2010年7月31日土曜日

常識・・・。

熱中症による死亡者が全国で200名を超えたと言います。ということは熱中症に罹った人はその数十倍?にも及ぶわけで、いかに猛暑であることが分かりますが、同時に人々の暑さに対する経験値も原因なのかなとも思います。


亡くなった方の9割が、65歳以上だと言います。ひとり暮らしでどうしようも無かった人を除いても、非常に多い数値に感じます。家の中で日差しを浴びなければ大丈夫だろうと思っていた人もいるのでしょうね。また、以前から冷房はあまり体に良くないとの考えもあったのかもしれません。

僕たちはその時々の常識に捉われながら生きているものです。これは世間がそうだからとか人と同じようにという考えが先にあります。特に日本人は「和」を尊ぶ精神が昔からありますので、ちょっと人と変わった行動や言動には敏感になってしまう傾向にあります。

ところが常識なんてものは、いつでも覆されるものなのです。これは、今までの歴史が証明しています。一例として、戦前と戦後の日本人の在り方を見れば、良く分かることです。今はこれが常識であっても、明日は違っているかもしれないのです。

熱中症の話から何か関係の無いことを言っているようですが、これもひとつの例えであって、実はこれまで常識と思われてきたことが、実は違っているなんてことはたくさんあるよと言いたいのです。

アートはよく真理を追い、それを表現するものと言われますが、これも世間一般での常識や考えは常に移ろいゆくものだからなのです。僕自身、変わらないもの、変わってはいけないもの、それが常識と言われているものにも、出来るだけそう思いこまずに判断し、行動にうつしたいと思っていますが、その辺りは実際とても難しいものです。

まぁ、結局は自分自身によってくるわけで、そこから先にあるものが見えるか見えないかも自分次第だということです。だから、常識だと言われていても一応は疑ってかかった方が良いのかもしれないなと思うわけです。

2010年7月30日金曜日

雨降りの朝

今も雨が降り続いています。昨夜から降り始めた雨は、気温を下げてくれたものの、湿度が増した分だけ余計蒸し暑さを感じさせます。実際、ギャラリーに入った瞬間の暑さはそれほど感じないのですが、しばらくするとじっとりと汗ばんでくる感じです。


その為、エアコンも冷房の設定ではなくドライ設定にしています。見に来られるお客さんは、一時的にギャラリーに居られるわけで、おそらくは快適な状態だと思いますが、僕自身はひんやりとした室内に長時間いるので、少し寒さを感じる時があります。

今は何でもエコに繋がる風潮なので、官庁といった公共施設に入るとやや暑く感じるし、それが当たり前になりつつあります。逆にスーパーやコンビニのように生鮮食品も扱い、人の出入りが多い場所では、異常に冷えているような感覚に捉われてしまいます。

たまに何が快適なのかと考えるのですが、おそらくはそんな事も感じずに、ごく自然に行動出来ていることがその状態であって、多分その時には快適だな、なんてことは感じてもいないのだろうなと思うわけです。しかもその感覚は、その時の精神的な状況にも大きく影響されるので、一概にこれが快適な状態だよねとは言えないんでしょうね。

さて、今日は僕にとってどんな空間になるかです。あいにくの雨振りですから、それほど多くの方は来られないと思いますが、せっかく来ていただいたのなら、ごく自然に作品と対峙できるような感じになって欲しいと考えています。

2010年7月29日木曜日

2人の夫とわたしの事情

昨夜ようやく、先週金曜日にNHK「劇場への招待」で放映された舞台「2人の夫とわたしの事情」を見ることが出来ました。シス・カンパニー公演らしい豪華で個性的な出演陣と演出・上演台本がケラリーノ・サンドロビッチさんということで、公演情報を得た時には是非観たいなと思っていた舞台でした。なんといっても、主演の松たか子さんはとても好きな女優さんで、これまでも出演する舞台は毎年2本ぐらい観に行っていましたからね。


原作は、イギリスの作家であるウィリアム・サマセット・モームのものです。この人の本は「月と六ペンス」ぐらいしか知らないのですが、戯曲家としても数本書いていることを今回初めて知りました。この原作にケラさんが手を加え、演出し、松たか子さん、段田安則さん、渡辺徹さんらがそれに応えるようにそれぞれの持ち味をいかんなく発揮していました。

物語はひょんなことから夫が二人になってしまった松さん演じるヴィクトリアと、その二人の夫、ビル(段田安則さん)とフレディ(渡辺徹さん)との事の顛末をシニカルに描いたもので、至極まっとうな喜劇として成立していますので、どなたも肩の力を抜いて気軽に観られるものです。

何と言っても、松さんの演じるヴィクトリアという女性は、自分勝手で理不尽な振る舞い、言動をするわけですが、そこにはどこか憎めないところがあって、逆にかわいらしい女性にも思えてしまいます。その辺は、松さんの違った一面が見られ、充分に喜劇を演じられる程の実力を感じました。対する段田さん、渡辺さんは台詞の間や動きなんかも、松さんの芝居にぴったりと合い、決して負けていないのには見事の一言でした。

人は自分の弱さやずるさといったものを隠しながら、どこかで本音とは違った生き方をしているものです。それは、世の中で生きる術でもあるわけです。この芝居での一番の魅力はそんな部分をあからさまにすることで、悲劇も喜劇であり、また逆に喜劇も悲劇でありうると言う表裏一体な部分を、舞台といる特殊な空間で緊張と弛緩の中に描いたものだと思います。

サマセット・モームが書いた「月と六ペンス」は、モデルが画家のゴーギャンですが、題名である月は夢を、六ペンスは現実を象徴してものだと言われています。作家として根底にあるものは、どの作品にも色濃く影響を与えているような感じもしました。

それにしても、この舞台で見せてくれた松さんの新たな一面は、今後の可能性を感じずにはいられません。森光子さんのようになっちゃうかもと密かに期待してしまいます。

2010年7月28日水曜日

病院帰りです。

今日は少し遅めの更新になりました。と言うのも、たった今polkaを病院へ連れて行って、帰って来たところなのです。以前、polkaのフン詰まりの件をブログに載せましたが、最近ではエサに薬を混ぜて食べさせていることもあり、どうにかそれで保ってきました。ところが、昨夜自室に戻ると、どうも姿が見当たりません。台所にはもどした跡が残っていて、これはまたなっちゃったかなと思いました。


普段は点けない明かりを付けて、奥の寝室を覗きこむと、だれパンダのようにフローリングの床にベタリとしていました。上目づかいで僕を一瞥しましたが、それ以降は我関せずとの面持ちで、体を休めているように見えます。ヒトもそうですが、調子が悪くなると動けなくなりますし、出来るだけ体力を使わないように安静にします。まさにそんな状態だったわけです。

そんなわけで、今朝がた急遽病院へと連れて行きました。病院は歩いても2、3分と近くにあるので、たびたび厄介になるのは勘弁ですが、それほど苦にはなりません。診察時間3分前だったのですが、既に2名程犬を連れてこられた方がいました。そんなこともあって、通りに面したガラス張りの待合室で40分程待つこととなりました。キャリアーに入れられているpolkaはそれほど鳴いていません。慣れてはいないはずなので、それほど元気がなかったのでしょうね。

いよいよ順番が来て、診察室に入り、キャリアーから診察台へ乗せた時も暴れませんでした。もっとも、洗濯ネットに入れていますので、暴れられないと言う方が正確かもしれません。でも、元気な時は洗濯ネットに入れることすら出来ない程抵抗しますから、やはり弱っているのかなと感じます。

医師にあらましを話し、お腹の部分を触診してもらうと、やはり便が詰まっているので、取り除いた方が良いとのこと。でも、以前麻酔をかけた時から時間的に近いので、麻酔をかけずに入口でふさいでいる便のみを取り除くことになりました。

これからが、polkaにとっての苦痛の5分間になったのです。時折大きな叫び声にも似た声を上げています。僕は診察室から出されましたので、治療自体を見てはいませんが、その声を聞いているだけで何か哀しくなってしまいます。

治療も終わり、ふさがっていた便を取り除いたので、後は自然に出ることを祈るばかりですが、これでまた人間不信になっただろうなと思います。元々人見知りな性格の上、わがままですからね。こちらで良かれと考えて行ったことでも、彼にとっては嫌なこと以外の何物でもなく、自分がどうしてこんな目に合うかなんて分かっていませんから・・・。自室に戻ると、ウロウロと歩き始めましたので、少しは元気になったようです。

