2011年8月31日水曜日

Ustream配信 “Works in Sha-gaku vol.3” 今度はうまく行くか?

今週末にかけて天気が下り坂、台風直撃で大荒れになりそうな気配です。Sha-gaku vol.3は2週目で中間地点を折り返しますが、お客さんは減るだろうとの予想をしています。経験的に会期が長いと中だるみの時期がありますし、お天気の影響は否めないので、のんびりとするしかないのかと考えています。


そんなことを思いつつ、週末の3日土曜日にUst配信をしようと思います。Love and Joy最終日の配信が原因不明でうまくいかず、あれこれと探っていたのですけど、これだなというところが出てきましたので、テストも兼ねて行う予定です。

まぁ、特別なイベントではなく、参加者それぞれの展示の模様を切り替えながら、配信します。だから、画面には写真作品が映されているだけです。進行の予定は次のような感じです。

1.江口敬、2.熊谷毅、3.エリック・チャン、4.平岡薫、5.織江佑季、6.小田紗優美、7.菅野菜穂子、8.篠原治樹の順番で、各作品15分程度で切り替えます。

開始時間は、14:00頃を予定し、終了が16:00頃になります。

説明もなく、ただ映し出されるだけです。途中切り替え等で中断もあると思いますが、自分の気になる参加者の作品を覗いてみて下さい。



Ustream配信 “Works in Sha-gaku vol.3”

9月3日(土) 14:00-16:00頃

チャンネル:http://www.ustream.tv/channel/works-in-sha-gaku-vol-3


最終日にも打ち上げを兼ねたささやかなパーティーを考えていますので、近々詳細は追ってサイトでお知らせします。

お楽しみにしていて下さい。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html


2011年8月30日火曜日

何が起こるか分からない・・・ふたたび。

何が起こるか分からない・・・。


またまた昨日の世界陸上の話。男子ハンマー投げで室伏選手が金メダルを取りました。世界陸上は7回目の出場、36歳での金メダル獲得です。すごいね。何がすごいかって、年齢はもちろんだけど、その戦い方でした。

とても静かで力強さを感じさせる姿勢に僕は惹きつけられ、一投、一投に見入ってしまいました。超ベテランで国際経験も豊かだからそうなんだよと思われるかもしれないけど、自分を過度に鼓舞するようなこともなく、冷静にとても自然で、今のこの状況を楽しんでいるようにさえ見えました。

何か哲学者のような感じにも見えるし、インタビューの受け答えにも謙虚で、こんなどえらいことをした印象を受けないのは、まだ自分自身アスリートとして途中だからなんでしょうね。アスリートは身体が自己表現の手段だから、年齢と共に衰え、いつかは現役引退をしなければならないのだけど、そんなことを微塵も感じさせない姿や言動には感動すら覚えます。

その道で一線級になり、世間に認められると誰だって我が強くなるものです。あるいは、そこまでの経験や知識が、自分自身の行動や考えの範囲を狭くしてしまいます。なにしろ、実際に体感として手に入れたものですから、これに敵うものはないわけです。

その為、周りと自分との関係が見えなくなってしまい、謙虚さを忘れてしまいます。謙虚さは自分に対して自信が無いこととはまるで違います。むしろ、自分自身が今ここにきちんと有った上で、さらに高みがあると信じ、自らに疑問を投げかけながら、常に周りとの関係性を大事にしているから現れるものです。

これは、表現の世界でも共通して言えることだと思います。そして、謙虚さは他人がそう感じることであって、自分が意識して演出出来ないものです。薄っぺらな表層はすぐに見破られ、剥がされてしまいますから。

それにしても、昨夜の室伏選手の立ち居振る舞いは一種の様式美さえ感じさせてくれたし、ホントすごいな。おめでとう、そしてありがとうと心から言いたいですね。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html

2011年8月29日月曜日

何が起こるか分からない。

何が起こるか分からない。


昨日の世界陸上100メートル男子決勝での出来事です。誰もが知っているウサイン・ボルト選手がフライングで一発失格になりました。今回の大会からスタート時のフライングはそれを行った選手が一回で失格になるルールになり、それが適用されたわけです。

短距離の場合は、特にスタートが大事で、ボルト選手にとっても、スタートが唯一のウイークポイントだと言われていました。他の選手もそうなのでしょうが、特に今回は一発失格ということもあり、かなり神経質になっていたように思います。レース前のリラックスした様子とは裏腹に、他のひとが伺えしれない相当の緊張感を持っていたのでしょうね。

彼のこれまでのレースはある意味今までとは違った次元のものでしたから、見る側もそれを期待してしまうし、ボルト選手自身もその辺りを意識していたことは、言動からも分かっていました。それでも、かなりのプレッシャーだったわけで、彼も人の子だったとも言えます。

まぁ、この事はまたひとつの物語になる前兆かもしれません。まだ他のレースが残っていますからね。次の200メートルでとてつもない記録を出して、僕らを驚かせてくれることを期待することとします。

それにしても、ただ走る、跳ぶ、投げるといった、いたって単純な陸上競技に惹かれる訳って何だろうと考えたりします。そこには人本来持つ強さへのあこがれや飛び抜けた力を見たいといったものもあるのだろうけど、その競技の第一人者に認められるほど、もっとスゴイことを見せてくれるかもしれないという期待感なのでしょうね。

選手本人はそう思っていないのかもしれませんが、見る側、つまり外側の人にとってはそれが一番大きいのではと思います。案外、選手は目の前の目標達成を積み重ねているだけなのかもしれませんし。

それでも、やはり人に驚きや感動を与えるわけだから、積み重ねる、継続し続けることが一番難しいことでもっとも大切なこと、そしてそこに向かう姿勢みたいなものが自然に伝わってしまうのでしょう。

自然に伝わる、これってひとつの理想ですね。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html

2011年8月28日日曜日

アート足り得るものへ

これまで行ってきた写真展で一番短い会期は3週間です。多くの人は長いと感じるのかもしれませんが、商業ギャラリーの特性から言えば、これでも短いと思っています。販売を主として扱っている為、ある程度の期間は必要となるわけです。それでも、期間さえ長ければ販売の率は上がるのかと問われれば、そうではありません。


