2009年12月31日木曜日

大晦日の朝

大晦日の朝、部屋のPCが動きません。もう4年程使用しているのですが、常時ON状態で動かしています。それが良くないとは思っているのですが、仕事関係にも若干使用しているので、結局止められずにそのままでした。


今回もWindowsが起動せず、ブルーの画面に何やらメッセージが出ています。昨日の記事でもPCに関連することを書きましたが、僕自身は全然詳しくないので、こんな時は即テクニカルサポートに連絡しています。

ところが、今日は大晦日、どうやら正月も3日まで休みのようです。いやはやなんともと言った気分になりながら、ギャラリー内のPCでこれを書いている次第です。部屋のPCはメール転送程度しかしていないし、正月中ですのでそれほど影響は無いと思いますが、もしメールのレスポンスが遅い場合は、ご容赦下さい。

まぁ、年末にこんなことが起きるのも、休み中で良かったと思うしかないのですが、ギャラリーをオープンしてからも小さな問題は色々ありましたので、あまり気にしないようにしています。

それにしても、今年は出会う方のほとんどが初めてであったにも関わらず、懇意に話を聞いて下さったり、ご協力していただきました。

本当に有難うございました。

年明け早々から、次回展示やら色々と動かなければなりませんが、また皆さんの感動するお顔が見られるように頑張りたいと思っていますので、是非ギャラリーへお越し下さい。

それでは、皆さん良いお年をお迎え下さい。

2009年12月30日水曜日

つながり

2009年も明日1日です。明後日には、2000年代に入ってから10年目になるわけです。


小さい頃、テレビや漫画で描かれる21世紀という未来は、はたしてそうなるのかどうかすら想像出来ませんでした。映画「2001年宇宙の旅」で登場したHALですら、あの頃にはSFの世界に過ぎませんでした。現在はどの程度人工知能が進んでいるかは分かりませんが、何気なく普段使っている家電ですらその片鱗は見られるようになってきています。

この先どんな形で進化し、人との関わりを持っていくのかが注目されますが、いずれにせよ人が開発するのですから、生活がより便利で、そして人に対しても優しい存在になってくると思います。

コンピュータが開発され、ある特定の人たちが使用し、スタンド・アローンの状態だったころから、一般の人たちによるネットワーク化へと変遷するのにそう時間はかかりませんでした。もちろん、世界的なインフラ整備やハード・ソフトの急激な進化がそこにはあったわけです。多くの人はもはやPC無しでは仕事も遊びも出来ないようになってしまっているのが現状です。

今後、ますます進化していくのだと思います。最近のSNSにしても、よりオープンでフラットな感じになっているので、その安全性さえ保証出来れば、誰でもどこでも自由にさまざまな人と交流することが出来ます。それって、やっぱりハード・ソフトの進化の過程だとは思いますが、結局人が望んでいることが具現化されているものです。世間では社会の閉塞感や希薄感が取りざたされている中、本当はみんなそう望んでいるわけではないだということが分かります。なので、たとえその手段が変わっても、未来は人と人、人と世界の繋がりが感じられる世界であってほしいと僕は思っています。

さて、今日は少し買い物に出てから、帰って来てから掃除や整理をしないとと考えています。大がかりとはいきませんが、これも来年へのつながりの為ですね。

2009年12月29日火曜日

「ミエルヒ」

会期終了後のギャラリーは非常に閑散としています。何もない白い壁、それに残った釘の跡だけがそこにあった作品の痕跡としてあるだけです。今は大判作品を除く全作品の梱包を終え、本日発送の手配を取る状態です。今回は発送個所が2か所になり、大判の発送は年明けになりますので、それまでは壁に残しておこうと思っています。


梱包作業は夕方近くには終えたので、一旦部屋に戻り、一昨日深夜に録画しておいたテレビドラマを見ました。テレビドラマを録画することは滅多にないのですが、出演者や原作なんかをネットで知り、この時間帯の放送だときっと見逃すだろうと思い録画したのです。

HTB(北海道放送)制作のスペシャルドラマ「ミエルヒ」です。

HTBは年1回なのかドラマを制作、放映しているらしく、昨年は「歓喜の歌」というドラマを制作、全国ネットで放映、月間のギャラクシー賞も受賞したそうです。今回の「ミエルヒ」は、原作が今年劇団活動休止を決めたグリングの青木豪さん、主演はTEAM NACS 安田顕さん、その他に泉谷しげるさん、グリングのメンバーなどが出演していて、それだけで見てみたくなったわけです。

詳しい内容は特設サイトがありますので、そちらを見てもらった方がドラマ制作の思いや過程が分かると思います。

http://www.htb.co.jp/mieruhi/index.html
 
北海道を舞台にしたテレビドラマと言えば、「北の国から」を思いつく人が多いと思いますが、このドラマにはそんな広大な自然や際立って美しい光景が出てくるわけではありません。でも、その映像はトーンが普通のテレビ画面のそれとは違っていて、何か一枚一枚の絵のような雰囲気があり、それだけで美しいものでした。


主人公の気持ちにいくらか共感出来る面もあり、青木豪さんらしい部分も見られて、しみじみと見入ってしまいました。他の出演者もとても自然で、北海道に生きる人々を素直に演じていたように思います。父親役の泉谷しげるさんはほんんどあて書きですね。

今回は全国放映というより、いくつかの地方局が日時を替えて放送しますが、テレビ朝日でも来年の深夜帯で放送を決定したようです。地方局発信の番組は、その地方色が濃くなる傾向なので、なかなか全国区にはなりづらいのですが、こんような番組は色々な方に見てほしいと思います。

2009年12月28日月曜日

ハービー・山口写真展 無事終了です。

昨日でハービー・山口写真展が無事終了しました。ご来廊ならびにイベントに参加された多くの方に感謝いたします。昨日も17:00以降に滑り込みで見に来られたお客様がいらっしゃって、閉廊は20:00頃になりました。本当に有り難いことです。


メッセージについても、50名程になりました。最初はなかなか書いていただけず、どうしたものかと思っていたのですが、次第に記入して下さる方も増え始め、内容もイラストや装飾に凝ったものがあり、皆さんのお気持ちが直に伝わってくるような温かいものばかりです。思いのほか、クレヨンを使用されている方が多く、幼少の頃を思い出されているようでもあり、とても真面目に用紙に向き合っているような印象も受けました。こちらは、一旦ハービー氏へお送りして、1名を選考してもらいます。おそらく1月中旬には結果が発表できる予定ですので、楽しみにお待ち下さい。

作品に対しての趣味、嗜好がありますので、見に来て下さるお客様の顔ぶれが会期ごとに違うのは当たり前と言えば当たり前なのですが、今回も古くからハービー氏の写真が好きだった方はもちろん、DMのイメージに興味を持たれて初めて写真展に来られる方など来られる理由は多岐に渡っていました。これも、ハービー氏自身と作品本来の魅力に他ならないと思います。

オリジナルプリントの力強さや美しさは、実際に見てみないと分かりません。写真集はそれとは別の形での表現媒体ですので、それはそれで魅力があります。ご購入された方は、写真集を見返すたびに、会場に足を運びそれぞれのオリジナルを目の当たりにした時の感覚がよみがえってくると思います。

僕にとって、ハービー氏の作品は、愛と希望と人の暖かさ、そして、その時々、瞬間であっても最も大事だと思える繋がり(えにし:縁)を感じます。以前、井上ひさしさんの戯曲の台詞を紹介したことがありますが、まさに人が生まれ、何か大きな力のようなものに導かれ、かけがえのない人たちと出会えることは奇蹟そのものであり、その言葉を具現化したイメージが作品となっているのです。

今回ギャラリーを訪れて下さったお客様の多くは、本当に初めての方です。偶然何かでギャラリーを知り、写真展に興味を持たれ、重い扉を開けてくれた方々です。

繰り返しになりますが、来ていただいたことに心から感謝いたします。

今後も、感動や驚きを体現出来るような作品、空間を紹介していきますので、
いつでもお気軽にお越し下さい。

2009年12月27日日曜日

今出来ること、今しかやれないこと。

今年はいつにも増して、年の瀬という感じがしません。以前のように、今日で仕事終わり、明日から休みだなとの感覚があまり無いからかもしれません。一人で仕事をしていると、ほとんどの場合、自分の中で処理、消化しなければならないので、なかなか区切りのようなものが付きづらいことがあります。その反面、今日はこれはうっちゃおうとか結構ずぼらな考えもでてしまいます。気がつくと、あれもこれもとしなければならないことが溜まっているのです。