いやはや、色々とありますね。まぁ、僕としては元気になってくれれば良いのです。

2010年7月27日火曜日

間近で見たゲリラ豪雨

昨日16:00頃、ギャラリーでひとりPCに向かっていた時に、突然窓や地面を打ちつけるような雨の音が聞こえてきました。これが噂にいうゲリラ豪雨と気付くのに、やや時間が掛かったものの、表の通りの状況を見に飛び出しました。


叩きつける雨の様子は、文字通りバケツの水をひっくり返した感じです。幸い、通りの排水は機能しているようで、地面上に水が溜まってくることはなかったのですが、夜のニュースでは他の地域での冠水の映像が映し出されていました。映像の中の様子は、何か現実のものとは思えないような印象を受けました。実際、その時に目の前で見たインパクトの方が強かったからかもしれません。

今日も朝から弱めの地震があり、横揺れする家具類を抑えながら、早く収まらないか思いつつ、身じろぎもしないpolkaを見つめていました。地震も突然の雨も起きることだと思っていても、いざその時になるとほとんど何も出来ずに、ただ自然に収まってくれるのを待っているしかないような状況になってしまいます。

これまで僕自身は、大きな災害に遭ったことはないので、本当のところの被害の状況はわかりませんし、その時の対処なんかもまるで知識がありません。大抵の人はそうなんだろうと思います。自然の脅威を間近に触れ、ただ立ち尽くすしかないのが現状です。

それでも、いつかそんな状況になる可能性は誰にでもあるわけで、他人事のように構えているだけではいけないとも思っています。これまでの生活が一瞬で崩れてしまうような天災に対して、常日頃どのように予防していくのか、もしくは予防出来るものではないかもしれないけど、じゃぁ、その時点でどう行動するかですね。

何もこれは、自然災害に限った事ではなく、全てに言えることなのかもしれません。

2010年7月26日月曜日

風を受けながら、出かけてきます。

今日はちょっと外出しないといけません。といっても遊びに出かけるのではなく、月末の締め関係の為です。外はまだそれほど暑いと感じられるほどではありませんので、出来るだけ早い時間に済ませてしまう予定です。


いつものように自転車で何箇所か回るのですが、戻ってくるのがおそらく昼近くになるので、その頃は30℃を遥かに超えているのだろうね。最近は、自室で毎夜寝苦しい日々を送っているので、昼ご飯を済ませたら、ほんの少し昼寝でもしようかと思っています。

ホント、風通しが悪いのですよ。夜になるとそれほどの暑さは感じない気温になるのですが、昼間の熱気と湿度のせいで暑さが逃げないのです。その為、夜中に数回眼を覚ましてしまっています。こころなしかpolkaも暑さを感じているようで、あまり動かないようにしているようです。

そんなわけで、少々バテ気味ではあるのですが、やることをやっておかないと後々大変なのは自分ですからね。そう言えば、サーキュレーターがどこかにあったとはずですので、探さなくちゃと今思い出しました。

やることは色々とありますが、取りあえずは、キャップをかぶって表に出てこようと思います。(風を受けたら少しは涼しく感じられるのだろうか・・・?)

2010年7月25日日曜日

ギャラリーへ来られるお客さん

今日で会期2週目最終になります。商業ギャラリーの場合、性格上会期は長めに設定しています。短くても約1カ月程度です。その為、どの会期問わず、2週目から3週目にかけて、少し中だるみ状態になります。始まってその週にすぐ来られる方が一段落し、まだ会期は余裕であるからもう少し先にしようと考える方がいらっしゃるからです。


今回の場合、比較的順調にお客さんは来られています。木戸さんの親交の広さがその要因であって、その点では感謝しています。来られるお客さんはいくつかのパターンに分かれます。一番は、親交のある方です。これは、アマチュア、プロの如何に限らないことですね。ギャラリーというところは、何か入りづらい印象があって、知り合いであるとか在廊していると自然と入れるのかもしれません。もちろん自分の知り合いがどんな作品を見せてくれるかの興味が先ずあるわけですが。

次に多いのが、純粋に写真が趣味であったり、興味があったりして、そのギャラリーの存在を知っている方です。その中で自分が好きな種類のものに関しては、見に行ってみようと言うことになります。

その後は、各種メディアで知り、来られる方です。今回は多くのメディアに取り上げられています。新聞、情報誌、フリーペーパーに取り上げられているので、それを見て興味を持たれた方々です。

最後はDM、サイトですかね。これは、ほとんどが偶然によるものに近いです。DMは置く場所がやや限定されつつありますが、そこに来るいろいろな方が手にしますので、数量はすぐはけてしまいます。ネットでは、検索により引っ掛かってくる場合が多いようですが、元々仙台ではこのようなギャラリーは無かったので、始めから検索をしない方が多数だと思っています。まぁ、検索をすれば、仙台で写真専門はおそらくうちだけですので、すぐに見つけられるとは思います。

さて、偶然でも写真展の情報を得て、ギャラリーの存在を知った方々で、実際に見に来られる方は何を目的で来られるかです。一番は当たり前ですが、実際に作品を見てみたいという好奇心からですね。興味の湧かないものには、実際写真をされている方でも足を運んで下さらないケースが多いものです。

その他にもさまざまな理由はありますが、先ずは興味を持っていただけるようにと考えながら、プレス・リリースやDMやサイト情報を作成しています。美術館や企業系のように大きな宣伝力を持っているわけではありませんから、おのずとその規模は小さいものです。だから、地道に行っていくしかないのです。仕方がないねとは思わずに、取りあえずは前を向いていくことが、今やれることだと思っているわけです。

2010年7月24日土曜日

夜の訪問者 from Aomori

昨夜は毎月一回開いていた催しが予定されていたのですが、生憎予約された方もいなかったので、今回は中止にしようと思っていました。ただ以前にも当日直接来られる方がいましたので、19:00を回っても、扉の前にある小さな照明はそのままにしていたのです。


5分程すぎたので、さて閉めようかと扉を一旦開けたところ、ひとりのお客さんが入ってこようとしていました。見覚えのある顔なのですが、一瞬どなたか分かりません。

その方は笑顔で「青森の○○です。」と言いました。その聞き覚えのある語り口ですぐに思い出しました。以前、弘前からハービー山口写真展にいらしてくれたのお客さんです。今回も出張で仙台に来られて、間に合うか分からなかったけど、せっかくなんで取りあえず来てみましたとのことでした。

僕も嬉しくなってしまい、時間が過ぎるのも忘れ、なんやかんや2時間程話してしまいました。その方は僕と同い年ですが、話し方もおだやかでいくらかイントネーションに青森らしさもあり、僕よりも年上のような感じがします。決して年を取っていることではなく、自然な話し方と物腰の柔らかさがそう思わせるのです。

帰り際にCDケースサイズの小冊子を頂きました。2004年に地元で行った写真展のカタログのようなものですが、約100ページもある立派なものです。

(画像の悪さは勘弁して下さい)

その方を始め、9名の写真家が参加しているグループ展なのですが、それぞれの参加作品を見ていると、ものすごく自由な感じがして、素直にいいなと思えるものでした。テーマも作風も表現方法も各人各様で、”Sha-gaku”のコンセプトにとても似ています。すでに、青森の地でそんなことを行われていたことに少々驚きましたが、人間が思いつくことですから、そういうことがあっても不思議ではないのです。


そんなわけで、昨夜は催し以上に楽しく、有意義な時間を過ごすことが出来ました。会期中にお友達を連れて再度来るかもしれないと話されていましたので、また楽しみが増えました。東北でありながら、仙台まで4時間以上かかりますから、ホント有り難いことです。僕もそんなオープンな心持ちをもった人のいる弘前へ行ってみたいと本気で思いました。以前から青森県立美術館、十和田現代美術館、弘前劇場やらと、興味がありましたし、ちょっと考えてみます。

2010年7月23日金曜日

演劇情報

右下に演劇情報を載せていますが、元ネタは「演劇ライフ」のサイトにあります。仙台に戻る前の5年間、僕は毎週のように芝居を観に行ってました。若い頃からこれほど芝居好きというわけではなかったのですが、何故か惹かれるように足を運んでいたものです。それでも年間60本程度でしたから、無類の芝居好きの方に比べれば少ない方かもしれません。