そこには時代性や流行といったあまり写真そのものとは違った部分が大きく左右してきます。誰もが認める作品や作家であっても、それだけで売れるものではないし、元々の売れる絶対量は少ないですから、大量消費財のようなわけにはいきません。

もちろんアートは大量消費財とは一線を引く、唯一無二の存在であるべきと考えていますので、世の中で多くの人に受け入れられるものではありません。その中で写真はあまりに身近で誰もが撮れるものですから、アートとして成立すること、その販売という点でも難しいのだと思います。

生活にアートを、良く聞くフレーズですが、もしそれが本当に一般的に受け入れられたとしたなら、写真は第一に扱われて良い類のものだと思います。なぜなら、誰もが身近に自分自身で表現可能なものだからです。

それでも、部屋の壁にある家族や友人との写真や何かの記念で撮影した集合写真、或いはどこか分からないけど美しい街並み、自然が写されたカレンダー等を、アート作品として捉える人はあまりいないはずです。もちろん、ある狙いやコンセプト、テーマの元に意図的に制作されている場合は別ですが。

じゃあ、何がアートなのと言うことになります。合理性や効率性、利便性を求めたものではないことだけは確かですが、とてもその定義は難しいのだと言えます。強いて挙げるのなら、物質的な豊かさとは離れたところで、日常から乖離出来るような瞬間もしくは逆に日常へと回帰出来る何かがそこに或ること、感じられるものであることだと、僕は思っています。

そして、それらを生み出す人はプロである必要もなく、それゆえ写真はアート足り得るものへと昇華出来る可能性に満ちたものでもあるのです。





○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html

2011年8月27日土曜日

2度目の週末~polkaはやや体調を戻しつつあるようです。

polkaはやや体調を戻しつつあるようです。といっても、普段のように歩き回ることはほとんどなく、自分の身に起きていることが通り過ぎるのをじっと待っている感じで、いつもひとところにいます。実は昨日、医者から体温が下がっているから、もしあまり変わらないようであればまた来て下さいと言われていたこともあり、またずっと前に呼吸が弱くなる事があるので麻酔はしない方が良いとの言葉が思い浮かび、思いのほか沈んでいる僕自身ではありました。


今朝は自分から水を要求する鳴き声を上げていたし、その声も昨日のようなか細いものではなかったので、今日は様子見をしようと思います。様子見といっても、四六時中傍にいられるわけではないので、出来るだけですが。

話してくれれば分かるのに、何で言ってくれないのとか、人間だったらそういうのだと思うのですが、それは出来ない相談なので、動きや顔色を見るしかないのです。ネコにだって表情はありますから。まぁ、今日は僕が部屋を出る時に、目で追いかける程にはなってきたので、ちょっとだけ安心しながら書いているような次第です。

それにしても、案外心落ち着かず、自分自身も沈みがちになってしまうものです。普段はただ居る、それだけの存在のように、少し邪険に扱ったりすることもあるのですが、いつもと違う弱弱しい姿を見ていると、こちらまでそんな気になってしまいます。

人にしても、自分が弱い状態の時は、他の人にそれらを言葉で表わすことさえ出来ないことがあります。今回の震災でも、多くの人がそう感じたように思います。結局本当のところは分からないのかもしれないけど、態度や表情から理解しようとしていたんじゃないかとね。

さて、Sha-gakuは今日から2度目の週末になります。まだ1週間が過ぎただけです。僕にとっての元気の素は、やはりお客さんです。僕に対して感想や意見を話される方はほとんどいませんので、僕はお客さんの態度や表情を見ているわけですが、それだけでその人がどう感じているかが分かるかと言えばそうではありません。

褒められたい気持ちになったりもしますが、忌憚ない言葉や意見を話してもらった方が良いと思っています。心おきなく、心ゆくまで話せることって理想だと思うし、そうでないと次に進めないような気もしますので。





○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html

2011年8月26日金曜日

病院帰りの朝

今朝はpolkaがいつものフンづまりになってしまい、たった今病院から戻り、書いているところです。


昨夜0時を回った頃に戻していたので、これはと思いお尻を除くとぽっこりとしています。これまでの経験上、こうなると自力では出せなくなってしまいます。それでも、polkaは何度も出そうと繰り返し、その度に戻し、徐々に自分で体力を奪ってしまいます。

普通に行われていたことが今日は出来ていないと気付くはずなのに、しかも何度か経験もあるのに、自分自身がぐったりとなり、もう無理というところまで試みます。これは頑張るというより、そうせざるを得ないからそうするわけですね。そんな姿を見ていると、分かったからもうやめなよと話しかけたりしますし、polkaだって何かを伝えたいんだろうなと思ってしまいます。

来年で14歳を迎えるわけですから、人間としても初老の域に入り、身体に何かが起こっても不思議ではなく、僕だってそうだよなと考えさせられます。今日は症状が出てすぐだったこともあり(普段は少し落ち着いてから連れていくので)、結構弱っている感じだったので、ぶっとい栄養注射までされました。診察台の上で大人しくしながら僕を見る目は、普段よりちょっとだけ弱弱しく感じます。

おそらく、本人は理不尽さを感じているのでしょうね。なんで、こんなことをと言いたいに違いないのです。そして、ほっといてもらって、何日か経てば元に戻るのにと思っているのかもしれません。決してそんなことはないのに、命を落とす事になるかもしれないなんて、微塵も感じていないのでしょう。

こんなことを書いている僕だって、明日いやこれを書き終えた直後にそうなってしまうかもしれないわけで、人とペットという違いはあるにしても、同じように一本のロープを命綱無しで渡っているようなものです。

僕は自分では悲観的だとは思っていないけど、だからといって全てを楽観的には捉えられないわけで、瞬間、瞬間で感情は揺れ動いています。冷静で大人だよねと言われることもあるけど、自分にとって影響の及ばない部分には鈍感になっているだけのこと。

しかも、出来ることやしたいと思うことは年々限られてくるわけで、といっても可能性がゼロに近くなってくることではないから、慎重に大胆に動かないといけないのだろうと思います。しっかし、それが難しいんだよね。たぶん、それは経験とか年齢とは違った部分だから。

