来ることは、写真やアートで元気・勇気、安らぎや安心を、たったひとりにでも感じてもらうこと。



今日も、頑張っていきましょう。

2011年3月18日金曜日

頑張ろう-5

地震から1週間がたちました。ギャラリーは今日も開いています。開いているといっても、無理をしてそうしているわけではありません。僕自身被災以来、ここで寝泊まりしているので、無事であった家で過ごしている人と同じ感覚です。


多くの人の拠り所は家族そしてそれらを包む家だと思うのですが、もしそんな拠り所のひとつになってもらえればと考えています。たぶん、それは、僕自身にとってもそうであって、これまで来て下さった方々にとってもそうであればとの思いでもあるのです。

電話やメール等で無事を確認し、安心はしているものの、やはり元気な姿を目の前で見たいのです。そこから、何が出来るかを考えていきたいのかもしれません。

先日サイトを更新し、次回の予定、Sha-gaku vol.3募集告知を行いました。実際のところ、次回の予定がどうなるかは、現時点で分かりません。Sha-gakuにしても、今参加を考える人はいないと思っています。当たり前の話です。

それでも、生活に関係の無いアートが人々に何かをもたらすことは出来ると思っています。何が適切で何が有効であるかはまだ分かりませんが、分かっていることはギャラリーとしての存在は、作品を制作する方々、そしてそれを見に来て下さるお客さんに依っているということです。

被災された地域の方々はそれどころではないことも理解しています。無理にとは言えません。もし、気持ちに安らぎを感じて欲しい、元気になってほしい、そんな作品を展示して見せたいと思っている方がいるのなら、その場を提供することは出来ます。

以前から話しているように個の力を繋ぎ合わせることで、希望は見えてくるのだと思います。

今日も、頑張って生きます。

2011年3月17日木曜日

頑張ろう-4

空気と同じようにあるのが当たり前であった電気、水道、ガス。今まだ全てが整っている地域がほとんど無い状況です。それに加えて昨日からの寒さが、避難所にいらっしゃる方々を一層ツライ状況にしています。


市内中心部は建物の崩落はほとんどなく、道路状況も良いし、バス、地下鉄は動きだしているから、時間はかかるけど移動は出来ます。少し離れたところでは、車での移動が必要な為、今あるガソリン量を確認しながら移動せざるを得ません。

それでも、そういった心配ごとですんでいる人々(僕も含め)は、まだましな方だと思います。この場で対象比較をしても仕方ないのですが、もっとたいへんな方々、今まさに生死の境で頑張っている方々がいることを心に留めておかなければなりません。

家族、友人が傍にいる人は、みんなで話し、この状況を分かち合い、共有する気持ちを持って欲しいと心から思います。もし、そのような人がいないのなら、周りの人に話しかけてみて下さい。

じっと耐え忍ぶだけでは、精神的につらくなるだけですから、今だからこそ伝え、話しかけましょう。ギャラリーは開いています。そんな方が来られたなら、出来るだけ話をお聞きする為でもあります。



今日も、頑張りましょう。

2011年3月16日水曜日

頑張ろう-3

地震から6日目の朝。冷え込みがきつく、うっすらと雪が残り、冷たい雨が降っています。ギャラリーのあるビルは、会社、店舗が4つ程入っていて、その他済んでいる住人のほとんどは余震に備えて、実家、知り合い、避難所へと身を移し、夜間にはほとんど誰もいない状態です。僕は7階の自室にpolkaを残し(かわいそうだが)、何度か部屋に戻り、エサや水を与えながら、夜はギャラリーで寝泊まりしています。


風呂以外は問題ない状態ですから、精神的に追い詰められている感はありませんが、いつ何時大きな余震があるか不安ではいます。

ギャラリーのお客さんには、様々な職種の方がいます。医療、学校、介護施設、行政職員の方々は、たまに入るメールや電話での様子を聞くにつけ、肉体的な疲労はもちろん精神的にもきつい状態であることが分かります。