いつも思っていたのですが、最近の芝居は料金が高いです。5月に行ったパルコ劇場でも、¥7,350でしたし、近くにあるシアターコクーンでは通常\8,000~\10,000ですから、おいそれとは毎週行けない金額です。時間にして、短いもので約1時間、長いものでも特別なものを除けば、3時間30分程度です。平均2時間として、この金額を払い、劇場という空間に拘束され、観るわけです。これは、もし面白くもなく、訳も分からない芝居だったら、苦痛以外の何物でもありません。

そう分かっていても、気にいった劇作家のものや好きな役者が出演しているものは、ついつい観てしまうものです。芝居の醍醐味はやはり人が生身で行っていることとある特定の限られた空間の中で、しかもその時間でしか体験出来ないと言うことだと思います。同じ演目を1ヶ月とかの期間で行っていても、その日その日で違うものなのです。

それと、これは観なければ分からないことですが、ある場面の演技やある台詞ひとことでその場の空気が一瞬で変わることがあります。その時の会場全体の一体感というか個々の感情の変化は、例えようがないほどの快感でもあるわけです。それは音楽のライブとかのそれとも違っているような気がします。今思うと、僕はそんな出会いを求めて、観に行っていたのかもしれません。

昨日から変更した演劇情報ですが、現在行われている劇団桟敷童子の公演です。この劇団は上手く説明出来ないのですが、非常に独特な世界観をもった劇団です。舞台上で大量に水を使用したり、セット自体が手作り感たっぷりでしかも大掛かりだったりして、何より熱い役者が揃っていることが特徴です。舞台美術はもちろん、もぎりから会場案内まで劇団員が行いますから、芝居のメイクのまま開演までの対応(帰りの見送りも)を行います。そんな点もユニークです。

今回の会場は、すみだパークスタジオ 倉といって、元々は倉庫だった場所に客席も含め設営して行われますので、おそらくは入場数は200名程度だと思いますが、舞台は奥行き、天井とも広く、とても不思議な空間だと思います。(僕も一度そこで観ましたが、奥行きは体育館のようでした)

もし、興味があれば観に行かれてはいかがでしょうか。

2010年7月22日木曜日

WIZARD OF OZONE

一体どうなっちゃうのと思ってしまう程の暑さですが、今年もエアコン無しで行く予定でいます。もちろんこれは自室のことで、ギャラリー内はいつでも快適です。昼間は外に出ることがほとんどないので、特に暑さを感じないでいます。夜、自室へと戻ると、蒸し暑さを感じますが、昼間の照りかえすようなそれとは違っているので、今のところバテることなく過ごせています。


こころなしかpolkaの様子がダレ気味かなと感じる時はありますが、水やエサもいつもと変わらず欲しがるし、相変わらずベッドにもぐり込んで寝ているし、単純に年のせいなのかもしれません。

さて、このブログの更新ですが、いつも午前中早い時間にするようにしています。朝の日課のひとつとして行っているわけですが、最近はこのアルバムを聴きながら、PCに向かっていることが多いです。


小曽根真さんのベスト・アルバム「WIZARD OF OZONE」です。選曲は本人がおこなっているようです。ベスト・アルバムというと、これまでの代表曲の寄せ集め的なものが多いので、テーマ性なんかは二の次に追いやられる場合があります。でも、これを聴いていると、素直な小曽根さんのピアノを聴いている感じがします。(これもひとつのテーマなのでしょうが)本人の選曲もあって、その時期の小曽根さんの色みたいなものが表れていて、とても心地よいのです。


個人的にはボズ・スキャッグスのナンバー「ウィー・アー・オール・アローン」のピアノ・ソロが好きなのですが、全曲、夏の暑さを忘れさせてくれるものばかりです。

2010年7月21日水曜日

日々秘かに望んでいること。

昨日、8月に開催予定の”Story vol.2”企画写真展のプレス・リリースを関係する方々にようやく送りました。オープン以来、公募展”Sha-gaku”までは、既に東京で開催された写真展の中から僕自身が実際に見てきたものを中心に選んで、巡回展のような形で行ってきましたので、プレス・リリースやDMに関しても、その時の資料を参考にしながら新たに作成してきました。


“Sha-gaku”からはギャラリーとしてのオリジナル企画です。参加する方についても、これまでギャラリーに来ていただいていた方であったり、始めてお会いする方になるわけです。しかも顔は知っていても実際の写真作品を見るのは、ほとんどが始めてですから、その作品性や表現性といったものを理解し、それを全体的なイメージも含めて文章としてまとめたり、DMとしてデザインする作業は楽しみでもあり、困難なものでもあります。

以前、伝えたいことと伝わることの違いみたいなものを書いたと思いますが、実際のところプレス・リリースやDMによってどのような印象や感想を持つかを計ることは、非常に難しいですね。ひとつのことを100人が見た時に、感じることは100通りあって良いわけです。それに、説明以外の考えや思いは、なかなか伝わらないことの方が多いですし。

その為に、ステーツメンツに近いようなものや実際の会話の中から、その人の作品に対する考えや伝えたいことなんかを探る作業をし、僕なりの言葉でもって新たに表現し直しているわけです。それにしても、ストレートに伝わる部分とそうでない部分は事実としてありますので、どんなに綿密に表現したとしても、僕自身、100%伝わるものではないと思っています。

そうは言っても、わざわざギャラリーを訪れて、作品を見に来て下さったお客さんには、全てが伝わって欲しいとも思っているわけで、いつもどこかでそのギャップを持っていることは確かです。また、こうした狭い空間の中で、少人数の方に対して作品をお見せするという行為自体、現在の世の中の流れとは対極にあるんだろうなとも思います。

じゃあ、何故こういうギャラリーをしているかということになるのですが、たぶんその時、この場所でしか得られないその人にとっての大きな何かが、そこにあるかもしれないことを信じているからなんでしょうね。例えば、その人の一生を変えてしまうような何かというか、それに近いものですが・・・。

DMやサイトで偶然目にして、そこに載っているイメージや言葉に興味を持ち、実際の作品に触れ、もしそんな出会いを見つけたとしたら、それだけで良いような気がします。だって、そういうことって、日常的に眼にすることはほとんどないですからね。

そんな瞬間に立ち会えることを、日々秘かに望んでいるのです。

2010年7月20日火曜日

休廊日のお客さん

いやぁ、暑いです。日本各地の猛暑の様子をテレビで見るたびに、余計暑さを感じます。昨日は午前中、まだ最高気温になる前に少しだけ外出しましたが、それでも照りつける日差しの強さは充分すぎるほどで、つい数日前の曇天の空とはまるで違う様相に感じました。世間は3連休の最終日だったようで、ビジネスマンの姿を見かけることもなく、全体的にも人通りは少なかったように思います。


それにしても、ギャラリーを始めて以来、曜日をあまり意識しなくなってしまい、世間の休みなんかにも疎くなっていることを実感します。昨日も外出から戻ってすぐに、今日の営業についての問い合わせ電話があり、祝日であることを改めて意識しました。結局のところ、お二人の方がギャラリーを訪れてくれました。まぁ、僕の場合、個人でしていることでもあり、よほどでない限りはすぐに対応はきくので、大抵はいつ来られても開けることは出来ます。

お二人ともほぼ同じ時間帯に来て下さったこともあり、何かいつものギャラリーの姿で午後を過ごしました。僕自身休みがあるようでないような生活をしていますから、休廊日にお客さんが来られるのは、迷惑でも何でもなく、素直に有り難いことだと思っています。実際、休廊日でもほとんどギャラリーでひとり何かをしていますので、ちょうど良いお話相手になっていただけて、むしろ嬉しいくらいです。(話なんか聞きたくないと思っているかもしれませんが・・・。)

皆さんの多く方は、仕事に追われ、自分の時間が取れないとおっしゃいます。確かにそうなんだとうと思います。僕は、忙しいことが悪いこととは考えてなくて、むしろ歓迎すべきことだと思っています。僕自身、以前は寝る間も無いほど仕事に明け暮れ、何やってんだろうと感じることがありましたが、そんな中だからこそ自分の時間が取れた時は、無理やり遊びに充てたり好きなことをするようにしていました。まぁ、じっくり物事を考えたり、休養を取る前に、先ず見てみたいとか動いてしまおうという気持ちを優先させる方なので、余計そうなったのかもしれません。