このところ、会期終了に近づいたこともあり、来廊して下さるお客様が増えています。出来るだけその方々と会話をするようにしていますので、当然のように雑事の処理なんかは開く前の午前中と夜になるわけです。それでも、量的には非常に少ないので負担には感じていませんし、むしろ昼の間に話した内容をもう一度振り返り、もう少し表現を変えた方が良かったのではないかとか少しは伝わったかなとか思いを巡らせていることが多いように思います。

若いころは元来面倒くさいことが嫌で非常に気持ち的にも弱いことが分かっているので、やれる時にやってしまえという考えが先に立ち、後で他にもこんなやり方があったなとかあの時は結論を急ぎすぎたなと後悔することが多かったように思います。年を経るにつれ、経験とともに少しはその判断能力も上がってきたのですが、まだまだだなと思うときは多々ありました。

ある経験をきっかけに、10年程前から、やれる時にやってしまえという少し乱暴で勢いだけの考えから、今自分が出来ること、今しかやれないことを納得して行うといった感じに考え方が変わってきました。時には熟慮して先延ばしすることも必要です。その区別をすることも徐々に分かってきたように思います。

今は、扉を押しあけて入ってくる方々、ひとりひとりの顔を見ながら、その瞬間に感じたことを言葉にして伝えることを一番に考えています。そして、それが僕の今出来ること、今しかやれないことだと素直に思えることだからです。

2009年12月26日土曜日

記憶と行動 その曖昧さ

最近分かったことですが、僕はどうも人と話をしていると他の事を忘れてしまうようで、昨日も来て下さったお客様へクリスマスカードを渡すつもりでいたのが、すっかり抜けてしまって、ほんと駄目だなと反省しきりです。そんなわけではありませんが、本日も1日遅れになりますが、クリスマスカードをプレゼントしようと思っています。


もし、これを読まれてから来られる方は、僕が忘れていたら話して下さい。

直接来廊されアンケート等に答えて下さった方やイベントご参加でお名前や連絡先が分かっている方には、時々メールで情報をお送りさせていただいているのですが、このところ顔と名前が一致しなくなることがしばしばあります。それほど多くは無いと思っているのですが、お名前が分からずに顔だけを存じ上げている方もいらっしゃいますので、時々僕の脳内記憶引き出しの中で混乱しているのだと思います。

年を取るにつれ、過去に出会った人たちや有名人の名前が思い出せないことがよくあります。そんな時は、あの時懇意にしてもらっていたり、とても好きだったりしたのに、なんで思いだせないのだろうと自分自身にがっかりしていまいます。ギャラリーをオープンしてからは、出来るだけ顔の見える営業をしていきたいと思い、それを実行してきたつもりでしたが、ここにきてすでにおやおやです。

以前、人間の記憶はその日のさまざまな出来事を取捨選択し、夜の時間に脳内に蓄えられるようなことを聞いた覚えがありますが、はたして記憶されたものが本当にその時受けた思いや感情までも忠実に記憶されるものだろうかといつも疑問に思っていました。事実年月とともに、過去の古い記憶は次第にあいまいになり、結果的にかなり自分自身の中で脚色されている場合が多いように感じます。

全てを記憶してしまっていたら、きっと脳内はパンク状態で、常にパニックしてしまうと思うし、一部の鮮明な記憶(良いことも悪いことも)を残して、その他はぼんやりとした記憶であった方が救われるのかもしれません。一種の防衛本能ですね。

そうは言っても、お客様の名前を思い出せなかったり、しなければいけないことを忘れてしまったりするのは困りものです。なんとかしないといけません。ほんと、死活問題ですから。

2009年12月25日金曜日

夢を追いかけて

最近夕方以降にみえられるお客様が多く、話をしているといつの間にか閉廊時間を過ぎていていることがあります。もちろん、来ていただけることには感謝しながら、自然と話してしまうわけですが、あまり遅くまでいられると、逆にお客様に迷惑では無いかなと感じてしまいます。


昨日も3人の若い方が18:00前後にみえられて、結局20:00頃まで色々なことを話してしまいました。そのうちの一人は以前ブログにも「心から感謝」(8月11日)というタイトルで登場した姉妹の妹さんです。姉妹ともとても素敵で、カワイイ感じの女の子なのですが、彼女らは写真にはこれまで触れたことが無く、それでもファッションやアートには興味があり、自分も何か表現することをしたいと夢見ていると言っては、会期ごとに必ずギャラリーに来て、興味深く作品を見てくれていました。

お姉さんの方は、今年の夏に上京し、自分の将来の為に専門学校に通い始めました。それからは妹さんがひとりで来てくれていたのですが、昨日はアルバイトも無い日だったので、寒い中ギャラリーへと足を運んでくれたのです。今月姉を訪ねて東京に行った時に見た展覧会のパンフを見せてくれたりして、楽しく話をしている内に、実は私も2月に東京に行くことにしましたと語り始めました。

彼女には夢があるようです。詳しくは話してくれませんでしたが、それはそれだけでとても素敵なことだと思います。その為に、東京という場所を自ら選んだのですから、僕がどうこう言う立場ではありません。なので、その後は話を聞くことに徹していました。

不安よりも希望の方がはるかに大きいことを、その瞳に宿しながら語る姿には、純粋に美しさや尊さのようなものを受け、現実はもっと厳しく、切ないこともあるだろうけど、頑張ってほしいなと思っていました。それと同時に、身も知らず、年齢も倍ほど違う女性が目の前で僕にこんな話をしているなんてことは、普通のおじさんでは得られないことだろうとも感じていました。

2009年は僕にとって、出会いと別れが数多く訪れた年でした。そのひとつひとつが僕の財産であり、力を生み出してくれる源でもあるのです。

来年以降しばらくは会えないと思いますが、心から応援しますよ。

また、いつか素敵な笑顔を見せて下さい。

2009年12月24日木曜日

ほんの少しだけセンチメンタルな夜

昨日の続きになりますが、polkaは一応無事施術を終え、部屋で休んでいる状態です。


実は、昨日ブログをアップした直後に病院から電話があり、かなり大暴れしたらしく、鎮静剤を打ったとのことでした。
何も分からないまま、意識もはっきりした状態で、勝手に自分の体をいじくりまわされるわけですから、人間でも抵抗してしまうと思います。だから、部屋から病院へ、そして病室の中までものすごくおとなしかったことがむしろ不思議なことで、僕も医師にはかなり暴れると思いますと言って、病院を一旦後にしたのです。

しばらくして、決められた時間に病院に行くと、施術はほぼ終了していました。最後の仕上げといったところです。待合室には、静かな様子でキャリアに収まっている猫を連れたカップルがいました。心配そうに猫の背をなでている女性を見ていると、彼らの気持が今は分かるような気がしました。しばらくして、そのカップルの診察が終了してから、医師からの説明を受けました。

医師はまだ30代とおぼしき男性で、診察室に入るとすぐに鎮静剤を打ったいきさつとpolkaに引っかかれた腕の傷を見せながら、医者として恥ずかしい話ですと言っていました。僕は単純にpolkaがけがをさせたことで、申し訳ないなと思い、すみませんでしたと何度か言ったのですが、そのたびにこちらこそプロとして恥かしいですと話していたのが印象的ではありました。

症状は、一時的な脱肛と、内腿の筋肉がだいぶ細っていることで、いきむ力も弱ってきた為に肛門が蓋された状態になったとのことでした。便はかなりの量が溜まっていて、小さなビニール袋に入れてあるものを見せられました。お持ちになりますかと言われましたが、それは丁寧にお断りしました。(持って行く人っているのかなと思いながら)それから、脱肛は一時的なものなので多分心配はないと思うが、えさと水やりを改善して下さいと忠告を受け、無事病院からpolkaを引き取った次第です。

たしかに、polkaは水を飲む回数が少ないので、普段の便も固くコロコロしたものでしたから、思い当たる節は充分にあります。それと、やはり年齢の影響は、見た目がそれほど変化なくてもあるんだなということ。自身も含めて考えさせられました。

今、polkaは昨日かなりお腹の中をいじられたので、じっと体をいたわるように大人しくしています。じき回復してくれるとは思いますが、まだまだ心配ではあります。

それと、やはり同時進行で年を重ねているんだなという実感みたいなものを、初めて感じましたね。何を思っているかは分かりませんが、僕の素をいつも見ている唯一の生き物ですから。そんなことを考えながら、昨夜はほんの少しだけセンチメンタルな時間を過ごしたのでした。

2009年12月23日水曜日

頑張れ、polka!!

