2011年7月31日日曜日

「枠」

結局昨日は自転車も直せず、たぶん今日も無理だろうから、休廊日の明日午前中に直すしかないようです。まぁ、ギャラリー営業時は、ほとんど使わないし、出かけるといっても近場がほとんどですから、歩いていきゃあいいやと思っています。


写真を撮っていた頃は、週末はかなりの距離を歩いていました。今はホントに歩くことも少なくなり、行く場所も限られてきているので、時折世の中が狭くなった気分になることがあります。特に、構想やアイデアに煮詰まってきた時なんかは、何も考えずにただぼんやりと街中をうろついてみたくなります。

人の考えの及ぶ範囲、「枠」といったものは、その人自身の置かれた環境や立場にかなり大きく影響を与えます。僕たちは乱暴に言ってしまうと、世の中全体の巨大な「枠」の中でしか生きてはいけません。いわゆる常識や慣習といったものもその中のひとつです。或いは、土地、地域、もっと小さい町や会社、集合住宅内の細かな取り決めのようなものまでその人自身の考えを制限するものです。

それでも、思考と感情が違っているように、時々は「枠」からはみ出してみたいと思ってしまうのも人なんだと思います。以前に、似たようなことを書いたかもしれませんが、人それぞれが持つキャパシティーは自身で決めるべきではないし、人のフリ見てわが身を振り返る的な比較も必要ないようにも思います。

社会通念上、しちゃいけないことの多くはしちゃいけないと分かっているはずですから、それ以外の事について、自分の「枠」をはみ出したところで、実質的に怪訝に思ったり、困ったりするのはそれほど多くではありません。一番そう感じるのが自分自身であることの方が多かったりしますし。

その後の自身への影響を考えると、かなり大胆で勇気ある行動なんでしょうが、それが許される期間は案外短いものですからね。そうすることで、自分の持つ器も形を変え、伸びたり大きくなったりするものです。

いつも俯瞰した眼で眺め、冷静に判断し対応することは確かに大人として必要なことではあるけれど、もしも感情がそれを許容出来なかったりしたのなら、時に自分の「枠」をはみ出す行いをするしかないように感じるのは僕だけでしょうか。

2011年7月30日土曜日

適正であるかどうか

自転車がパンクしたようです。


4,5日前に後輪の空気がだいぶ抜けていたので、しまい込んでいた空気入れを出してきて、入れてはみたのですが、一日経つと元に戻ってしまう状態です。この2日は雨模様だったこともあって、使うこともなく放っておいたままでした。今朝確認すると、ますます抜けているので、修理しないといけないようです。

原因は分かっています。常日頃自然に空気が抜けていたのに気付いていたのですが、そのまま乗り続けたことです。おそらくは、釘や鋭利なものを踏んづけてそうなったのではなく、空気が抜けているチューブが折れるような形でどこかにわずかな亀裂のようなものが入ったのだと思います。

普段使用しているモノの多くは、動くことが当たり前だとの感覚があり、結構ぞんざいな扱いをされています。それでも、いつも使っているものはまだましな方です。たまにしか使用せず、普段はそこいらに放り投げられているモノは、いざ使おうと思うと動かないなんてことは良くある話です。

使用すればそれなりに劣化は進むものです。でも、使用していないからといってもそれはありえることで、常に動かしていた方が良い場合もあります。今回は、普段から使っているのに、気を使わな過ぎが原因ですから、自業自得ですね。

僕もそうですが、大抵の人は使い慣れた、自分に合ったモノを使用しているものです。ちょっと変わっているからとかなんか便利そうだと考え、購入したけれど、いざ使ってみると何か違っていたり、これはこんな時にしか使えないなと思ってしまうと、ほとんどは使わなくなるようになります。

愛着のある道具やモノを使うこと自体、とても良いことです。そして、それらが自分の思い描く通りに動いてくれたり、使い勝手も良く、自分自身にしっくり合っているのなら、むしろその方が良いとさえ思います。

でもね、時代や流行、自分自身ですら常に変化をしているわけですから、その時々で本当に適正であるかどうかを考えた方が良いとは思うのです。結局のところ、それらを使い、他の何か価値あるモノを生み出すのは、その人自身ですからね。

今あるものではここまでしか出来ないし、と思う前に、もしかしたら以前は使えなかったモノが使えるかもしれないとかこんなものはどうだろうかとトライすべきなんだと思います。
適正であるかどうかも、先ずは自分が決めれば良いこと。
評価は嫌でもおのずと周りがしてくれます。


さてと、早いとこ直さないと。

2011年7月29日金曜日

悩みどころは尽きないけれど

このところ、雨模様ばかりで湿度が上がり、鬱陶しい日が続いています。今年もゲリラ豪雨が多く発生すると言っているし、7月の終わりに来て梅雨が戻ってきたような感じです。


体調も気分も落ち込み気味になってしまいそうな毎日ですが、Love and Joy は絶賛開催中です。雨が降ってくると、やはり出歩くことも億劫になってきますけど、是非見に来て欲しいと思っています。

約1カ月という長丁場と思われますが、残すところ10日となりました。入場券をパスポート制にしているのも、何度でも見に来て欲しいからです。大抵の人は一度きりで、毎日が忙しい中、何度も見に来るなんて出来ないよと考えているのでしょうが、はたしてそれだけが理由なのかなと思っていました。

実際、僕も期間中何度か見に行った展示会はあります。(その度にお金を払って)もちろん、それぞれ違った理由はあるのですが、共通して言えることは、もう一度見たいと思わせてくれる何かがそこにあったことだと思います。僕の場合、知り合いの展示会に行くことはほとんどありませんから、純粋に作家の作品性や世界観、会場等に興味を持って行くわけです。偶然目にした案内を見ただけで、作家すら知らずに見に行くこともありました。

ギャラリーはその位置づけや場所柄もあって、見ず知らずの人がひょいっと訪れるところではありません。興味を持った方以外には見向きもされないものです。それでも、そういった人だけが密かに楽しめる場所であって欲しくはないと考えています。

だから、僕の今の理想は、もう一度見てみたいと思わせるだけのものをこの場で提供することです。しかも、限られた人々に向けてではなく、ですね。

その為には・・・・。

悩みどころは尽きないけれど、これもまた楽しみのうちです。

2011年7月28日木曜日

「おひさま」

NHK連続テレビ小説「おひさま」のメインテーマに歌詞がついたものが、現在YouTubeで限定配信しています。歌っているのは、平原綾香さんです。


現在、「おひさま」は、戦争が終わり、物が無かったり、質素ながらもそこで普通の生活を取り戻しつつある市井の人々が描かれているのだけど、主人公である陽子に子供が出来たことで、物語の核心に迫ってきた感じがします。


そこに来て、この歌詞ですね。ものすごくストレートさを感じさせます。

ドラマというのは、何も派手な演出や効果があって生まれるわけではなく、この世界に生まれ、生きているだけで充分ドラマになりうるものなのです。波乱万丈とか冒険活劇とか、人はそんな人生を面白がり、感心させられたりすることはあるのですが、実際自分がそうでありたいとはあまり思わないものです。

普通に自分が望むように生きていきたいと考えているはずです。でも、そんな日常の流れの中で、自分が望む姿にはなかなかなってくれません。それを憂い、不平不満を言いながら生きている人がほとんどじゃないかと思います。(僕も含め)

それでも、どこかに自分自身が大切にしている、拠り所とも言えるものがあれば、何とかやっていけると思ってもいます。人がそうだからとか、世間はこうだからということを抜きにして、自分自身だけの大切な場所や行いそのものです。形にならないものでもいいのです。