時間は有限ですし、棺桶に入ってしまえば嫌でも寝てしまって?いるわけですから、思い立ったら・・・みたいな部分は、仕事が忙しくなる程強くなっていったように思います。
そんな僕ですので、いつでもご連絡を下さい。夜にしか見られないとかもOKです。

それでも、お客さんあってのものですから、僕自身、曜日とかをもう少し意識しないといけませんね。(反省)

2010年7月19日月曜日

梅雨明けです。

東北地方も梅雨明け宣言です。昨日梅雨明けが発表されて、急にというかまさに夏本番のような暑さになりました。これまでは、必要に応じてエアコンを入り切りしていたのですが、昨日はほとんど入れっぱなしでした。それでもまだドライ運転で充分ですが。


自室はエアコンを付けていないので、夜気温は下がったとはいえ、結構昼間にこもっていた熱気は残っていて、暑さ全開でした。ベランダへの窓を全開にしたいところですが、polkaが飛び出してしまい、もっと面倒なことになるので、出られない程度にほんの少しだけ開け、風の通り道を作ってあげました。ほんの少しの間から流れてくる風は、外の匂いも呼び込み、polkaは必ず嗅ぎつけすり寄ってきて、鼻先を隙間に寄せます。こんなところは、まだまだネコであることを僕に意識させてくれます。

昨日書いた鳩のひなもやや活動的になってきました。巣らしき場所から少しだけ出て、何やら動き回っている程度ですが、それでも時折バタバタという音を立てています。相変わらず羽毛は黒っぽいものがほとんどですが。

昨年は梅雨明け宣言もなく、いつの間にか夏に突入していました。今年はどうなるのでしょうか。あまり暑いのは苦手なのですが、それでも夏らしい空の青さや照りつける太陽がないと物足りない感じはします。テレビでは、既に熱中症の話題が出ていましたが、じき夏休みですし、気付かない内になんてならないように注意しないといけないですね。

まぁ、今のところ、僕は写真の方に熱中症ですが、同じような人たちの為にもギャラリーは涼しくしておかないといけません。熱いのは心の中だけにしておかないと、思いがけずにやけどをしてしまいますから。

でもね、本当のところを言っちゃうと心の中で思うだけでは何も起きないのです。心の内はやけどぐらいはするかもしれないけれど、死んじゃうほどではないし、大事なのはその気持ちに沿って行動を起こすことなんですね。こんな世の中だからこそ、そういう人が増えて欲しいと思っているのです。(暑さにほだされて、ちょっと話がずれてしまいました。ごめんなさい・・・。)

2010年7月18日日曜日

ベランダの侵入者

10日程前になりますが、自室のベランダで鳩のひなが孵っているのを発見しました。鳥の侵入も防ぐ意味で、ベランダには防護ネットが張ってあったのですが、一部が破けていた為、以前にも鳩が入ってきたことはありました。まぁ、特に危害も無かったのでそのまま放っておいたことが、このような結果に繋がったわけです。


始めてその状況を見つけた時は、いつの間に巣作りをしていたのかとの驚きよりも、ひながあまりにもかわいくなかった方に驚いてしまいました。人間もそうですが、大抵の動物の子供はそのかわいらしさが一種の生存本能として備わっているものだと思っていました。polkaにしても、生後10日目ぐらいにマンションの前で捨てられているのを見た時には、そのあまりの小ささ(今の頭ぐらいしかなかった)と既にネコとしての姿をしながらもまだ何者ではない愛おしさのようなものが備わっていました。それが、鳩の場合は、ほとんど黒に近いぼさぼさの羽毛に包まれて、かわいそうなほど見た目は悪いものです。

一週間ほどはほとんど動いている様子がありませんでした。親らしき鳩が日に何度かエサを運んでくるのですが、鳴くのもその時だけです。最近は少しだけ毛が変わってきて、鳩の片鱗が見え始め、時折ごそごそと動いているようですが、鳴くのはやはり親が来る時だけですね。

人間の場合、常に親は子を保護している状態ですから、子供は余計本能的に泣いたり、動いたり行動として表わしますが、鳩の場合は通常はそんな素振りを一切見せずに、それでも親が来た時にはありったけの声で応える感じがして、何かいじらしくさえ思えます。

今更、巣を取り除くことも出来ないので、見守ってというか放っておくしかないのですが、この年になってこんな状況を見られたことに大きなものではありませんが、何か暗示めいたものを感じます。それが何なのかは分かりませんが、いずれ分かる日が来るかもしれませんね。

さて、polkaですが、既にその状況に気付いてはいますが、我関せずといった感じです。物音がしても、気にしていない様子です。殊更見に行くわけでもなく、ソファーの背もたれ(その後ろがベランダになっている)の上で、両腕を伸ばすポーズを取りながら、時折表をぼんやりと眺めています。

もうすっかり野性の本能はないようです。もっとも生まれてこのかた外に出て生きたことがないのですから、仕方がないことですし、常に保護され、それが当たり前であることに慣れ切ってしまっているわけですからね。そんなpolkaの様子を見ていると、その良し悪しは別にしても、ちょっと考えさせられてしまいます。

2010年7月17日土曜日

One Quiet Night

「One Quiet Night」Pat Metheny 2003年


木戸孝子写真展で流れているアルバムです。毎回、写真展ごとにBGMのように曲を流していますが、選曲自体も僕の楽しみではあります。ただ、注意しなければならないのは、あくまでも主役は作品ですから、あまりに音そのものが奇抜であったり、そこに意識がいってしまわないようにすることです。その辺が、微妙に難しいところですね。

今回のものは、僕の大好きなミュージシャンのひとりなのですが、あまりに有名な人ですから、誰しもが知っている曲となると、興味がそっちに行ってしまう恐れがあります。そんなことを考えながら、選んだのがこのアルバムです。

これは、簡単に言えば全編ギターソロによるアルバムです。でも、使用しているギターはバリトン・ギターなので、普段のギターの音色と違っています。一見ベースのような感じがするほど、低く太い音がし、何故かとてもクラシカルな印象を受けます。パットメセニーはソロワークでもさまざまなギターを使用していますが、このバリトン・ギターの響きは彼自身にあるパッションのようなものを、静かな演奏とは裏腹にとても強烈に感じられるのです。

しかも、録音は自宅のスタジオです。スタジオの中にはマイクスタンドが一本だけだったと言います。そんなこともあり、非常にパーソナルなアルバムのような気がしますし、実際無心にギターに向かっているその姿を想像すると、パットメセニー自身の音楽やギターに対する愛着や彼の世界観といったものが一層胸に迫ってくるのです。

タイトルは、ある静かな夜、今回のイメージとも合っていると思います。お客さんのいないギャラリーで、ひとり作品に向き合いながら聞いていると、今が昼なのか夜なのかが分からなくなる時があります。独りよがりの部分はありますけど、そんな時間を皆さんにも感じて欲しいと思っています。

2010年7月16日金曜日

お散歩がてらに。

木戸孝子写真展を開催して、今日で一週間になります。他の企業系ギャラリーや貸ギャラリー、市民ギャラリーで開催される展示会であれば、ほぼ最終日になる感じです。ここ仙台で行われている種々の展示会会期は、ワンクール(1週間)が大半です。その為に、僕なんかはその週に都合がつかないと見ることが出来なくなってしまいます。


うちのような商業ギャラリーは性格上、短い期間で行うことが難しいので、大抵は2カ月、短いものでも前回行った”Sha-gaku”の3週間で、他よりも長いなと思われるかもしれません。かといって、のべつまくなしお客さんが来てくれるのかと言えば、そうでもないのが悩ましいところではあります。

今週は無理なので、来週にはとか考えている内にいつしか日々は過ぎてしまい、結局見に来れなくなってしまったとの話を聞くこともあります。でも、それって結局は展示会を見に行くだけの興味が薄かっただけに過ぎないような気がします。やっかみでも何でもなく、質がいいからと言って即集客に繋がるかというとそうではないのが現実です。(好みもありますし)

それでも話題性や流行だけでセレクトし、企画した展示会(質やコンセプト問わず)を行い、集客を図っても、結局は飽きられてしまうものだと、僕は思っています。その辺の匙加減が今でも良く分からないのですが、取りあえずは僕自身がこの展示会に足を運び、ギャラリーへ入った時に、伝わってくる何かがあるかがポイントだとは考えています。