さてと、今日はギャラリーを開けるまでは、polkaの傍にいようかと思います。

きっと、うざいよと見られるのだろうけど。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html

2011年8月25日木曜日

「自分自身へ・・・そして誰かに向けて」

今日はちょっと宣伝です。


昨日、一昨日の内容が何か前フリのように感じるかもしれませんが、そう思われている人は少しは関心がある人かなと思ったりします。

サイドメニュー右下に、現在募集中の企画をリンクしています。その中のひとつに、「自分自身へ・・・そして誰かに向けて」という企画があります。何これと思われるでしょうね。以前ブログでも紹介しているので、詳細はサイトで確認して欲しいのですが、乱暴な言い方をしてしまうと、展示して発表することって特別な誰かだけのものじゃなく、経験や知識が少ない人でも、やってみたいと思う意思があれば出来るものですよ、ということです。

表現することは、意思の表れであって、普段誰もが無意識にしている行動のひとつだと僕は思っています。キャリアとか知識が無くたって、興味ある、関心があるものについては、それを知ろうとしたり、覗いてみたり自分自身で動く必要があるわけで、それ自体が既に意思からの自己表現でもあるのです。

特別な何かを持っていなければ出来ないとか資格が必要なものでもありません。むしろ、社会生活の中で制限を受けづらいもののひとつなんだと思います。公序良俗に反しない限り、世間はそれを許すのですからね。

この企画タイトルには、自己表現をすることで、自身の新たなステージを見たいと思いませんか、そして、そこから自分と世界、そこに集う人びととの繋がりを意識してみませんか、というメッセージも含まれています。そう、始まりはあなた次第なのです。

写真を撮ることは誰にでも出来るもの、それだけに奥が深いものです。どんな高名な写真家でも、始まりはみな初心者です。ただ、その後の付き合い方が違っていただけです。

経験しなければ分からないことはたくさんありますし、その事を充分に理解もしているはずです。だからこそ、踏み出してみてはと思うのですね。

あの時しなかったことへの後悔は、してしまったことへの後悔より遥かに大きいのだとの思いは、歳を重ねるごとに強くなるものです。

扉は開けられています。今すぐ入ってみて下さい。

2011年8月24日水曜日

夢はいつか叶うもの・・・?

カメラを手にして写真を撮り始めるきっかけはさまざまあるのでしょうが、物心ついた頃に自然にカメラを手にしていた人はほとんどいないと思います。現在は、携帯電話の機能としてどなたでも撮影を出来るようにもなったし、急速なデジタル化(ネット環境も含めて)はより身近な記録道具としての活用を拡げ、それがカメラへの興味となり、写真を撮り始めることもあるのでしょう。


ですから、始まりはどなたも自分の興味がスタートで、そこから楽しさを見出したり、撮影よりもカメラ自体に関心を持って行くようになるわけです。どなたも、自分にとっての良い写真を撮りたいと思いながら、技術や経験を積むべく努力を楽しさの中に培っていきます。それらの向かう方向は、先ずは自分自身になります。

それが徐々に、自分の写真は人にどう見られるのかが気になってきます。文字通り気になってくるのです。親しい友人から始まって、同じように写真を撮っている人に見せ、意見や評価を聞きたいと思うわけです。何故かというと、自分の写真が人にとって良い写真かどうかを知りたいことと、それによりもっと上手くなりたいからですね。ここまでも、向かう方向はまだ自分自身です。

大抵の方は、この状態を繰り返し行っています。そこで、満足や欠乏感を持ちながら、やがてカメラから遠ざかってしまう人もいますし、逆にのめり込んでいく人もいます。

さて、そこから展示・発表を行おうと考える人はどこか違っているのかという素朴な疑問が生まれます。自己満足の結果を公にしたいと思う人もいるのでしょうが、大抵はそうではありません。自分の描く世界や作品としての結果や経過を不特定多数の他人に見せる行為には、やはり自分だけに向かっていたのでは出来ない部分があります。ここで初めて、向けられる方向が外側にも向いてくるのですね。親しい友人に見せる事だって、他人に見せるわけだからそうじゃないのと言われるかもしれませんが、そこには自分自身への確認が欲しいだけで、見る側にしても公正で素直な眼で見ているかと言えばそうではありませんから。

そして、僕が思うには、実は多くの人がそのきっかけを待っていて、いつか発表したいと考えているのです。誰かが背中を押してくれるまでね。きつい言い方かもしれませんが、いつ訪れるかも分からないものをいつか来るだろうと夢見ているといっても良いと思います。

夢はいつか叶うもの、そう、誰もが信じていたい言葉だけれど、自らが外側に向けて事を起こし続けていかないと決して叶わないということを誰もが知っています。

今やれることは今しか出来ない(同じテンションで)のなら、今やるしかないんじゃないの、そう思っている人はいつでもお出で下さい。

いつでも大歓迎でお持ちしています。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html

2011年8月23日火曜日

お前は今何かをしているのか?

気温が急激に変わり、身体がついていかないと感じている方が多いかと思いますが、polkaにとっては好都合であるようです。一週間前までは、フローリングや日の当らない涼しい場所を選んで、身体をべったりとつけ少しでも暑さを紛らすようにしていたのですが、この2日間はソファーやベッドに身体をうずめるように丸まっていることが多いようです。


もともと寝ているか、水やエサを食べているか、どちらかしかしていないのですが、連日猛暑日が続くとその眠りも浅いようで、身体にもやや熱を帯びているような感じがしました。人もそうですが、疲れてきたりすると、身体の弱い部分が痛んできたりするもので、僕なんかは腰に来るわけで、その調子によって自分の疲労度のようなところを感じています。

polkaは生後間もなく捨てられていたネコで、その時は左目がふさがっていて、医者からはもしかしたら開かないかもしれないと言われました。やがてそんな懸念も忘れてしまったように、両目とも大きく開いたのですが、左目は右目よりも目やにが溜まりやすく、調子が悪いと涙目のようになります。だから、猛暑の頃は、何度かそんな状態になっていました。

今はそんなこともなく、polkaにとっては元の生活に戻った感覚なのかもしれません。まぁ、普段から暑いとか、痛いとか言えないわけで、身の回りに起こる全てのことを受け入れるしかないので、僕がそのあたりを察してあげないといけないのですね。