今日は天皇誕生日で祝日です。ギャラリーは普段通り行う予定です。


ですが、5日前から、polkaが便秘状態に入り、自力で排便が出来なくなっていました。以前からそのような状態はあったので、しばらく様子を見ていましたが、いかんともしがたく、先ほど近くにある病院に連れて行きました。

朝一番からpolkaをキャリアーへと入れたのですが、引っ越しの時のような格闘レベルではなく、結構スムーズにいっていまいました。少し拍子抜けしましたが、やはり、少々弱っているのですね。病院へ行く途中も、待合室でもずっと鳴いていましたが、病室でキャリアーから出してからは、比較的落ち着いていた様子で、これはこれでまた心配になってしまいました。

今年で11歳ですので、人間でも何かあってもおかしくない年齢です。医師と話をし、これから2時間程点滴で水分補給した後、便を取り除くこととなりました。

ですので、今は治療を託し、一旦ギャラリーに戻り、このブログを書いているわけです。

それにしても、動物は痛いとかかゆいとか積極的に行動として表わさないので、それが困りものです。時折、言葉が使えたらどんなに便利かと思います。(いつもですと疲れてしまうと思いますが)今回も、便が出なくなってからは、じっとしていることが多く、水だけを飲み、何か分からないけど自分に降りかかった厄災がいつか通り過ぎるのを待っているような風情でした。

今すぐ、生死に至るわけでは無いとは思いますが、どうなるかは誰にも分かりませんから、その分からないってところが不安にさせます。普段とそれ程変わらない表情でありながら、中では一点のシミが全体に広がっていて、ある臨界点を越えた瞬間に状況が一変する場合もあります。実際、僕もそんな経験を何度もしてきました。

2時間後もう一度病院へ行きます。多分、ギャラリーはオープン出来ると思っています。

頑張れ、polka!!

2009年12月22日火曜日

もっと自由に

昨夕、少し時間があったので、2007年公演のコクーン歌舞伎「三人吉三」の後半だけを見ました。外でちらつく雪にほだされたわけではありませんが、ラストの雪のシーンが見たかったからです。ラスト、これでもかと言う大量の雪が落ちる中、三人の吉三の死に至る姿が、かつてのアメリカンニューシネマのようなイメージを彷彿させます。滅びの美学とでもいうように、舞台上全てが真っ白になる劇的な幕切れは、見ているものの魂までも浄化されるような気分にさせられます。


以前にも書いたように、僕は歌舞伎をほとんど見ないのですが、このコクーン歌舞伎だけは別物として見てきました。なので、物語のいきさつや内容の解釈は歌舞伎でのそれとは違うのかもしれません。さまざまな芝居の中の一つとして、単純に見ていました。

「三人吉三」は、歌舞伎の中でも一番とも言えるほど有名な演目です。「大川端庚申塚の場」でのお嬢吉三の台詞は、歌舞伎を知らない人でも一度は聞いたことがあると思います。河竹黙阿弥作、初演が1860年ですので、時代はまさに幕末の頃、これまでの価値観や世界との繋がりが大きく変革し、明日をも知れぬ毎日だったのではないかと思われます。

内容もこれまた、現代でもそこまで物語として設定するかと思えるほど、非常にネガチィブと言うか希望の無い出来事で綴られています。主人公はお坊、お嬢、和尚の3人の吉三と言われた、まぁ盗賊のような人たちです。その3人が百両の金と庚申丸と言う刀を巡って繋がり、過去の因果応報も絡みあいながら、奈落へと突き進む姿がラストの死へと繋がっていきます。

それにしても、このような今から150年近く前の作品やもっと以前のギリシア悲劇などを見るたびに、その表現の自由さを感じずにはいられません。「三人吉三」で扱っている題材は、女装したお嬢吉三とお坊吉三に芽生える友情以上の愛情や本人同士は知らなかったとは言え、カップルとなったおとせと十三郎が近親相姦であったり、ほんと過激で、ごった煮のような状況なのです。

今のようにテレビもインターネットもなかった時代、ごく限られた人たちへの娯楽として、密閉された劇場空間の中で演じられるものだからこそ出来たことなのかもしれません。そうかと言って、現在が表現を束縛されている状況ではないとは思っていますし、むしろ自分自身でその枠を見限っているような感じがしないでもありません。

閉塞的で暗い世の中ではありますが、こんな時こそ、もっと自由に、ときに枠をはみ出してもいいのでは思えてしまうのです。

2009年12月21日月曜日

最終週です。

昨日も少し冒頭で書きましたが、今週でハービー・山口写真展が終了します。終了間際のこの時期にはいつも寂寥感のようなものを感じてしまいます。まだまだ、満足感よりも強いのが正直なところです。


今回はイベントでの反応も良く、新たなお客様も見えられるようになり、自分自身も楽しみながらの写真展であったような気がします。イベントに参加出来ずに残念だったとかもう一度ハービーさんにお会いしたいとか、そんな言葉を聞くたびに素直に嬉しく思います。

それでも、写真を撮る、撮らないに関わらず、もっともっと多くの方に作品の魅力を伝えたい欲求が日増しに大きくなっていることは確かでした。

最近は天候も悪く、来てもらえるだけで有り難いと思っているのですが、そんな中訪れたお客様がどれほど楽しんでもらえたかもとても気になります。このような展示会は多くの場合、そのエンタテイメント性よりもアート性が優先し、何か難しいもの、見てもよく理解出来ないものと思われがちです。実際、そんな展示会が多いのも確かですから、自然とそんな方程式のようなものが成立しているんだと思わせられている感はあります。

僕は、先ずは純粋に自分が感じたものを優先させてほしいと思っています。演出的にテーマ性を導き出すように、展示・構成している部分はありますが、結局は自分自身の感性や経験や思いといったものから、作品に対峙し、感じたものに嘘はないはずです。

その解釈が、たとえ世間一般で言われているものと違っていても、全然構わないのです。本来アートは自由奔放なもので、表現者はもちろん観賞する人々もその枠に捉われない感じ方があってしかるべきなのです。

偶然にも、これを読んでしまった皆さん、一度来られた方でも、2度目は新たな発見があるかもしれません。ですので、何度でも見て、感じて下さい。

最終日27日は日曜ですが、通常通り営業しています。

もちろん、連絡をいただければ、時間外でも出来る限り対応させてもらいます。

2009年12月20日日曜日

発展途上・・・より普遍的なものへ。

今年もあと10日あまりになりました。現在行われているハービー・山口写真展も残り1週間です。ほんと、休んでなんかいられない気分なのですが、会期終了間近の寂しさのようなものも感じてきました。


これまで3度の企画展を行い、会期中のイベント等で多くの方と交流を持てたことは、とても有意義でこれまでの生活では味わえないことばかりでした。来られる多くの方は、僕が以前も写真関係の仕事をしていると思われているようですが、全くもってそのような仕事はしたこともない素人です。

こんなことは書いちゃいけないのかもしれませんが、入学したての小学生と同じです。日々の出来事や人との出会いから得られるものが、僕にとっては最良の学習であり、経験であるわけです。ですので、いろいろと失敗や失礼なことも話したりしたと思います。

今までのものは、これまで好きで見てきた写真展やギャラリーや芝居からの影響が、多分に表れていた企画展であり、展示方法であり、空間設定でした。ですので、創造性という意味ではこれからだと思っています。

世間では、私には生涯忘れられない曲があるとか私はあの曲で救われえましたとか、音楽そのものが聴く者に力を与えたようなことを良く聞きます。これは、何も音楽に限らず、アート全般に言えることだと思っています。一枚の絵や写真に心奪われ、感動を覚え、心地よい癒しや救いが得られた経験は誰しもあるのではないでしょうか。偶然何かでこのギャラリーを知り、今まで知らなかった作家の作品に触れ、そんな気持ちになってもらえることが、現在の僕にとっては最大の喜びなのかもしれません。

僕自身、作品を発表しているわけではないので、創作し完成に至るプロセスや作家の心情を正確に伝えることは出来ません。が、その手助けをすることは出来ると思っています。何より、作品群を見て、実際の展示構想や照明も含めた空間設定を考えるだけで、自分自身が癒されている感覚を覚えます。そこで感じる幸福感(大げさかもしれないが)や心の疼きや痛みといった、ある意味普遍的ともいえる感情を共有できればとの思いがそうさせているのかもしれません。

今日も数名がギャラリーを訪れてくれます。

何かひとつでも感動や新しい発見を見出してくれればと思っています。

2009年12月19日土曜日

二度寝の朝、自分が何者かであること。

昨夜は午前4時頃目が覚めてしまい、もう一度寝るか迷った挙句、2度寝をしてしまいました。案の定、再び目覚めた時には、いつもよりかなり遅い時間になったのですが、ひとりで仕事をして、誰にも迷惑をかけるわけでもないとは分かっていても、何かすっきりしません。やはり、スタートは大事ですから。