ライフラインの欠如はもちろんのこと、先ず現場に情報が入ってこないとが、余計に不安感をあおっているように思います。今朝の南相馬市市長が電話で話していた内容は、とても信じがたいことでした。国や県からはまったく情報が流れず、テレビ、ラジオで知るしかないと。これでは、僕たちとなんら変わらない状態です。

優先順位はあるのでしょうが、誰が見てもおかしいだろと思わざるを得ません。何も出来ない僕がこんなことを言う資格はないのかもしれませんが、理不尽さで胸がきりきりと痛みます。

個人として出来ることは、おそらくはライフラインが復帰した後になってくるのでしょう。今はそれを考えながら、エゴと言われようが、身近や縁のある人々を励まし、話すことで少しはストレスを吐き出してくれればと思います。

ギャラリーは、しばらくは17:00まで開けています。

一時でも安らいでもらえれば、それで良いのです。

今日も頑張ろう!

2011年3月15日火曜日

頑張ろう-2

今朝は昨日とは一転して寒さが増しそうです。避難所暮らしの方々が心配です。


仙台中心部は車や自転車の数も減り、道路の混雑はあまりありません。昨日出勤後、休業をした会社も見られますので、各家庭での対応に追われているのだと思います。中心部でも断水個所はまだまだありますが、みな協力しあっていくしかないと思います。もっとひどい個所は沢山あるのですから。

福島原発の動きがよく見えないのですが、政府、報道は正確な情報提供をし、余計な不安感を与えないようにしてほしいです。

僕も何か出来ることがないのか、とずっと考えています。

先ずは自分で出来る人は自分のことを、それから周りの人たちと協力できることは出来るだけ言葉を交わしながら、もっと余力のある人は他者の為に少しずつ力を分け与えていきましょう。

午後の時間、ギャラリーは開いています。

今この時、安らぎの場所や時間はないのかもしれませんが、暖まることは出来ます。



11日地震後の夜、街灯もない真っ暗な空に、星星がきれいに輝いていました。

普段気付かぬ美しさに、思わず立ち止まり、不覚にも涙が流れました。

きっとまた、輝ける日が来る、そんな希望がそこに見えたのかもしれません。



それまでは、辛抱強く頑張りましょう。

2011年3月14日月曜日

頑張ろう!

仙台市中心部は、少しずつ電気、水道が回復しつつあります。テレビが見られるようになり、沿岸部の状況を見るにつけ、胸が締め付けられる思いがします。ライフラインの無い地域の方は、全くといって情報は入りません。携帯は繋がらない、メールも見れない、見れたとしても断片的で、役に立つことはあまりありません。


僕の住む地域は幸せな方です。すぐ近くであっても、水が出ない場所もあります。避難所で孤立した方々を見ると大変申し訳ない気持ちになってしまいます。

今はじっと耐えしのぶしかないのかもしれません。

そんな中、唯一の救いは皆互いを思いやり、それが行動として見えること、暴動など起きず冷静にしようと努める気持ちが誰の心の中にあることです。
そのことがみんなを頑張ろうと思わせてくれます。


ギャラリーは何の役にも立ちませんし、休憩ぐらいしか出来ません。

それでもドアは開けておきます。

暖を取りたい方、テレビで情報を見たい方等がいつでも入れるようにしておきます。

それぐらいしか今は出来ないですから。



仙台緊急支援ブログがこちらにあります。


2011年3月13日日曜日

未曾有の大地震

未曾有の大地震。


東北全体が大変なことになっています。余震も頻繁に起こり、また大きな地震が来てもおかしくない状態です。情報もよく入らないので、全体が見えませんけど、津波に襲われた沿岸部の方々を始め、多くの方々が避難所生活を強いられているのでしょう。