明日以降、少しばかり晴れ間が見られそうですし、お散歩がてらに来てもらえると嬉しいですね。仰々しくなく、気軽な気持ちでゆったりしたひとときを過ごして欲しいと思っていますし、そんな気持ちにさせてくれる作品たちでもありますから。

2010年7月15日木曜日

両手を自由にして

今日も雨です。テレビでは連日豪雨の様子が流れています。こちらでは、それほどまでの降り方ではないのですが、やはり毎日のように続くと気分が滅入ってきます。僕自身、傘を差すことというか手に何かを持っていることがあまり好きではないので、空から何かが降っているのを見るとそれだけで外出する気が失せてしまいます。


この何年かは、普段持ち歩くバッグにしても、トートかショルダーで、いつも肩に掛けるスタイルです。出来るだけ両手を開けて、行動するようにしているわけです。いわゆるビジネスマンが持つようなブリーフケースタイプのものは、ほとんど持ち歩かないようになりました。社会人になりたての頃は、ブリーフケースを持ち歩いていたとの記憶があるのですが、いつの頃からかこんな状態になっていました。

きっかけはと考えると、今から20年程前にノートPCを購入した時点からだったように思います。ノートPCの中でも最軽量のA4タイプのものでしたが、重量は2.6kg、バッテリーも2時間程度しか持たないものでしたので、ACアダプターを常備していないと、日中の仕事には使えないものでした。その為、他の書類なんかも合わせて、3kgをゆうに超える荷物を持ち歩いていたわけです。こうなると、薄手のブリーフケースでは入りようもなく、自然とショルダータイプの大容量バッグになっていきました。

しかもその頃は、会社自体のインフラはおろかPCも無い時代でした。その為、毎日が出張のような感じで出社していたので、周りからも珍しがられたものでした。今はもうそんなことを思う人もいませんし、PCでというよりスマートフォンでも事足りるのかもしれません。

今はと言えば、資料関連を持ち歩く時はA4サイズがゆったり入るショルダーですが、そうでない時は、小物が入るだけの小振りのものになってしまいました。特にPCを持ち歩くことも無く、コンデジ1台が追加されるかどうかだけです。むしろ、手ぶらで出る機会の方が多くなったように感じます。

この話とは関連があるかですが、普通、年を経るにしたがって、世間とのつながりから様々なしがらみなんかが増え、自分自身を制限してしまうケースがあります。それでも、時として、逆に自身の価値観の中で、無駄をそぎ落とし、見ていても潔いなと感じる人もいます。おそらくは、持ち歩くものについても同じことが言えるような気がします。

気がつけば、先ずは両手を自由にし、そこから気持ちも身軽に出来ればと、自然に考えているのかもしれませんね。

2010年7月14日水曜日

人の繋がりや縁

前写真展”Sha-gaku”、そして現在行われている木戸孝子写真展から、県外から訪れる方が増えています。もちろん、これは参加して下さったメンバーや作家本人のお知り合いの方がほとんどなのですが、それにしても有り難いことだと感じています。


新幹線を始め、交通機関の発達により、短時間で移動が可能になったとはいえ、普段仕事以外で遠出をすることは、年に何度もありませんし、家族と一緒に旅行であるとか帰省の為とかが普通です。僕自身、昨年こちらに戻ってきて以来、芝居や展示会の情報を目にするたびに行ってみたいとは思いますが、いざ実行に移そうと思うとなかなか出来ないわけで、今年の5月に古澤君が出演した芝居を観にいったのが一番の遠出だったわけです。もし、古澤君が出演しなければ、おそらくは行かなかったと思います。

東京往復で時間にして4時間、観劇に3時間程度です。一日で済んでしまう話です。まぁ、観劇時間の制約もあり、結局は1日泊まりの行程にはなるのですが、そう考えてもたった2日に渡る話です。それでも、自分の中では結構大事になり、polkaをどうしようかとか次の日の営業に間に合わせるにはとか何時にあの人に会うにはとかいろんな事を考えたりしてしまいます。(この際だからと欲張ってしまうのですね)

だから、こんな東北の良く分からないギャラリーに他県から来ること自体、普通では考えられないことなのだと思います。そんなことをいつも思いながら、期待に違わぬ感じを持っていただけただろうかといつもお帰りの後に考えるのですが、その時点で不快感をあらわにする方も滅多にはいらっしゃらないので、本当のところは分かりません。

それでも、人の繋がりや縁というものは、そんなところから徐々に広がっていくように思います。そして、そんなリアルな繋がりは、ネット上での瞬時の繋がりより遥かに強い印象と感覚を持って生身に触れてきます。だからこそ、大事にしていかなければいけないのでしょうね。その時感じる痛みや喜びなんかを丸ごと受け止め、受け入れながら・・・。

2010年7月13日火曜日

昨夜放送されたサッカー・ワールドカップ総集編

サッカー・ワールドカップがスペインの優勝で終了しました。昨夜その総集編が、民放(テレビ朝日系)とNHKで放送されていました。民放は3時間、NHKが1時間半とそれぞれ特番の形になっていました。使用される映像やコメントの多くは同一のものでしたが、それぞれのらしさが前面に出ていて、その時々の感じ方は若干違った印象を持ちました。


民放は深夜時間帯に毎週行われているサッカー番組の延長線上で、試合そのものよりも個人に注目を当て、個別にコーナーを設けてそれに合うプレイや行動を選択し、観る側の分かりやすさやドラマ的な要素もいれたバラエティーの趣です。一方、NHKは、区切り区切りのゲームや各国の状況をひとつひとつのテーマで集約し、ゲームの流れの中で、実際の選手のコメントを織り込みながら、その中に隠されたドラマを炙り出していくようなやり方です。

どちらが良いのかということは、番組構成や方向性が全く違うので、比較にはなりませんが、同じ題材を用いても語り方や表現の仕方で、いかようにも変化してしまうことに面白さを感じました。構成するメンバーもタレントを揃え、本来のワールドカップ以外の面白さを期待させるやり方とアナウンサーによるナレーションのみとまるで対照的だったし、それが時間的に連続で行われたので、事前に制作の話し合いを行っていたかのような感じにも見えました。(そんなことは絶対ないと思いますが・・・。)

NHKでひとつ、映像の使い方で気になったものがありました。それはカメルーン戦での得点シーンです。もう何度となく見せられたこのシーンは、右サイドから松井選手の切り返しからのセンターリングが、中央奥で待つ本田選手へと繋がり、ゴールとなるものです。映像では試合開始から盛んに松井選手が右足でセンターリングを上げるシーンが流れます。その後、得点シーンの前に松井選手自身の切り返しに関するコメントが入ります。そして、得点シーンになるわけですが、先ず別アングルからの映像が出てきますので、はっきりと松井選手の切り返しが映っていません。それから、お決まりのアングルでのシーンが繰り返しのように流れてきます。

このシーンは見ている人のほぼ100%が知っているものです。敢えて違うアングルのシーンを先に持ってくることで、松井選手が行った切り返しに大きな意味を持たせたような印象を与えます。それは、直後に相手ディフェンダーのコメントが入ることで一層際立ちます。編集の仕方には、行う人それぞれの個性もありますが、これまである方法論や技法が必ず存在しますし、それらを駆使することで新たな個性が生まれてくるのだと思います。そういった意味では、このやり方は充分に効果的であったと感心しました。

表現や発想の可能性は無限であり、同時に創造と想像はどこかで繋がっているものだと改めて思いましたね。でも、実際それを形づけることは、とっても困難で苦しいものなのですが・・・。

2010年7月12日月曜日

今やれることは、今しないと・・・。

今日はお休みです。昨夜はテレビではどこも参議院選速報番組でしたが、世間の人たちの移ろいというか評価の振れ幅は大きく、きびしいものだなと思わせてくれました。人気や知名度だけでは支持されない風潮は今回が初めてではないにしろ、その傾向は強く示されてきているような気がします。


そんな中、劇作家のつかこうへいさんが亡くなったニュースが今朝流れていました。今年の1月に肺がんに罹っていることを公表し、それでも舞台の作・演出を行いながら、闘病生活を送られていました。まだ、62歳だったと言います。

つかさんとは全然面識もありませんが、舞台を観た印象としては、まさに「激情」という言葉がぴったりでした。本人がそうだったのかは分かりませんが、稽古で「口立ち」で演出している姿を時折メディアで紹介されるのを見ていると、そんな感じがしてなりません。舞台でも、突然に何の脈略もないまま、大音響の中歌やダンスが始まったりするので、観客も一瞬取り残された感覚を持ってしまいます。しかしながら、実はその唖然として瞬間から既につかさんの演出に嵌められてしまっていることが多いのです。

