2009年10月31日土曜日

憂世と浮世

3日前に歌舞伎公演「女殺油地獄」について掲載しましたが、その放送があった週の爆笑問題のニッポンの教養で偶然にも「カブキズム!」と題された放送がありました。

登場していたのが、早稲田大学名誉教授で比較演劇学者の河竹登志夫さんでした。河竹と聞いて、えっと思う方は結構多くいらっしゃると思いますが、「こいつは春から縁起がいいわえ」など数々の名台詞を残した天才歌舞伎作者・河竹黙阿弥のひ孫でもある人です。

僕が河竹さんを初めて知ったのは、かなり昔のテレビ放送だったと思いますが、その時紹介された「憂世と浮世―世阿弥から黙阿弥へ」 (1994年刊行NHKブックス)という本が読んでみて、改めてとても面白い方だなと思っていました。

本の題名である憂世と浮世ですが、これは両方とも「うきよ」と読みます。(そんなこと解ってるわいとツッコまれそうですが)河竹さんは本の中で、この2つの「うきよ」を次のように言っています。

中世武家社会の芸能である能の世界観と 近世町人社会の芸能である歌舞伎に流れる世界観を 対比させたもの。 簡単にいうと、この世の悲劇をシリアスに受けとめ、 そこからの救済を願うのが「憂世」観であり、「どうせこの世は憂きことばかり」と開き直って、いま、この時を 楽しんでしまおうというのが「浮世」観。洋の東西を超えて、人間が生きるところにはいつも、この二つの世界観が楕円の二つの中心のようにあるのだ。

番組で、現在はどちらですかの質問に対して、河竹さんは「浮世」だと話していました。価値観の多様化や生活習慣・レベルの差はもとより、社会構造自体複雑極まりなくなってきた現代において、憂きことは、簡単に解消しきれないし、死ぬまでに残ってしまう可能性の方が高いと言えます。それだったら、いま、この時を「浮世」と思い、生きることを楽しむことのために、日々送った方がましで、むしろその為の問題解決の手助けをした方が良いのだと考え、そう話したのかもしれません。
まぁ、そうは言っても、生きていくだけでもそれはそれでしんどい世の中でもあるわけで、一筋縄では行かないのが現実です。

一昨日の深夜、8月に遊びにきた元部下(こういう言い方はあまりしたくないが)から1通のメールが届きました。その中には以前の会社にアルバイトに来ていて、とても親しくしていた古澤君の近況が書かれていました。

古澤君は8/9の「ひとときの幸せ」にちょっと載せた演劇をしている若者です。フルネームは、古澤裕介君と言います。ポツドール公演では劇団員でもないのに、ほぼレギュラーで出演し、鉄割アルバトロスケット公演にもよく出ていたりしていて、その方面では、結構ファンもいます。普段の彼はとても真面目でとてもいい奴なので、芝居をしている彼を見ると何か同じ人間のようには思えないほどです。
そんな古澤君も最近テレビの端役(失礼な言い方ですが)で出演していました。(クレジットも出ています。)

http://www.veoh.com/browse/videos/category/action_adventure/watch/v19264722qqEg67sH#

http://dramato.blog98.fc2.com/blog-entry-11457.html

1つは東京DOGS、もう1つはNHK ママさんバレーでつかまえて、です。
いずれも中盤から後半にかけて、登場してきます。

彼とメールのやり取りをした最後が、9月の始めです。その時には、ここ何カ月かはアルバイトに集中しています。アルバイト先が必要な時入れるようにしないと解雇される恐れがある為です。いまは日々の生活で目一杯です、と言うようなことが書かれていました。

やはり不況の影響は大きいのですが、頑張って芝居を続けて欲しいなとずっと思っていたのです。そんな折、この知らせで、テレビ出演して良かったなとホッとした感情と同時に、自分は約2ヵ月も連絡すらしていなかったことに気付き、愕然としてしまいました。

昨日も書きましたが、気持ちだけではダメなんです。

このブログもそうですが、今日にでも、言葉として伝えようと思います。

僕自身、河竹さん同様、この世は「浮世」だと思っている人間ですから。

2009年10月30日金曜日

プロ野球ドラフト会議

昨日午後にプロ野球ドラフト会議がありました。

今年の話題は何といっても18歳の高校No.1左腕、花巻東(岩手)・菊池雄星投手が何球団に1位指名を受けるかと一般の方が招待という形で見られるようになったことです。一般の方が見られることもあり、抽選の箱が透明になり、各球団の代表が封筒を取る時の手の動きが分かるようになっていました。

僕は仙台では地上波で放送されていなかったこの中継をKeyHoleTVで見ていました。ブロックノイズだらけで音声も途切れがちではありますが、興味ある番組が首都圏だけでしかやっていない時に、時々見たりします。昨日のドラフト会議中継は、アクセス数も多かったこともあり、途中何度も途切れましたが、1位指名の場面だけは見ることが出来ました。

菊池選手がプロ入り宣言をしてから、花巻東高校に訪れた球団は日米合わせて20チームらしいのですが、国内プロ入りを宣言してから、ドラフト会議前には9球団が1位指名をするのではないかと言われていました。

いざ蓋を開けてみると、最初の4球団からは菊池選手の名前が出てきません。一瞬会場にざわめきがでましたが、その後最終的には6球団による指名となりました。それから先はニュースでも報じられたように、西武が指名権を獲得したわけです。

1位指名しなかった3球団については、それぞれの大人の事情もあったわけで、責められるものではありませんが、これまでドラフト会議をめぐって行われてきた過去の出来事を思うと、やはりほんの少しですが違和感を覚えます。

ドラフト会議で指名を受けた選手の多くが、幼いころからの夢でしたと言いますが、まさにその言葉に嘘はないように思います。でも、指名を受けられる立場になった時点で、それはもう決して夢ではなく、大人となった現在の現実でもあるのです。

菊池選手の場合は、どの球団でもOKとの意向がありましたから、特に問題にはなりませんでしたが、今回巨人から指名を受けた長野選手は過去2度の他球団指名拒否をしていることも事実としてあります。まぁ、職業選択の自由があるとはいえ、誰しもがプロ野球選手にはなれませんし、一般の多くの人もこの職業じゃなければ(この会社じゃなければ)と思っていても、実際そうなることは少ないですからね。

でも、人生は1回きりでしかも非常に短いのですから、初志貫徹みたいな考えには、年を重ねる程に惹かれます。また、真摯にそんな人生を送っている人々には少しでも応援していたいなとも考えています。

そして、最も大事なのは、その事を心で思うだけではなく、ちゃんと相手に伝えることなんだろうけど、
ホント、むずかしいですね。

2009年10月29日木曜日

昨夜のお供は、~Norah Jones~


写真展準備も、昨夜作品タイトルのキャプションを取り付け、ほぼ終了。その後、ひとりギャラリーでミュージック・ビデオ(DVD)を見ました(聞きました?)。

Norah Jones 「LIVE IN NEW ORLEANS」2003年、EMIミュージック・ジャパン

2002年8月にニュー・オリンズのハウス・オブ・ブルースで録音された今作品は、ライブハウスという箱の小ささもあって、非常に普段着のノラ・ジョーンズが見られて、僕の好きなDVDの一つです。

映像的には、カメラワークも凝っていない(ステージも狭いのでいたしかたない)し、必見のステージかと言うとそうではないのですが、なんかとても親密な雰囲気でリラックスした姿が見られ、こちらとしてもいざ見るぞと構える必要がありません。

だから、ノラ・ジョーンズの名唱や素晴らしいコンサートを期待する方にはお勧め出来ません。でも、何故かホッとします。

ノラ・ジョーンズと言えば、父親が世界的に有名なインドのシタール奏者、ラヴィ・シャンカールですが、今から15年ほど前にインドへ行った時に、仕事の合間を縫って、ラヴィ・シャンカールのカセットテープを買った覚えがあります。レコード店とおぼしきそのお店には、レコードよりもカセットテープが所狭しと並んでいました。インドに限らず、東南アジア各国では、当時はまだカセットテープが主流だったように思います。

そんな家庭環境もあり、ノラは幼いころより音楽との関係を深めていきました。最も影響を受けたシンガーはビリー・ホリデイで、「ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド」が大好きだったそうです。音楽に関して言えば、かなり早熟ですね。

デビューアルバム "Come Away With Me" をブルーノートからリリースしたのが、2002年2月ですから、それから半年しか経っていないデビューしたてのノラ・ジョーンズが見られる映像という点では貴重なDVDなのかもしれません。

さて、ハービー・山口写真展でも、BGMを用意しています。HP上で書いたように、皆さんがお持ちになる音楽もおかけしますが、それ以外のときはずっと流れています。

それも含めて、楽しんでもらえればと思っています。

2009年10月28日水曜日

「女殺油地獄」

この4、5日程、昼間は外出、帰ってきて写真展準備と何かと落ち着かない感じでしたが、昨日夜に、先週録画していた「女殺油地獄」(NHK芸術劇場)をやっと見ました。

「女殺油地獄」と言えば近松作品の中ではかなり変わったもので、人形浄瑠璃として初演、その後歌舞伎で上演されましたが、不評であった為、一旦お蔵入り、明治になるまで再演はされなかったそうです。その後、明治に歌舞伎として再演された後は、歌舞伎はもとより数多く映画化されたり、テレビドラマとしても放映されるようになりました。(潤色されたりしますが)