今はただ多くの人の命が救われることを祈るしかありません。

そして、僕が出来ることは・・・。

幸い、ギャラリーは無事です。この地域は電気も復旧しました。

不謹慎と言われるかもしれませんが、今日から通常通りギャラリーをオープンします。

ただ休憩する、暖をとりたい、携帯の充電をしたい、水を飲みたい、目的は何でもいいです。

ドアは開けておきます。

いつでも入ってこれるように。

2011年3月11日金曜日

お気に入りのCM


今一番お気に入りのCMがこれです。


写真に関するものは何にでも興味があるのかと言えば、決してそういうわけではありません。むしろ、写真以外に興味がそそられる方が多いと思います。

このCMは、説明する必要もないのですが、マイクロ一眼オリンパス ペン ライト「わたしはPENと生きている。」篇ですね。出演している宮崎あおいさんの際立った存在感と広大な自然、そして黄色がかった全体のトーンが素敵です。

動画がこちら。


http://www.youtube.com/watch?v=j0JgiLXCRXQ

多分に女性を意識している作りなのですが、こんなおやじが見ていてもこういう女性っていいなと思ってしまいます。おそらく同性が親近感を感じるというよりは、そうなりたいと思わせるタイプのCMですね。


タイトルの「わたしはPENと生きている。」も、決意表明的でもなく、さりげないところが好感を持てます。僕がここで書く文と違って、感心してしまいます。でも、そう思わせている一番は、宮崎あおいさんなんです。この点についてはどうあがいてもまるで敵わないものです。

タイトルの、わたしそしてPENを繋いでいる「と」は、英語では「with」だと思いますが、「生きている」と時にそれは「by」に変わります。どちらがどちらに依存するかということなのかもしれませんが、僕自身はあまり決めつけない方が良いと思っています。決意表明的ではないと書いたのはそんな理由からですし、おそらくは僕がそう考えているから、そう思えてしまうのかもしれません。

いずれにせよ、「with」でも「by」でも、自分があってのことですから。でなければ、誰も分かってくれないし、前にも進みようがないってことです。

それにしても、宮崎あおいさんは年相応にキレイになっていますね。2年程前に偶然、劇場でプライベートの彼女を見かけたことがあります。僕の席のひとつ前で、友人と思われる女性と一緒にいましたので自然に話声も聞こえてきました。その時の印象は、大勢の人たちの注目を受けていることをまるで気にもしていないようで、とても素直でかわいい女性のように見えました。(でも女優としてのオーラみたいなものは感じましたけど)

これで、写真に興味を持つ人もいるのでしょうね。

始まりは何でもいいのですから。

2011年3月10日木曜日

今という時間

昨日昼に起きた地震から今朝6時半頃の余震まで何度か感じられる揺れがありました。今朝未明には雪が降ったようで、道路は白一色といいたいところですが、春先の湿った雪質と轍の跡で、きれいな印象ではありません。


ニュージーランド地震の惨状をテレビで見て、他人事のように思っていた人でさえ、こうして実際に地震が起きていることに否応なく不安を感じているのだと思います。僕も地震は怖いです。いつも気をつけようがあるのかと思ってしまいます。

polkaはその時々には周りの異常を感じ、立ち止まるでもなくウロウロと部屋を歩き回ります。何が起きているかは理解していないけど、何か違うことは感じているようです。それでも、興奮している様子ではなく、得体の知れないものが今ここにいるような感覚で、キョロキョロとあたりを見渡していました。鳴くこともありません。そして、一旦収まると何事もなかったかのように、いつもの居場所へと戻っていきます。

3月に入ってからの雪や今回の地震といった自然現象は、どこまでが正常でどこからが異常なのかを判断するのが難しいですし、宇宙誕生からの長いスパンでは単なるアクシデントのひとつなのでしょう。それらは、遥か先の歴史が証明していくものなのかもしれません。

人が持つ将来への展望や希望といったものは、それが順調にいったとしての結果予想であるし、単なる願望や妄想に過ぎない場合もあるわけで、常にその時その時で変化し、軌道修正を迫られます。得体のしれない不安や予期せぬ出来事は、文字通り今この時に分かるものではありません。

分かっていることは現在の一瞬だけで、それすら常に流れているものです。冷静に立ち止まって考える余裕などなく、瞬時の判断を繰り返し行っていくしかないと思えてしまいます。そして、迷走や混乱の中、自分自身を見失わないように行動していければ、それで良いとさえ言えます。