つかさんは80年代に一躍演劇界の寵児のようにもてはやされ、その他映画や小説分野でも活躍されていましたが、その実、若手役者の育成や起用に力を入れている方でもありました。よく今売れている若手の男優やアイドル系女優を起用し、話題性のみで舞台を作ったりしているのが見受けられますが、つかさんのそれは全く違っていたのではないかと思います。

アングラ演劇第3世代と言われていますが、昭和の香りがする作家がまたひとりいなくなりました。あっ、まだ、唐さんや蜷川さんは頑張っていますね。

それにしても、62歳とは・・・。

可能性は無限でも、時間は有限です。

今やれることは、今しないと・・・誰にも先の事は分からないのですから。

2010年7月11日日曜日

時間は瞬く間に過ぎていく・・・。

少し遅めの日曜の朝といった雰囲気です。朝の陽射しも照りつける程でもなく、気持ちの良い一日の始まり。こんな時は、ナラ・レオンをと思いながら、CDをセットしたところです。


昨夜、17:00から始まったオープニング・パーティーは、盛況の内に時間があっという間に過ぎて行きました。ギャラリー内を使ってのイベントは少人数のものはこれまでも行ってきましたが、大人数になるものは、昨年7月に横木安良夫写真展で開いたフリートーク&ワークショップ以来です。少しだけ不安も抱えながら、その時間を待っていました。

途切れることなく訪れるお客さんのほとんどは木戸さんの個展開催を心からお祝いしている様子で、親密な距離感を感じます。木戸さんのご両親も高知から駆け付けてくれたり、横浜、鎌倉からわざわざ来て下さった方もいらっしゃったりで、ホント感謝のしようがありません。仙台の写真を愛する方々とも木戸さんと交流を持っていただいて、とても有意義な時間だったと思います。

うちのギャラリーは他ではあまり見られないカウンターがあります。バーや飲食店のそれとは若干違いますが、それでも昨日は充分に活用されました。中で立ち居ふるまってくれたジャッキーさんにも感謝です。長い時間有難うございました。ジャッキーさんは僕なんかよりずっと仙台では有名な方で、国分町で居酒屋「Jacqui's」を行っています。サイトはこちらですので、宜しければお店の方にも行かれて下さい。

http://jacqui.is-mine.net/index.html
 
楽しい会話とたくさんの花に囲まれながら、瞬く間に予定の20:00は過ぎ、幕を下ろしたのは21:30でした。お客さんもギャラリーの雰囲気を気に入り、楽しんで行かれたのではないかと、心密かに思っています。


さて、写真展は始まったばかりです。今日も通常通り営業しますし、約1カ月に渡り、行われます。ホントに多くの人に来て、見て欲しいと願って止みません。昨日も数多くの方が道に迷いながら来られたようです。隠れ家的な部分は全く意識していないのですが、探し当て、扉を開けた瞬間に世界が変わった感じを味わってもらいたいと思っています。

2010年7月10日土曜日

雨も上がり、いよいよ今日お披露目です!

昨夜から降り続いた雨も上がり、快晴のすがすがしい朝です。夜9時以降大雨注意報がテレビにテロップで流れていたので、心配していたのですが、朝のギャラリーの様子はいつもと変わらず、ホッとしています。築30年以上経つビルですので、一時は雨漏りがすることもあって、修理は行っているのですが、ちょっと大きな雨音を聞くと気にかかります。


なんとか、今日一日晴れろとは言いませんが、雨が降らないでいてほしいものです。暑さは多分大丈夫ですので、来られるお客さんには快適な空間で作品を鑑賞してもらいたいと思っています。

昨夜、急遽会期中の企画として、ポートフォリオ・レビューを行う旨の告知をしました。
詳細はこちらのサイトからご覧下さい。

http://kalos-gallery.com/event/planning.html
 
ポートフォリオ・レビューは、以前高橋和海氏に来てもらい、行ったことがあるのですが、その時も非常に良い感じだったのを思い出します。ポートフォリオ・レビューと言うと、何かある程度のレベル以上のものを期待して、参加者もレビューアーもかしこまってしまい、講評・アドバイスというより、単なる批評(評価)になってしまいがちです。


その時の高橋氏はとても楽しそうに作品を見、話していた印象がしました。参加された方々も慣れない状況の中、とても真摯に耳を傾けていました。おそらくは、高橋氏本人の人柄の良さと経験のなせる事なんだと思いますが、決して自分のレベルだけで物事を話さない姿はそれだけで感動ものでした。

こんなことを書くのはおかしいのですが、僕自身ポートフォリオ・レビューにはいささか懐疑的でした。これまでの経験だけでもって断言するような物言いがちょくちょく見られ、鼻に付く場面に遭遇していたからです。そんなこともあって、逆の立場になった時には、その辺りは充分気を付けなければなと思っていました。その場で知識や経験のみをひけらしてもしょうがないですからね。今回も決してそんなことにはならないと思いますので、皆さんに参加してほしいと考えています。

さて、本日ようやく作品のお披露目となります。どんな印象を持っていただけるか、あるいはガッカリしてしまうかは、全てお客さんに委ねたいと思っています。

いつもと同じように、13:00にギャラリーをオープンします。自然体で作品と向き合い、何かを感じてくれれば良いのです。

気軽にお話掛けて下さい。そして、時間の許す限り、その場で楽しんでもらえることが、僕にとっては何よりの元気の素になるのです。

2010年7月9日金曜日

開幕前日

明日から木戸孝子写真展 "The Ordinary Unseen"が始まります。今回は17:00からオープニング・パーティーを行うこともあって、多少準備することがあるのですが、木戸さんのご協力もあり、問題が無く進んでいます。パーティーといっても、飲み物を数種類準備しているだけですから、かしこまらずにカジュアルに楽しい時間を過ごしてもらえれば良いと考えています。


天気予報ではどうやら晴れてくれそうな感じですが、この梅雨時どうなるか分かりません。その辺も考慮しながら進めようかとは思っています。近頃頻繁にあるゲリラ豪雨にだけはならないで欲しいですね。あの状況をテレビの映像で見ていると、ホントうちなんかひとたまりもありませんから。(半地下ですし・・・。)

展示は既に終了しています。なので、今日はこまごました部分をひととおり確認してから、お掃除をしようかと思っています。いつも思うのですが、写真展前日ってホントにこれでいいのと少しだけ不安になります。会場をひとりでぐるりと眺めながら、ひとつひとつの作品を見て、構成や状況を確認していきます。どこかで引っ掛かる部分(作品の印象としてではなく)が無いかがポイントですね。最終的には理論とか方法論は飛んでしまって、一個人として見に来るお客さんの立場で見るようにしています。

その時僕が受ける印象や感情がそのままダイレクトにお客さんに伝わることは稀だと思いますが(作品や作家に対する情報量が遥かに僕の方が多いため)、それはそれで致し方ない部分ではあります。でも、出来るだけ何の予備知識も無く、初めて作品に接するような感覚で見ようとは努めています。

独りよがりにならずに、自己満足でもなく、すんなりと心に届いたり、響いたりするような展開がそこにあれば、きっとお客さんも感じてくれるのではないかと思っています。

さて、今回はどうなるでしょうか。

2010年7月8日木曜日

暑いなんて言ってられません!