たとえそれが、他の人にとってはとてもちっぽけで、そんなことと思われたとしても、ですね。自分が自分である為に、その人の一生があり、ただそうしていることで、図らずも身近な誰かや知らぬ誰かに、例えば幸せな気持ちとかを与えられていたとしたら、それはもうドラマなのです。

2011年7月27日水曜日

Tanabata Night ! 「4つの出会い」

一昨日サイトでは告知していますが、改めてここでお知らせします。


現在会期中の Love and Joyは残り2週間となりましたが、最終日である8月7日(日)にエンディング・パーティーのようなものをします。

題して、

Tanabata Night ! 「4つの出会い」
日時 8月7日(日) 17:30-20:00(多分延長あり)
場所 カロス・ギャラリー
参加者 Love and Joy 参加者全員(佐久間さんは18:30頃からの参加になります)
     その他、写真を愛する人々(おそらく?) 予約不要、入退出自由
参加料は、¥300(パスポートチケットをお持ちの方はそのまま入場になれます。)

飲み物は、1ドリンク ¥300~¥500で提供する予定ですが、飲む飲まないは自由です。食べ物は若干用意しますが、追加等はしませんので、あらかじめご了承下さい。

また、この模様は下記チャンネルで、Ustream配信する予定です。

http://www.ustream.tv/channel/tanabata-night

七夕の夜に、Love and Joy 参加者4名との語らいを持っていただきたいと思っています。特に変わった趣向は無いと思いますが、是非とも集まって楽しいひと時を過ごしていただきたいと思っています。

今日は宣伝のみになってしまいました。

2011年7月26日火曜日

気付いてしまえば・・・。

さてと、いつもの一週間がまた始まります。そう書いてしまうと、変化も動きもなく、ただ時間だけが過ぎていくような印象を与えてしまうかもしれませんが、刻一刻と微妙に変化をしながら、日常は流れているわけで、それに気付かない事の方が多いものです。


ある日突然その事に気付いた時には、既に遅かったと思ったり、後悔したり、逆に感動や喜びを感じたりします。遅かったと思ったり、後悔しない為に何をすれば良いのと自分自身に問いかけてみても、明確な答えは返ってこないことが常です。そうして、今までしてきたことをハタと考えるわけです。

自分が望んでいることに対しては、人は積極的に物事を考え、達成するまでのプロセスを構想し、躍起になるものです。それ以外の物事は、仕事であることを除けば、頭に浮かぶことすらないのだと言えます。

人が考えた事のほとんどは、実現可能だと昔から言われています。そうした考えが、科学の進歩やさまざまな文化の創出、生活に役立つモノとして目の前に現れ、実際その恩恵を受けながら僕たちは生きています。

始まりはとんでもないこと、夢や戯言と思われていたとして、自分自身の為に実現したいと考えていることでさえ、結果として周りと関わりを持ち、影響を与え、徐々に浸透し、認められるようになることだってあるわけで、一概に馬鹿なこととは言えません。

でも、変化を嫌うのも人としての特性で、それが自分にとって害を及ぼしたり、周りの安心を脅かすものであればなおさらです。今、僕たちは変化を求められている時期でもあります。それは、個人としてだけではなく、身の回りにあるものや環境、そして社会全体として考えなければいけないことのように思います。

何も大それたことや、自分の今持っている力以上のことをして、変化していく必要はありません。しかし、少しの無理や苦労は必要なのかもしれません。倒れてしまっては元も子もありませんから、出来る範囲で変化し続けていけば良いのだと思います。

先ずは、自分自身の考えや思いといったものに気付くことです。

気付いてしまえば、そこから先はもうすでに決まってもいるのです。

2011年7月25日月曜日

穴倉に潜り込むクマのように

初めてギャラリーに来て下さるお客さんの多くは、入口の扉を見た瞬間に、穴倉に潜り込む感じを受けるかもしれません。入口はそこひとつだけ(実際は非常用にもうひとつドアはあります)だし、きっとここなのと思いながら小さな階段を降り、扉に手をかけるのだと思います。


重い扉を開けた先は、今は普段暗くしているので、本当に穴倉に潜り込んでしまったと感じるかもしれませんが、すぐに照明を入れるとその感覚はなくなります。とは言え、入口からはよく見えない奥の部屋に気付くとまた何があるの、と思うのです。

だから、どこからどう見ていけば良いかに戸惑う人もいらっしゃいますし、先に奥に行かれる方もいらっしゃいます。一見して白壁に包まれた窓の無い空間ですから、息苦しさを感じる人もいるかとは思うのですが、特にそんなことを聞くこともありません。

日差しが差し込むガラス張りのお店のように、明るい雰囲気ではないので、展示される作品によって中の表情も様変わりします。会期中のLove and Joyは、一言で言うと暖かい空間になっています。外は暑いのだから、涼しげな感じになっていればいいのにと思われる方には合わないかもしれませんね。

でも、心の中はいつも暖かく、心地よい状態でいたいと思いますし、扉ひとつ隔てた日常とはかけ離れた空間に違う暖かさを感じるのも良いのではと思っています。

実は、奥にある小部屋に窓はあります。今は外の気候によって開けたり、閉めたりとしています。先週2階のテナントに洋菓子屋さんが入り、オープンしたこともあって、時折甘い香りが漂ってきます。甘い香りもふと嗅ぐと、優しい気分になれます。今のところ、これは僕だけの特権です。

さて、今日はお休みです。ちょっと出かけたり、やらなければいけないこともあるのだけれど、ほんの少しだけゆっくりしようかと思っています。

そう、穴倉に潜り込むクマのように、心地よい音楽を聴きながら。

2011年7月24日日曜日

文化の担い手

仙台はこのところ祭りづいています。先週あった東北6県の祭りを一堂に会した六魂祭では予想以上の人出で一部中止になったりもしました。今日も、仙台駅東口ですずめ踊りを始めいろいろなイベントが行われます。プロ野球のオールスター戦もありますから、また相当数の観客が集まるのではないかと思います。


来月初めには、七夕祭り、そして東北各地でも恒例の夏祭りが次々と行われるわけですから、震災の影響で規模縮小をしているとしても、関わる人々のパワーには感心させられます。

以前に東北人は粘り強く、我慢強いとの件を書きましたが、やはりそれだけでは生きていけないのです。どこかでそれらを発散する機会が必要なんだなと思ってしまいます。夏の祭りが昔からのそういう場であったとしたなら、すごく真っ当な事のように感じます。

短い夏の期間に、一年の想いを乗せて、これまで溜めてきたエネルギーを一気に吐き出す、花火が一瞬の美しさや輝きを放ち、その直後に何も無かったかのように消えていくかのような美学にも似ているように思います。

そして、それは特別な日の特別なこととして、みんなが捉えているようにも思えます。この時、この場所でなければいけないし、この為に他の期間を一所懸命生きているわけで、その行為は自分自身のみならず、見ず知らずの人々に向けられてもいるのです。

これもまた自己表現のひとつです。あるまとまりに向けてひとりひとりがそれぞれの役割や立ち位置を考えながら、個々が表現しているものです。また、同時に地域独特に発生した文化でもあるわけですから、さまざまな決まりごともあるのでしょう。

でもね、個人的には自由に、そして伝統といったものだけにこだわる必要もないように感じます。だって、既にここにいる、そして表現者のひとりとしてあるのですから、それだけでもう立派な文化の担い手なのです。

2011年7月23日土曜日

くるり

最近、YouTubeで気がつくと、聞いている曲がこれ。

そう、これを聞くと栄養ドリンクが飲みたくなる人もいるかとは思います。普通に生きている、それだけで奇跡なんてかっこいいことは言えないけど、当たり前の日常が送れてりゃそれでいいんじゃないと思わせてくれます。かの井上ひさしさんも、「きらめく星座」の中で、浅草のレコード屋店主にそう言わせていたけれど、この曲を聞くたびにあの時のすまけいさんの演技を思い出してしまいます。