さぁて、そうするにはどうすれば良いか。

考えているこの時も、すでに今という時間は過ぎているのです。

2011年3月9日水曜日

最近のpolkaは調子が良さそうです。

最近のpolkaは調子が良さそうです。いつ起きるかわからないフンづまりのことも忘れているかのように、エサや水を明確に要求し、目的が達成されると、何事も無かったように寝て過ごす毎日です。動物の生態についてはまるで知識がないのですが、よくも昼夜問わずじっとして、寝ていられるものだと思ってしまいます。


それでも廊下に人の気配があると、すぐに目を覚まし、物音の方向に頭を向け、場合によっては入口ドアまで歩いていくことがあります。自室の隣がある事務所になっていて、結構遅くまで人の出入りがあったので、その都度睡眠を妨げられていたのですが、最近引っ越しをして空家になり、その回数が減ったことも調子の良さの原因なのかもしれません。

人は興奮したり、不安になると眠れなくなると言われます。ネコの場合は四六時中寝る機会があるし、実際そうしているわけで、そういったことでの睡眠障害や睡眠不足なんてものはないのかもしれません。でも、物音や周りの動きに対してはとても敏感で、すぐに目を覚ましますので、常に浅い眠りの中で過ごしているようにも思えます。

polkaは根っからの家ネコですから、生存にかかわるものについては保障されているわけで、何も恐れるものも不安になるものもないはずなのですが、やはり同じような行動を取ります。これは、ネコそのものの本能や性格なのでしょう。

ということは、一日の大半は夢心地(夢を見るのであれば)で、ある瞬間、瞬間に現実へと戻る様な生活スタイルとも言えます。これも家ネコであることがそうさせているのでしょうね。僕はと言えば、これとは真逆の生活スタイルですから、そんなpolkaを見ていて、時折羨ましくもなるわけです。

でもね、現実世界でのある一瞬に夢を見ていられる(寝ている時ではないです)時間があることって、幸せなことなんだろうと思います。もし、それが一度も無かったとしたら、個人的にはとても哀しいなとも感じます。

現実は厳しく、ちゃんと見ていかなければいけないなんてこと、誰もが知っているし、まさにその中で生きているのですから、誰もがささやかな夢を見たっていいし、むしろそうある方が自然なんだと思います。

おやぁ、横にいるpolkaはすでに夢心地のようです。

2011年3月8日火曜日

真意は常に作品自身にあるものだから。

”Gallery Collection & Photo Showcase”は1週目を終えました。今回の企画の特長として、期間中展示変えがあることです。江口さんの個展「Beyond」からの抜粋展示は、1週置き、新作及び小出さんの作品についても中日を境に変える予定にしています。


江口さんの「Beyond」の1週目はこんな感じでした。


ギャラリー全体を使った個展とは違い、わずか1.5mでの展示ですから、奥深さは伝えきれないと思いますが、1週ごとにコンセプトを変え、トータルで見てもらえると、理解出来るようにしているつもりです。

2週目と一部小出さんの作品展示がこれ。


展示ってとても面白いものでもあり、怖いものでもあります。作品自体を飾り、構成するだけですが、見た目は重要な要素ですから。作品を生かすことも殺すことも自在に出来ます。


僕自身一番考えることは、奇抜で華美なだけの演出は避けることです。作品世界を理解し、出来るだけそれ自体損なわないものにしなければなりません。いつも、作品がもっとも語っている純な部分を見る側に理解してもらえるようにしたいと思っています。

あからさまにではなく、自然な印象として、受け入れられることが第一です。そこに創意、工夫、ノウハウが隠されています。何か難しそうに感じるかもしれませんが、作品をジッと見つめていると、それ自体が語りかけてくる錯覚を受ける時があります。そう、もちろん錯覚です。