とは言っても、四六時中付きっきりではいられないし、やはり何か言われたり、行動として表わしてくれないと分からないわけで、10年以上も暮らしてきて、なんで分からないんだとしょっちゅう憤慨しているのかもしれません。

言葉を交わすことが出来る僕たちだって、真意を量りかねる時だってあるし、身近であるがゆえに話せない、行動として表わせない事が多くあるし、良かれと思ってしたことが、まるで逆であったなんて話も良くあることです。

だからといって、ただ自分のことだけを考え、思い描くように生きることなんて不可能ですから、他人との関係を意識し、それらと繋がりを持ち続けることが大切になるのです。ある人にとっては、とても、ややこしく、面倒な作業ですし、生理的に、心情的に出来ないことだってあります。

それでも、もともとが面倒で複雑な生き物であることが人としての特徴でもあるわけですから、それらを分かった上で人として言葉を持ったり、表現をしていくべきなのでしょうね。察するにしても、その兆しさえ見えなければ、何かを出来るものじゃないですから。

時折、じっと何もせずに、僕を直視しているpolkaを見ていると、お前は今何かをしているのか?と問われているような気がします。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html

2011年8月22日月曜日

お腹が一杯になる

何人かのお客さんから、これだけ見せられるとお腹が一杯になりますねとの言葉を貰いました。実際写真を見てお腹を満たすことはありませんし、ひとつひとつの展示や作品を味わってもらえるだけの何かが無ければそんな言葉は出てこないと思っています。大げさに言ってしまえば、いろいろな写真表現の中でのそれぞれのメインディッシュが並んでいる感じなのかもしれません。


だから、前菜やスープから始まるコース料理の趣とはまるで違っています。順番や調和、様式のようなものは一切ありませんし、ましてやアラカルトでもないので、目の前に出されたものを味わうしかありません。でも、それを美味しいと感じるか、或いはもう手も付けたくないと目をそむけられてしまうかはお客さんに委ねられます。

この辺りは、グループで行う場合の悩ましさであり、楽しい部分でもあります。そして、大事なのは参加者個々がそのことを充分に理解していることです。これは他の参加するメンバーの作風や表現を損なわないとか合わせるといった事ではありません。そんなことを一切考えずに、自分の表現を壁一杯に躍動させてくれれば良いと思っています。

でもね、そうすることって、おそらくは、不安や恐怖に似た感情に駆られるのですね。勝てない喧嘩は始めからしないと言われるように、誰しも結果を考えてから事に当たる方が多いですから。

コンテストや賞も無いSha-gakuは、そんな言葉とはまるで関係の無い、勝負事とは無縁のものです。強いて言えば、結果は自分の中にあり、勝ち負けも自分が自分に対して向けられ、評価出来得るものなのです。

お腹が一杯になる、その言葉は最大級の褒め言葉だと僕は思います。

写真を味わいたいと感じられたなら、いつでも来て下さい。

8人のシェフが腕によりをかけた料理を準備していますので。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html



2011年8月21日日曜日

作品や展示に隠された秘密

先週までのうだるような暑さとは一転して、冷たい雨が降っています。芝居や映画の場面展開のような気分で、半袖姿で下に降りてきたのですが、何か場違いのような感じさえしてしまいます。


昨日は初日だったこともあり、多くの人でギャラリーが賑わいました。参加者だけ居ても8名ですから、何人かお客さんが来られるとそれだけで一杯になった気分になってしまいます。スペース的にはそれほど小さいとは思っていないのですが(個人でギャラリーとしては)、ポートフォリオを置くテーブルや椅子を配置しているので、やや狭く感じるかもしれません。

今回は、展示作品が57点、ポートフォリオも含めると、約110点の写真作品が見られます。方向性やテーマ性、作風も異なるわけですから、中には気に入った写真も見つかるのではないかと思います。

でも、全てがバラバラですから、出来るだけ見る側が散漫にならないように注意はしているつもりです。簡単に書いてしまうと、参加者個々の個性や作品世界を見せることを第一とし、その中でのメリハリを大事にしています。誰しも好き嫌いはあるわけで、全てが受け入れられるわけではありませんから、何か一つでも感じてもらえるものが出せれば良いとさえ考えています。

これも「伝える」から「伝わる」へのひとつの手段なのです。ですから、この写真展にはいくつかの策や狙いどころ、秘密が隠されているわけです。何気に気分や感覚でのみ展示しているのではありませんから、何となくでも感じてもらえたなら、それだけで成功だったとも言えます。

さて、今日は久しぶりの雨です。昨日よりはお客さんも来られないかと思っています。その分、今日来られる方はゆったりとギャラリー全体を見ることが出来ます。

作品や展示に隠された秘密めいたものを発見してみるのも、鑑賞の楽しみです。

是非、いらして下さい。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html



2011年8月20日土曜日

Sha-gaku vol.3 今日開幕です。

しばらく、Sha-gaku vol.3の話ばかり載せてきて、もう飽きたよとの言葉が聞こえてきそうですが、いよいよ本日開幕となります。展示準備期間を長く設定しているので、大抵は早めに準備を終え、開幕を待つ感じでした。今回は、その間で作品制作も行っていたこともあり、案外短く感じられました。


でも、付け刃的とかやっつけ仕事のようなことは一切なく、中身の濃い10日余りを参加者と一緒に送れたのではないかと思います。参加者それぞれにはその人独自の思いがあります。展示が終了した今でも、はたしてこれでいいのかと悩む人もいます。

そう、まだ何も始っていないのです。全ての評価や見解は、今日から始まり、約1カ月の長丁場の中で生まれてきます。それらを受け入れ、考えることが大事になるわけです。苦労の末に作品制作をして、展示まで行ったのだから、もうそれだけでいいじゃないと思えることもありますが、参加者にとっては、むしろこれからの方が普段では得られない貴重な体験に触れることが出来るのです。

いいことばかりではないでしょう。見る側には好き嫌いもありますし、どうしても展示作品を比較して見ますから、フッと出てしまった何気ない言葉に傷つくかもしれません。でもね、そういった無意識に出た言葉に気付かされることも多いわけで、単純に嫌だなと思わずに聞いて欲しいなと思います。自分でそうじゃないと思えたなら、それでいいわけですから。