くるりは特に以前から好きで聴いていたわけではないけど、というよりほとんど流行りの音楽やテレビを見たり、聞いたりすることが無い時期があったので、知らなかっただけと言った方が正しいですね。

その他では、やはり「バラの花」や「東京」あたりを聞いていると、遠い昔東京に出ていった頃を思い出したりします。何か、懐かしい感じで、スゥーと自然に入ってくるのですね。フラッシュバックまではいかないけど、それに近い感覚を受けます。

今の若い人が耳にした時のそれとは明らかに違っているように思うのです。これって、仕方ないことだし、逆に同じに思えてしまったらおかしなことです。でも、年齢が違ってもそれぞれに受け入れられるものには、やはりどこかに共通点があるのだと思います。また、それが、それぞれの人にとって違っていたとしても、それらを超える何かがあるということです。

きっと、人本来、誰もが持ちうるものであることは分かっているのですが、明確な答えは出てこないのだろうと思うし、そうであった方がむしろ良いのでしょうね。

分かってしまったら、つまらなく思えてしまうかもしれないし。

「バラの花」と「東京」のライブはこちら
http://www.youtube.com/watch?v=lgVdcRvcUOs&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=yf2lezplQQ0&feature=related



2011年7月22日金曜日

Love and Joy 情報

やや寒い感じもするけど、過ごしやすい天気ですね。ギャラリーで自動運転させている除湿機も昨日から停止状態で、それだけ湿度も低いわけです。


さて、今日は、Love and Joy 情報のご連絡です。

先ず、平間理恵さんの展示が、24日(日)から若干変わります。以前見に来られた方は、印象が少し違って見えるかもしれません。大きな変更ではありませんが、当初からの予定されていたものです。是非お楽しみに。

次に、参加者の在廊予定です。

23日(土)平間理恵さん

24日(日)佐久間直美さん、樋口清之さん

今のところ、今週末はこんな感じですので、実際に制作、発表している参加者と交流を持ちたい方は是非いらして下さい。

最後になりますが、まだ詳細は決定していませんが、最終日の8月7日(日)夕方から打ち上げのようなものをします。始めは参加者と僕の内輪でしようと考えていたのですが、みんなに来てもらってわいわいしながらエンディングを迎えた方が、タイトルに合っていていいなと思い、若干の食べ物、飲み物を出す予定です。

入場料は変わりませんし、既に来られている方はそのまま入ってきていただいて構いません。飲み物だけワンドリンク¥300から¥500で提供しようと考えています。

詳細は、別途サイト等でご連絡する予定ですので、是非とも来ていただきたいと思っています。もちろん、参加者全員が揃っています。

何か終わりのような物言いになっていますが、Love and Joyは今週でようやく折り返しです。まだまだ、この世界は続きます。

終わったとしても、見に来てくれた皆さんの周りが、Love and Joyで包まれることを願っています。

それには、先ず見に来ていただかないとね。

2011年7月21日木曜日

休息

台風による雨も峠を越え、昨日から急に寒くなりました。今朝も20℃を切っていると思われ、涼しさを通り越して、半袖では少々寒く感じます。こうも寒暖の差が激しいと、身体が対応しきれない人も多くいるので、休息を積極的に取られた方が良いと思っています。


あえて、積極的と書いたのは、仕事やプライベートにおいても忙しさが当たり前になっていて、何かに急かされながらでも(内的にも外的にも)動いていることが、充実した生活(経済的に)を送れているような錯覚をしているのではと感じているからです。

寝ること自体は物理的な休息で誰にでも必要なものです。疲労のあまり、知らぬうちに寝てしまっていることは良くあることですから。身体が本能的に求めている休息ですね。

でも、大抵の人はそれだけでは、休んだなという気分というか雰囲気にはなれません。肉体的な休息以上に、頭や心の休息が満たされることを望みます。いつもと違った美味しいものを食べに出かけたり、いつもとは違う土地に旅行に行ったりするのは、決して肉体的に休息しているわけではなく、むしろその為にエネルギーを割いているとさえ言えます。

これは、その時受ける満足感と密接に関係しているのだと思うのですが、期待以下であったりした時には、それに要したエネルギーを遥か越える疲労度が残るものです。つまりは、頭や心の感覚が実際の疲労度を増長するわけです。

でも、そういう期待感を持たないで、何もしないでボーとしていることが休んだということになるかと言えば、そうではないことは誰もが分かっていることです。人ってとても面倒な存在なんですね。忙しさの中では、少しでも休みたいと思い、いざ休みを取り自分の望むことをしていても、それが自分の想像通りで無かったりすると、全然休みになってないじゃないとか思ったりするのですから。

じゃぁ、どうすれば積極的に休めるのということになります。個人的には、身体の疲労は嫌でも蓄積され、それを解消することに積極的に働きかけなくても自然の内に休む方向に行くと思っています。ですので、頭と心の休息を積極的に自分自身に働きかけることが必要だということです。

その一歩として、先ずは自分自身の興味が無いことでも、取りあえずは受け入れてみることが大事です。頭ごなしに、これはダメ、あれは合わないと思わないことですね。さらに良くないのが、無関心であることです。


僕自身ここで写真ギャラリーを行っていて、人以上に写真に関わりを持ちながら日々を送っているのですが、写真の事だけを考えて、興味を持っているかというとそうではありません。本当はいけないのだとは思っていますが、写真とは関係の無いものとの出会いが思わぬ展開を見せることだってありますし、それに接することで休息を感じられることもあるのです。

頭や心が疲労してしまわない為にも、与えられるのを待っているだけではなく、自分で動くことも時には必要なのです。

2011年7月20日水曜日

自らへの問いかけが共感へ変わる時~樋口清之

さてと、今日で4人目、最後の紹介になります。


福島県福島市在住の樋口清之さんです。

「日々から日々へ」、タイトルから想像されるかもしれませんが、彼は日々の家族との日常を撮影しています。家族を撮る行為は、主に記録や記念であり、日常茶飯事的に行われないことの方が多いと思います。

なぜなら、あまりに個人的であるがゆえに作品たらしめることが難しいし、やはり家族で後にアルバムを開きながら懐かしがったりすることの方が多く、見る方にとってもその印象が強い為、本来表現したい部分が薄れてしまうからです。

僕が彼のそういった写真を初めて見たのは、一年以上前のことです。他の違った対象の写真もあったのですが、不思議なことにこの一番作品化が難しいと思われる家族の光景を切り取った写真に、僕は引っかかりを感じたのです。引っかかりとは、まだ何物かは分からないけど、何故か妙に気にかかる、まぁ、直感みたいなものです。

でも、その時点では具体的にどうすれば良いとか、それで何が表現出来るかといったところまではいかなかったし、彼自身も作品化することは考えていませんでした。むしろ、こんなものを展示、発表することに何の意味を持つのかと疑問すら感じていたかもしれません。

あれから、日々が過ぎ、彼自身にもさまざまことが起こったのでしょうが、”Love and Joy”の参加募集も知らないまま、ギャラリーへ訪れてくれました。そして、写真を展示・発表したいと話してきたのが始まりでした。僕はすぐに以前見た家族の写真を思い出しました。それと同時に、”Love and Joy”とのつながりを意識し、彼に参加を勧めたのです。

彼の撮った家族の光景は、それだけを見るととても地味で、思わず目をみはるような類ではありません。かといって他人の家族アルバムを見ているような感覚にもなりません。それは、見る側にとっては非常に不思議な感覚だと思うのです。何故なら、作品全体に流れる彼自身の家族に対する眼差しや距離感といったものが、普通に家族と接する時に起きるであろうそれとは明らかに違っているからです。