前にも書いたと思いますが、昔から終わりよければすべて良しという言葉はあまり好きではなくて、結果をすぐ求められる仕事自体には非常に懐疑的でした。昨今は生活スタイルや時間の流れそのものが矢のように早くなり、結果が即求められることが多くなりました。

僕なんかはその辺が生理的にも嫌で、したがって上の者と意見が食い違うことは多々ありました。サラリーマンであること自体、不条理を受け入れなければならないことは充分に理解していましたが、そのたびにわだかまりのようなものは滓となり残っていったように思います。そのような積み重ねは、ときどきは眠れない日を作り、遅くまで仕事で会社にいることだけで妙な安心感を得るような、今考えるとなんと無駄だったの、という日々を過ごした時期もあります。

だいぶ以前に、若いうちは自分が何者であるかすら分からないまま仕事や生活をし、徐々に自身の在り方が固まってくると言われたことがあります。それは、家族や仲間、地域といった繋がりから結果的に自分自身があぶりだしのように生まれてくることを意味していると考えていましたが、未だ分からないままです。

昨日、青森県から出張で仙台に来られた方が、ギャラリーにみえられました。その方はオープン当初からHPでギャラリーを知り、前から来たかったがなかなかその機会が無く、今日の仕事の前に行こうと思ってくれたとのことでした。ご自身撮影もして、印刷関係の仕事をしているようで、写真については僕なんかより造詣が深い方です。2時間半程、お話をしていたと思います。とても勉強にもなり、楽しく、有意義な時間が過ごせました。

オープンして7カ月、他県の方もたまにいらっしゃいます。そんな、見ず知らずの方と写真を通して、まるで旧知の仲のような会話を交わせることに、何物にも代えがたい喜びを感じます。きっと、そんな繋がりの中で、僕自身がこれから何者であるかが分かってくるのだと思います。

2009年12月18日金曜日

さてっと、年賀状だ。

昨晩からみぞれまじりの雪が舞い始めました。今朝は白い雪化粧にうっすらと包まれていないかと期待していたのですが、道路はすっかりそのままで、端の方に残っているだけでした。今日も夕方から本格的に雪が降るような天気予報です。


昼過ぎから少しずつ降り始めるようなことも話していたので、お客様も少ないかなと思います。この時期になると今夜あたりは忘年会も多いのでしょうね。今日は気温も上がらないようですから、雪解けが凍り、足を滑らさないように気をつけて下さい。

僕はと言えば、そろそろ年賀状を作らないと、と思っています。以前は年末の休みもぎりぎりまで仕事をしていて、年始も早々から出勤していたことが多く、年末年始との感覚が薄れていました。それでも、元旦に届く年賀状の相手先を見るたびに、すっかりご無沙汰しているなとか元気にしているんだと、常にそばでいたころの事を思い出します。

昔は年一回の便りのように、まるで生存確認のような扱いをされる場合もあったりして、少し馴染めないような感覚もあったのですが、歳を取るにつれて、こういう文書での便りもいいよなと思えるようになってきました。

今はなかなか友人でも住所まで教えていることが少ないし、メールでのやり取りの方が手軽ですから、それで済ます場合も多いのでしょうね。でも、そんなメールも決して否定的には考えてはいません。繋がりという点では、むしろ本当の今が感じられるからです。

ツイッターとかだと、さまざまな人たちと本当に今を共有している感覚がフラットに得られるから、メール以上にそんな感じになるのかなと思ってもいます。

さて、まずは図柄から考えないと。それから住所録の整理をして…面倒くさがりの僕ですので、ちまちまと進めていく姿が眼に浮かびます。

最後に昨夜の雪の名残の画像をアップしておきます。




2009年12月17日木曜日

昨夜届いた2つの便り

昨夜は2つの思いもしない便りが届きました。


1つはハービー・山口氏からのメール、それから昨日の記事へのコメントです。

ハービー氏からのメールは、昨日のイベントに来ていただいたお客様がその時の感想や思いをハービー氏宛てに直接送られ、その文面が転記されてあるものでした。内容は、とても自分に前向きで素敵なものでした。

これは、ハービー氏の温かい人柄や確固たる生き方、そして会場で真摯に接している時の言葉がお客様の心を動かし、その発露として現れたものだと思います。僕自身、本当に嬉しいことで、イベントを開催して良かったなと思える瞬間でもありました。

そしてもう1つ、昨日の記事についてコメントがありました。まだ、このブログにはコメント欄がありませんのでチョット紹介します。コメントを寄せて頂いた方は外来禁煙を行っているお医者さんで、井上ひさしさんの記事を検索して、偶然僕のブログを読まれたようです。門外漢の僕のタバコについての記述に、専門的なご意見が書かれていて、非常に参考になりました。また、記事の内容で少し表現的に語弊を招くような箇所もあったかなと考えた次第です。

この2つの便りで感じたことは、自分の言動や行動の在り方によって、それを受けた人たちに何らかの影響を与えているんだなということです。影響と言うとこれまた語弊があるかもしれませんが、何かを感じるきっかけのようなものです。

ハービー氏の場合は、僕自身ではなくハービー氏の影響力がそういう行動をするに至ったわけですが、コメントは僕自身の記事に対するリアクションですからね。当初からコメントなんか来ないだろうと思っていましたし、それを意識して書いてもいませんし、一種の備忘録のような感じで始めたのが正直なところです。

でも、これからは少しだけそんなことも意識しながら、自分の今の気持ちに嘘が無いように続けていこうと思います。ですので、間違っていそうだったり、そうだよねと感じた時はコメントして下さい。

2009年12月16日水曜日

井上ひさしさんが肺がんで闘病中を知って

劇作家の井上ひさしさん(75)が肺がんで闘病中であるニュースが、昨日から今日にかけてネットやテレビで伝えられていました。10月に新作戯曲「組曲虐殺」を書き上げた後に、病状が判明し、現在は来春復帰を目指して療養中とのことです。


井上さんは一日に40本は吸うと言われる程の愛煙家ですので、やはり原因はタバコなのかなと思ってしまいます。愛煙家の代表格として、僕がすぐに思い浮かぶのは映画監督の市川崑さんです。市川さんは92歳で肺炎の為、お亡くなりになっています。晩年は健康を気遣ってか、タバコには手を付けなかったようですが、人間92歳まで生きて、まっとう出来れば充分なような気もしますし、タバコ即ガンという構図はどうかなと首をかしげる所でもあります。

かといって、タバコを吸われない方にとっては、隣でスパスパと吸われることは迷惑この上ない事だとも感じています。僕自身も、出来るだけ気をつけてはいるものの、この場でタバコを吸ってしまってまずかったなと後悔することはありましたから。

人の嗜好は、それが法に触れない限りは、自由であり、自己責任の範囲であるとずっと思ってきました。40歳を過ぎてから毎年受けていた人間ドックでは、特に異常が見られなくても、常套句のようにタバコは控えた方が良いですよと言われ続けました。それでも、分かってはいるけどね・・・と心の中で呟きながらも、止めようと思ったことはありません。

この10年はオフィスでの禁煙が徹底されていたので、会社では2時間おき程度の休憩時間に吸うぐらいで、以前よりは減っていたのですが、最近少し増えてきた感じです。ギャラリー内は禁煙ですから、たまに表に出て吸うわけで、昼間特に増える理由はありませんが、夜部屋で吸う割合が増えているのですね。

これは部屋にいる時に行っている内容が変わったからなのかなと思います。これまでは帰宅が遅いこともあり寝るまでの時間が少なく、その中で次の観劇をどうしようとかあれこれネットで情報を集めたりして、タバコに手をつける頻度も少なかったわけです。今は、大抵はギャラリー内のPCで行っていますので、上の部屋に戻ると、テレビやDVDなんかを見たり、考え事をする機会が増えて、知らず知らずの内にタバコに手がいってしまうようです。

生活習慣の変化は時として人に大きな影響を与えると考えています。その為、多くの人はあまり大きな変化を好みません。僕の場合、今年はとても大きな変化点であり、これまでお付き合いしてきた方とはまるで違う方々と毎日接するようになりました。

毎日が新鮮であり、刺激的である一方、時に気が滅入ることも正直あります。まぁ、そんなこともありタバコもちょっと増えているのかと客観的に眺めながら、減らそうとの思いはあまりありません。これが今の自分なので、もう少し受け止めてから、次に進もうと思う気持ちが強いからです。