ごく最近では、これを原作とした「ネジと紙幣」が森山未來主役で舞台化され、仙台でも地方公演として行われたばかりです。こちらは未見ですが、演出・劇作が倉持裕さんですので、より奇妙にぐちゃぐちゃしたものになったように想像出来ます。

先週放映された「女殺油地獄」は、上方歌舞伎です。今年6月に東京・歌舞伎座で上演、片岡仁左衛門が「一世一代」(演じ納め)とうたって取り組んだ舞台でした。番組冒頭でのインタビューでは、この上演を最後に主人公である与兵衛を演じないとわざわざ宣言しているにもかかわらず、意外にもあっさりとその経緯を話した後、与兵衛という人物像や作品全体を非常にやさしい言葉で分析でもするように語っています。それは、逆に片岡仁左衛門の役者としての深さを感じさせるに十分なものでした。

僕はほとんど歌舞伎を見たことがありません。この歌舞伎も実は初見でしたが、映画や舞台で観たりしていて、ストーリーを知っていたこともあり、とてもすんなりと入ってきました。やはり、事前の経験や学習は大きいものです。

それにしても、自堕落で放蕩な男、与兵衛が、結局は借金のために隣の油屋の妻を殺してしまうと言う本当にどうしようもない話なのですが、片岡仁左衛門が演ずる与兵衛は何か憎めない悪党でもあり、時にかわいくも見えたりします。もちろん原作の良さもあるのでしょうが、やはり、役者の力量によるものが大きいなと再認識させられました。

日本には滅びの美学というか、死に対してもそのありように意味を持たせる(宗教観ではなく)傾向のように思います。この作品も最後の殺人をおこす場面が見せ所となります。与兵衛が凶行に及ぶまで、そして殺人を起こしてしまった後、フッと我に変える、その時々の表情の移り変わりは見事の一言です。また、油屋の妻、お吉が背をのけぞらせながら死んでいくのですが、その形が、まさに歌舞伎なんですよね。

それからこれは上方歌舞伎なので、ゆったりとした関西弁で進みます。その響きの心地よさも手伝ってか、後味の悪さが薄れ、なぜか物語としての美しさ(はかなさにも似た)を感じてしまいます。明治の時代から再演を繰り返し、現在へ繋がっている理由もそんなところにあるのかもしれません。

やはり、良いものは良いということです。でもそれは、伝える人や物や場がなければ、そこで止まってしまいます。だからこそ、良いものを良いと素直に認め、伝え、残すことが大事なんだと思います。

2009年10月27日火曜日

ほぼ展示終了~愛の溢れる空間へ

展示が昨日でほぼ終了しました。

久しぶりに体を動かしたことで、運動不足を改めて実感しつつも、心地よい疲労感の中、展示後のスポットに照らされている作品を見ていると、自然とモチベーションが上がる思いがします。

初期の「LONDON」から「静かなシャッター」までの代表作が並べられている光景には、ハービー・山口氏の一貫したスタンスが感じられます。人に対しての優しさ(自分を含めて)や想いが一杯詰まったこれらのイメージは、気持ちを豊かにしてくれます。

写真集としてまとめられた『LONDON-Chasing The Dream-』は、夢を追い求めての副題通り、ハービー・山口氏自身の原点であり、青春の軌跡のようなものです。

新装版の表紙である煙草をくゆらすジョー・ストラマー、アトリエで頬杖をつくヴィヴィアン・ウェストウッド、クリケットに励む女学生などの作品には、時代性とともに美しくも希望に満ちた情景が色濃く写し出されています。

その後の「PEACE」、「静かなシャッター」における若者の笑顔、こどもやお年寄りの姿には、まだまだ世の中捨てたもんじゃないよと言った肩ひじ張らない素直な思いが感じられ、きっと元気や勇気がもらえるのではないかと思っています。

また、「代官山17番地」の代表作であり、DMやチラシのイメージに使用している作品は、大判(960×1200mm)で展示されています。ゼラチンシルバープリントの質感は、大判であっても損なわれることがなく、むしろその表現の確かさに驚かれるのではないでしょうか。

今日もまた宣伝の様になってしまいましたが、今ギャラリーは、「The Big Love」のタイトル通りに、愛に溢れる空間に生まれ変わっています。

皆さんの笑顔にお会いできることを、楽しみにしています。

2009年10月26日月曜日

作品搬入、展示作業真っ最中!

ちょっとバタバタとしています。

昨日午後、ハービー・山口氏の作品搬入があり、荷受、開梱、作品確認を行いました。今回の展示点数は31点になります。内、大判(960×1200mm)が2点あり、スペース的には結構ぎりぎりになるかと思いますが、出来るだけ余裕があるような感じにしたいと思っています。

作品を1点、1点見ていると、クオリティーの高さと写真本来持っている力のようなものを感じます。なにより、作家としてのスタンスを明快に伝わってきますので、どの世代の方にも受け入れられるのではないかと思います。

販売する写真集も決定しました。今年再販された「LONDON-Chasing The Dream-」の新装版になります。ハービー・山口氏の原点とも言えるロンドンでの10年間がここに凝縮されています。また、この新装版には特典として、ハービー・山口氏のロンドン在住時のスペシャル・フォトプリントが巻末についていますので、とてもお買い得です。

収録されているイメージのいくつかは展示作品として見ることが出来ますので、オリジナル・プリントとの比較も楽しでいただけるのではないかと思っています。

詳細については、追ってHPに掲載していきますから、今しばらくお待ちください。

なんか、今日は現状報告と宣伝になってしまいましたが、期待に違わぬ展示内容になることは間違いないと感じていますので、多くの皆様に見ていただきたいと心より願っています。

短いですが、今日はこれまでです。

2009年10月25日日曜日

奇跡

残念ですが、奇跡は起きませんでした。

昨日のプロ野球パリーグCS第4戦が、楽天での野村監督最後の試合になりました。日本ハムのスレッジ選手に始まって、スレッジ選手に終わった感がありましたが、短期決戦と言われるものには、何かそんなツキもある選手が出るものです。

野村監督の試合後インタビューの中で、人間何を残すかが大事、そして教え子のような選手やコーチを残すことで、少しは野球界に貢献したかなと言う意味の言葉が非常に印象に残りました。両チーム合同でのグラウンド上の胴上げも、野村監督だからのことだったと思います。

もうひとつ、今週、奇跡は起こらなかったと話していたのが俳優の長門裕之さんです。そう、3年以上介護を続けてきた妻、南田洋子さんの死去です。南田洋子さんは3年前、認知症により女優を引退し、その後長門さんが介護を続け、その様子はドキュメンタリー番組として放映されました。

つい、2週間前の映像を見ると、何か普通に戻った様子で、僕自身非常に驚きました。その矢先の出来事だったので、会見の様子はとても見ていて痛々しかったです。長門さん自身とうに覚悟はあったと思いますが、目の前に現実を突きつけられた時の感情は何事にも及ばないものです。

井上ひさしさんの名作に「きらめく星座」という芝居があります。何回目の再演の時かは覚えていませんが、すまけいさん演ずる広告文案家、竹田にこんなセリフがありました。

「水惑星だからといって、かならず生命が発生するとはかぎりません。しかし地球にあるとき小さな生命が誕生しました。これも奇跡です。そのちいさな生命が数限りない試練を経て人間にまで至ったのも奇跡の連続です・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わたしたちがいる、いま、生きているというだけでも奇跡中の奇跡なのです。こうして話をしたり、誰かと恋だのけんかだのをすること、それもその一つ一つが奇跡なのです。
人間は奇跡そのもの。人間の一挙手、一投足も奇跡そのもの。
だから人間は生きなければなりません。」

あまりにストレートな言い回しなので、何か気恥かしい思いがする人もいると思いますが、井上作品の根底に流れている一節だと、僕は思っています。人が感情の生き物である限り、落ち込んだり、へこんだりすることはままあるわけで、時にこんな言葉を思い出しながら、勇気づけられもしているわけです。

だからこそ、決してきれい事ではなく、短いこの時間の間に、本能としての生だけではない楽しみや感動を得たいとし、そして、残せる何かを探しているのかもしれません。

2009年10月24日土曜日

「aeroTAP」

昨日の続きのようですが、YouTubeでこんな動画がありました。

http://www.youtube.com/watch?v=UelOXuLQwCQ

ちょっと調べてみると、「マウスに疲れたらジェスチャで―― PC を空中で操作する「aeroTAP」をネクステッジが開発」とあります。

「離れた場所から Web カメラを介して簡単なジェスチャでコンピュータを操作できる、非接触型のインターフェイス。リモートコントローラは必要ない。汎用の PC の既存の汎用アプリケーションを、を安価な Web カメラのみで操作できるようになる。」とも書いてあります。