ポートレイトを撮る場合、コミュニケーションが必要で、撮る側と撮られる側との距離感を良く言われますが、彼の写真の中にあるモノや人はまさにいつでも一緒にいるといった一番距離の近いものばかりです。ここで、そういった距離感云々を語ることすら、おかしなことです。

しかも、テレビや映画のようなドラマは、日常で起こり得るかというとそうではなく、日々淡々と過ぎていくものです。それらを期待しているのなら、むしろこのような写真を撮る意味はないわけで、それこそ記念写真として残せば良いことです。

彼はそんな難しい課題を自分に課し、あえて表現を試みることで自分自身に撮ることの意味を問いかけているのです。問いかけの結果が、見る側にどんな作用を起こすかは、見る側自身の経験や感性の部分に委ねられます。


もし、この壁面一杯に展示された作品を見て、彼自身への問いかけに共感を持たれたなら、ここにある光景のひとつひとつは彼自身のものだけではなくなるわけです。


おそらくは、彼もそれを望んでいるのだと、僕は思います。

2011年7月19日火曜日

静寂に隠された生への息吹~清信一芳

昨日は早朝からなでしこジャパンの快挙でテンションが上がってしまい、紹介記事を載せませんでしたので、今日が3日目のものとなります。


さて、3日目は、清信一芳さんです。

彼は福島県南相馬市在住の方です。2月のSha-gaku vol.2で初めて写真作品を展示してくれて、その会期中にこの”Love and Joy”に参加したいと言ってくれました。ギャラリー主催の展示会に参加をしてくれた多くの方は、その展示が終了し、発表出来るようになった時点で、既に次の発表を考えるようになります。

一仕事終えたのだから、少し休んでからと思いがちですが、おそらくはこの展示で得た経験や自分の今の立ち位置みたいなものが見えてくることが、次へのモチベーションに繋がるのだと思います。この傾向は初めて展示をしてくれた方の方が、高いように感じます。つまり、楽しさや苦しさも含め、自身を発表することの意味をそれぞれに掴み、その価値を見いだすのじゃないかと思っています。

前置きが長くなりましたが、ご存じのように現在でも南相馬は大変な状況です。震災前の段階で、大まかなテーマと作品はほぼ揃っていて、僕もその内容に異存もなく、すんなりと進むものと考えていました。

そして、この震災です。すぐに無事は確認出来たものの、原発の問題がさらに状況を悪化させました。誰もが分かるようにそれどころでは無くなってしまったわけです。そして、この時期に作品を発表することの意味を彼は深く考えたと思います。

でも、僕自身、”Love and Joy”として、これだけは皆さんにお見せしたいと思う作品がありました。だから、もし参加が出来ないとなったとしても、無理言ってこれだけでも出展して欲しいと話そうと思っていました。それが、展示作品の左から3番目にあるB2サイズのものです。サイトの作者紹介のimage01です。

http://kalos-gallery.com/exhibition/current_exhibition.html


『僕らの日常は素敵なモノに囲まれている』


彼が撮影した写真の視線の先には、何気ない日常とそれらに包まれ生きている人間との関係性がはかなくも刹那的に見え隠れしています。いとおしいままに素直な気持ちでそれらと向き合い、優しい色調の美しさだけではない、力強さすらそこにはあります。

タイトルやイメージの優しい印象とは裏腹に、ここに住み、生きることの意味や周りと自分との調和や対立をも写真として撮りきろうとする覚悟のようなものを感じさせます。

一見して、静寂に包まれた世界観の中に、何かふつふつと湧きあがる「生」の息吹にも似た感覚を得られたのなら、あなた自身も今、素敵なモノに囲まれた世界で生きているひとりなのだと、僕は思うのです。

2011年7月18日月曜日

奇蹟なんかじゃない。 なでしこジャパン優勝!

奇蹟なんかじゃない。


なでしこジャパンがやってくれました。祝日の朝早く、たくさんの人が見ていたのではないかと思います。史上初とか歴史的快挙とかいろいろと話題に挙げられ、それはそれでスゴイいなと感じ、とても元気をもらっていましたが、正直、アメリカとの決勝は厳しいと感じていた人は多いのではないでしょうか。

これでまた、奇蹟的だと言われるのでしょうが、僕はそうは思いません。もちろん、いくらかアメリカよりも運が味方してくれたとは思います。でもね、今日は不思議と、2度目の同点になる延長後半12分まで、もう駄目だなとは感じなかったのです。120分近く動き回っているのですから、疲れない方がおかしいわけで、その為いろいろなミスも出るのですが、それが目立って表れてこなかったからですね。

延長での同点ゴールだって、普段からそういうフォーメーションの練習をしていると思います。決してその場で思いついて出来たことではありません。もしそうだったとしたら、ホントに奇蹟なんだろうけど、練習で出来ないことは試合では出来っこありませんからね。

今日出場している選手の多くが海外でプレー経験をしています。何も知らない人がそう聞くと、海外でサッカーをしていてすごいねと単純に思うかもしれないけど、最近の男性のそれとは違って、所属チームが解散したり、企業がサポートを止めた為に、国内で続けられなくなり、単身海外へ出ていった選手も多くいます。今だって、国内でプロ契約している選手は少ないのですから。

それほどサッカーが好きで、続ける覚悟を持っている選手だからこそ、成し得た結果なのです。
もう一度書きますが、これは決して奇跡ではないのです。

奇蹟ってあり得ないことが起きることだけど、それを信じ、ずっと続けて来て、ようやくチャンスが巡ってきて、しっかりと手に入れたわけですから、選手の心の中では、いつも想っていたことが起きてしまったという方が正しいことのように思えます。

奇蹟だと思っているのは、実は外で見ている僕たちだけなのです。

夢や戯言だと揶揄されたって、信念や生き方をすぐに変えるわけにはいかない。そんな強さを感じさせる彼女たちは、古くから日本女性の美称とされる「なでしこ」が今一番似合う女性たちでもあるのです。

2011年7月17日日曜日

撮ることへの潔さ~平間理恵

2日目は平間理恵さんです。


平間さんは震災前にギャラリーに訪れてくれて、Love and Joyに興味があると話していました。それから数日後に震災となり、もう参加は無理だろうなと思っていた矢先にメールが届き、参加をされた方です。

初めて、L版やKG版でまとめられた写真を見せてもらったのが、3月19日だったと思います。彼女自身でまとめられたそれらを見ていると、素直な感性の中に、撮るべきものが無意識に分かっているような印象を持ちました。良く見かける何となく素敵な写真とは違って、おそらくは、そこから説得力のような部分が感じられたのです。

その時点ではまだ彼女自身では気付いていなかったと思うのですが、僕は今僕が感じた部分を構成していければ、きっと伝わるべきものが出来ると考えていました。それから、中断もありながら、メールや打ち合わせを重ねていく内に、徐々に彼女の中でも固まってきたように思います。展示状況はこちらです。


木製パネルにプリント品を貼り付け、あるテーマのもと(ここでは言いません)に壁4面に渡って展示されています。もともとフィルムカメラで撮影されたものですが、今回はネガをスキャニングして、インクジェットでプリントしています。彼女にとっては、展示も初めての上に、このような制作も初めてでしたから、さぞ不安だったと思います。と同時に、徐々に作品化されていく写真ら(彼女は自分の子供らと言っている)に対して、喜びにも似た感情が湧いてきたように僕には感じられました。


彼女の作品は、一言で言ってしまうとストレートです。撮る対象にも作品を見る人々に対してもですね。撮ることへの潔さすら感じさせてくれます。

今は、女子カメラという言葉がある程に、多くの女性がカメラを手にして、写真を楽しんでいますが、是非そういう方には見ていただきたい展示です。もちろん、僕のようなおじさんでも、おそらく感じることは出来ますよ。