サッカーワールドカップもいよいよ佳境に入りましたね。今朝早くスペインがドイツを下して、12日3:00からオランダとの決勝戦が行われます。どちらが勝っても初優勝ですので、さぞかし母国では盛り上がっているのでしょうね。


盛り上がっていると言えば、このところの暑さは日本だけではないようです。世界各地で気温40℃を超えているニュースが流れています。こちらでもすでに真夏日になり、湿度が高いこともあって、不快指数が上がりっぱなしです。夜は雨模様が多いのですが、その分気温も下がり、まだ寝られない程になっていないのが幸いです。

ギャラリーは半地下でひんやりとしています。ただ湿度はあるので、除湿機が活躍中です。会期前なのでひとりでいることが多いのですが、比較的快適に作業を進めています。外の暑さはもちろん関係ありますが、ギャラリー内で室温を上げる最大の原因は人です。密閉された空間ですので、36℃から37℃の体温を持った人間が多く集まるとそれだけで室温は上がります。ひとりでいるとそう感じない暑さも、10人程集まると一気に感じるようになります。

多くの人に来てもらい、楽しんでもらいたいことが一番ですので、エアコンの音は時々気にはなりますがご容赦下さい。狭い個人ギャラリーですが、作品の良さがそんなことも忘れさせてくれると考えています。お客さんには長い時間いてもそれを感じさせない程リラックス出来る空間を提供出来ればと思っています。

明後日には、当ギャラリーでは初めての在仙女性写真家、木戸孝子写真展が開幕、オープニング・パーティーもあります。暑いなんて言ってられません!多少混雑するかもしれませんが、少しでもお客さんの不快指数を下げられればいいなと思っています。近日中に会期中の企画をサイト上で発表する予定です。こちらもお楽しみにお待ち下さい。

2010年7月7日水曜日

井上ひさし追悼 戯曲資料特集展


仙台文学館へ行ってきました。昨年仙台に戻った際に、一度は行かなくちゃと思っていたのですが、ようやく昨日の午後に行ってきました。ギャラリーからは更に北の方角に位置する台原森林公園の一角にその建物はあります。地下鉄で行って、最寄りの駅から20~30分程度かけて森林公園を抜けながらのんびりと行こうかとも考えたのですが、あまり時間も無かったので、今回はバスで行くこととしました。


10分程バスに揺られていくと、最寄りのバス停に到着、そこからは歩いても5分ぐらいです。案内の看板を見ながら歩いていると、入口が見えてきました。入口からはゆったりとした緩い坂道が続き、やがて建物入口に到着です。

現在、仙台文学館では、井上ひさし追悼 戯曲資料特集展を行っています。(~7/11(日)9:00-17:00)昨年3月にこちらで井上さんの講演があり、是非行きたいと思っていたのですが、その時は内装工事の打合せが重なり、断念してしまいました。そうこうしてる間に、井上さんは今年4月に亡くなってしまい、もう二度と会う機会が無くなってしまったわけです。ほんと、残念です。

以前から、井上さんの執筆に関わる作業のことを、テレビや雑誌で見聞きしてはいましたが、その資料なんかを実際見ることはありませんでした。是非実物を見たいとの思いから、行ってきたわけです。2階の入口から中に入ると、3階へ上がる階段が目の前に見えてきます。階段の右手でチケットを購入し、3階にある展示場へ向かうのですが、この2階は文学館らしく開かれた図書館的な感じです。

さて、階段を上ると、いよいよ展示会場になります。右手奥にある常設展は後にして、戯曲資料特集展会場へと入りました。50席ほどの椅子が並べられた奥に、小上がりの舞台がしつらえてあり、その真中に遺影のように井上さんの笑顔のモノクロ写真が飾られ、周りにはこれまで行ってきた演劇のポスターが並べられていました。その部屋を左側に抜けると最初の部屋の2倍程度の広さで、資料や著書などが展示されています。

井上さんの芝居には多くの評伝物があります。先ず眼を惹いたのは、井上さんが自ら作成した主人公となる人物の年譜表です。林芙美子、太宰治やら主人公となる人たちの人生の歩みを時代と共に、調べ記したもので、独特の味のある筆跡で細かく、几帳面に書かれています。創作初期の構想メモやプロット、推敲を重ねている生原稿等、決して見ることが出来ないものがそこにはありました。

井上さんは筆が遅いことでも有名でした。「ロマンス」の原稿執筆の件で関係者に宛てた手紙が展示されているのですが、その内容は遅れていることへの幾分言い訳めいたことが書かれているのかと思っていました。読んでみると、決してそうでは無く、その場面への展開の中で、主人公の立場に立ってみたり、役者やお客さんのことを考えながら、検討している様子がありありと書かれていました。プロの作家として自分自身が先ず納得すること、そして役者、スタッフ、見に来られるお客さんを満足出来ないものは書いてはいけないといった決意のようなものも感じられました。遅れることはプロとして良くないことではありますが、そうなってしまうのも仕方ないないかなと思わせてしまうような手紙でしたね。

僕がこんな稚拙な文章で紹介するよりは、実際に目にして読んでもらった方が理解出来ると思います。このような資料の展示会は、絵や彫刻などとは違い、現物を見て感じるものではなく、ひとつひとつをゆっくりと読む必要があるので、ちょっと敬遠しがちになります。(時間がかかりますからね)それでも、そのひとつひとつを読んでいくと、充分には理解出来なくでも、井上さんが戯曲にかけた思いの一端を垣間見ることが出来ます。

会期は今週一杯です。森林公園の遊歩道を楽しみながら、見に行かれてはいかがですかね。

2010年7月6日火曜日

今朝はちょっぴり損をした気分

今日は少しだけ朝寝坊してしまいました。ギャラリーを始めてから、特に時間が決まって用事がある時以外は、遅めに起きても支障はないのですが、目覚まし時計が普段目覚めているはずの時間を指していないのに気付くと、何故か損をした気分になります。僕の場合、目覚まし時計をセットしても、大抵はその前に起きてしまい、スイッチを切ってしまうことが多いのです。これは、今に始まった事ではありませんが、若い頃からそうだったかと言えばそうでもなく、40代になった頃からだったかもしれません。


この1年余りは、目覚まし時計をセットしたことがありません。まぁ、必要としなかっただけの話ですが、大抵は自分の考えていた時間よりも早く目覚めていました。早めに起きたからと言って、殊更これをしようとかは思いもしないので、ただぼんやりとしている時間が長いか短いかになるわけです。

20代、30代の頃は、朝がとても苦手で、朝食も食べずに会社へと急いで出て行く毎日でした。人並み以上に遅刻もしていました。ほぼ毎日午前様で、寝るのが深夜2時、3時が当たり前でしたから、目覚ましをセットしても、無意識に止めてしまっている場合が多かったですね。無断で休むような事はなかったのですが、今思えば、良く首にならずに済んだものだと思います。

それから、40歳を境にして、僕にとっては大きな出来事が重なったりしたこともあり、生活というか生きることへの考え方に変化が起き始めました。今ここでこの内容を言及するつもりはないのですが、いずれ話す機会があればそうしたいとは考えています。そうしている内に、いつの日か自然に朝早く目覚めるようになって来ました。朝のそんな時間的余裕は、これまた自然に気持ちの余裕を持たせるもので、特に何が起きるわけでもないのに時には得した気分にもなったりします。

そんなわけで、今朝はちょっぴり損をした気分なのです。

さて、じゃあ、気分転換に外出でもしようかなと考えているところでもあります。

2010年7月5日月曜日

いよいよ今日から展示作業が始まります!

いよいよ今日から展示作業が始まります!


今回は、木戸さんとも一緒に作品構成を検討し、配置等の詳細が決まっているので、搬入される作品を展示していけば良いだけです。多少の調整があるかもしれませんが、問題はないと考えています。

展示会を見に来られるお客さんに、展示や照明はギャラリーの意図でしているのですかと聞かれることがあります。以前行った高橋和海写真展で、全体的な照明の暗さとカーテンを使用して境をつけた時には、良くそんなことを聞かれました。この時は作品の大きさやプリント種類、イメージ等から、僕が独断でそうしてしまっています。

今回は非常にスタンダードな写真展の構成を考えていましたので、作品個々の配置と順番をお互いの意見を出しながら、決めていきました。展示の方法はある意味無限にあると言えます。僕の場合は、あるひとつのテーマの中で、それを構成するイメージを選択する際に、分かりやすさ(見る側にとっての)を先ず考えます。なので、シンボリックなイメージがある場合は、比較的作業はやりやすくなります。そういった点では、非常にすんなりと決まった方だと思います。

展示にかかり、徐々に壁に作品が掛けられ、全体の姿が表れ始めます。展示が終わり、照明を入れると作品に輝きのようなものが生まれます。この瞬間が僕にとっては一番ワクワクし、気持ちが昂りますね。若干の位置調整を行い、全ての照明を一気に入れ、ギャラリー内の風景を入口から始まって、順を追ってポイント、ポイントで確認すると、それだけで全ての仕事が終わったように思えてしまいます。

後は、見るお客さんが全てを判断し、評価するわけですから、一旦というか会期中は僕の手からも離れてしまっているように感じています。そういった意味では、お披露目までが僕の仕事であるようにも思っています。もちろん、会期中の反応や評価への反省はいつもするようには心掛けてはいますが・・・。