その為に数本程度タバコが増えてもいいでしょう?(誰に聞いているのか分かりませんが・・・。)

2009年12月15日火曜日

クリスマスカードに添えて

いやぁー、寒いですね。


今朝の最低気温は氷点下だったとのニュースを聞き、たった今表に出てみましたが、日差しは出ていますが、空気が刺さるような冷たさです。山沿いでは朝早く雪も降ったようでいよいよ冬本番です。

もっとも12月も中旬ですし、街中クリスマスムードで、光のページェントも始ったことだし、少しぐらい寒い方が気分的に盛り上がるというものです。今年は、もしかしたら何年か振りに、ホワイトクリスマスになるんじゃないかとの期待感があります。ギャラリーから15分程歩くと、光のページェントをしている定禅寺通りがあるので、是非体験してみたいと思っています。

この時期になると、だいぶ以前(15年程前)は仕事がらみで海外へのクリスマスカードを出すために、文房具屋さんを見に回っていましたが、ここ数年はそれも無くなり、たまたまそういったフェアーを行っている店で、眺めるでもなく見かける程度でした。

さて、今年は何を思ったのか、クリスマスカードをごく身近な人に出そうかなとしています。そんなわけで、昨日はイベントの整理や詳細を一通り終えた後に、2日前に届いたクリスマスカードを眺めていました。
おわかりでしょうが、届いたのは、他の人からのクリスマスカードではなく、これから出そうとしているクリスマスカードです。少しだけ紹介します。

お菓子のブリキのような箱に、アルファベット26文字分のカードが入っています。一文字ずつのカードを開くと飛び出す絵本のようにデザインされた絵柄が出てくるもので、日本でも有名なアメリカのポップアップブック作家Robert Sabudaの作品です。

あえて画像は出しませんので、興味がある方はギャラリーへお越し下さい。

数に限りはありますが、おひとりにつき1枚差し上げます。

とても素敵なカードを作る人で、以前から好きで他の作品も良く見ていたものでした。

今年はこのカードに一言添えて、送ろうと思っています。

僕には仕事や遊びで付き合ってくれた息子や娘のような年代の子がいて、今でもごくたまにメールなんかのやり取りがあるけど、その中のひとりの女の子は昨日14日が誕生日でした。仙台に移る時に、寒いだろうと僕に手袋をプレゼントしてくれた子です。まだ、手袋は使っていないのですが、大事にしまっています。その子が、自分の誕生日は討ち入りの日だから覚えやすいでしょうと、笑顔で話していたことを今でも思い出します。

誕生日おめでとう。いつも元気で、とびっきりの笑顔を見せてくれていましたが、これからも変わらずにいて下さいね。

この文を読んだ一部の人には、誰かが分かるようになっています。

2009年12月14日月曜日

ハービー・山口スペシャルイベント 無事終了です。

ハービー・山口スペシャルイベントが無事終了しました。


当日会場で直接申込をされた方も含め多くのお客様に来ていただけたこと、心よりお礼と感謝の気持ちでいっぱいです。有難ございました。

ハービー氏のフランクで温かい言葉に真剣に聞き入るお客様のお顔を見ているだけで、何か胸に込み上げるものがありました。また、第一線で活躍される写真家であるハービー氏と直接語り合える場を作れたことは、その光景を見ているだけで僕自身企画した甲斐があったと感じられる瞬間でもありました。

内容は多岐に渡り、ハービー氏自身の生い立ちから、写真家になろうとしたきっかけ、Londonでの生活、そして写真家である前にひとりの人間としての在り方や方向性など、時にジョークも交えながら、珠玉の時間を過ごせたのではないかと思っています。またサイン会でのハービー氏の丁寧な受け答えに対するお客様の笑顔を見ていると、こちらまでついほくそ笑んでしまいました。

僕が一番感じたことは、ハービー氏自身のリベラルな姿勢とやはり人との出会いが大事なんだなということです。ネット社会や昨今の経済不況により、ややもすればその人間関係まで希薄になってきていますが、人間生身で語り合ったり、触れることがもっとも重要なことだということです。至極当たり前のことですが、改めてその大事さを感じました。

ギャラリーを訪れた何人かの方に、こういうギャラリーという場所で、長い時間話をしてくれる人に会ったことがありませんねと言われたことがあります。いくらかのビジネス・トークはありますが、僕はそれよりも、もう二度と訪れないかもしれないこの時間を出来るだけ楽しんでもらい、作品や作家への興味や捉え方などの手助けになればとの気持ちが強いだけなのです。これも、無意識に人との出会いを大切にしたい気持ちが働いているのだと思います。

会場ではPC操作をしていたので、場内の様子の画像がありませんが、その前にギャラリーでのハービー氏の画像がありますので、アップしておきます。




最後になりますが、今回のイベントで司会・進行を快く引き受けて頂いた、ブリッツ・インターナショナル代表 福川芳郎氏、僕なんかよりよっぽどしっかり仕事をこなしていたデザイナー学院の小倉君、遠藤君、日野さん、ギャラリーオープンからお世話になりっぱなしの宮城県芸術協会の小出さんに、心より感謝致します。


会期はまだ2週間あります。皆様お誘いあわせの上、是非、オリジナル・プリントを見に来て下さい。ハービー氏へのメッセージも会期終了まで行うことに変更し、その後おひとり様を選考させていただき、写真集を進呈する予定です。

2009年12月13日日曜日

ハービー・山口スペシャルイベント当日です。

ハービー・山口スペシャルイベント当日です。


天気予報は晴れのち曇りのようですが、窓から見える空はどんよりと曇った感じです。このまま雨が降らないでいてくれることを祈るばかりです。

この歳にして、不安や期待やなんか色々な感情が渦巻き、少しテンションが上がり気味です。元来の上がり症なので、会場でパニくってしまうのが怖いのですが、何とかなるでしょうと言い聞かせながら着替えを終えたところです。

polkaは事無げに、いつものように前足に顔を乗せながら、ソファーの上で寛いでいます。餌も食べ終え、今日の朝の一仕事は終わったような感じで、部屋でうろうろしながら着替えをしていた僕を眺めていました。

実は僕の部屋はギャラリーと同じビルにあり、通勤手段がエレベーターという便利さなのです。今日イベントで使用するPCはギャラリーにあるデスクトップですが、すでに梱包しているので、今は部屋にあるPCでこれを書いています。

これからギャラリーに降りて、持ち込む荷物の最終確認をします。

なので、イベント状況は明日にでも報告します。

では、参加して下さる皆さん、会場でお会いしましょう。

2009年12月12日土曜日

昨夜は「マクベス」、明日はハービー・山口スペシャルイベントの日です。

昨夜は、NHK芸術劇場をまた見ていたのですが、放映された舞台は仲代達矢さんが主演で無名塾公演の「マクベス」でした。「マクベス」はシェークスピアの4大悲劇のひとつで、多くの劇団で公演されていますし、僕も何度か観ていたのでストーリーは分かっていました。


今回の公演会場は、石川県七尾市の能登演劇堂というところで、初めて耳にするホールでした。番組冒頭の解説によると、1985年、無名塾が合宿をこの地で行って以来、旧・中島町(現・七尾市)との交流が始まり、1995年に仲代さん監修のもと、演劇専門の公設ホール能登演劇堂が造られたとのことでした。

そして、このホール最大の特徴は、舞台正面奥の大扉が観音開きで開放されると外の自然風景を借景する大掛りな仕掛けがあることです。合戦の場面では外から本物の馬が走りこみ、有名な森が動く場面では、50人の市民がエキストラ出演していました。

外の情景を生かす試みは、野外でのテント芝居やシアターコクーンで実際目にしたことはありましたが、この舞台はその域を超えているように感じました。演目が「マクベス」だったこともあり、非常に効果的だったように思えます。昨日はこの演出が見たくて、テレビをつけたようなものでしたので、大変満足です。

話は変わりますが、いよいよと言うかやっとと言うか、ハービー・山口スペシャルイベントが明日になりました。今日の営業終了後と明日朝から、会場へ持ち込む荷物を準備する予定です。引っ越し荷物のチェックではありませんが、チェック表を作って備えないと絶対何か忘れるような気がします。物事は段取りでほぼ決まってしまいますからね。

気になるのはお天気です。今朝も昨日からの冷たい雨が降っています。天気予報では今日の午後には止み、明日は晴れのち曇りとのことですので、信じてみようかと思っています。会場は地下鉄地上出口からすぐ見えるほど近いですので、小雨なら影響は少ないとは思いますが、やはり晴れていてほしいものです。