そして、錯覚が思いすごしにならないようにするのも僕の役割だと思っているわけで、必ずもう一人の自分が隣にいるように感じます。でもその状態はよくある天使と悪魔の関係ではありません。だから、常識から言ってとか、誘惑に駆られてとかで、判断するわけではありません。

真意は常に作品自身にあるものだから、見誤らないように立ち止まれというべき自分がいる感じです。迷ったら、作品をもっと良く見ろよと言われているのですね。



2011年3月7日月曜日

牛歩のように。

このところ展示に興味を示す方や額装等の相談に見えられる方が、ぼちぼちと現れています。アート写真という聞き慣れないカテゴリーに特化した商業ギャラリーですから、一般のアマチュア写真家にとってみれば、自分とは関係の無い話のように感じられたと思います。


開設して1年は、著名なプロの作家を紹介し、写真におけるアート性について、実物をお見せすることで理解してもらおうとしてきました。有用な広報手段も見つからないまま、本当に限られた方々が、何かで知って来て下さり、展示作品を楽しんでくれたように思います。それでも、初めて来られた時に受ける印象は、敷居が高いであるとかやはり世界が違うといった感は否めず、自らの作品をここで展示することまでは考えていないように見受けられました。

そんな中、昨年の今頃初の公募展”Sha-gaku”の募集を行いました。事前にこういうことを行いたいがと、これまで来て下さっていた方に声を掛けたりしましたが、予想通り反応は鈍く、集まらない状況でした。何とかお願いし、協力を仰いで、開催までにこぎつけたのが正直なところです。それでも、”Sha-gaku”自体はおおむね好評で、決して限られた人のみが展示・発表出来るわけではないことをお見せできたと思っています。

そこから、江口さんの個展が生まれ、先月の”Sha-gaku”vol.2へと繋がり、そして参加者の繋がりが拡がりになってきている結果が少しずつ現れて来ているのでしょう。これって、たぶん僕自身のがんばりなんかではなくて、数は少ないわけですが、ちょっとずつ見る人、写真を撮られる方の意識が自発的に変化していることなんだと思います。

僕がどれほど写真の可能性や展示・発表することの意味・意義を話したところで、結局は自らの行動に委ねられてしまうものだし、実際行ってこそ初めて理解出来るものですから、その歩みはゆっくりとしたものになります。僕もその辺りは充分に頭では分かっていても、現実的に立ちはだかる壁やジレンマを感じずにはいられませんでした。僕も感情の生き物ですから。

それでも今出来ることは、数少ないそういった自発的な行動を起こそう、起こしたいと考えている方々に真摯に向き合っていくことだと自分に言い聞かせています。甘い考えであることは十分承知ですが、そこから新たな何かが生まれてくると信じているのです。

焦らず、愚直に、牛歩のように。

2011年3月6日日曜日

みんなが主役であるように。

”Gallery Collection & Photo Showcase”は、タイトルのように趣の異なる2つの企画が同時に行われている体裁です。ギャラリーを開設した当初から、世間に広く認められたプロの写真家と地域で活躍している写真家との企画併催することを考えていました。


もちろん、それに際してのいくつかの弊害や障害は予想していました。プロの写真家に憶して誰も参加しないのじゃないかとか比較されることを嫌がるのではないかといった意識的な部分と作品自体の質や表現の面でぶつかり合った結果、互いの良さや個性を打ち消してしまわないかという企画としての成立性とも言うべきものです。特に、地域性というある種の閉鎖性は、如何ともしがたいところかなとも考えていました。

それでも、これまで行ってきた公募による企画の数々の経験は、僕にその危惧を徐々に薄れさせてくれたように思います。それは、結局のところ、同じステージ上で演じる役者に上手い下手の差があったとしても、全体として芝居が成立しているのであれば、それ自体あまり問題にならないのではということです。むしろそのことが逆に楽しめればそれで良いのではないかと思えてきたのです。まぁ、個々のクオリティーが最低限のレベルがないと違和感が生じ、興ざめしてしまうことは確かにありますが。