如際無い言葉はその時は嬉しく感じるかもしれないけど、どこまで伝わっているのかが分かりません。ですから、見に来られる方も本当の飾らぬ言葉を参加者に投げかけて欲しいのですね。もちろん、僕に対しても同じです。

今回もいつものように、コミュニケーション・ボードを設置しています。参加者によっては個別にコメント帳を準備していますから、どんどんメッセージを残して下さい。

初日でもあり、今日はほとんどの参加者が来る予定になっています。

出来るなら、直接話しかけてみて下さい。

お待ちしています。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html



2011年8月19日金曜日

開幕前日・・・。

展示会開幕前日はいろいろな感覚が頭をよぎります。準備忘れていることは無いかとか本当にこの展示が成立しているのかといった漠然とした不安やいよいよ明日から見てもらえ、楽しみ、感動してもらえると妙な期待感や自信といったものがないまぜの状態になります。


ここまで、身体的にも精神的にも苦労し、自分自身を追いこみ、見つめ、作品を生み出してきた参加者の1人1人を考えると、はたして僕の行為そのものがどれほどのものだったのかと考えたりもします。もちろん、僕の目の前にある作品は僕自身のものではありませんし、参加者の考えや表現の奥底にある核のような部分を全く理解出来ているかと言えば、それほどの自信はありません。こんなことを書いてしまうと、これまで一緒に検討してきた参加者にとっては、一種裏切りのようなものに感じるかもしれません。

それほど、個人の考え、表現の奥深さは計り知れないもので、本人でさえ理解していないことも多く、僕はその中の一部を拾い上げ、大切に扱い、真っ直ぐに道筋が見えるようにしたいと思いながら、結局は参加者自身が自分自身の表現に気付くまでを辛抱強く待っているだけのような気もします。

いずれにせよ、明日以降、参加者同様に僕自身も評価されるわけです。Sha-gakuとしての全体の見え方が、主催である僕自身に評価として向けられます。作品個々の良し悪しは、見る側の好き嫌いもあるわけで、一概に決められるものではありません。

ですから、参加者は今自分が持っているパフォーマンスを充分に発揮出来ている、そう感じられる(その人を知っていようがいまいが)感じさせることが出来れば、それはそれで成功なのだと思います。そして、自分の今の立ち位置なりを感じ取ってもらえれば良いとも言えます。

一方、僕自身への評価となると、簡単に言ってしまうと、お客さんがどれほど見に来てくれるか、そしてもう一度見たいと思い、再度足を運んで下さるかになります。

案外現実的と思われるかもしれませんが、実際のところそうなのだと思っています。

展示会は夢や幻ではなく、現実に目の前で行われ、見てもられることによってのみ、その意味や意義があるものですから。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html



2011年8月18日木曜日

比較

朝方雨が降ったらしく、道路が黒く濡れています。雨が涼しさを運んでくれるわけでもなく、じっとりと暑さと湿気が肌にまとわりつくそんな朝ですが、気持ちまで湿っていてはいられません。

Sha-gaku vol.3開催までの準備期間は今日と明日の2日間となりました。全体の展示は、今日来て作業をする参加者1人でおおよそかたが付きます。残りは僕が行うことなので、明日1日あれば充分ですから、何事もなければ余裕を持って初日を迎えられることになります。

初日20日の土曜日には、参加者の多くが来られる予定です。もともとSha-gakuは一面毎の個展として捉えているので、参加者同士が事前にこの日に集まって説明をすることはなく、個別に打合せ等を持ちながら進めています。たまたまその時に会うこともありますが、大抵は会期中に初対面になります。

気心の知れた仲間やサークル等の発表とはかなり趣を異にしています。隣にある作品やテーマなんて気にする必要もなく、純粋に自分の作品世界を表現してくれれば良いわけで、変な遠慮や配慮はそれらを阻害する要因にしかならないと、僕は思っています。

誰しも人の事は気になるもので、打合せの場でも話は出てきますし、何も特別な感情ではありません。当然のことです。ましてや、発表が初めてであったりすれば、余計気にかかるものです。それでも、比較というものは、自分が在って初めて出来るものですから、先ずはここが出来上がってこないといけないのですね。

本来アートは、社会での地位や立場、経験や技術といったものは無意味なもので、目の前で表わされた作品だけで評価されるべきものです。ブランドとか有名であるといった情報は必要もないし、公正な眼や感情を邪魔するものでもあります。

Sha-gaku vol.3に参加するメンバーの多くは無名のアマチュアで、周りにいるカメラを持ち撮影をしている方々と基本的には変わりません。それでも、自分自身で発表まで考え、実際に行動する人々は非常に少なく、世間は何か特別な存在のように考えがちになります。

でも、僕にとっては、特別なことやものという意識はまるでなく、素直な気持ちの延長線上にあるものだと考えています。乱暴な言い方をすれば、誰にでも出来ることなのです。

だって、生きていることそのものが自分を表現することの連続であり、その行為が必要で正しいと思えるのなら、方法や手段が違っても、人ってするものでしょう。

そして、その結果として自分や他人との関係性や有り様を認識、再発見するもので、初めて比較出来る立場に置かれることになるのです。


○Sha-gaku vol.3
8月20日(土)~9月18日(日)
13:00-19:00 月曜日休み
http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html




2011年8月17日水曜日

順調に進んでいます。

Sha-gaku vol.3開催準備は順調に進んでいます。参加者はキャリアもまちまちですから、初めての方は展示が終了するまで気が気ではなく、また許される時間も限られている為、間に合うのかと不安なんだろうと思います。僕の方はと言えば、案外心配しておらず、何とかなるよぐらいの感覚でいます。


現在、6名の展示が終了し、今日そして明日には残りの2名が展示予定になっていますから、開幕前日までには終わるはずです。前日に全体の案内等の掲示物を僕が取り付けて、開幕当日を待つようになります。今回は8名の作品制作も含めて、展示が日替わりのように行われるわけで、それぞれの思惑もまるで違っているので、僕自身の切り替えが肝要でした。

だから、これまでのプロセスを思い起こしながら、参加者の求める形を理解しつつ進めていかないといけないわけで、もしその場で誤解が生じてしまったら、白い紙の上に一点しみを作ってしまうようなことにもなりかねません。慎重にかつ当然のことのように進めないといけないわけです。