さて、今日も、東北六魂祭です。昨日と同様にものすごい数の人々が見に来られると思います。朱の半被(だと思う)を着て、すずめ踊りを踊っているちょっと背の高い女性が彼女です。

2011年7月16日土曜日

歴史は繰り返される~佐久間直美

Love and Joy は今日が一週間目です。まだまだ始まったばかりといったところですが、今日から出展者の展示と作品の紹介をしようと思います。実際、先入観無しに見てもらった方が良いのですが、興味や参考になればと考えています。


なので、これは僕のレビューではありません。機会があり、見て下さるお客さん自身がそれぞれを評価されれば良いことですから。

では、一日目の登場は、佐久間直美さんです。


佐久間さんは、既に個展もしており、仙台でも精力的に活動をしている写真家のひとりです。今回は今までとはまるで違ったイメージ、テーマにより作品を発表しています。もともとは、以前開催したPhoto Showcaseの打合せの時に、持ち込んできた大量のベタ焼きの中から、僕が気になって、これいいですねと言ったことが始まりでした。

佐久間さん自身も作品として捉えていなくて、プライベート写真のひとつと思っていたようです。Photo Showcase向きではないけど、Love and Joyなら面白いかもしれないと思い、今回の展示となったのです。展示状況はこちら。

プリントは暗室での手焼きで、2枚一組のような形で、4組、合計8点になります。プリントサイズは大全紙です。大全紙というと最近ではあまりピンとこない方が多いと思いますが、508×610mmとかなり大きいです。暗室作業をしている方は分かりますが、ちょとやそっとじゃ、プリントしようとは思わないサイズです。

それらを額装せずに、上下にカレンダーで使用されているような桟と角材でプリント品を挟みこみ、少しだけ壁から浮かせた形で展示しています。見に来られた方は、必ずと言って良いほど、どう展示されているのと思ってか、裏側を覗きこもうとします。

このような形になったのは、佐久間さん自身があまり大げさになり過ぎるのを嫌ったことがあります。僕もそれには賛成でした。そして、同時に「ちょっと浮かせたいのよね」といたずらっぽく話されました。だから、僕が今回お手伝いしたのは、作品を浮かせる方法を考えるだけと言ってもよいですね。

歴史は繰り返される。たとえ、オオゴトではない、家族や家庭の中でさえ。そういう繰り返しが日々の営みであって、もっとも大切なものなんだよと改めて思わせてくれます。

2011年7月15日金曜日

火中の栗

現在、期間限定のギャラリーレンタル企画「個展、グループ展をしよう!!」で、写真展をしてみたい方々の募集をしています。


http://kalos-gallery.com/rental/rental_gallery_guide.html

申込み期限が、7月18日ですから、今週中になっています。僕としては、もう少し延ばしてもいいとは思っているのですが、制作、準備を考えるとぎりぎりかなと考えてそうしています。でも、大丈夫だからと思っている人は、申込み期間を過ぎても相談には乗りますので、お問い合わせ下さい。

その中で、以前Sha-gau vol.2に参加して下さった、篠原さんが音頭取りをして、チャリティー写真展”PHOTO AID in Miyagi 2011”を行う予定にしています。Sha-gakuのように、壁面をひとりひとりが使用して、自分の作品を発表する形になっています。期間は今のところ2週間、既に相当数の参加者が見込めているようですが、もし、今悩んでいる方は是非参加をして欲しいと思っています。詳細はこちらです。

http://maruta.be/photo_aid_miyagi/2

今回は、僕が主催するわけではありませんが、参加される方の希望により、サポートはさせていただきます。また、参加される予定の方は、実際にギャラリーを見て欲しいと思っています。展示経験のある方なら分かると思いますが、そのスペースの雰囲気や形は作品の見え方を変えるからです。逆に、こんなスペースだからこうしようとかアイデアが浮かんだりもします。

誤解を承知で書いてしまいますが、時には自分の気持ちに従い、損得抜きに直接行動に変えることが必要です。何故こんなことを、どうして今しなくちゃいけないのと、したり顔で話し、決して自分から火中の栗を拾おうともしない人たちを、僕はたくさん見てきました。また、同時にそんな人たちだけで社会が成り立っていないことも、たくさん見てきました。

作品を発表することは火中の栗を拾うことではありませんが、もし、あなたの心の中にくすぶり続ける熱いモノがあるのなら、それを自ら拾い上げないで、誰が拾い上げるというのでしょうか。

2011年7月14日木曜日

自由であること,自然であること

今日は朝4:00から、なでしこジャパンの試合を見ていたこともあって、まだ9時前だというのに、気持ち的にはすっかり昼のような感じです。通りでは会社へと向かう人波がいつものように見られるのだけど、この中の何人かは寝不足の目を擦りながら、今日は一日が長いなと感じているのかもしれません。


ギャラリーを始めてから、分刻みというか、カツカツで仕事をすることが無くなった分、時間がゆっくりと進んでいるように感じています。それでも、たまに瞬間的に決めなくちゃいけないような時はあるもので、しかもそういう時に限っていくつかのことが重なることが多いわけで、やはり瞬発力も必要になります。

締め切りや期限に追われている内は、自分がしているという感覚よりさせられている感覚を受け、嫌になったりすることがあるのだけど、でもそれすらないような場合、している感覚自体どこかに置き忘れてしまったりするものです。事が他者に影響を与えてしまうものであれば、仕事であれプライベートであれ、やはり自分で目標なり、スケジュールを決めて行います。

一方、自分の中で全てが完結することに関しては、なかなか進んでいかない方が多いようです。自分なりの目標を掲げたとしても、そこまでのプロセスがあきらかに違っています。中断や猶予、或いは設定の変更も自由ですから、システマティックに物事が進むわけがありません。

自由であることは、一見して良いように見えたりするけど、自分で設定したことの達成や完結に対しては、不安定要素の何物でもないわけです。だから、時に自分で縛ってみたり、えいやと瞬間的にしてしまってみたりして、自由であることを拒否することも必要になります。そして、それらの行為は、他人には不自然に見え、自分ですら違和感を持ったりするものです。

実は、自由に見える人でも、大小あるにせよ、同じような感じを持っていると思うのです。でも、その人がそう見えるのはそれが不自然ではないからなのです。

当たり前ですが、自由であることと自然であることとは、似ているようだけど全く違ったものなのです。

個人的には、自然でありたいと思っています。

2011年7月13日水曜日

心の中まで、節電したってしょうがない

暑いね、暑いねと言っていると一層暑さを感じるし、その上で節電、節電と言われちゃうとますます暗くなってきそうですが、実際、お客さんのいない時のギャラリーは暗い状態です。外から中が見える場合だと、やはりある程度照明がついてないと、ホントに営業しているのと思ってしまうけど、ギャラリーは外からは見えないですから、その点は心配していません。


入って来られるお客さんも、一瞬オッと思うようですが、スポットに明かりが入ると普通に見て下さっています。湿度の関係でエアコンは時折入れる必要があるのですが、休みなど、基本僕ひとりでいる時にはまだ付けなくても耐えられます。決して無理しているわけでもなく、半地下の恩恵なのですね。

と言っても、一歩外に出ると充分に暑いわけで、今日もこれから出掛けなくてはいけないので、少し早めにこれを書いているのです。もちろん自転車で動く予定です。眩しい日差しの中、風を切って颯爽と走れはしないから、こちらものんびりと省エネスタイルで行こうと思っています。

それにしても、やはり動くこと自体億劫になり、じっとしている方がエネルギー消費も少なく、疲れなくて良いように思うのだけど、僕もそうですが大抵の人は何もせずにはいられないものです。でも、気持ち的にも、実際にも行動は鈍るものです。意識的に、これは、後でもいいやと思うことも増えてくるように感じます。