これは、僕が作品を制作していない、プロデュースすることに専念しているからそう思えるのかもしれません。実際、出品し参加する方々はそれぞれに思いや考えがあり、それを表現することに一所懸命ですから、全体のことなど考えていないのだと思います。僕としてもその辺りは理解しているつもりですし、むしろその方が自分の力や能力が試されているように感じられて、大歓迎なのです。

周りに合わせ、出来るだけ違和感や抜け出した感を与えないようなエキストラは必要ありませんし、中途半端な遠慮も要りません。僕は参加している全ての人が主役になってもらえればそれで良いのです。

”Gallery Collection & Photo Showcase”はひとつの答えになっているつもりです。つもりと書いたのは、まだこれ以上があると思っているわけで、遠慮してそう言っているのではありません。現時点はここまで・・・でも充分感じられるし、楽しめるものに仕上がっています。

2011年3月5日土曜日

欲求

このところお天気が冬に逆戻りして、雪は降るは、風は強いはで寒さに凍えていました。ギャラリー内も大型のエアコンは、一所懸命動いてはいるのですが、何かうすら寒い感じがしていました。奥の部屋は、扉を閉じていると暖房が利かなくなるので、お客さんがいない時は開けたまま、事務やら雑事をしているわけですが、ここ数日はコートを着たままPCの前にいる次第です。


元々痩せていることもあり、寒さには強い方ではなく、かと言って暑いのも嫌なので、これから時期来る春が季節の中では好きな方です。ぼんやりと暖かくなり、陽だまりにじっとしていると、何か、閉じこもっていた気持ちや心、身体が解放される気分になります。自転車を走らせていても、柔らかく心地よい風が身体中を包み込むようで、それだけで表に出たくなります。

だから、春よ早く来いと、舞っている雪を見ながら願っているのです。一年中春のような気候だったらそんなことは思わないのかもしれません。メリハリというように、厳しい冬があってこその思いなのでしょうね。でも、一年中冬だったら、僕はどう考え、生活しているのだろうなとも考えてしまいます。おそらくは、逃げ出してしまうような気がします。

自分にとって心地よい環境や過ごしやすい場所を求めて移動することは、出来る出来ないは別にして、誰もがしたいのだと思います。心地やすさや過ごしやすさは何も気候だけではありません。やはり、そこには、自分にとって便利なもの、安らげること、興味の対象といったものがなければ、行きたいとは思わないものです。

つまりは、自分の欲求がない限りは、ここから出ようとはしないし、逆に欲求を満たしてくれているのであれば、やはり出ようとはしないのだと思うのです。欲求と書いてしまうととても下世話な言い方のようにも感じますが、僕は実はここが大事な部分だと思っています。表現なんて、ほとんどはそこから生まれているようなものですから。

そして、自分自身だけの欲求によって生まれたものが、他者を感動させたり、感心させたり、喜びを感じてもらえたりしたら、ある種の価値あるものに変わるわけです。

極端な話、アートってそんなものなんだと思います。

難しい顔をして、思慮深げにそれらに接する必要なんてないのです。

2011年3月4日金曜日

反応

反応


ひとところに知らない2人がいる場合、始めにどういう行動をするかと言えば、おそらくは観察だと思います。大抵は自分に危害を加えないかどうかから始まり、相手がどんな考えを持った人なのかを注意深く慎重に観察するわけです。

あるひとつの目的を持ってその場にいる場合は、その目的に対する相手の言動を確かめようとします。自分自身にもそうされていることを意識してです。その為、それぞれの反応はどこかよそよそしくなることが大半です。また、あらかじめ世間での評価が確定している人物と仕事上で会ったり、主従といった関係がある場合には、自分の興味の対象とは別の要素が加わってくるため、ますます慎重度が増し、思わぬ反応をしてしまうこともあります。

では、相手が人ではないものである場合、どうなるでしょう。例えば、美術館等に展示されている作品に対しての反応はと言えば、何も予備知識なく見に来ている場合、大抵はその順路に従って一点一点流れの中で見るのですが(うちには順路というものはないのですが)、作品全体もしくは部分的にでも自分の気になるものの前で一旦立ち止まり、注視するものです。