でもね、やはり形になっていく姿は、見ていて嬉しくなってしまいます。もっと、冷静にあくまでも第三者的な立場でより良くするにはと考えないといけないのですが、僕の中にも一種参加者と同化している部分があるのですね。これまで、いろいろと検討してきて、現在これが最善と思われるものを目指している、向かっていく方向が同じであることが大事だと感じているからかもしれません。

全ての壁が、色とりどりの作品で埋め尽くされたその時に、これまで想像していたモノとは違った何かを僕自身が感じられるようであれば、きっとうまくいったと思えるのでしょうね。想定内の完成以上の何かです。

明日それが分かるはずです。

それって、ハプニングやサプライズといったものではなく、どれだけ今まで継続的に中身を詰めてきたかどうかによってもたらされる、ご褒美のようなものなのです。





○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html




2011年8月16日火曜日

楽しい夜の次の日

昨夜は久しぶりにリラックスした楽しい夜でした。


2年振りに東京からの友人夫婦がギャラリーを訪ねてくれて、ホント嬉しかったな。以前は雨の中バイクを走らせて来たのだけど、今回はバスを使って、渋滞もあったようで6時間近くかけて来てくれました。どちらも大変なことには変わりなく、こうして来てくれる事だけで感激です。

そんな彼らとの話は尽きることは無いのだけど、何より心おきなく遠慮なく話せるってことが嬉しいよね。当たり前のことのように思えるけど、普段は言いたいことの半分も話してない事の方が多く、第一心許してくれない、開いてくれない人とは話をしていても、どこか空々しいだけでただ疲れてしまいますから。

今は震災もあって、普段より増して、我慢したり、言えなかったりする場合があるのだろうけど、もっともっと言葉や態度に表わすべきだと思います。とてもそんな気にもなれない人が多くいることも判っています。でも、時に、愚痴ったり、悲しみを露わにしたっていいだろうし、未来に対しての夢や希望を語ってもいいと思います。

僕には思ったこと、感じていることを素直に言える人間が、少なくても2人はいる、それだけで幸せなことです。そんな幸せを感じられる瞬間が、昨日の夜にはあったのですね。周りから見ればきっと些細なことなんです。でもね、何かまた今日からやっていけるよなって気になっている自分が今いるわけだから、これってすごく大きなことなんですよ。

きれいごとだとかもっと現実を見ないといけないよとか、大人として耐え忍び、言いたいことも言わずにただじっとしているだけで、世の中が変わっていくことを望んでいたって、そうそう変わるものでもなく、そんなことをしていては未来を担う子供らに対しても決して良いことじゃないのは明らかです。

大それたことは出来ないわけだから、何もしないで後悔するくらいなら、納得ずくで失敗したっていいよなとも思えるのです。

そんな元気をくれた2人に感謝。

そして、今日もまた一日が始まります。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html




2011年8月15日月曜日

面倒くさい男

何やらバタバタとしてきました。会期準備期間中は、普段よりも忙しくなるのはいつものことです。今回は8名による展示なので、いつもよりも時間がかかることは分かってはいましたが、それぞれの作品制作からのサポートを日替わりでしていることもあって、混乱しないように気を付けなければいけません。僕が混乱していては、参加する人はますます不安になってしまいますからね。


今日は実際の展示はありませんが、明日の為のいくつかのトライをしなければなりません。おそらく、時間のある時に前もってしておけよと自分自身に言いながらのトライになると思うのです。参加者のキャリアはまちまちですし、実際の展示やポートフォリオの検討には時間が掛かりますから、僕からの意見を消化しながらの作品制作は大変なのだと理解しています。そして、それらを消化してから、自分のエネルギーに変え、まとまった形に現れてくるにはそれなりの時間が掛かることも充分理解出来ます。

その為、結局はぎりぎりでのトライになってしまうのですが、試してみると言うよりは、確認すると言った方が良いかもしれません。実現不可能なことをいくら言ったところで仕方ないわけで、始めからそのような提案はしないから、それらが確かに出来ることを僕自身に伝える行為なのですね。

そう、僕だって、ホントは不安なんです。言ってはみたもののなんて、無責任なことは出来ないから、するしかないのです。経験や勘や感覚だけで、確証が持てないのは、多分長年のエンジニア生活で身についてしまったものなのかもしれません。

そんな行為を傍から見れば、楽しみながらしているように感じるかもしれないし、自己満足の範疇なのかもしれないけど、でも、自分自身、納得のないまま前には進めないのです。

ある意味、こだわりのようなものなのかもしれないし、時にもっと曖昧でも良いのではとは思うのですが、それらを感覚で無く、ちゃんと伝えられる、自分の身になったものとして自分の言葉で持って言えないものは、本物じゃないよなと思うわけです。

だって、展示・発表するものって、その人が生み出した本物ですし、それらを制作する人たちに僕が本物を出さなければ失礼な話ですからね。

ホント、面倒くさい男だね。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html




2011年8月14日日曜日

やばいですね。

昨日、展示に来られた方から、ブログを一日休みましたよね、何かあったのかと思いましたよと言われ、始めは全く身に覚えがなかったのですが、しばらくしてあっ!と思い出しました。8月11日ですね。その日はいつものように下書きを終え、投稿しようとしたら、ちょうどBloggerがメンテナンス中だったのです。後からアップしようと思いながら、結局は忘れてしまい、自分では投稿していた気になっていました。


そんなわけで今日はこの記事を載せます。

********************************************************************************
暑いですね。


昼間ギャラリーにいる時は、スポットを付けていなければ、エアコンを使用しない状態でも耐えられるのですが、自室へと戻ると昼間の熱気が冷めていないし、エアコンも無いしで、扇風機を回しながら暑さをしのいでいます。毛皮をまとっているpolkaも部屋の中でも涼しい場所を移動しながら、ウロウロとしています。

Sha-gaku vol.3の準備も今週末に集中する模様で、その間は参加者にほとんど付きっきりになりますから、その他ギャラリーとして準備しなければならないものを、ぼちぼち進めていかないといけません。と言っても、平日昼の時間は余裕がありますから、あまり心配はしていません。