そして、ついつい面倒くさがり、投げやりな態度になりがちになってしまいます。そう思っていなくても、動き自体が人にそう思わせることもありますから、注意しないといけません。

心の中まで、節電したってしょうがないです。

こんな時ほど、自分以上に周りを意識しないといけないよね。

2011年7月12日火曜日

梅雨明けの日

震災から4カ月目の昨日、東北地方に梅雨明けが発表されました。今年は空梅雨の様子で、暑さばかりを感じる毎日です。テレビでは熱中症への注意や節電の呼びかけが頻繁にされているようですが、いずれも健康や生活といった生きることの根幹に関わることですから、誰もが注意せざるを得ません。


でも、今まだその余裕すらない人々が多くいることを忘れてはいけないと思っています。人は区切りの日を昔から大事に、大切にしています。東北各地で震災の時間に行われる黙とうは、慰霊祭といった大きなものではなくても、個人の心の中にあるそれを想う気持ちから行われているものです。誰の為でも誰かに訴えるわけではなく、自分自身にそして一番身近であった人やそこで生きていたことに対して行われる厳粛な行為です。

過去は否応なく記憶の底へと追いやられ、忘れ去ることを強いられます。今というこの瞬間を生きることの方が重要だからです。また、忌わしい記憶は本能的に薄れていくもので、そうでなければ一生を絶望の中で過ごさなければなりません。

それでも、その過去を忘れ去られるものとしない為に、慰霊や鎮魂の形として区切りの時にそれぞれが行います。悲しみは繰り返し、思い起こされることになるのだけど・・・。

そこにあるのは、普段は当たり前と感じ、言葉や態度としても表わさなかった、かけがえのないものへの尊敬の念や同時に失ったことへの悔恨の気持ちを改めて感じる為のように思えます。

好きなものを好きだと言おう、有り難いと感じたら、ありがとうと言葉にしよう。
今したい、してあげたいと思うなら、今するしかないのです。

言葉や行動に出すのが苦手な人もいるでしょうが、今を後悔しない為にも。

すでに起きてしまったことを、何もなかったことには決して出来ないのだから。

2011年7月11日月曜日

” Love and Joy” その先

それにしても暑いです。今朝も蒸し暑さで少し早めに目が覚めてしまい、全米女子オープンゴルフを見てしまいました。自室はエアコンが無いので、polkaも少々動きが鈍く、ジッとしていることが多いようです。ちょっとかわいそうな感じだけど、昨年の猛暑も何とか過ごせたので、僕同様にガマンしてもらうとします。


昨日は日曜で、2日目だったこともあり、Sha-gaku vol.3参加者や親しいお客さんや一般の方で結構にぎやかでした。まずまずの滑り出しかなと感じています。今日はちょっと一休みしながら、溜まってきた雑事を片付ける予定です。

さて、今回の展示は、ある意味参加者それぞれの個人的な部分が強く表現されていると思っています。”Love and Joy”のタイトルから想像されるポップな雰囲気を想像された方にはちょっと違う印象を与えるかもしれません。そして、ほとんどは震災前に撮影されたものです。ですから、それに関連した作品はありませんし、意識もしていませんから、普段の日常で感じる大切なこと、愛すべきもの、自分にとっても喜びのようなものを素直に、伸びやかに表現しているので、より個人的な部分が強くなることは当然の結果と考えています。

究極には、表現は個人による、個人の為のものだと、僕は思うところがあり、その中でどこか世の中や他者との関連、共感、繋がりのようなものが見えたなら、何でも良いとさえ思っています。したがって、最終的に収束するところがどこにあるのかという点が問題になります。

独りよがりや勘違いも時に違った捉え方をされることもあり、思いがけない方向へと進んでしまうこともありますから、表現する者はその見極めが大事になります。その為の発表なんですね。時に強引に、そして傲慢とも思えることでも、身を晒すことでしか分からないことはたくさんあるし、その評価に傷つくことも多いのだけど、素直に謙虚に受け入れるまたは撥ねつけ、考えていくことが必要なのです。

だから、今回参加している4名は、とても勇気ある人だと、僕は思っていて、作品から垣間見られるであろう姿勢や意思を、多くの人に受け止めて欲しいのですね。

そして、彼らに語りかけて欲しいのです。

そこから、” Love and Joy”が違う形で生まれるかもしれないから・・・。

2011年7月10日日曜日

夢や希望

今朝がた、嬉しいスポーツ界のニュースが二つありました。


ひとつは、ドイツで行われている女子ワールドカップサッカーで地元ドイツに延長で勝ち、ベスト4入りしたこと、そしてもう一つは、ゴルフの全米女子オープンで宮里美香、宮里藍選手が現在のところ、2日目を終了してワンツーフィニッシュしたことです。

いずれも世界トップの大会で、その大舞台に臆することなく、自分自身を表現している姿はそれだけで価値あるもので、成績はその後についてくるものだとは分かっていても、やはり結果が付いてくると全然関係ない僕でさえ嬉しい気持ちになります。

同じ日本人だから、それが一番強いのだけど、何よりプレーしている姿、終わってからのインタビューの表情に魅せられてしまいます。スポーツはどうしても生活に必要なものかと言われればそうではなく、でもこれがプロの職業として成立し、興味を持つ人が多くいることには訳があります。

僕が幼かったころには、将来のなりたい職業にプロ野球選手を選ぶ男子が多かったように思います。単純にテレビで見て、かっこいいし、自分には出来ないプレーを見せてくれるたびに感嘆と感動が湧きあがります。そんな大人たちに憧れの目を持つことは、世間をほとんど知らない子供にとっては、ごく自然のことです。つまり、夢を持たせてくれる、頑張れば、自分でもひょっとしたら、そうなれるかもしれないと思わせてくれるわけです。

これは子供に限ってのことではなく、まだ世に出ていない若い人たちにとっても同じことが言えます。

そう思うと、やはり、大人はそのような人たちに夢や希望を持ってもらえるような環境や姿を見せなければいけないのです。これは何も世界的にとか日本で有名にならなければ希望や夢を与えられるものではありません。このような人たちは限られた、言わば選ばれた人ですからね。

もし、自分が率先して行動をし、その姿で持って、身近な人々に影響や感動を与え、そこから目標や夢を抱いてくれたなら、それはとても素晴らしいことです。僕は誰にでもその可能性はあるのだと思っています。

だから、こういうニュースを聞いたり、見たりすると、この年になった自分でも・・・、と夢みたいなことを感じてしまうのです。

2011年7月9日土曜日

それぞれのLove and Joy

Love and Joyがいよいよ始まります。


昨夜8時過ぎにすべての展示を終え、今日これからこまごまとした準備を整えて、開幕に備えるだけです。先ずは、参加者の方には感謝、感謝です。震災の混乱からわずかの期間、自身も被災し大変だったのだろうし、とても写真なんて考えられなかったはずなのに、僕のわがままに付き合ってくれました。

作品点数は、全部で68点、サイズはB2、大全紙からA4までとそれぞれがそれぞれの作品に合わせた展示を行っています。プリントも手焼きのアナログプリントあり、デジタルの大判もありと、見どころ満載です。展示方法は、実際見てもらえれば分かりますが、写真を撮られ、発表を考えている方には大変参考になるものと思っています。

参加者おのおのが今考える、伝えたい愛と喜びの世界が、壁面からはじけんばかりに、目の前で展開されています。この写真展を見られた方が、つかの間でも現実を忘れ、表現、アートに浸り、素直に感じてもらえれば・・・というのが、僕の一番の願いです。

どなたの心にもある”Love and Joy”