取りあえず今は、明日ぐらいまでには展示を終え、初日に無事お披露目することを考えています。皆さんはそれまでお楽しみにお待ち下さい。

2010年7月4日日曜日

芝居でも観ようかな・・・。

このところ芝居から離れた生活が続いています。もっとも、僕自身芝居をするわけではなく、観る側の人間なので直接生活に影響するものではありません。5月にパルコ劇場で古澤君の出演した舞台を観て以来、こちらに戻って来てからは、テレビでの観劇もあまりしなくなっていました。


興味が薄れたのではありませんが、”Sha-gaku”、”Story”との企画絡みで、結構やることが増えてもいたし、なによりそれらに関わる人たちとの交流に重きを置いていたというか、楽しんでいたこともあり、時間も関係なくほとんど休みらしい休みもなく動いていたためかもしれません。(その割にはワールドカップは良く見ていますが・・・。)

それが、本来の姿と言えなくもないのですが、どこかで一息入れないと良いアイデアも行動も生まれてこないような気もします。その辺が、難しいところですね。過度とも言える情報はひとところにいても、取捨選択するのが面倒くさくなる程入ってきます。その為に、実際自分が本当に欲しい情報なんかを見逃してしまうことは良くあることです。

僕が芝居に惹かれる訳は、ひとつには日常とは離れた空間で、さもありげな物語を通して、これまで気付いていても意図的に気にしないようにしてきたことや眼をつぶって自ら見ようともしなかったものたちを再認識させてくれるからだと思います。もちろん演ずる役者個々の力や技術にも興味はあります。とても魅力的な役者さんはごまんといますからね。

ひとつの舞台を作り上げる時に必要なパワーは、僕たちの想像の域を遥かに越しているものだと思っています。それは、ひとりでは決して出来ないことであることも分かっています。そんな舞台を役者を始め、スタッフが一体となって行わなければ、成功は程遠い存在になるわけです。これは、どんなことにも当てはまることだと思います。

今は自分ひとりで何かを起こし、その時その時に自身で判断し、責任を取らなければなりません。それ自体をプレッシャーとは感じていませんが、やはりこの方向で良いのだろうかとか不安になることは正直なところあります。

話にまとまりが無くなって来ましたが、今日はDVDで芝居でも観ようかという気分になって来ました。あまり、暗くならないものがいいかな。

2010年7月3日土曜日

もう少しだけ、寝不足の日々が続きそうです。

昨夜のサッカーワールドカップで、ブラジルがオランダに敗れました。ブラジルと言えば、19回の大会の内、5回の優勝経験があり、常に勝つことが当たり前のような扱いをされています。それでも勝負の世界は蓋を開けてみないと分からないということですね。


試合は、前半早い時間にブラジルが得点を上げ先行した為、これはこのまま行ってしまうかなと思っていました。後半に入り、オランダが幸運にもオウンゴールで同点とし、その後逆転したわけです。FIFAランクで1位と4位の国同士の試合ですから、どっちにどう転んでもおかしくはないのですが、見ていた多くの人はブラジルが勝利すると思っていたのではないかと思います。

オランダは予選リーグで日本と戦い、1-0という最少スコアで勝利しています。まぁ、予選のリーグ戦と一発で終わってしまうトーナメントでの戦い方やモチベーションの違いはあるにしても、この結果を受けると、日本もよく頑張ったのだと改めて感じます。

また、試合の審判を日本人が行ったことは、とても画期的なことですね。未だサッカー後進地域と言わざるを得ないアジアから、ワールドカップ準々決勝で審判を任される程になったのですから、これはこれで大したものだと思います。今大会は誤審も多く報道されていて、その判断にビデオも取り入れようかとの意見も出ているようですので、変な話ですが、審判の動きがとても気になって見ていました。(やはり、僕も日本人なんだなぁと殊更に思ってしまいました)

さて、今日はアルゼンチンが登場します。監督であるマラドーナの言動はサッカーを知らない人でも面白く、興味をそそられるところですが、またまた波乱?が起きないとも限りません。もう少しだけ、寝不足の日々が続きそうです。(毎年あるわけじゃありませんから、それはそれでいいでしょう)

2010年7月2日金曜日

夏に向かって・・・polka近況

昨日は7月1日で、各地で海開きがあったようです。今年も半分を終え、いよいよ夏に向かうのかと思いながら外に一歩踏み出すと、どんよりとした曇り空です。さっきまで降っていた雨で、地面は黒く濡れていました。気温はそれほど高くはないのですが、じっとりとした感じが肌で感じられます。


半地下にあるギャラリーは、夏場でも入った時は、ひやっとしているのですが、長くいると湿度を感じてきます。今年もそろそろ除湿機の出番のようです。除湿機を使用するとその周りの温度が、2℃程上がります。実際、上側から暖かい空気がいつも噴き出しています。何か矛盾しているようなことですが、エアコンと併用しながら、作品保護の観点からもそのようにしているのです。

さて、部屋にいるpolkaですが、少しは暑さと湿度を感じているようです。まぁ、年中毛皮を着こんでいる状態ですから、もしかしたら僕なんかより敏感に感じているのかもしれません。最近はフローリングの床に直に座り込んでいる時があります。以前はあまり見られなかったことです。(もっとも以前はエアコンがあり、年中同じような状態でしたからね)

polkaも昨年からエアコン無しの生活をしているわけで、体調が崩れないかと心配をしていたのですが、そんな兆候は見られません。それでも、12歳の年月は気が付かない内に、確実に、polka自身を老いに向かわせています。

今年に入ってからのフン詰まりも、足腰に踏ん張りが利きづらくなっていることも一因だと医師から言われると、そうなんだと改めて思うわけです。毎日一緒に生活していると、ほとんど変わらぬ姿に見えるので、とてもそのようには思えません。

後何年一緒にいられるかなんて、普段は全く考えていないのですが、病院に連れて行く機会があると、ついそんなことを思ったりします。polkaが僕の事をどう考えているかは分かりませんが、いつもご飯を用意してくれるおやじぐらいの軽さの方が、ネコらしくて良いように思っています。

つかず離れず、何となくお互いを意識しながら、たまには気にかけたりするような間柄を続けていければ、それで良いのです。(言葉は交わせなくとも)

2010年7月1日木曜日

久しぶりに朝日を感じながら

久しぶりに朝日を感じながら目覚めました。それほど厚くないカーテン越しに見える光は、それだけで気分が良くなります。起き上がり、カーテンを思いっきり引いた瞬間に差し込む明かりに、一日が始まる実感と今日も頑張ろうという気が起きてきます。


そう感じるたびに、僕はひどく単純な人間だなと思ってしまいます。いつもとは違う一日。そんな日はごくごく稀であって、大抵は普段の流れの中で進んでいくものです。でも天気の良い朝を迎えた日ぐらいは、ちょっとだけでも期待感を持っても良いのだと思うのです。

昨日は”Sha-gaku”参加者の最後の撤収があって、2人で作品を壁から外しました。現在、ギャラリーの壁面には写真作品がひとつもありません。真っ白な壁に囲まれて、中央にある作業テーブルの上に、祭りの後の残骸のようにキャプション類が置かれています。

ひとつの会期が終了すると、いつもこんな感じです。あれほど悩み、考えながら展示していた作品も、片付けるのはあっという間です。今回は壁面ごとに各人が撤収をしましたので、余計そう感じたのかもしれません。

今週はそんながらんとした空間にひとりでいる予定です。まぁ、一日中籠っているわけではありませんが、大半はそんな感じです。僕のような存在は、他人からすれば普段は何をしているのと言われがちですが、時々自分でもそう思うことがありますので、致し方ないのでしょうね。

芝居や興行にしても、その裏側をお見せしてもつまらないですし、作品の良し悪しは披露したものでしか評価されないわけですから、それで良いのです。ただし、過度に自分よがりにならないようにはしています。言葉を変えると、自分の考えだけで物事を決めつけないようにする事ですね。そんな意味も含めて、改めて見直すためには、時々は何も考えない時間が必要になります。

来週早々には、次回の展示が始まります。今まで頭で描いていたものが現実のものとなります。本筋に変化はありませんが、ところどころ思い描くことに変化があります。それが良いのか悪いのかは、もう少し考える時間が必要です。

煮詰まってきたら、アジサイでも見に行きましょうか・・・。