実際、YouTubeの動画では、Web カメラが操作している人間の手の動きを認知し、位置情報をコンピュータ側に返しているように見えます。レスポンス的にはどの程度実用化出来るレベルなのかは分かりませんが、モニターがもっと巨大(投影されたものでもよいが)で、3Dで目の前にあったら、「ミッション・インポッシブル」(特に好きな映画ではありません)の世界に近づくような気もします。

ネクステッジって筑波にある従業員12名(2007年会社案内による)の、いわゆるベンチャーなんですかね。会社概要には、「ソフトウェア製品のグローバリゼーション("G11n") - インターナショナリゼーション("I18n")およびローカリゼーション("L10n") - に関するスキルに特化したサービスを提供します。」とありますので、ソフトウエアを開発した環境とは違った環境(外国や異文化)へ適合させるための翻訳家のような立場と言ったらいいのでしょうか。

最近はあまり聞かなくなりましたが、「スキマ産業」という言葉が頻繁に使われる時期があったように思います。一般受けではないけれど、それなりの需要もあり、困ったところに手が届く的な商売ですね。ネクステッジも、そういう意味では「スキマ産業」のような範疇に当たるとも言えます。

人のスキを突くと言うととても悪い印象しかありませんが、このような発想は大手ではほとんど出来ないと思いますので、率直に良いことだと思います。
なんとなくですが、体の不自由な方とかにも活用出来そうですしね。

2009年10月23日金曜日

バーチャルな世界

今朝のニュースで「デジタルコンテンツ Expo 2009」の一部が放映されていました。
今週25日まで東京都の日本科学未来館と東京国際交流館で開催されている「デジタルコンテンツ Expo 2009」は、ゲームや映画、Webコンテンツなどの展示や講演、シンポジウム、映像上映などからなる総合博覧会だそうです。

3次元化技術については、仕事上1995年頃から接してきたこともあり、いくつかの展示会やセミナーを受けたりしていましたが、その当時はまだ形状化の容易さや操作性といった技術者レベルの内容でした。それから、ハードの進化とともに、処理能力が飛躍的に増大したことも重なり、一般にもバーチャル・リアリティーなる仮想現実の世界が認知されるようになりました。

現在では、学術的というよりはむしろ普段の暮らしの中での活用が重要視されているような気がします。とりわけ、娯楽である映像やゲームでは、良く耳にするようになりました。テレビや映画での3D映像については、もうじき一般に発売され、家庭でも見られるようになりますし、ゲームもしかりで、Wiiのような体感型ソフトが次々と現れています。

「デジタルコンテンツ Expo 2009」は、大きく分けると次世代コンテンツ技術展2009(ConTEX)、 ASIAGRAPH 2009 in Tokyo 、国際3D Fair 2009 in Tokyo となっています。放送では、次世代コンテンツ技術展2009(ConTEX)に展示されているいくつかが紹介されていました。

ここでは、おもに大学が行っている技術研究の成果を目で見て、実際に触れ、体感出来ます。大学での研究というと僕なんかはすぐ基礎研究を思いついてしまいますが、今では民間と協力しながら、実用化へのプロセスがより密接になってきました。

その中でインターフェースでおもしろかったのが、東京工業大学と電気通信大学が出展した“Haptic Ring”でした。モニターに小熊が表示されているのですが、これを映像として映った自分の手で撫でると、小熊が反応するという展示です。言葉で表すとなかなか分かりずらいのですが、画面上のバーチャルの小熊がまるで目や触覚があるかのように、手の動きを感知し、同時にひとさし指につけられたリングによって、触れている人自身もその触感を得ることが出来るようです。

今までは、視覚、聴覚の部分が多く取り上げられていましたが、この例にもあるようによりリアルに触覚や嗅覚といった五感に迫ったものが取り上げられるのでしょうね。ネット上に現われる物に触れて確かめたり、においをかいだり出来る世の中が近々来るかも知れません。

その時は、「ミッション・インポッシブル」みたいな感じになるのかな。でもにおいはどうなんだろう。夜中、部屋中にいやなにおいが充満している状況を想像すると、今はにおいはいいかなと思ったりします。

2009年10月22日木曜日

まさに劇的

まさに劇的。

昨日から始まったパリーグCS初戦での幕切れ。
逆転サヨナラ満塁ホームランによる一瞬の終了。スコアが、9x-8、9の横に付くxが普通ではない勝負の意味を表しています。

9回表を終了して、誰もが楽天の勝利を確信したと思います。勝負事は下駄を履くまで分らないとよく言いますが、全くその通りです。同じ野球では、今年の夏の甲子園決勝、日本文理の9回2アウトからの反撃が記憶に新しいですが、今回は逆転してしまったのですから、見事としか言いようがありませんね。楽天にしてみればかなりのダメージですが、問題は今日でしょう。何と言ってもエース登板ですから。

少し前に、決して劇的ではなく。と言うお題の話を書きましたが、このような状況での演出なしの劇的さは必要なことだと思います。ファン心理からすると、よくぞそこまでと何もそこまでと立場の違いにより感じ方が両極端になってしまいます。でも、そんな試合やプレーを見たくて、球場に足を運んだり、テレビで観戦するわけですから、そう言う意味では初戦からドラマチックな幕開きだったことが、今後何が起こるか分からないぞと言う期待を抱かせます。

昨日のKスタ宮城でのパブリック・ビュー観戦も2200人だったと聞きます。帰り道は寒さが気温以上に感じられたでしょうが、今夜も頑張って応援して下さい。


話は全然変わりますが、一昨日、劇団グリングの第18回公演のDMが届きました。

公演名の中に「活動休止」の文字があります。HPにも詳細は載っていませんでしたが、しばらく劇団としての活動を休止するようです。

グリングは僕の好きな劇団の一つで、毎回のように観に行っていました。主宰の劇作・演出家の青木豪さんには、他の公演を観に行った際も何回となく見かけていたので、とても寂しい感じがします。首都圏近郊の方は、この機会を逃すとしばらくは観られませんので是非観に行ってください。

ここのDMはいつもマット調のハガキに、公演を象徴するような写真を載せてあり、とても気に入っていたのですが、当分は目にすることが出来ないですね。

以前、テレビのインタビューで、「何気ない普通の人の生活やその時々に話す言葉の裏には、全く持って大きなドラマが隠されているかもしれません。そんな芝居なら僕にも作れるかもしれないと思って劇作を始めました。」と青木さんが話していました。

生きていくことそのものが、むしろ劇的なことであると言っているようで、僕自身そんな世界に惹かれていたのかもしれません。なので、活動休止はとても残念です。

2009年10月21日水曜日

「クルマを楽しむ、地球と楽しむ。」

今週の24日から11月8日まで、千葉、幕張メッセで第41回東京モーターショー2009が開かれます。

ニュースリリースによると今回のショーテーマは、”「クルマを楽しむ、地球と楽しむ。」(「和文」)(“Fun Driving for Us, Eco Driving for Earth”)(英文)としました。環境と共生する中でクルマの楽しさを追及する「楽しさと環境(Fun & Eco)」の考え方をシンプルに表現し、クルマに乗る喜びも、環境に配慮することも、どちらも「楽しもう」とポジティブに捉え、「楽しさ」と「環境」の両立を強く訴えているものにしています。「クルマを楽しむ、地球と楽しむ。」”とあります。

エコカーと称されるハイブリットや電気自動車の実用化、政府支援などが一般の消費者にも受け入れられてますので、少しベタな感じはしますが、当然と言えば当然ですね。そんな中、バイクやスクーターにも電気や燃料電池を使用し、エコを意識したモデルが出展されます。

ホンダは「スーパーカブ」の電動モデル「EV-カブ」、ヤマハは来年発売を目標としている「EC-03」とコンセプトモデルとして未来的なデザインの「EC-f」「EC-fs」の2種を出展しています。一方、スズキは、燃料電池搭載のビッグスクーター「バーグマン・フューエル・セル・スクーター」で、航続距離を約350キロと想定し、中大型バイクに焦点を当てているようです。

これらのバイクに特徴的な点は、エンジンといった吸排気に関わる部分が無い為、軽量化とデザインの自由度が広がることが挙げられます。実際、軽量アルミフレームを使用していたり、「EC-f」「EC-fs」についてはかなり独創的なデザインですね。

これは、北里大学名誉教授で医学博士の田口 文章氏へのインタビュー記事の一節です。

“ある人が、これまでの人類のエネルギーの推移をみてみると、薪、石炭、石油、天然ガスへと移り変わってきた。次第に炭酸ガスを出さない方向に動いているというのです。なるほど化学式で見てみると、薪は水素原子1個に対して炭素原子が10個。これに対して石炭は水素1個に炭素が2個、天然ガスになると水素4個に炭素1個と表現できます。となると、次のエネルギー源は炭素のないものになるはずだ。それがウランと水素だというんです。元素の中で一番重いウランと一番軽い水素がこれからの主役というわけですが、ウランは廃棄物処理の問題がありますから、水素が人類のエネルギーとして最重要になると私も思いますね。水素にはロマンを感じます。”