今日は、入場券のデザインがほぼ決まりましたのでそれを少しだけ。

もともと入場料を取ることには、抵抗感があったのですが、作品販売収入からの義援金捻出は難しいかったこともあり、震災後継続的に何か協力出来ないかと思い、入場料を取ることにしました。

Love and Joyでは、そのまま栞として使えるように、縦長の形にしました。今回は、A7サイズで、裏側に参加者それぞれの写真イメージをプリントしたミニカードにする予定です。なので、8種類のタイプになるわけです。

こんな感じです。


パスポート制で、一度入場券を買ってもらえると、その後はそれで何度でも入り、作品を見ることが出来ますから、カードとして集める人はいないとは思いますが、お客さんが入場券を選んでもらえるようにするかは検討中です。いくつかの種類に固まってしまう可能性もありますからね。


さてと、今日も作業に来られる方がいますので、その準備を進めないと。
********************************************************************************

何やらあまり変わり映えのない毎日のようですが、最近はすごく物忘れが多いように感じます。さっきまで使っていたものをどこに置いたのかも忘れそうになります。やばいですね。


さて、展示は順調に進んでいます。といってもまだ2名だけですけど、予定通りとも言えます。壁が想定した形で埋まっていく姿を見ていると、それだけでワクワクとしてきます。


この感覚って、実際に展示する人にしか分からないんですよね。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html








2011年8月13日土曜日

帰省ラッシュ

昨日からテレビでは盛んに帰省ラッシュのニュースが流れています。震災被災地である東北のみならず、首都圏から南へと向かう高速道も軒並み渋滞しているようです。それに比べると、海外への旅行のニュースをあまり見かけないと感じます。


こんな時に海外旅行なんてと思う方はたくさんいるのでしょうし、実際減っているのかもしれませんし、特にニュースにしたところで視聴者の共感を得られないとのメディア側の思惑があるのかもしれません。

ネット社会がこれほどまでに勢力を伸ばす一方で、テレビは今持って生活の重要な情報源であることに変わりはありません。いつの頃からか、報道やニュースが事実を述べるだけのテレビから、そうではない一種エンタテイメント性を持つようになり、視聴者の興味は事実のみではない部分に取って代わったように思います。

それらを素直に信じ、受け入れ、或いは楽しめると思うことは、その人それぞれの自由の範疇ですから、とやかく言うべきことではありません。多くの人は、テレビから情報を得ることが一般的ですし、映像を伴った分かりやすさは一番良い点だとは思います。

今、僕が東京でサラリーマンをしていたとしたら、テレビを始めさまざまなメディア情報を見ながら、仙台の状況を見ているはずです。そして、何年も帰省していない程、親不孝な僕でもおそらく帰省していたと思います。

誰もが感じるように、実際にこの目で見て、身体や心全体でそれらを感じ、自分なりの確認をするためですね。報道やニュースでは語られないごくごくパーソナルな部分が、実はもっとも気にかかる所であって、知りたいことですから。

もし、それが許される状況の人たちは、是非帰ってきて、本当の有り様を見るべきだと思います。報道やニュースでは得られない自分自身の本当の気持ちを確かめるべきだと思うのです。

単なる事実やそれらを演出するようなエンタテイメント性も感じられないけど、ここにはここでしか得られない自分にとっての真実があるのですから。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html




2011年8月12日金曜日

見届けるだけの責任

今週は撤収と作品制作を含めた作業が日替わりのように続いています。


撤収する側は、やや寂しさはあるものも、一仕事終えた満足感と次の目標のようなものを考え、一方次回準備の方は、不安を抱えながら、ひとつひとつが形となっていく瞬間を目の前で、そして自らがそれらを行っていることに楽しさを見出しているようです。

外はうだるような暑さですが、ギャラリーの中もかなり熱いです。そう気持ちがですね。机上で考えていたものが、現実のものとして作り上げられていく過程には、心躍らされる何かがあります。でなければ、何かを創ろうとかといった考えは及ばないものです。

展示・発表することは、やはり大変なことです。でも、作品を制作している瞬間、瞬間はそんなことを忘れ、ひとつひとつの作業に没頭しています。

参加前には、時間が取れるだろうか、自分の写真が作品として提示することが出来るのかといったことを話されます。確かに、全てが初めての場合は、それだけであきらめが先に立ってしまうのでしょう。

展示・発表に興味を持った方々の多くは、先ず自分の撮った写真を持ちこんできます。ポートフォリオなんて形になっているものはほとんどありません。L版やポストカードサイズのものをいわゆるアルバムに入れたものや裸のままであったりします。おそらく、100枚は超え、テーマや作品を意識していないものが散々している状態です。

それらを見ながら、いろいろと話を進めるうちに、僕の中で引っかかる何かがあれば、大抵は発表出来ると思っています。また、さまざまなジャンルや対象の写真が見られるのですが、どこかにその人自身の持つ傾向や趣旨のようなものが見え隠れしているもので、それらが作品として生まれ変われるか、世に問いかけても良いものかを判断しているとも言えます。

Sha-gaku vol.3 では、そんな過程を経て、発表へと奮闘中の方が何人かいます。

目標や可能性は誰にでもあり、でも自分でそうしなければ決して届かないと考え、不安を抱えながらでもそれに向かおうと立ちあがってきた彼らを、僕には見届けるだけの責任があるわけです。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html




2011年8月10日水曜日

ポテンシャル

30.00


さて、これは何の数値だと思われますか。8月20日(土)から開催予定のSha-gaku vol.3の参加者の平均年齢です。僕自身、何にしてもそのスタート時期に年齢はあまり関係ないと思っている方なので、これまでの企画に参加してくれる人たちの年齢は気にしてはいませんでした。

ふと、昨夜計算してみると、これまでとは明らかに平均年齢は下がっていると思います。今後の事を考えると、若い世代が増える方が良いのでしょう。中には、若い世代となると、おのずとキャリアは浅いものになるので、それだけで企画展としての質を疑う人もいるかもしれません。

でも、言い方は悪いのですが、この平均というところに良く騙されるのですね。重要なのは、その分布状態とそれぞれの持つポテンシャルの量だと思うのです。今回のSha-gaku vol.3は分布としては20代から30代後半までと割と拡がっていて、20代後半が一番多い形です。母数は少ないけど、正規分布に近いかもしれませんし、この年代の人たちの作品がある意味大事になってきます。