そんなことを書きながら、前述の舞台も雨の日はどうなったのかと、ふと思いました。役者さんや馬は大変だけど、それもリアリティーがあって、面白かったのかもしれませんね。

明日のイベントでもリアリティーはもちろん大事ですけど、ほんの少しだけ現実を忘れられるようなそして忘れていた何かを感じられるような、そんなイベントであってほしいと願っています。

明日はもしかするとブログ更新が出来ないかもしれませんが、状況は追って紹介する予定です。

2009年12月11日金曜日

徒然なるままに

寒さは僕だけではなくてpolkaも感じているらしく、朝や帰宅後にガスストーブを入れるようになってからは、近くの椅子の上に丸まっている姿が多くなりました。いつもは、リビングのソファの背もたれ上に鎮座しているのですが、温風が出ている近くの方がいいみたいです。


付き合い始めてから10年を過ぎています。人もそうですがいつもそばにいると、姿形の変化にあまり気がつかないものです。polkaもでっぷりと垂れ下がった下腹以外は、ここ数年ほとんど変わってないように、僕の眼には見えます。

以前は、ほぼ毎日のように写真を撮っていたのですが、カメラの眼を通してもあまり変わりない姿を確認しては、ずっと変わらないままここにいるのかな、などと思っていました。

多分1年半前に撮ったのがこれです。




プロフィールにある画像はもっと以前のもので、5年ぐらい前ですので、あまり変わっていないですよね。


僕の方はと言うと、今は昔の知り合いにはほとんど会うことが無くなったのですが、たまに会うと変わったと言われることが多いです。まぁ、年相応に髪も薄くなってきましたし、皺も増えていますので、しばらく会っていない人にとって変わって見えるのは当然と言えば当然のことです。

大学の入学式に受付で父兄と間違えられるくらい老け顔だったのが、年齢とともに追いついてきて、追いついたと思ったらさらに老けてきた感じがしないわけではないのですが、この10年以上公私とも年上の方との付き合いがなく、精神的にはまだまだ若いとは思っています。(体力的には老いを感じつつあります)

今日はほんと徒然なるままに書いているような感じです。

最後にひとつ、O髙君へ。

昨日ネットで電報を頼んだのですが、「はしごだか」の漢字が使えず、しょうがないので一般的な高にしてしまいました。ほんと、ごめんなさい。

明日の結婚式が盛況につつがなく行われることを心からお祈りしています。

2009年12月10日木曜日

匂い 遠い記憶

一昨日の爆笑問題のニッポンの教養を見ていたら、何かとても懐かしい気持ちになりました。番組は「何か においます?」のタイトルで、匂いに関する最新の情報を紹介していて、訪ねて行った大学が東京工業大学(以下東工大)でした。


僕が初めて東京で一人暮らしした場所が、当時は東急目蒲線(今は目黒線と多摩川線に分かれました)の大岡山で、その駅前に東工大はありました。春先には行内にある桜を見に行ったりしていましたし、20分程度歩くと、洗足池もあり、東工大の前の通りから洗足池までがちょうどよい散歩コースでもありました。

その頃の大岡山は、高層のマンションもなく、目立って学生が多いというわけでもなく、とても落ち着いた雰囲気でした。駅前の東急病院沿いのイチョウ並木の坂道を下ったところを左折してすぐのところに、僕の住んでいた安アパートがありました。

番組では、匂いに関する分析やデータ化、そこから匂いを作り出したり再現したりする技術を見せながら、匂いの持つ意味のようなものを話していました。匂いって、人の記憶を呼び起こす作用があると以前から思っていて、僕にとっては、銀杏の臭い匂いを嗅ぐと大岡山を思い出しますね。

また、匂いは非常に弱い感覚だとも思っています。海外に行くと空港でその国特有の匂いを感じることがあります。(特にアジア圏では)それでも何日かそこにいると、それほど感じなくなってきます。変化点では非常に敏感だけど、持続性の少ない感覚なのかなと思っていました。

嗅覚は、他の視覚や聴覚とは違う脳の部分で認知していて、ある意味本能に近い、とても原始的な感覚であると言われています。また、「匂い」は感性や想像力を刺激し、快不快に直結するいっぽうで、視覚情報や先入観に左右されやすく、体調や好みなどによっても感じ方が変わってしまう、つかみどころのないものだとも話されていました。

ギャラリーに来られる方は、誰しも感じていると思いますが、常にアロマが漂っています。理由付けは色々出来ますが、良い香りの中で作品を見て頂いた方が、精神衛生的に良いかなぐらいの感覚です。最近は「アロマディフューザー」と言うらしく、仙台でギャラリーすることが決まった時に、東京の知人からいただいたものです。



この方は結構個性的な女性なのですが、何より気を遣わなくても良い(失礼な言い方かな)ので、話をしていてとても楽しいのです。また会う機会もあると思いますが、今はこのディフューザーにオイルを垂らしながら、いつも想い出しています。

2009年12月9日水曜日

この時期考えること

この時期になると年賀状と来年のカレンダーをどうしようかと考えます。


昨年まではごく限られた人にしか年賀状は出していなかったので、印刷してある年賀状に宛名を自前で印刷して出していたのですが、今年は枚数も増えますので、要検討です。

先日日本郵便のHPを見ていたら、今年から「ウェプポ」なる新しいシステムがありました。Web上だけでいろいろなデザインの年賀状が出せるようで、メールアドレスやツイッターIDだけしか知らない人にも、はがき媒体として届けられるようです。

システム的にセキュリティーの問題はどうなのかとは思いますが、面白い試みではあります。でも、普段メールやツイッターのやり取りだけで知っている人がはがきでの年賀状を欲しいのかなとも思うし、そうは言っても、年賀状ははがきだよねと思う人もいるので、それはそれで有りなのかもしれません。

まだ時間があるので、チョット考えます。

カレンダーについては、普段から自宅にも大きなものは置いていません。常にPCを動かしているので随時それで見たりすることが多く、卓上カレンダーを置いているぐらいです。ここ数年は自前で作ったものが多いですね。今もギャラリーのカウンターに置いています。図柄は自分で撮った写真を使用して、いつもはpolkaと花の写真の2種類を作っていました。と言っても、これはアート写真とは関係ありません。

まぁ、僕自身印刷フェチのようなところがあり、色々な用紙を使用しては試しているところがあるわけです。今年は、越前和紙がベースのはがき大の用紙に印刷し、市販のプラケースに入れて卓上カレンダーにしました。ちなみに、これが12月です。



今年は全然写真も撮っていないし、こちらもぼちぼち考えます。
なんか、あれこれ考えている内に、年を越してしまいそうな気もしますが、出来るだけ楽しんでいこうとは思っています。

2009年12月8日火曜日

オラファー・エリアソン  あなたが出会うとき

昨日の仙台は風が強く、「大雪」にちなんでとても寒い一日でした。昼間は次回写真展のDMを置いてもらう為、自転車で仙台市内を走っていました。時折陽が射すこともあったのですが、小雨が降ったり、曇ったり猫の目のような天気でした。午後2時過ぎにはみぞれのような雪がほんの数分降ったらしいのですが、これがそうだったのかと思えるような初雪とは感じられませんでした。


仙台では芸術全般については仙台メディアテークという文化施設が有名です。仙台メディアテークは設計を世界的な建築家である伊東豊雄氏が手掛けており、市の文化施設(図書館、ホール、展示場がある)でありながら、その外観や内部構造に建築物としてのさまざまな特徴を持っているので、そのデザイン性も含めて多くの方が見に来られます。

いつも、1階にある「NADiff」にDMを置かせてもらっているのですが、他にも多くのDMやチラシが置いてあります。時折、覗きにいっては、他に面白いものが無いかをチェックしたりしています。昨日はその中で、とても懐かしい名前を発見しました。

それは、オラファー・エリアソンです。

オラファー・エリアソンさんは、デンマーク生まれの現代美術作家で、色、光、鏡や霧などの自然現象を駆使して、インスタレーションを制作しています。手に取ったチラシは、現在、金沢21世紀美術館で始まった大規模な展覧会の案内でした。

Olafur Eliasson Your chance encounter  (オラファー・エリアソン あなたが出会うとき)
2009年11月21日-2010年3月22日  金沢21世紀美術館
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=45&d=460

オラファーさんの作品を、言葉や写真で説明するのは非常に難しいですね。その作品内部に身を置くことで、発生している現象を体験し、感じるようなものなので、実際に見に行かなければ分からないと言っても良いと思います。