田口 文章氏は、パンダの糞とシロアリから分離した有用菌で、 水素を取り出し、生ゴミを分離処理する研究で、今年イグ・ノーベル賞を受賞した方です。将来的に、この生ゴミから水素ガスを取り出す技術が実用化し、システム化されれば、当然のように自動車やバイクの燃料にもなるわけです。

まぁ、世界的規模でのエコ化の情勢を後押しにして、各社とも技術開発に臨むわけですが、一企業の利益追求だけのエゴにはなって欲しくないと思っています。

2009年10月20日火曜日

オリオン座流星群

オリオン座流星群が、19日夜から23日未明にピークを迎えます。

今年は月明かりがないため条件が良く、1時間あたり最大で50個以上の流星が、東の夜空に浮かぶオリオン座近くの場所(放射点)を起点に広い範囲に現れ、肉眼で観測出来るとのことです。

国立天文台のHPを見ると詳しい情報が見られます。
http://www.nao.ac.jp/phenomena/20091019/#Section1

見える時間帯が、22時から深夜0時を回ってからなので、一人で表に出るには少し寒いですね。(もちろん一人じゃない方が良いですが)ベランダ等で暖かい格好をして見ることが出来ればベストです。今年のオリオン座流星群では、流星群が活動し始める22時よりも前に月は沈むので、月明かりの影響を全く受けずに見ることができる絶好の条件と言えます。

さて、流星群と言えば、僕は松任谷由美さんの「ジャコビニ彗星の日」を思い出します。
確か、1979年にリリースされたアルバム「悲しいほどお天気」に入っていたと思います。
哀しく切ない詩が、揺れ動く女性の気持ちを表現していて、秋という季節がとても感じられる曲です。

夜のFMからニュースを流しながら
部屋の明かり消して 窓辺に椅子を運ぶ
小さなオペラグラス じっとのぞいたけど
月をすべる雲と 柿の木揺れてただけ
'72年 10月 9日
あなたの電話が少ないことに慣れてく
私はひとり ぼんやり待った
遠くよこぎる流星群

それはただどうでもいいことだったのに
空に近い場所へ出かけてゆきたかった
いつか手をひかれて川原で見た花火
夢は つかの間だと 自分にいい聞かせて
シベリアからも見えなかったよと
翌朝 弟が新聞ひろげ つぶやく
淋しくなれば また来るかしら
光る尾をひく流星群

   (「悲しいほどお天気」1979年)より(LP:TOJT-10641)(CD:TOCT-10641)

http://www.youtube.com/watch?v=8CynJ53RukE

そう言えば、この頃からCDが発売され始めたのかな。

2009年10月19日月曜日

羽根のない扇風機

「Dyson Air Multiplier」

今月ダイソン社から発表があった羽根のない扇風機ですね。羽根がないのに「扇風」とは変ですが、いままでに無かった製品ですので、日本語ではそう紹介されています。

ダイソン社と言えば、強力な掃除機で有名で、家電らしからぬ形と色遣いの面白さがよそとはちょっと違うことをアピールしていたように感じていました。実際、掃除機のパワーは強力で、毎日polkaの抜け毛に困っていた僕も掃除機購入の際には検討対象のひとつでした。

今朝のテレビで実際に動いている姿を見ましたが、比較的コンパクトなサイズで、何も無い穴から噴出される風の様子は、とても近未来的(表現が古い!)な印象がしました。2001年宇宙の旅の一コマにでも登場していたら面白かったのに、とも思いました。

羽根がないのに風がくるのはなぜかと言うことでYouTubeなどに動画がアップされています。

http://www.youtube.com/watch?v=gChp0Cy33eY

理屈は、下部部分に静圧の高いファンがあってリング状の部分に空気を送り込み、リング状の部分にはノズルが付いてベンチュリのようになっていて、周囲の空気を巻き込むように風を送るようです。

原理は分かっても、それを商品化するには相当な発想の転換が必要であったり、安全性も含め検討しなければなりませんから、4年の開発期間は決して長くはないと思います。値段は少々張りますが、ちょっと変わったインテリアの範疇かなと感じました。

販売は当面、ネット上とインテリアショップになるとのことで、家電量販店に並ぶのは来春からですので、商品としての位置づけもうなずけます。

日本の夏は蒸し暑く、エアコン無しでは寝苦しいと言われますが、仙台での久々の夏はエアコン無しで過ごせました。首都圏以北で売れるかもしれませんね。

それにしても、こんなしゃれっ気一杯の商品を見ていると、何故か心がうきうきしてくるのは僕だけでしょうか。

2009年10月18日日曜日

高橋和海写真展 無事終了です。

昨日で、高橋和海写真展「Moonscape」が無事終了しました。

集客数にはまだまだ満足していませんが、訪れて下さったお客様には写真展自体は満足されたものだったと思っています。

今回の特徴的なことは、自分では写真を撮らないけれども、案内状のイメージがきれいで、実物を見たくなり来られた方や学生の方にも来て頂けるようになったことです。写真を撮られないお客様には、イメージの美しさやその世界観をまるで絵を見るような感覚で捉えている様子が感じられました。実際、話をさせてもらうと、「写真じゃないようですね」といった言葉を何度も聞きました。写真を撮られている方の多くは、プリント品質と美しい色彩に感心されていたように思います。

アンケートにあった感想の一部がこちらです。

○一番奥の大きな写真、絵画のようで不思議でした。でも見入ってしまいます。しずかな写真たちですね。楽しませていただきました。

○引力がテーマとのこと。まさに引き込まれる写真たちでした。静止画の中に時間の流れをこんなに感じさせられることってあんまりないと思う。美しいです。とにかく。画を褒める時、「写真みたい」というのに写真を褒める時は「まるで画のよう」と言うのはなぜだろうと思いつつ(笑)本当に画のようでした。


今回は、暗めの照明と対比するような明るめの照明をカーテンで仕切ったり、大判作品の展示に少し趣向があり、いわゆるギャラリースペースでの展示状況と違っていましたが、大きな苦言も無く、楽しんでいただけたのではないでしょうか。

意見は分かれると思いますが、単純に作品展示の場としてだけのギャラリーではなく、作品個々が本来持っている良さを効果的にそして見ているお客様がいろいろな観点から見られるような演出は、今後も行っていこうと思っています。

今回初めて来て下さった方、横木安良夫写真展に引き続き再廊して下さった方には本当に感謝している次第です。引き続き、もっと多くの方に来て頂けるよう頑張って行きますので、これからも宜しくお願い致します。

2009年10月17日土曜日

「My Funny Valentine」

あるブログから思いだした一曲。

「My Funny Valentine」

誰もが一度は聞いたことがあるジャズのスタンダードです。ジャズ畑を問わず、数多くのシンガーに歌われていますが、僕が思い出したのはチェット・ベイカーが歌ったものです。

チェット・ベイカーは、アメリカのジャズトランペット奏者ですが、むしろボーカル・スタイルに特徴があり、中性的で囁くような歌い方で人気を博しました。

1950年代前半が彼の最盛期でした。その後は、彼自身の精神的な不安定さもあり、ドラッグに関わるトラブルに見舞われ、1970年代初頭までは表舞台からすっかり姿を消してしまい、生活保護を受けていたとさえ言われています。

1973年にディジー・ガレスビーの助けを受け、復活を果たし、日本でも2度ライブを行っています。そして、2度目の来日の翌年、アムステルダムのホテルの2階から謎の転落死をしてしまいます。58年という短い時間に、自己破滅を繰り返し、進んで不幸に走って行ったように思えてしかたありません。

後に、写真家のブルース・ウェバー(カルバン・クラインの広告写真等で著名なファッション・フォトグラファー)が、チェット・ベイカーのドキュメント映画「Let’s Get Lost」を撮り、アカデミーを受賞しています。残念ながら、日本でのDVD化はされていないこともあり、僕は未見です。タイトルの「Let’s Get Lost」は「ここから、逃げ出そうぜ」みたいな意味で、ブルース自身とても好きな曲だったそうです。

YouTubeにもいくつかアップされていましたが、この2つを聞き比べてみて下さい。
1つ目は、映像はありませんが、発売時のものです。
http://www.youtube.com/watch?v=jvXywhJpOKs

2つ目が、日本公演でのライブです。
http://www.youtube.com/watch?v=UOEIQKczRPY

ときどき、時間の流れは否応なく残酷に感じられることがありますが、僕は、枯れたような、そして一つ一つの音を慈しむようにトランペットを吹いている晩年の姿に心打たれます。