それは構成、対象であったり、色や手法であったりするわけですが、そういったものは一旦立ち止まり意識を持って見るうちに気がつくもので、始めからその作品に対して感じた反応かといえばそうではないように思えます。

第一印象と言われるように、見知らぬ人やものに対して、自分が始めに感じることには正しかったり、そうでなかったりするもので、その人自身の環境や経験、知識が大きく左右するものだと思います。僕自身、容貌からしてとても取っつきにくい印象を持たれますが、話をするとそうでもないと自分では思っています。(面倒くさい人間かもしれませんが)

間違いがあったとしても、その反応って一番大事な一歩だと思うのです。そして、反応して感じた自分自身を取りあえずは信じることがもっと大事なんですね。間違いは後から認められますし。

だってそれがなければ、コミュニケーションも共感も生まれないのですから。

2011年3月3日木曜日

ワークショップ

6月予定の”Love and Joy(仮)”は、基本Club Blossomを主体として行う企画で、大きなテーマとして人を元気づける、笑顔にするものとしています。現在、3名の男女が初回のワークショップを終え、自分の写真や伝えたいメッセージ、テーマに向き合おうと悩んでいます。


大きなテーマはあるわけですから、これまで撮影をしていたものを見直して、それらしいものをピックアップしてまとめれば出来ると思われがちですが、それは大きな間違いです。簡単に言ってしまうと、感覚や気分、イメージの良さといった漠然とした要素によって選択された写真が、例え何かまとまりがあるように見えたとしても、果たしてそこから本当の自分の思いや考えが表現出来ているかというとそうではないからです。

今、彼らはこのもっとも重要な部分を自分自身、写真そのものに問いかけ、引き出す作業をしています。ここで、小さな核を見つけ、それらに自分が納得出来るかどうかが鍵になってきます。そして、ここがもっとも苦労する部分なわけです。

僕はそれを行っている彼らに対して何をしてあげられるかと言うと、正直ほとんど何も出来ないと思っています。じゃぁ、ワークショップのような形で行っても意味がないのではと思われるかもしれません。

現段階での会話の比率は圧倒的に僕の方が多く、彼らは言葉少なめです。悩み、見つめ、さらには今まで考えていなかったさまざまなことが頭を巡り、混乱し、不安だからです。、僕自身は想定しうる事柄についてのアプローチの仕方や考える上での方法論を話しているだけです。決して、こうだと決めつけないことが前提です。(時と場合があるのですが)

これは学校ではありません。キャリアにも生活の知恵にもなりません。それを承知で、彼らは真摯に考え、困惑の表情を僕の前で浮かべます。これを見て楽しんでいる程、僕はサディスティックな人間ではありません。同じように僕も不安なのですが、それを表情や言葉、態度として表わすことを良しとはしません。

作品は彼らが作りだすものだし、そこに僕の意図は入り込めません。しかしながら、それらを形づけ、発表する手助けやサポートは出来ます。ただそこにはコミュニケーションが絶対的に必要で、僕もこのやり取りを通して、彼らからさまざまな内容を学んでいるのだと思います。

だからこそ、素直な気持ちで、ガンバレとエールを送りたいのです。

2011年3月2日水曜日

発想から表現、そして・・・。

物事の多くはひとりの人間の頭の中から生まれます。人は自分がこうしたい、こういうものがあればいいなとか頭の中であれこれと考えます。それを発想というのでしょうが、ことそれを現実化すること、そしてそれらがすぐ世の中に受け入れられるかと言うとそうではありません。


身の周りにある日用品の多くは、そのような発想と時代の要求(大衆性とでも言うべきもの)から生まれては、消えていきます。始めはごくごくパーソナルな部分であっても、それらのものや考えに共感を受け、受け入れる人間が多くなればなるほど、共鳴し、拡がりを持つわけです。しかも、人の欲求は非常に強く、次から次へと要求度を増し、完成度が上がっていくものです。