日々の忙しさに紛れ、見失ってしまいがちですが、無けりゃ生きてはいられない。

それを一番良く知っている方はあなた自身です。

この場で、あなた自身の”Love and Joy”を再発見出来るかもしれません。

是非とも、ギャラリーで実際に見られて下さい。



本日は、参加者が全員揃う予定です。佐久間さんが18:00以降になる見込みですが、他の3名は14:00以降にはいると思います。

参加者の方との会話も楽しんでもらえます。

2011年7月8日金曜日

僕の特権

今日で”Love and Joy”の展示が終了する予定です。4名中、3名は終了しているので、残りの1人の作品を午後から一気に展示します。レイアウトは既に決まっていて、釘打ちも済ませているので、額に金具を付け、所定の場所に取り付けて、作品の並びと全体の印象を見て、問題がなければ終わりです。


展示の下準備として、模型を作ってシュミレーションしたりすることは、大きな展示会では良く行いますが、うちは個人の弱小ギャラリーですから、そこまでは出来ません。それでも、展示経験の少ない方にとって、壁の大きさは予想していても案外理解していない場合の方が多いのと、事前に展示状況を見せないとなかなかピンとこないので、CADでひとりひとりに対して図面を起こします。CADと言っても、大げさなものではありません。フリーのソフトですから、それなりの制限はありますが、位置や大きさを理解するには充分です。

そのレイアウト草案をある程度出展する予定の作品が固まった頃、作品性や世界観を考慮しながら、僕の方から提示するケースがほとんどです。でも、これはあくまでも僕なりの考えなので、参考として捉えてもらっています。その上で一部修正をしたもので、最終的にレイアウトを決定するわけです。

展示にも理由があります。ただ並べれば良いものではありません。気分で構成を決めるべきでもありません。そこいらをなおざりにしてしまうと、作品自体は良くても、何かぼんやりとハッキリしないものになってしまいます。また、その逆もありますから、CAD上で何度か修正を繰り返し、並びや大きさを検討するわけです。

決まってしまえば、後は比較的楽に作業は進みます。展示位置はすぐに出ますから、ポイントを決め、釘打ちしていけば良いのです。ほとんどの場合、作品持ち込みの前に釘打ちを済ませてしまいますから、作品点数が10点程度であれば、持ち込んでから数分で終了してしまいます。あっけない程、簡単に終わってしまいます。

今日は、額装作業もあるから、数分では終わらないと思いますが、ほどなく終了し、全貌が見えるはずです。

想像が形となって現れるわけです。

その瞬間に一番最初に立ち会えること、それは僕の特権でもあるのです。

2011年7月7日木曜日

短冊に願いを書くように

今日は七夕です。仙台の場合は、8月に祭りとして行われるので、7月7日が特別には感じないのかもしれませんが、年に一度の逢瀬の日ですから、せめて雨にならなければいいのにと思ってしまいます。短冊に願いを書き入れ、星に願いを込め祈る風習は、自然に対する畏敬や人が元々持ち合わせている情緒や感情の表れですから、どこかで願いが叶ったり、届いて欲しいとの思いは尊いものなのだと思います。


展示会では昔から芳名帳なるものが準備され、来ていただいたお客さんに記入していただくことが慣習のようになっています。名前と住所等を記入するものですね。ただ置いてあると無作為に見られてしまうので、最近は、個人情報漏えい等の問題も考慮して、受付で管理しているケースがみられます。

僕は個人的に芳名帳なるものが好きではないので、代わりにメッセージ帳のようなものを置く場合が多いです。名前だけ記入されてもいいし、作家に対するメッセージや感想が書けるようにしているのですが、これがなかなか皆さん苦手のようです。気恥ずかしさやそんなもったいぶったことをと思われるのか、あまり書いて下さる方はいらっしゃいません。

Love and Joyでは特に全体として置く予定はしていませんが、もし参加者が個人的に置かれている場合は、何でも構いませんから書いていただけると嬉しいです。参加者は自身の作品を持ってさまざまなメッセージを発しています。良くても悪くても反応が欲しいと考えています。その事で、またいろいろと考えを巡らせ、次のステップへ入れるようになるわけです。

Sha-gakuでは一回目からA2判のコミュニケーション・ボードを壁に設置して、自由に記入してもらっています。8月予定のvol.3でも設置する予定ですが、今もギャラリー入口に1回目、2回目のものを掲示しています。中には素直な感想や参加者への激励等が記入されています。

年に一度、いやもしかすると二度と訪れることが無いのかもしれませんが、何かを感じていただけたなら、是非とも記入して残して欲しいと思っています。

アートは、それを提示する者と見る側との間にスパークする何かが無いと意味がありません。そして、与える、与えられるという行為が、互いの理解や協調、共感を生むのだと考えています。

だから、遠慮したり、恥ずかしがったりすることなど、何もありません。

短冊に願いを書くように、参加者へ向けて書いてもらえると、本人ではない僕も嬉しいのです。

2011年7月6日水曜日

根拠の無い自信

この1週間は、Love and Joyの展示準備と次次回Sha-gaku vol.3参加者との打ち合わせが続いている状態です。参加にいたる経緯は、以前から発表を考えていたけどなかなか実現出来なかった方、企画に興味を持ち、ギャラリーを訪れてしてみようと思われた方、こちらからやってみたらと勧め、参加を決めた方と様々です。


共通していることは、参加を決めるまでにある程度の時間がかかるということです。その期間が長くなってしまうと、その時点で時間的にちょっと厳しいなと感じ、諦めてしまう方もいらっしゃいます。大抵の人は普段の仕事や生活以外での活動になりますから、費用面もありますが、これをすることによっての影響の方を考えるものです。また、自分の作品そのものがそれに値するものなのかといった点で悩む方も多くいらっしゃいます。

Sha-gaku vol.3は、8月中旬を予定していますから、すでに1カ月半を切っています。もう参加を考えられる人はいないだろうと考えていたのですが、一昨日ネットで申込みがあり、昨日ギャラリーでお話しをしました。打合せではなく、レビューでもなく、写真を見ながら、どうゆう考えや意思で参加されるかを聞くことが僕の目的です。

展示・発表経験の無い方は、してみようと思い、実際にそれを行動に起こすにはかなりの勇気が必要です。何も分からない自分がこんなことをしてもいいのかとか本当に出来るかとか不安ばかりが浮かびます。そんな不安まじりの表情から出てくる言葉に耳を傾け、何が彼(彼女)にそうさせたかを考えます。

写真もそうですが、自分が生み出した作品には自分自身が投影されているものです。持って来られる写真はまだ作品ではなく、多面性を持った自分がいくつもバラバラになったものですから、話との関連性を見るようにします。そして、自分自身もまだおぼろげで、ぼんやりとしているものを、僕がこうだからとか決めつけないようにしています。

その為に時間はかかります。時には4時間以上話す場合もあります。
でも、そこに耐えられたなら、ほぼ大丈夫です。

これは、根拠の無い自信のようなものです。

昨日来た彼女は僕に、またひとつの楽しみを与えてくれました。

2011年7月5日火曜日

”Hope for tomorrow” T-shirts~"Love and Joy"バージョン

まだサイトは更新していませんが、”Love and Joy”では、作品販売の他に、”Hope for tomorrow” T-shirtsを予約で販売します。詳細は、現在江口敬作品の一部で販売しているものと同様になります。サイトはこちら

販売するイメージは、展示、ポートフォリオ作品全点が対象となります。
価格は、2タイプとも¥3,400(税込、発送手数料別)とお安くしました。
デザインはこんな感じで、イメージ下の文字の色が参加者により変わります。

ネットでの受け付けも行うつもりでしたが、作品やT-shirtsを実際見ていただいてからの方がいいかなと考えていました。でも、もし会場には行けないけど、T-shirtsは欲しいなと思われている方は、”Love and Joy”紹介ページ内のそれぞれのイメージについて、予約を受け付けます。