最後に、ブルース・ウェバーの「Let’s Get Lost」を少しだけ…。
http://www.youtube.com/watch?v=l5H2bzk2zcc

2009年10月16日金曜日

ブログ

ギャラリーをオープンしてから約5か月になります。

このブログもほぼ同時期に始めました。これまで日記の類も含めて毎日何かを書きつづる習慣がない僕がよく続いていると思います。内容は相変わらずで、文章もちっとも上達していませんが、改めて気がついたことがあります。

一見義務化されたことのように思えることも、けっしてそれだけではない何かを見つけ出せれば、続けることが出来るということです。

以前の仕事でも就業後に、一日の業務報告なるものをメールで出すようになっていたのですが、僕は出さないことが多く、良く怒られていました。その時は、めんどくさかったことが一番でしたが、やはり僕の中にやらされ感があり、それ自体が無意味のように思えたからかもしれません。

誰しも生活するために仕事をするわけですが、多くの人は本当に自分が望んだ仕事をしているとは限りません。それでも、その中に自分の居場所ややりがいを見い出して、毎日コツコツと頑張っているのです。幸いなことに僕は学生の頃から思っていた「物作り」の世界で仕事をしてきました。毎日の仕事の中で、かけがいのない人と出会い、海外での仕事もさせてもらい、充分に楽しくさせてもらったように思います。

初めて就職した会社には当時は本当にごくごく少数でしたが、会社のために仕事をする必要はないよ、自分のためにしなさいとか会社以外の人と多く付き合いを持ちなさいとか言ってくれる人がいて、その言葉を実践してきたように思います。そして、かなり管理外でわがままな仕事をしていたにも関わらず、容認してくれていたように、今は思えます。

そんな僕がまるで畑違いの仕事をするようになり、ここでもさまざまな人たちの支えもあって、新鮮な出会いと刺激的な毎日を送っています。

そして、その時々で感じたことや日々の何気ない情景とかを思い起こしながら、毎朝パソコンの前で、自分自身を確認するように書いています。

そんなわけで、しばらくは小学生のような文章で、ブログを続けていこうと思っています。読んで下さっている方々は、じき人並みの文章が書けるようになるかもしれませんので、しばらくはガマンして下さい。(いつのことやら!?)

2009年10月15日木曜日

痕跡

昨夜の宮城スタジアムでの日本対トーゴサッカー親善試合、明日から始まるプロ野球パリーグクライマックス・シリーズと、このところ大きなスポーツイベントが宮城県内で続いています。

昨夜も試合途中からテレビで観戦しましたが、試合内容はともかく、きれいなスタジアムには正直驚きました。日韓ワールドカップ時に作られたこのスタジアムは地理的・構造的な問題を多く含んでいるため、あまり評判が良いとは言えません。県内では、箱物行政のの象徴として捉えられる場合が多く、慢性的な赤字を抱えていると聞きます。

新たにスタジアムのような巨大な施設を建造する場合、やはり立地的な部分での困難さが付きまといます。市街地に近い場所はすでに大きな土地資源も少ないので、結局は利便性の悪い場所を選ぶことになり、利便性が解消しない限り、おのずと稼働率も下がるというものです。宮城スタジアムの場合、多目的スタジアムですので、さまざまなイベントにも使用できるわけですが、専用スタジアムと比較して客席との距離があり見にくいとか、さまざまな制約もあります。

地方にある美術館や博物館のような文化施設の多くもそのような傾向で作られてきました。先ずは中身より建物が重要視されていた訳で、まぁ、そういう環境すらなかったところに作ることはそれだけで意義あることだとは思いますが、結局は物足りない器だけの存在になってしまっていました。

しかしながら、専用の施設を作った場合、それだけで稼働率の確保や集客率といった運営面を解消しきれるかどうかの問題があったことは否めない事実です。そのへんが、非常に難しい選択ですね。スポーツ・文化施設は一般的に人の生活と直接的に密着しているものではありません。僕自身、暮らしや人の心や情感といったものを潤し、今より心豊かな生活を送れる場を提供するものだと思っています。

また、人は生まれてから死ぬまでの短い時間の中で、自分ではそう感じていなくても自然に自身の痕跡を残しながら日々を生きています。仕事や家庭、地域でと、その内容や目指すところはいろいろありますが、自己表現を形に表わし、同じ時間を生きている人々はもちろん、未来に対して残していくのだと思います。スポーツ・文化施設はそういう痕跡の場でもあるのです。

午前中、誰もいないギャラリーの中で、僕は一人で展示されている作品を見ながら、アートもその中のひとつなんだよねと感じながら、頭の中で自分の痕跡のことを考えたりします。でも、それって、自分では確認できないことなので、結局は今の積み重ねが大事なんだろうなと、ひとりごちてしまうのです。

2009年10月14日水曜日

スッキリ。

やっと出ました。スッキリです。

何がってお思いでしょうが、実はこの3日間polkaは便秘でした。朝からあまりきれいな話ではありませんが、玉のような赤ん坊ではなく、ちょっと大きめのウンチが今朝早くでたのです。

話は少しズレますが、polkaは幼い頃から水の飲み方が下手なのか、鼻に水をいれクシャミをしたり、飲んだ直後に戻すことが多いのです。普通猫が戻したりするのは、毛づくろいをして飲み込んだものを毛玉にして出すのが一般的ですが、polkaの場合はそうではなく、ふんばってもウンチが出なかった時などにもよく戻していました。

ですので、家にはペーパータオルが欠かせません。これまで10年以上も一緒に過ごしてきたので、しょうがないなと思いながらも、毎回僕がその後片付けをしているわけです。

今回もふんばってもウンチが出なかったあと、何度か戻しました。それが2日程前の話です。その後、便秘が続き、polkaは来るべきその時に備えるように、すっかり安静モードに入りました。エサにはほとんど手をつけず、水だけを飲んで、あまり動かない状態です。

polkaはこれまで病気らしい病気をしたことのない猫です。でも過去に2回だけ病院に行ったことがあります。1回目は、去勢手術で、2回目はそれから数ヵ月後、おしっこが何日か出なくなったので、病院へ連れて行きました。その時は、尿道結石っぽくて、薬で治療をしました。いずれも生まれて1年以内のことなので、たぶん覚えていないと思いますが、その時の暴れようは、迎えに行った時の看護婦?(スタッフ)さんの表情を見れば良く分りました。

以前から時々便秘はあったのですが、今回は少し長かったので、最悪病院行きを思い浮かべていました。そんな矢先だったこともあり、内心ほっとしながらも、今日からまたうろうろと部屋を徘徊し、朝5時頃に耳元で鳴いてくる姿が頭に浮かびます。

でも、まぁ元気なことは良いことです。表情はあまり変えないし、言葉も発しないので、考えていることは良く分りません。でも、もし言葉を使うようになったら、お互い気まずい思いをするかもしれないし、それはそれで良いのかもしれません。

今では、いつもお互いの存在を意識しながらも、すっかり甘えることもないのに、気がつくと隣にいる、そんなあり方が自然で良いのかなとも感じています。

2009年10月13日火曜日

決して劇的ではなく。

先の「楽屋」舞台中継後にイッセー尾形さんの一人芝居が放映されていました。

以前文化庁メディア芸術プラザのHPで、「イッセー尾形の演劇はポップアートだ」という記事を読んだ覚えがあり、調べてみると、イッセー尾形さん自身が書いた文章で、次のようなことが掲載されています。

「コーラの瓶を美術館に置くと、何の変哲もないガラスの容器が、魅力的に見えてくることと関係があるらしい。それよりなにより、コーラの出回っている量は多すぎて、気にも留めないという当たり前の日常を、美術館に置くことによって意識化させるのだそうだ。確かに僕の取りあげる人物は、どこにでもいるフツーの人たちに限られている。劇的とは無縁の人に、真っ白の舞台上でスポットライトを当てる。(中略)観客も舞台で演じられた僕の役を通して、身近な人を再発見するのであれば、ポップアートといえるかもしれない。」

確かにイッセーさんが演ずる人達の多くは、ごく一般に生活をし、ほとんどは、仕事の枠組みに知らないうちにはまりながら、人物形成されている人達と言ってもよいと思います。ただ、そこには演劇としての誇張や解釈や表現の方法によって、だれもが持っている優しさや哀しみや良い意味でのいい加減さが表れています。

そんな何も無い舞台上で演じられる姿に、観客は共感や驚きや可笑しさを感じ、こんな人いるよねとか絶対いないよな、などと思いを巡らせているのです。思いを巡らせることは、舞台上で創造された人物や場面を、観客自身が想像し、同時に共有していることです。だから、イッセーさんが行う芝居は、いわゆるパフォーマンスではなく、演劇なのだと思います。

ポップアートとの関連は前述した言葉の通り、モチーフや方法論的に共通性を見出すことは出来ますが、何か違うような気もします。たぶん、表現の媒体として、自らの肉体が目の前にあることがそのように思わせるのかもしれません。より直接的と言ったらいいのか、届く距離感が近いこともそのように感じさせる一因だと思います。

