2011年6月21日火曜日

楽しさや喜び~自分に与えること

昨日も書いていますが、今週がNortheast Photographers “relation” in Miyagiの最終週になります。以前は最終週に見に来て下さるお客さんが増えたものですが、震災以降、顕著な傾向では無くなりました。やはり、気分的にこのような生活と直接関わらない展示会を見て、楽しむこと自体何か後ろめたいような感覚があるのかもしれません。


昨日も休みを知らずに、以前出展してくれた写真家の方が訪ねて来られ、たまたまギャラリーにいたのでお会いすることが出来ましたが、周りの方にも写真を撮る、発表を考える気分になれないと話されている方が多いと仰っていました。単純に哀しく思います。

様々な困難や精神的な辛さを克服するには、ある程度の時間が必要なことは僕でも経験的に知っています。そんな状況に置かれた時、自分は何をしているかといえば、僕の場合はただ時が過ぎるのに任せて、いずれ、楽しさや喜びの瞬間が訪れてくれるものと願っていたように思います。自分自身ではなく、誰かからとかどこかからそういったものが降りかかってくるかもしれないと考えていたわけです。

でもね、次第に何も変わらないことに、ある瞬間気が付きます。本当にある瞬間です。今まで自分がしてきていることが、まるで無生産で無為なことと思えてしまう瞬間です。おそらく、その瞬間が訪れてくるまでの時間が人それぞれ違っていて、一般的に気持ちの痛みといったものから回復するには時間が必要になると言われるのだと思います。

じゃぁ、その瞬間が訪れるまで、人は現状から前に進めないものなのと言われれば、決してそうでは無いように思っています。それは過去の歴史から言っても明らかなことです。

先ずは楽しさや喜び、そんな自分にとってはかけがえのないものを、外側に求めるのではなく、自分自身に少しずつ与えることが大事なんだと思えます。そして、他人が見て、そんなこと、と訝しがられても、出来るだけ気にしないこと。

だから、これまでカメラや写真が好きで撮影をしてきた人、或いはそれでもって生活の糧としている人、写真を問わずアートが好きで見に行っていた人たちは、もう一度それが自分にとっての何物だったのかを考え、もし、かけがえのないもののひとつであったなら、誰に構うことなく自分自身にその機会を与えるべきなのです。

やがて、その喜びや楽しさは、周りの人たちの元へ届くはずなのですから。

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