オラファーさんの作品は2003年頃にネットで偶然知ったのですが、その後2005年末か2006年初めに北品川にある原美術館で展覧会が行われ、その時に初めて作品を体験しました。交錯あるいは一定の周期で動く光の軌跡や部屋全体に放された色彩の内部に入り込むと、当然非日常でありながら、何故か穏やかでもあり、また、適度な緊張感が自身の知覚を刺激します。とても不思議な体感だったことを、今でも覚えています。

お近くの方は、是非体験してみたらいかがでしょう。

そう言えば、原美術館に見に行った時に常設展示を制作すると聞いていましたが、どうやら伊香保にあるハラ・ミュージアム・アークに、今年の10月完成したようです。こちらも隣に牧場もあり、気持ちの良い場所です。また、行かれた際は、是非牧場直産のアイスクリームを食べることをお勧めします。

2009年12月7日月曜日

漢字・・・そんな感じじゃ駄目です

昨日の記事にあるO高君であるが、本当の高は「はしごだか」だったことが今朝分かりました。実際は、「髙」であったわけで、なんか申し訳ないことをしたような気持ちになりました。


名前については、それぞれ使用する漢字にも意味があり気をつけてはいるのだけれど、名字はもうすでにあるものの意識が強く、名前ほどは良く確認していないことが多いのです。本当に失礼な話だと思いますが、僕自身も初めての人に名前を正確に呼ばれることは少なかったこともあり、それについてはあまり気にもかけていなかったことがそうさせているのかもしれません。

ワープロやPCで文字を入力するようになってからは、特に名前だけではなく、あらゆる漢字が書けなくなってきている気がします。実際メモを取ったりする時に、漢字に迷い、ひらがなで書いていることが多くなりました。それでも、以前は読む方はそれほど苦もなかったのですが、最近は読みや変換した漢字ですらどの漢字を使うのかに迷うようになってきました。やはり、本や文章を読む機会が減り、かつ型どおりのビジネス文書ぐらいしか書かなくなったからかもしれませんね。

そんなわけで、このブログも少ないボキャブラリーの中で、自分が理解できる漢字でしか書かれていないと思います。もっと文才があり、より分かりやすい言葉を使って書けたら、どれほど世界が広がるかといつも思っています。

また記事を読み返していると、いくつか障害に関わるものがあります。ものごとの妨げとなる障害という漢字が、一般的に「障害者」に使用されているケースが多いですが、戦前は「障碍」との混同があり、当用漢字表により「障害」への書き換えが進んだそうです。現在、その「害」(負としてのイメージが強いのだと思う)の当て方を巡って、さまざまな分野で検討されているとのことです。

僕自身はその漢字以前に、あらゆる人(僕も含め)が「ショウガイシャ」だと思っていて、だからこそひとりで生きていくことが難しいと感じているので、どの漢字が適当なのかよく分かりません。だから、この人はこんなショウガイを持っているのに、とても凄いことをしているんだよと声高に言いたいのではなく、素直にその行為や表現に感動し、記事として載せているのです。見ているだけで、元気や勇気や前向きな力を貰えますから。

それにしても、日本語って、特に漢字はいろいろと当てられるので難しいですが、気をつけて使っていこうと改めて感じた次第です。そんな感じじゃ駄目です。

O髙君、電報を打つ時にはちゃんと伝えますので、許してね。

2009年12月6日日曜日

結婚します・・・僕ではありません

今週末、5月と7月、2回もギャラリーに遊びに来てくれた前の会社の後輩が結婚します。7月には奥さんとなる女性と一緒に来てくれて、今準備をしていると聞いていたのですが、はて、そろそろだよなと思い、メールしたところ、今月12日に式を挙げると分かりました。


本当はお祝いに駆け付けたいところなんですが、彼も気を使ってか、(来てほしくなかったのか・・・冗談)招待状も無かったので、先ずはこの場でお祝いをしたいと思います。

結婚おめでとう。O高君!!

7月に一緒に遊びに来てくれて、その時は何か遠慮がちに彼女の名前を口に出していたけれど、これからはちゃんと紹介してあげて下さいね。その日の夜遅くまで、楽しい時間を2人とすごせたことは僕にとっても良い思い出の一つになっています。

思い起こせば、僕の部署を離れ、毎週新潟へ行くようになり会う機会も無くなった折、久しぶりに蒲田での夕食の帰り際、駅前で「今日は彼女の家に行きますから。」と話したことが、初めて彼女の存在を知った時でした。

平日は東京にはいないし、土日も朝早くから出かけ、写真ばかり撮っていたのに、良くそんな出会いがあったものだと感心しながら、内心はとても嬉しかったです。

あれから、もう3年ぐらい経つのかな。

その後、会社を辞め、どうなっちゃうのか心配していたのが、引っ越しして一緒に暮らすようになった時には、親御さんにもすでに了承を受けていたらしく、やはりその辺はO高らしいなと思っていました。その後、色々とありましたが、僕も仙台に戻り、O高も就職を決め、そしていよいよ結婚ですね。

結婚前から同棲のように一緒に暮らしていると、結婚式後もそれほど変わりないと思われがちですが、実際はそうではないことが徐々に分かってきます。やはり、責任とか信頼とか目に見えない部分での重さのようなものが違ってくるかなと思います。

目に見えないものって、実は見えるものよりよっぽど重要で大切です。常日頃の生活の波に揉まれてしまい隠れてしまうものや慢性化した生活リズムの中で気付かなくなってしまったものに、後々取り返しのつかない大きな出来事が埋もれているかもしれません。

なので、これからも新鮮な気持ちで彼女を見守ってあげて下さい。

O高はそれが出来る人ですから。

本当に良かった。繰り返しこころからおめでとうと言いたいです。



済みません。今日はほんとうの日記のようになってしまいました。

2009年12月5日土曜日

レオン・フライシャーというピアニスト

レオン・フライシャー


NHK芸術劇場で昨夜紹介されたアメリカの81歳になるピアニストです。盲目のピアニスト・辻井伸行さんのことを以前記事として載せましたが、昨夜の番組で紹介されたこの方も、物腰の柔らかさの中に人としての強さがとても印象に残りました。

僕は本当にクラシックには疎く、番組を見るまでは全く知りませんでした。がっしりとした体格で、哲学者然たる風貌も漂わせ、とても81歳の老人には見えません。しかも、37歳の時に、後々判明したジストニアという大変変わった病気の為、右手が不自由になり、事実上の引退となります。20代に「100年にひとりのピアニスト」と称され、前途有望であったレオンさんにとって、それは僕らの想像をはるかに超えるほどの衝撃だったに違いありません。

このジストニアという病気は、演奏家の方には少なからずいるようで、番組に出演していた整形外科医の方も200名程の治療に当たったと話していました。神経系の病気で、その原因は脳にあるとは分かっていますが、いくつかの治療のどれが効果的であるかはまだ解明されていないようです。しかも、演奏家の多くは、演奏をする時に症状が現れる(指が勝手に曲がってしまうとかしびれ・麻痺を起こす等)ので、余計に心的苦痛を感じるはずです。

レオンさんはこの症状の為、35年間左手だけの演奏を行うかたわら、指揮の勉強もして、後進への指導という立場を取りながら音楽と付き合うようになります。90年代後半に、ボツリヌス療法により目覚ましい回復を遂げ、2004年には両手で演奏、録音出来るまでになり、再びピアニストとしてステージに立てるようになったと言います。

番組で演奏している様子は、一音一音を慈しみながら、ひとつひとつの鍵盤に向かっているように感じます。時に激しく、時になでるように、現在も治療を行っている指先が自然に舞っているかのようです。それは、40年もの長い間、なんとか右手で演奏出来ないかと苦悶しながら毎日ピアノに向かっていたことが、とても信じられない話のように思えます。

レオンさんはインタビューで、「私が病気になった時、ピアノではなく音楽に向き合うようになり、指揮を学び同時に指導者としての立場でいれたことが私の人生にとって非常に重要な部分を占めていました・・・そして、突然、私にとってもっとも大事なことは両手で演奏することではないと気付きました。」と話していました。

81歳という年齢で、後何年現役としてステージに立つことができるかは誰にも分かりません。

レオンさんはこうも言っています。

「コンサートは僕にとって冒険です。・・・人生はあらゆる可能性がある限り決してあきらめないことです。」

まさに、アーティストですね。

2009年12月4日金曜日

「ポラロイド」カメラ、10年夏に復活

「ポラロイド」カメラ、10年夏に復活


昨日発表されたニュースです。

ニュースリリースによると、写真関連製品を世界展開するサミットグローバルグループがこのほど、Polaroidブランドのライセンスを獲得。日本法人を設立し、国内市場向けにフィルムやカメラを販売する、となっています。