そんなことを考え、現実の世界に目を向けてみると、僕たちも様々な職種や仕事上の立場の中で、その役割を演じているだけではないかとさえ思えてきます。しかもそれが、決して劇的ではなく、日常の中でごく自然な形で行われているのですから、あらゆる人間はとても素晴らしい役者であるのかもしれません。

2009年10月12日月曜日

澄んだ秋空に思うこと。

雲ひとつない青空です。

今朝は放射冷却の影響で、朝の最低気温が10℃を下回り、非常に寒い目覚めでした。カーテンを開けると、気持ちの良い朝の陽射しが入ってきます。

3連休最後の日、今日は体育の日です。シルバーウィークの時もそうでしたが、以前は祝日が決まっていたのが、いつのまにか流動的になり、何か祝日イコール記念日との感覚が無くなってきたように感じます。これも国民の祝日というより、個の生活スタイルに寄ってきた証なのでしょうね。

僕の場合、就職してからずっとエンジニアとして生活し、工場が常にあったことやそれも24時間稼働していたこともあって、曜日や時間については、かなり許容範囲が広い方だと思います。ですので、曜日や連休に関係なく、一定しない休みがしばらく続いていました。

ここ5年は、かなり改善?され、休みが一定に取れるようになってきてからは、仕事以外での行動の方が激しくなりました。

今は、個人で行っているので、時間的には自由だろうと思われがちですが、なかなかどうして外出する機会が少なくなりました。営業時間は決まっていますが、それ以外の時間の方がこまごまとすることがあり、自然とギャラリーにいることが多いですね。

高橋和海写真展も今週で終了です。来週からは次回の準備に入ります。
2か月は一般的には長い会期のように思われますが、気がつくともう終わるのかという感じがします。これは、前回横木安良夫写真展終了時にも感じた事ですが、きっと毎回同じような思いをするのでしょうね。何回か繰り返していく内に、経験も伴い、次第にルーチン化していくのが仕事の常ですが、出来るだけその時々の感覚は大事にしていきたいと思っています。

喜劇王チャップリンが、「あなたの最高傑作は?」の問いに、「Next one」と答えたことはあまりに有名な話ですが、僕はむしろ現在していることに出来るだけ集中し、今出来ることを行うだけです。まあ、理想的には、今の仕事と同じ仕事を繰り返し行うモチベーションがなくなるほど、達成感とかやり切り感が得られればいいのですが…。

とりあえず、もがくことも楽しみながらいければと思っています。

2009年10月11日日曜日

「楽屋」 NHK芸術劇場 観てしまいました。

日々のいのちの営みがときにはあなたを欺いたとて
悲しみを又いきどおりを抱かないで欲しい
悲しい日々には心をおだやかに保てば
きっとふたたびよろこびの日が訪れようから
こころはいつもゆくすえのなかに生きる
いまあるものはすずろに淋しい思いを呼び
ひとの世のなべてのものは束の間に流れ去る
そして、流れ去るものはやがてなつかしいものへ……

「楽屋 〜流れ去るものはやがてなつかしき〜」の冒頭で読み上げられる一篇の詩です。
プロンプターと俳優の声が重なり、懐かしいメロディーとともに読まれていました。

劇作家、清水邦夫さんの戯曲を評して、詩情あふれる台詞により綴られる芝居とか、かつての先人達が作り出した台詞を引用しながら、構造的に二重性を持たせることで、過去の記憶を現在へと導き、その意味の重厚性を際立たせるのが非常にうまいと言われています。

この「楽屋」にもいくつものと言うか、ほぼその流れの中で、生身の女優と舞台上での女優自身を観客が直に観ることで、哀しくも可笑しく、そして何より生きていることの輝きを導き出してくれています。

因みに、冒頭の詩は、プーシキンです。最初のエチュードのような形で語られているのがチェーホフの「かもめ」、途中、シェークスピア「マクベス」や三好十郎「斬られの仙太」が出て来て、唯一生きている女優を演じた村岡さんが楽屋を出ていく時に発する台詞がツルゲーネフ。そして、最後がチェーホフ「三人姉妹」で幕が下ります。

まさにこのような台詞の仕掛けによって、言葉の持つ重厚さを創造し、登場人物の生に輝きを持たせているのです。同時に、観る者が登場人物に対して自然に愛情を感じざるを得ない状況へといざないます。

まさしく、演劇でした。
以前から、学生演劇や小劇団で上演を繰り返される理由を垣間見た思いがします。

予想通り、出演した4人の女優は、自分の個性をしっかりと把握して、舞台上の女優を演じていました。特に、村岡さんの独白には、女優が持っている業の深さや悲しみなんかも通り越して、一人の女性としての凄みすら感じました。

それから、舞台美術がとても良いのには感心しました。二村周作さんですね。古びた屋根裏のような楽屋の狭い空間が、特別な部屋であることを自然に意識してしまいます。舞台へと続く階段を舞台中央にしつらえたのが一層楽屋と言う影の部分を演出していたように思います。余談ですが、sisterでの舞台上での水の使い方は、二村さんならではでした。

こうなると、やはり生で観たくなります。今回の出演陣で再演するのは非常に困難だと思いますが、是非地方公演も含めて考えてほしいと望みます。

その間は、DVDに収めた映像で我慢するとします。
冒頭のプーシキンの詩を思い起こしながら…。

2009年10月10日土曜日

ギャラリーの前にある自動販売機

ギャラリーがあるビルの前にソフトドリンクの自動販売機が3台あるのですが、ついに暖かい飲み物が交じるようになりました。こんな大通りから入った横道になんで3台もあるのかと思っていたのですが、結構近くの人は利用しているようです。僕はたいてい通り一つ離れた100円ショップで買っていますが、自動販売機はやはり便利なものです。

かなり前になりますが、仕事の関係でおもにアジア圏への海外出張が多かった年がありました。もう15年程前の話です。その当時は、国内での製造業が盛んにアジア圏へ工場や事務所をシフトさせていました。僕はその時分、プラスチック製品を作るための金型というものを自社発注したり、メーカーで製作しているもののトライ等の仕事をしていました。イニシャルコストを抑える為に、国内製作からアジア(当時は台湾や韓国が主流でした)へ移行し始めていましたが、質的にはまだ国内のものよりは劣っていました。そのため、技術的な指導も含めて、立ち会いに行っていたのです。

台湾、韓国には、合わせて年間3~4回程度行っていたように思います。韓国はまだオリンピック前で、仁川(インチョン)にはあんな立派な国際空港もなく、ソウルから車で移動した覚えがあります。

当時、アジアの都市部が中心だったのですが、街頭で自動販売機をほとんど見ることがありませんでした。タバコを買う時も露天やホテルで身振りをしながら買っていました。ソフトドリンクもそうだったと思います。一度だけ、韓国で飲料メーカーの工場の前に自動販売機を発見して、何となく買ったことがあります。海外のコインはスロットのコインを思い起こさせ、妙な感覚で買ったように記憶しています。

今はどうなっているのか分りませんが、最近の経済成長は目覚ましいものがあり、工業製品も質的に日本製品と差がなくなりつつあります。自動販売機も増えているのかもしれませんね。

確か、韓国で出会ったのは赤いイメージの強い炭酸飲料のもので、まだビンのものでした。




2009年10月9日金曜日

台風一過。


台風一過。

2年振りの本州横断で、今朝のニュースは各地の被害の様子が映し出されていました。雨もそうですが、非常に強い風が停電や交通機関の乱れに起因していましたね。現在は北海道を通り過ぎようとしているようです。

通常台風が過ぎると、青空が広がるのが一般的ですが、仙台の空はどんよりとした厚い雲に覆われ、とても肌寒く感じられます。もう、寒冷前線が発生しているみたいな雰囲気です。

一昨日の午前中に、次の企画イベント会場の仙台市青年文化センターまでちょっとした打ち合せに行ってきました。仙台文学館側の駅前広場に植樹された木々は少しですが、赤く色づいていました。広場はとても落ち着いた雰囲気で、秋の静けさが感じられる空間です。何より、バス停やタクシー乗り場が無いのがいいですね。すぐ前が台原森林公園で常緑種が多いので、非常に緑濃い木々に覆われ、仙台文学館へ続く遊歩道はとても気持ちが良く、何か心が洗われるようでした。(上の画像です)

イベントに参加される方は、少し早めに来て、木々に触れるのも一考ではないかと思います。でも、12月なので相当寒いのは覚悟した方が良いかもしれません。

さて、高橋和海写真展の残りわずかとなりました。
緊急ですが、今週と言うか、11日(日)、12日(月)の連休は休まず、ギャラリーを開きます。
今まで来廊されたお客様のほとんどの方は、作品の質の高さ、圧倒的な美しさとその精神世界に感銘を受けておられます。
作品は作家自身を写すと言われますが、まさにその通りです。イベントでお会いした時は、全く気取りがなく、自然体で、なにより写真に対して真摯に向き合っている印象を強く受けました。