最後の内容欄に、参加者とイメージNo.、タイプ、サイズ、数量を記入下されば結構です。

今も既に暑いけど、これから来る夏に向けて、お気に入りのイメージを胸に、明日に希望を持ちながら、街を闊歩してみませんか。

気軽にご連絡下さい。

お待ちしています。

今日は、宣伝でした。




2011年7月4日月曜日

空回りしないように肝に銘じながら・・・

お天気がハッキリしないのとは逆に、Love and Joyの展示作業は非常に順調に進んでいます。参加者2名の展示が昨日でほぼ終了し、今日も午前中にひとりが下準備に来られます。最終的には前日の8日が展示作業終了となるわけですが、これからの5日間でギャラリー内の景色ががらりと変化します。


僕が言うのも何ですが、充分に期待してもらって良いと思っています。震災後普段の生活に戻りつつあるわけですが、どこかに違和感を抱きながら生活されている方は多くいらっしゃると想像しています。いまだ、沿岸部ではそれどころではない方もいらっしゃるのですから、そう離れていない中心部に住む人たちにも影響はあるのだと思います。

ただ、それを憂い、悲しむ気持ちを持っているだけでは何も変わらないものです。以前から書いているように、そこには行動が必要とされます。実際に動くことが一番良いことなのでしょうが、皆がそう出来るわけではありません。それでも、何か出来ることはあるように思っています。

先のNortheast Photographers “relation” in Miyagi、そして現在準備中のLove and Joyにしても、趣旨やテーマが震災に因んだもののように言われることがあります。そう思われるのも仕方ないかと感じながらも、僕にとっては約30年振りに仙台へ戻ってきて、生活をしている上で強く思っていたことであり、震災のことはあまり意識していません。

今まで感じてきた、思ってきたことを形にしているだけで、それを普通に当たり前のこととして発表したいのですね。

個人の力に限りがあることは重々承知していますから、この趣旨に賛同してくれ、参加して下さってくれた方にはホント感謝しています。出来るだけ多くの方に見て欲しいとの強い思いもあります。

その為には、良いものを作らなくちゃいけません。

でも、空回りしないように肝に銘じながら・・・。

2011年7月3日日曜日

美味しいものを食べたいと思う時

さて、今日は何か美味しいものを食べたいなと思うことは、誰にでもあることだと思います。その時に、考えることはちょっと特別な食材を買ってきて家で調理するか、または外食するかいずれかになります。外食に決めると、今度はどんな料理にするかを考えるわけです。


人の基本的な行動としての食べることでさえ、決定まではいろいろと考えることがありますし、それが面倒になり結局は外食も特別な食材も買うことなく、いつものような食事になってしまうことはよくあることです。でも、こういう時って、本当に最初から美味しいものが食べたいと思っていたのかというと、案外普段とは違ったことをしたかっただけの方が多いような気がします。いわゆる、気分ってやつです。

あらゆる物事には、それを得たり、達成する為の対価や苦労、時には犠牲さえ伴うものです。そこを乗り越えるには、モチベーションとインセンティブがバランス良くある状況が望ましいと考えています。最近は何かインセンティブの方に目がいって、自発的な動機づけであるモチベーションが外に追いやられてしまうような本末転倒なこともしばしば見受けられます。

先の美味しいものを食べたいと思う気持ちは、食べた時、そしてその先の満足感を得たいからであって、単に食料としてお腹を満たすだけでは起きません。それは、自分にとっても特別なものとして捉えているからですね。

目標とか夢というものは、ある意味その人にとっての特別なもので、その時の気分に依らないものです。そこからモチベーションが生まれるわけで、インセンティブだけでは持続はしません。他の人からあれこれと勧められ、指図に従っていただけでは、モチベーションすらどこかへ消えてしまいます。

でもね、時には気分で進むこともいいのではと、思うことがあります。

そこから、本当の目的や目標が見えてくるかもしれませんし、行動してみないと分からないことばかりですからね。

2011年7月2日土曜日

いよいよ展示の始まり

Love and Joy開幕までちょうど1週間になりました。ようやく今日から実際の展示作業が始まります。今回もそうですが、展示方法がみな違っています。ギャラリーと言うと、立派な額を使用して、マットをしつらえて整然と並べるスタイルを思い起こすと思います。


実際、前回のNortheast Photographersではそのような形で行っています。

出品する参加者の意向が第一なのですが、僕は見る側の立場として、作品の世界観や趣旨から展示方法をアドバイスする傾向にあります。もちろん人間ですから、実際好き嫌いはありますし、どの作品についてもリベラルであるかといえば、そうではないと思っています。

そこでもっとも重要になるのが、コミュニケーションです。参加者の人となりや作品制作の姿勢、思いを理解することが、作品はもとよりその人自身を素直な眼で見られることになるからです。だから、僕はその時々で感じたこと、その後考えに到ったことを、人格を損なわないかぎりにおいて、率直に話すようにしています。

反応はさまざまです。これまで人からそんなことを言われたことはないでしょうし、自分自身でも気付かないこともあるし、そんなことないよと思うかもしれません。おそらく、始めはとても困惑するのでしょうね。経験的に何度かそれを繰り返していくうちに、やがてほとんどの方は自分の言葉で持って話をしてくれるようになります。

いわゆる共通認識がそこで初めて生まれるわけです。それから、その共通認識から、お互いが感じる疑問や違和感、不安なんかを出来るだけ取り除く作業に移行します。そうしていく内に、少しずつお互いが中心に近付いてくるようになります。

そこまでになると、作品制作という内向きのベクトルがやや見せることを意識し始めます。展示に関する具体的なアドバイスはその時に行います。セレクションも含めてですね。

さて、今回はどのような展示が見られるでしょうか。

想像が具体化する瞬間、それは参加者にしか味わえない感覚です。

僕はいつもその一端が、見る側にも伝わってくれればいいよなと思っているのです。

2011年7月1日金曜日

可能性

今日から7月です。polkaもここ数日の暑さを感じているようで、心なしか動きが鈍く、気がつくとダレッとしていることが多いようです。手がじっとりと汗ばむほど湿度が上がってしまうと、作業にも支障を来たしてきますから、充分注意をしないといけません。


Love and Joyの準備は、僕自身、予定通り、順調に進んでいるように感じてはいますが、実際の展示はこれからです。しかも、参加者の皆さんは休みが限られていますから、その日に何かあってからでは遅いので、今は考えられるトラブルを無くす作業をしていると言えます。

実は、展示そのもの以外でも、デジタルのプリント作業をギャラリーで行っています。フィルムで撮影していて、プリンターの設備を自身で持っていなくても、ある程度のサイズまではギャラリーで対応が可能です。本来は、自身でプリント作業を行うべきなのでしょうが、アナログプリントにおいても、自身で行える方は限られていますし、そういう方は業者に頼むわけですから、デジタルの場合でもそれはありだと思っています。

他の業者と違う点は、実際のプリントまでの作業を間近で確認出来ることです。いわゆるレタッチがある程度自由に出来ます。この辺りは賛否両論あるかと思っていますが、デジタルにおいては避けて通れない部分でもあり、また写真の可能性といった点では一概に間違っていることとではありません。

時間も手間もかかることを承知で行っています。その後、自身でプリント環境を持って行うことへのプロセスのひとつになれば良いと考えています。ですので、商業ギャラリーではありますが、写真作品制作の実体験が出来る場でもあるわけです。

よく、環境が無くなってしまったから、写真を撮らなくなったということを耳にします。特にフィルム現像からプリント作業までを自身で行ってきた方に多いようです。デジタル化に伴い、ますますその範囲が狭まっているとの印象を受けますが、やり方はいろいろあるはずです。

一番良くないことは、可能性を自身で断ち切ってしまうことです。

それは写真だけに言えることではありませんよね。