2009年10月11日日曜日

「楽屋」 NHK芸術劇場 観てしまいました。

日々のいのちの営みがときにはあなたを欺いたとて
悲しみを又いきどおりを抱かないで欲しい
悲しい日々には心をおだやかに保てば
きっとふたたびよろこびの日が訪れようから
こころはいつもゆくすえのなかに生きる
いまあるものはすずろに淋しい思いを呼び
ひとの世のなべてのものは束の間に流れ去る
そして、流れ去るものはやがてなつかしいものへ……

「楽屋 〜流れ去るものはやがてなつかしき〜」の冒頭で読み上げられる一篇の詩です。
プロンプターと俳優の声が重なり、懐かしいメロディーとともに読まれていました。

劇作家、清水邦夫さんの戯曲を評して、詩情あふれる台詞により綴られる芝居とか、かつての先人達が作り出した台詞を引用しながら、構造的に二重性を持たせることで、過去の記憶を現在へと導き、その意味の重厚性を際立たせるのが非常にうまいと言われています。

この「楽屋」にもいくつものと言うか、ほぼその流れの中で、生身の女優と舞台上での女優自身を観客が直に観ることで、哀しくも可笑しく、そして何より生きていることの輝きを導き出してくれています。

因みに、冒頭の詩は、プーシキンです。最初のエチュードのような形で語られているのがチェーホフの「かもめ」、途中、シェークスピア「マクベス」や三好十郎「斬られの仙太」が出て来て、唯一生きている女優を演じた村岡さんが楽屋を出ていく時に発する台詞がツルゲーネフ。そして、最後がチェーホフ「三人姉妹」で幕が下ります。

まさにこのような台詞の仕掛けによって、言葉の持つ重厚さを創造し、登場人物の生に輝きを持たせているのです。同時に、観る者が登場人物に対して自然に愛情を感じざるを得ない状況へといざないます。

まさしく、演劇でした。
以前から、学生演劇や小劇団で上演を繰り返される理由を垣間見た思いがします。

予想通り、出演した4人の女優は、自分の個性をしっかりと把握して、舞台上の女優を演じていました。特に、村岡さんの独白には、女優が持っている業の深さや悲しみなんかも通り越して、一人の女性としての凄みすら感じました。

それから、舞台美術がとても良いのには感心しました。二村周作さんですね。古びた屋根裏のような楽屋の狭い空間が、特別な部屋であることを自然に意識してしまいます。舞台へと続く階段を舞台中央にしつらえたのが一層楽屋と言う影の部分を演出していたように思います。余談ですが、sisterでの舞台上での水の使い方は、二村さんならではでした。

こうなると、やはり生で観たくなります。今回の出演陣で再演するのは非常に困難だと思いますが、是非地方公演も含めて考えてほしいと望みます。

その間は、DVDに収めた映像で我慢するとします。
冒頭のプーシキンの詩を思い起こしながら…。

0 件のコメント:

コメントを投稿