ぜひとも、より多くの方に見て頂きたいです。


2009年10月8日木曜日

「楽屋 ~流れ去るものは やがてなつかしき~」

外は台風の影響ですごいことになっていますが、先週来から楽しみにしているテレビ放映が明日の夜にあります。

10月9日 22:30~24:45 NHK教育 芸術劇場  
劇場中継「楽屋~流れ去るものは やがてなつかしき~」という番組です。

「楽屋~流れ去るものは やがてなつかしき~」(以下「楽屋」)は、清水邦夫作、1977年初演の古典的名作と言われている芝居です。元々副題はなく、今回付いたものには、少しセンチメンタルな部分も感じられますが、それはそれで良いと思います。今回の放映は2009年5月に世田谷にあるシアタートラムで上演されたもので、演出は俳優でもある生瀬勝久さんが行っています。

清水邦夫さんといえば、1970年前半、学生運動が終焉を迎えようとしていた頃、蜷川幸雄さんらと結成した劇結社「櫻社」において、反体制的な若者を描いた作品を発表し人気を集めました。

「楽屋」は、劇結社「櫻社」を解散して、「木冬社」を旗揚げしてからの作品ですから、蜷川さんは演出をしていませんし、内容も女優をモチーフにしていますので、だいぶ趣は異なっています。
過去に何度か再演されていますが、今回の特徴は出演する女優と制作スタッフがとてつもなく豪華なことです。さすがは、シス・カンパニー公演といったところですか。

出演する女優は、渡辺えり、小泉今日子、村岡希美、蒼井優(敬称略)の4人だけです。舞台上にしつらえた楽屋の中で、個性溢れる、配役としての女優を演じます。実際、ちょうど50代から20代まで4世代の代表のような感じになっていますし、それぞれが持っている個性が活きてくると想像出来ます。
それにしても、演出をした生瀬さんは大変だったでしょうね。(このあたりも番組で聞けるとと思います)
制作スタッフを紹介すると、ものすごく長くなりますので割愛しますが、興味のある方はそれぞれの方のプロフィールを調べてみてください。その経歴に驚かれると思います。

この公演の情報は、僕がまだ東京にいた頃にすでに知っていて、生で観られないことを残念に思っていました。今、テレビとは言え、時期を置かず観ることが出来ることにワクワクしているのです。
実を言うと、僕は過去の公演でも「楽屋」は観たことがなく、戯曲で読んだだけです。なので、余計ワクワクするのです。自分の頭の中で動いていた人物が、実際の動きとして見られ、どんな演出や効果が出てくるかが楽しみです。

シアタートラムという比較的少人数収容(約200名程度だったと思います)の小さな空間で、非常に濃密な時間が流れることが予想できます。芝居自体は大きな動きがある類のものではないので、空間的にはちょうど良いのかもしれません。それにしても、上のチラシの面々をあらためて眺めていると、すごく贅沢な企画に思えて仕方ありません。

僕は、特に村岡さんに注目しています。村岡さんはナイロン100℃に所属していて、とても芝居に安定感のある方です。渡辺さんや小泉さんのように、いるだけで存在感がある女優やこれまたアイドルの枠を超えた蒼井さんとのマッチアップで、どれほど自分をアピール出来るかだと思いますが、きっと大丈夫でしょう。

必見です。

ぜひ、始まる前にトイレに行ってから、部屋を暗くして観てください。

2009年10月7日水曜日

主観的って何だろう


昨日の続きというわけではありませんが、上の画像は「カニッツァの三角形」と言われているものです。イタリアの心理学者ガニエタ・カニッツァにより1955年に発表されました。

周辺の図形と一緒に、中心に白い正三角形があるように感じますが、物理的に中央の三角形は存在しません。また、白い三角形は周りよりも明るく見えますが、実際は周囲と同じ明るさだそうです。

人の眼は非常に高性能で、あらゆる物を一瞬にして判断します。(実際は脳が判断しているのでしょうが)某メーカーのCMでは、デジタルカメラのセンサー開発の中で「目で見たとおりの、キレイな写真が撮れるように、人間の眼をお手本につくったEXRセンサー」と謳っているほどです。

そんな素晴らしい眼を持っていながら、錯視を起こす例として「カニッツァの三角形」は提示され、このほかにもさまざまな錯視を起こす図形が存在しています。そして、この効果は、主観的輪郭と呼ばれています。

若い頃、会社の上司から、「エンジニアとして大事なことのひとつは、物事を出来るだけ客観的に判断し、実証を重ねることで結論を出し、決して主観だけで動いてはいけない」と言われたことがあります。まぁ、ここで言う主観と主観的輪郭で使われているものとは、分野も使用方法も違うので、意味合い的には違いはあるのですが、何か共通している部分があるようにも感じます。

右にあるカレンダーの画像も、カメラ技法でいう「あおり」を用いて、風景や動く物や人がミニチュアや人形のように見えています。これも、一種の錯視とも言えますね。

さて、写真に限らず絵や彫刻といったアート作品について、主観的過ぎて、自己満足にしか見えないとか言われたりしますが、そのあたりはとても微妙な部分ですね。基本的にアートは自発的なものであるし、作家自身の心情や生き様や行動が、結果として作品の力強さとか繊細さや感傷を生むわけだからです。その上、経験知や時代にも影響されるのですから、ますます理解することが困難になるのかもしれません。

皆さんご存じの岡本太郎さんは、「芸術は爆発だ!」と言っています。また、自著の中で革命だとも表現していたように記憶しています。

そう思うと、アート作品を目の前にして、個々の感性に基づき、主観的に錯視することも決して間違いではないように考えます。

むしろ、アートにはそんな自由さがあっても良いのだと、僕は思っています。

2009年10月6日火曜日

「見えていることの不確かさ」


「見えていることの不確かさ」

昨日掲載した中の、キーワードの一つです。

今日は、このキーワードについて少しだけ補足します。と言っても、トークの中でふと思いついたことで、これが正しい事とは思っていません。

僕は長年エンジニアとして、図面を見る機会が非常に多かったので、2次元の世界(平面)に描かれた図形から、実際の立体(3次元)を思い描くことが比較的容易にできます。少し前の建築家やプロダクトデザイナーの大抵の方は出来ると思います。少し前と書いた訳は、現在の設計手法として、初めから3次元世界(眼に見える世界)の中で設計を行うケースが主流となったため、あえて図面から3次元化する作業をあまりしなくなったためです。

一番上の画像は、12本の線で描かれた立方体で、「ネッカーキューブ」と言われているものです。
この図形は、一般的にはフレーム図と言われているものです。普通は視点から見えない部分の線を描かないことで図形が確定されますが、3次元の世界では面の要素を取り除くとこのような形になります。

この図形を見ていると、人間は下段の画像のような2種類の図形を、ある時間をおいて交互にみえるようになると言われています。複数の解釈を持つ多義図形を観察するとき、解釈は何度も入れ替わり、いずれの図形が本当であるかが分からなくなるわけです。

これは、視覚が脳の認識により行われているから起きていることを意味し、イギリスの動物行動学者のリチャード・ドーキンスは「利己的な遺伝子」の中で、「2、3秒これを見つめていると、向きがかわるだろう。さらに見続けていると、突然、またもとのキューブに戻る。脳が両者を交代させて楽しんでいるのだ。」と言っています。

さらに、人は自らの意識で目の前の対象を見ることも出来ます。
僕は、意識下、無意識下が混在しながら、その人自身の経験や知識も相まって、一つの物や情景が複雑に変化していくのだと思っています。

写真はその瞬間もしくはある時間軸の経過の中で、文字通り写実的に目の前にあるものを切り取ったものだと思います。しかし、そこで実際に見えたものが、そのまま絵として存在しているかと言うと、必ずしもそうではありません。そのことは、表層のイメージがそこに内包する真実を直接描いているわけではないことも意味します。

そして、そのことが、「mirror and window」へと繋がっていきます。

2009年10月5日月曜日

高橋和海フリートーク&ポートフォリオレビューを終えて

昨日、写真家高橋和海氏、ブリッツインターナショナル代表福川芳郎氏を迎え、フリートーク&ポートフォリオレビューが開催されました。

フリートークでは段取り無視で、紹介もしないうちから質問をしてしまい、大変失礼をしてしまいました。福川氏の機転の良さで事なきを得ましたが、まだまだ自分の経験、勉強不足が露呈してしまい、至極反省しています。

フリートークでは、いくつかのキーワードが提示され、その内容の濃さが目立ったように思います。

「見えていることの不確かさ」
「mirror and window」
「自然との同調」…

これらのキーワードをこの場で説明するとすごく長くなってしまうのであえてしませんが、ご興味のある方はご来廊の際に、僕に話しかけて下さい。

また感心してしまったのが、ポートフォリオの参加者への対応でした。とりあえず何も無い状態で提示された作品に対して、そのテーマやスタイル、思いといったものを参加者自身でもうまく説明できない部分があるのですが、それを出来る限り理解し、分りやすく言語化しようとする姿勢は参加者と写真に対しての真摯さ、コミュニケーション能力の高さを感じます。