表現の発露も非常に個人的な部分に寄ると言えます。というより、それ無しでは生まれることはないのです。小学校の美術ではないけれど、教室にいる全ての子供たちが自分の好きなように絵を描いているかと言えばそうではありません。自分はこれを描きたいと思っても、大抵はあるテーマを与えられ、それにしたがって行うことが多いからです。だからといって、自由に好きなように描いて下さいと言われても、困ってしまうものです。

自由であることは、ある意味不自由さを内包しています。また、人は何かに属することを欲し、それ自体に満足感を覚えるものですから、よほどの覚悟が無い限り、自分は自分として独自の表現を行うことは困難なのです。言葉を変えると、属性の中でこそ、自我や個性が生まれてくるし、そこで疑問や不安を抱くことで発想が生まれるのです。

何も不安がなく、その場に満足しているのであれば、それで良いのかもしれません。そして自分が楽しめて、平穏や安定を望むことは決して悪いことではありません。むしろ、多くの人はそのような世の中(身の周り)になることを望んでいるのだと思います。

しかしながら、僕はあくまで大勢の中の個人にこだわりを持ち、自分の発想に従って、表現して欲しいと考えています。自己満足も出来ないものは、他人にも受け入れられるものではなく、むしろそこから他者との共有を求めていくものなのだと思います。自分自身にも他者に対しても寛容することが一番大事な部分ですが、そこに疑問を常に持ち続けることが自分自身の在り様で、そこから表現へと繋がっていくのだと思うわけです。

つまり、発想から表現、そしてそれらを目の前にあるものとして提示することは、たぶんに内向きの真摯な行為が無い限り生まれるものではないのです。

2011年3月1日火曜日

”Gallery Collection & Photo Showcase”が開幕です。

3月1日。そして今日から”Gallery Collection & Photo Showcase”が開幕です。以前も書きましたが、今回のテーマのひとつが「販売」です。こう正面切って「販売」と書いてしまうと、何かいやらしく思う人がいると思います。純粋にアート表現をしたいが為に発表しているだけで、そこに対価を求めることに対して疑問に思う方もいらっしゃいますからね。


僕自身、多くのアート作品(写真に限らず)を見て来て、投資などの意識無しに、心からこの作品を手に入れたいと思ったことは少ないものです。現実的に手の届かないものについては指をくわえて見ているしかありませんし、そうではなく、少し頑張れば部屋に飾れるようなものにもなかなかお目にかかれません。

その原因はさまざまあるのですが、先ずは作品を購入出来る場が少ない、広く知られていない点、それから、図らずも作品制作を行っている作家自身が販売することの意義から遠い立場で制作・発表を行っている点にあると、僕は考えています。前者はある意味、購入側に特別な意識を持たせ、一般にはそれがまるで違った世界のもののように勘違いさせてしまい、後者は「プロ意識」にも繋がるのだと思っていますが、自身の作品が他者のプライベートな空間に飾られることの持つ意味をあまり意識していないということです。

元来アートは生活の中から派生し、それ自体は生活自体の役に立たないという矛盾を性格として持っています。他者が、そんな実用品でもなく、作家の一種精神的な安定や衝動のはけ口との言うべきものに、共感を覚え、価値を見いだし、所有したいと思うことはよほどのことなのかもしれません。

それでも、人は感情と思考の生き物ですから、同じような価値観、世界観あるいは嗜好であっても、より自分に近いものに惹かれ、逆に自分とはかけ離れたものに対して脅威や恐怖を抱きながらも近づこうとします。その辺りは不思議なところです。

”Gallery Collection & Photo Showcase”では、鑑賞と共に、自分自身の感情の変化を楽しんでいただきたいと考えています。もし、そこで身の周りに置いておきたいと感じたならば、先ずは僕に声をかけて下さい。

そう、ちょっと変わった興味をそそられる電化製品に対して情報を得たいと思うように、気になった作品についてもいろいろと聞いてみて下さい。

それだけでも、自分の世界は拡がりますから。