以前、このブログでも紹介したオランダのプロジェクト「THE IMPOSSIBLE PROJECT」とも連携し、来年春から秋にかけて、フィルムも販売されるようです。「SX-70」の復刻版や「Polaroid One」も復活するようで、楽しみですね。僕自身も、手持ちのSX-70がまた使用出来るかもしれないので、今後のラインナップに注目していきたいと思っています。

フィルムは、従来のものとは違っていると思うので、色合いやゆるい調子の再現がどの程度になるかがキーですね。現在、トイカメラも一部の女性を始め、人気がありますから、またまた再燃するのでしょうか。

そんなこともあり、今日はポラロイドで撮影し、コラージュのように作った写真集をひとつご紹介。


「Come Again」Robert Frank Steidl 2006年


歴史的写真集「The Americans」を発表したロバート・フランクのチョット変わった写真集です。「Come Again」は、自身でポラロイドを使って、スケッチブック1冊分にコラージュ作品を作り上げたものを複製した写真集です。ポラロイド部分にのみワニスをかけ、4色のつや消しインクで印刷されています。ばっと見、本物のポラロイド写真がつぎはぎで貼り付けられたように見えます。スケッチブック上についてしまったシミなんかも忠実に再現されていますので、写真集そのものが作品となっていると言ってよいと思います。

今年になって、文字通り「Polaroid」という写真集も発表しています。

それにしても、ポラロイド復活のニュースは、温故知新ではないのですが、とても嬉しいニュースではあります。

2009年12月3日木曜日

燐光群公演「ハシムラ東郷」

2,3日前の新聞に、舞台公演の記事が載っていました。


燐光群公演「ハシムラ東郷」エル・パーク仙台 12月8日、9日

このところ公演情報なんかはずっとご無沙汰で全く知らなかったのですが、へぇ、仙台公演があるんだといった感じで記事を読んでいました。

燐光群はわりと好きな劇団の1つです。主宰の坂手洋二さんの戯曲に惹かれて、毎回のように下北沢まで観に行っていました。と言っても、古くから知っていたわけではなくて、「ダルマさんがころんだ」を、スズナリの前から3番目の席で観たのが初めてでした。

最初の印象は、一言でいうとずいぶん説明が多い芝居だなでした。とてもメッセージ性が強く、ややもすればそれだけで拒否反応が出てしまい、芝居自体に没頭出来ない感覚になってしまいます。それでも、何回か観ていくうちに、坂手さんが描いている世界観や言葉の一つ一つの重さのようなものに感心させられ、そして表現というものの多様性に驚かされ、いつのまにか良く観るようになっていました。

燐光群は、スズナリを始め、比較的小さめの劇場で公演を行っていますので、最前列なんかの席になると、本当に役者が目の前で演じている姿が見られます。役者の息遣いまで感じられた上に、いわゆる小劇場での舞台設営のうまさも見ることが出来ます。

今回の公演は、目立った客演もないようですし、燐光群、劇団公演の新作として見られるのではないでしょうか。あるいはアトリエ公演のような雰囲気もあるかもしれません。クレジットを見ると、美術は島次郎さんがしているようです。坂手さん同様絵画から入った人ですので、2人のこだわりがどのような形で見れるのかも楽しみの一つですね。

残念ながら、僕は仕事で観に行けませんが、料金も非常に安い設定になっていますので、是非多くの人に観てほしい舞台です。

100年前にアメリカでもっとも有名であったコラムニスト、ハシムラ東郷と現在とがどんな形で繋がってくるのか、はたまた、坂手さんの決してシニカルではない眼で見つめた日本とアメリカの現在に至る関係を垣間見られるのではないかと思います。

公演情報は燐光群HPからどうぞ。

http://www.alles.or.jp/~rinkogun/
 
 

2009年12月2日水曜日

ハービー・山口スペシャルイベント準備中

ハービー・山口イベント機器リハーサルに行ってきました。


今回はDVDの映像と音声をスライドショーのように流しながらトークをしてもらうので、PCと音響・プロジェクターの接続確認が主な確認内容です。

PCはデスクトップをカートに乗せて運んで行きました。手持ちのノートは3年以上前のものなので、非力なのか、ドライブの関係なのか、音声が途切れることがあり、今年購入したデスクトップで行うことにしたのです。

受付でホールのカギを受け取り、係の人と一緒に3階までエレベーターで上がり、会場の重い扉を開けた途端、久しぶりの劇場のような空間に、懐かしい気持ちと高揚している自分を感じました。(役者でもないのに)

PCをセットして、係の人が音声機器やプロジェクターへの接続を行う姿を見ていると、不思議とモチベーションが上がります。いよいよ、再生となり、明かりが消され、映像が写り始まりました。やや遅れて音声も流れ始め、ホール特有の残響音も感じられます。それから、画面の調整に移りましたが、予想通り、少し手間取りました。

僕もプロジェクターを持っているので、PC側の画面設定とプロジェクター側のそれとの違いで比率が合わなくなることを知っていました。ましてや、今回会場で使用するプロジェクターが良く分からなかったので、この調整が主な目的だったわけです。

さまざまなやり取りがあって、映し出された画像がこれ。(ピンボケで済みません)




200インチの4:3仕様ですので、最後尾の方でも充分見えると思います。日曜日に近くの市庁舎前で行われたベガルタ仙台のパブリック・ビューイングで使用されたスクリーンが190インチで、ちょっと覗きに行った時に小さく感じたのですが、同様なサイズでも密閉された空間ではとても大きく見えます。


当日再度調整は必要だと思いますが、先ずは一安心といったところです。
それにしても、借りた時間が1時間だったのですけど、短いですね。
当日はさっさと行わないと、間に合わないかもと若干焦り気味です。

さて、お席の方はまだありますので、ぜひご参加していただければと思っている次第です。

イベント詳細はこちらから。
http://kalos-gallery.com/event/planning.html

2009年12月1日火曜日

「過去のない男」

昨日は日中陽が射して、いくらか暖かい陽気にも関わらず、午前中は雑務に追われ、午後から買い物やらこれから予定しているハービー・山口イベント機器リハーサルの準備などでいつの間にか夕方になっていました。夕食後やっと一息付けましたので、久しぶりに映画(DVD)を見る気になりまして、この映画を選びました。



「過去のない男」アキ・カウリスマキ 2002年


アキ・カウリスマキは、以前、カルト映画の巨匠のような言われ方をしていましたが、この「過去のない男」はカンヌでもグランプリを取った作品で、美男・美女が出てくるでもなく、決してハッピーでもないんですが、妙に心に響く映画です。アキ・カウリスマキの映画シリーズには労働者(敗者)3部作と言われているものがあって、これは2作目に当たります。

ですので、ストーリーも展開も明るいわけでなく、セリフ回しもいつものように非常に淡々としていて、何が面白いんだと思われる人も多くいるはずです。それでも、映像的には非常に美しいし、人生そのものを感じさせてくれる役者の演技や表情を見ているだけで、その味わい深さに魅了されてしまいます。音楽にクレイジーケンバンドの「ハワイの夜」と「Motto Wasabi」が、あまりドラマと関連していないところで採用されていたりしているのも面白いところですね。

アキ・カウリスマキの作品を見ていると、やっぱり小津安二郎の影響が強く感じられるし、ジャームッシュやベンダーズなんかも思い起こさせます。そう考えると小津安二郎ってすごい人だったんだなと改めて分かるわけです。あの黒澤明が自宅で熱心に「東京物語」のビデオで見ていたほどですから。

さて、「過去のない男」を一言で表すと、人間再生のドラマということになると思います。不幸にして過去の記憶を失ってしまい、徐々に自分の過去を知るにつれ、先ず、それが本当に自分であると理解し、認めることが出来るかですよね。でももっと重要なのは、記憶を失ってしまった今の自分を理解してくれる誰かが、そこにいるだけで、人は生きていけるということです。

アキ・カウリスマキは、ドラマチックにそして声高に訴えるのではなく、日常の生活の中にこそ見出せるものだと、静かに語っているように思えます。

それにしても、僕はこのフィンランドの映画監督の名前をいつも正確に言うことが出来ません。あの、ちょっと変わったフィンランドの映画監督とか映画のタイトルを言ってしまいますが、そうそう分かる人はいないのが現実です。やっぱり好きな人や物はちゃんと覚えようと思います。

おっと、そろそろ会場に行かないといけない時間です。それでは、又、明日。