作品から受ける言葉にならない思いなんかは、一見しただけでは分らないのが普通ですから、それを導き出していく行程は一種カウンセリングと同種のものを感じます。参加者本人も、知り得なかった自分の中の感情や表現したいものたちが、より具体的な言葉や形であらわになることは、とても新鮮だったと思います。

高橋和海氏、福川芳郎氏、そして参加して下さったお客様には、感謝の気持ちで一杯です。
心よりお礼いたします。

僕もまだまだ勉強不足ですが、少しでも皆さんの力になれればと、気持ちを新たに思った一日でした。そして、ぜひ多くの人にこのような機会を随時提供していきたいとの思いが、一層強くなった日でもありました。

その為には、まずは知ってもらうこと。
今日も自転車が大活躍しそうです。

2009年10月4日日曜日

楽天イーグルス 球団初のCSシリーズ進出決定

今日のトピックスは、やっぱり楽天イーグルス球団初のCSシリーズ進出決定です。昨日は9連敗中の西武、帆足投手を打ち崩しての勝利とあって、喜びもひとしおだったと思います。創設5年目でAクラス入り、野村監督は就任4年目という早すぎる快挙ですね。

かつて、野村監督自身が話していたように、自身のチームを「野村再生工場」と表して、いくつもの弱小球団を強くしていきました。楽天にしても、戦力的には他のチームと比較しても圧倒的に劣ります。本塁打はリーグ最下位、得点と失点の差は何と-15。防御率もリーグ4位(いずれも10月2日時点)だそうです。しかし、少ない持ち駒を的確に使い、つぎはぎでも結果を出したと言えます。

ヤクルト時代に「ID野球」と言われ、選手個々の長所を引き出し、データ重視で相手チームの弱点を突くやり方は、今でも変わっていないと思います。選手とのコミュニケーションは、見た目は決して良いとは言えません(試合中のベンチでの説教やぼやき等)が、やはり野村監督の人柄なのでしょうか、非常に良い刺激になっているように感じます。

さて、リーグ戦2位以上になると、仙台でCS開催になります。テレビ放映権も含め、地元での盛り上がりは必至ですね。地元以外の集客も見込めるので、経済効果としても上がるのではないでしょうか。
プロスポーツ界では、J2サッカーや昨日開幕したbjリーグのバスケットなど、ここ数年で仙台を本拠地とするチームが活躍し始めています。他チームからの補強もありますが、自チーム内での育成が大きなカギを握っているように思います。

状況的に中央に出ていかなければチャンスが得られなかった時代から、確実に進化しているのです。
僕は、中央と地方において人材の優劣はないと思っています。事実、東京で活躍している人のほとんどは地方の出身者です。環境は徐々にでも整いつつあります。

確かに環境と経験値は、人材育成の大きなファクターですが、それ以上に個々の意志や情熱といったところが一番大事ですからね。

2009年10月3日土曜日

文化混流

劇作家・演出家で俳優の野田秀樹さんに2日、演劇分野での日英関係の発展に対する功績が認められ英・エリザベス二世女王より名誉大英勲章OBEが授与されたとのニュースが流れていました。

野田秀樹さんは演劇界のみならずいわゆる文化人として、メディアの登場も多く、一般の方にも広く知られています。今回、シェークスピアを生んだ国から、日英演劇の功績を認められ、大英勲章を授与されたことはすごいことだと思います。近年では、2007年にバレリーナの吉田都さんが授与されて以来のことですね。

野田さんは、1970年代に東大学生演劇研究会を母体にした「夢の遊眠社」を立ち上げ、当時の小劇場ブームの立役者として活躍され、学生演劇でもメジャーになれることを身をもって体現されました。劇団10周年記念公演として、国立代々木競技場第一体育館で行われた「白夜の女騎士」「彗星の使者」「宇宙蒸発」の3部作一挙上演では、1日で26,400名の観客を動員したことは、あまりにも有名な話です。

また、今年になり東京池袋にある東京芸術劇場の芸術監督に就任し、就任記念公演としてさまざまな関連する演目を上演し、好評を博し、新たなチャレンジを行っています。東京芸術劇場も施設の割にはあまりパッとしない劇場のイメージでしたので、今後の変化に期待していますが、新国立劇場のような騒動にはならないようにしてもらいたいものです。

今回の授与について本人の言葉で、「今までとなにも変わることなく、文化交流ではなく、文化混流を標榜とし、日英両国をはじめ、さまざまな国々の演劇人と芝居を創っていく所存です」が掲載されていましたが、文化混流(たぶんそんな言葉はあまり聞きませんが)という言葉が、野田さんがこれまで行ってきたことを一言で表しているのだと思います。

表面だけではなく、それぞれの良いものも悪いものも一旦まともに受け入れ、互いに理解しようと試み、それから一つのものを一緒に作り上げていく感じがします。

昨日は、これだけで何か元気づけられました。

それにしても、「ダイバー」日本バージョンでの大竹しのぶさんの狂気を観られなかったことは、非常に残念でした。TV放映とかないのかなと思いながら、いつしか「売り言葉」のDVDに手を伸ばしていました。

2009年10月2日金曜日

「中秋の名月」~「14番目の月」

明日が今年の「中秋の名月」に当たるようです。もうとっくに終わっていると思っていましたが、毎年変わっていることを初めて知りました。

「中秋の名月」というと、ススキと山型に重ねられた月見団子、まんまるの月がすぐ連想されます。でも一年で何度も満月の夜はあるのに、この季節の満月が昔から特別視されているのかは、あまり知りませんでした。

少し調べてみると、月の満ち欠けによって暦を作っていた太陰暦(旧暦)では、7、8、9月を秋としていました。その真ん中の8月15日を中秋と言うそうです。
この中秋の名月の習慣は、地方によっては、豆やいもなどをお供えしたり、早く採れたイネ(早稲)を供えるなど、農作物の収穫と関連した行事が行われています。これが、もともとの中秋の名月の行事であったと考えられているとされています。秋の澄んだ空気の中、適度な高さにあるこの時期の月の姿は、昔から格別のものだったのでしょうね。

また、満月と思われがちですが、月の軌道が円ではないことや旧暦での月の満ち欠けの日数が平均29.4日との理由で、この5年程は完全な満月ではなく、1日程度早いようです。

かつて、荒井由実(松任谷由実)さんのアルバムに「14番目の月」というものがありましたが、満月の前、欠けるだけの月になる前の月が一番好きだと歌っていたことを思い出しました。

明日見えるであろう月もそんな月なのですね。

当時、僕は荒井由実さんの曲が大好きで、カセットテープでよく聞いていました。このアルバムは荒井由実時代の集大成のようなもので、描かれる詩の世界からは色彩や香り、音までも感じられたように記憶しています。

特に好きだったのが、この曲でした。

http://www.youtube.com/watch?v=rJ3dIJEHR4o


今は、毎日ギャラリーで月の作品を見ていますが、明日は夜空に浮かぶ丸い月を眺めてみるのも一考かと思っています。

2009年10月1日木曜日

ハービー・山口写真展「The Big Love」-やさしいパンク・スピリッツ- DM到着

昨日、次回企画展であるハービー・山口写真展「The Big Love」-やさしいパンク・スピリッツ-のDM(案内状)が出来上がってきました。シルバーウィークの関係で、普段より時間がかかってしまいましたが、出来は良いと思っています。

DMは、それだけで写真展の内容を表すので、とても重要だと思っています。ハービー・山口氏の代表作である「代官山17番地」からのイメージを全面に出し、通常のコート紙上の印刷の割には、非常に繊細な仕上がりになっています。

僕はこれまで特にイラストを扱う仕事をしたこともないので、全くの素人が文字選定からレイアウトまで行っているわけです。今まで見てきた色々なDMを参考にしながら、紙の種類や厚み、色や文字の大きさ等を考えるのですが、当初はパソコン上で見るイメージと実物とにかなり違いを感じました。

これは、デジタルでプリントを行っている方も常に感じていることだと思います。画面上で再現される色と印刷で使用される基本色が違うことが一番ですが、はがき大の空間にイメージや文字をレイアウトしていく際に拡大、縮小を繰り返し行った結果、全体としての印象を見失うことが有るためだと思います。また、画面上のアイコンなんかも、一枚の紙に描いてない状態を想像させるため、邪魔に感じます。

何度か実際にプリントを行ってから、最終データを決めるのですが、僕がプリントする用紙、方法と注文する際の仕様は違うため、特に色については不安になります。現在行っている写真展の高橋和海氏のイメージは特にその色あいに特徴があるので、出来あがってくるまではどうなるか分りませんでした。一度だけ、色変換を間違えて印刷されましたが、指摘後は問題ありません。

これで3回目の作成依頼なので、今回についてはそれほど大きな心配はしていませんでした。モノクロイメージの難しさもあったので、若干の色かぶりがありますが、想定内ですね。

また、今回はチラシも作っています。今週中には出来上がってきますので、来週早々には仙台メディアテークを始め、協力していただいている店頭で見ることが出来ると思います。