じゃあ、それぞれのポテンシャルはと言えば、年齢やキャリアが低いからといって、それに比例しているかというとそうではありません。また、その逆であるかと言えば、そうではないのは誰にでも判ることです。

念の為、これ、数学の話ではありません。ポテンシャルは、今現在自分が持っているものと今後持てるかもしれない総量だと考えると、決して年齢に捉われるものではないのです。

良く、若い人の感性にはついて行けないとかこれはこの年齢でないと表現出来ないものだよねと耳にすることがあります。中にはその通りだなと感じるものもありますが、大抵はそんなことないんじゃないと、あまのじゃくのように思っています。逆に、そう感じられる時点で、自分自身のポテンシャルを自分で決めてしまっているようにも思えるのです。

年齢やその時の状況によって、ポテンシャルの占める比率も変わってくるし、感性も変化し、それらを受け入れる量といった部分も変わります。全ては流動的でありながら、それを固定化しているのは、結局は自分自身だったなんてことになるわけです。

話がまとまらないけど、今回のSha-gaku vol.3では、参加者それぞれが今持つポテンシャルをどれだけ引き出せるかが、僕にとってのカギになってきます。

開催までの10日間がそれを決めてくれます。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html




2011年8月9日火曜日

今日から撤収作業

企画展に参加してくれる人たちのほとんどは他に仕事を持っていますから、こちらに来られる日も時間もまちまちです。中には展示に来れない人もいます。自分で展示・撤収することはとても大事な経験だとは思いますが、それが出来ないから発表は無理だということではありません。


むしろそれまでの準備の方が重要になります。一口に準備と言っても、展示・発表することが初めての場合は、いったい何からすればいいのかと戸惑います。先ずは、その戸惑いを無くすことが僕の仕事になります。

事前の打ち合わせやメールのやり取りの中で、その人の伝えたいこと、表現したいもの、アイデアといったことを出来るだけ理解し、実現化への道筋をサポートするようにしています。もちろん、参加者の気質や性格をある程度考慮しなければ、うまくは行きません。一種、カウンセリングのような仕事でもあるわけです。

だから、目指す方向が決まってきたら、参加者にはあまり余計なことをして欲しくないとの思いがあります。必要最低限のやるべき、準備すべきこと以外は、作品制作に集中してもらえれば良いのです。

実は今は、ギャラリーでプリント作業も行っています。何で自分でプリントしないのと言われるかもしれませんが、僕としては特に変わったことだとは思っていません。もちろん、写真の場合、自分で現像し、プリントまですることが理想のようには感じますが、作業環境の無さもあり、フィルムの場合は大抵はラボでプリントしてもらいます。デジタルの場合も、自分のプリンターで行うことがベストですが、大判などはそうはいきません。

また、著名な写真家の多くは、自分に合ったプリンター(プリントを仕事としている人)にプリントを依頼するケースが多いのです。それには信頼関係と確固たる技術を伴わなければいけません。そういった意味では、参加者と一緒にプリント作業を行うことは、ごく自然の成り行きとも言えます。目の前であれこれと意見も言えますし、僕自身も参加者とのコミュニケーションにより作品性を理解してますからね。

さてっと、今日はおおまかな撤収作業をします。

半分以上は、白い何もない壁になるかな。





○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html




2011年8月8日月曜日

Love and Joy 終幕です。

昨日でLove and Joyが無事終了しました。


エンディング・パーティーは、遅くまで盛り上がり、まさにその瞬間、Love and Joyに満ち溢れていたように感じました。残念ながら、Ustream配信が原因不明でうまくいかず、結局配信出来なかったことだけが心残りですので、少しだけ会場の模様を載せておきます。



会場に見に来て下さった皆様には感謝の気持ちで一杯です。参加してくれたメンバーにも同じ気持ちでいます。有難うございました。

さて、今日から撤収と次回のSha-gaku vol.3の準備になります。来週はお盆で、休みを取られる方も多くいらっしゃるようですが、僕の方はのんびりとはしていられないようです。まぁ、普段がのんびりしているので、こういう日々があってしかるべきなのです。

Sha-gaku vol.3は、男女4名ずつ、計8名と大人数になります。さまざまな種類の表現が披露されます。これからの10日あまりが大事な日々になるわけです。おそらく、問題も発生するのではないかと思っているのですが、これもまた楽しんでいきたいですね。

Love and Joy を見に来て下さった方とも、是非Sha-gakuで再会したいものです。

いつでもいらして下さい。



○Sha-gaku vol.3

8月20日(土)~9月18日(日)

13:00-19:00 月曜日休み

http://kalos-gallery.com/exhibition/next_exhibition.html

2011年8月7日日曜日

今宵はTanabata Night !

本日がLove and Joy最終日です。


少し物哀しい感じはありますが、テーマのように元気で、笑顔になれるような最後だといいなと思っています。夕方から、エンディング・パーティーを行いますので、一度見に来られた方もまだ見ていない方もこぞって来て欲しいですね。

参加者も皆集まっていますし、他の写真家の人も来られると思いますから、楽しい話で盛り上がってくれるはずです。Ustreamでも配信する予定にしています。ただ会場を写しているだけになるかもしれませんが、過去のそれも同様だったのでこちらとしてはあまり気にしていません。本当はいけないのでしょうが、実際この場で雰囲気や楽しさを感じて欲しいし、その一端が垣間見られればと考えています。

約一カ月の長丁場と思われますが、参加者や僕自身もほんとあっという間の出来事です。これまでにかけてきた時間の方が圧倒的に長いし、生みの苦しさや楽しさを良く理解しているので、やや傲慢に聞こえるかもしれないけど、始まってしまえば怖いものなしで、いろんな人に見て欲しいというのが本音で、ずっとこのまま展示していればいいのにと思っているのです。

でも、モノには始まりがあれば、終わりも必要なのです。逆にこれで終わりということが無いからですね。だから、参加者も僕もこのLove and Joyはひとつの通過点に過ぎません。冥土の土産になんて感覚は全くもってないわけで、これから先の事しか考えられないのです。

今、先が見えない、未来が想像出来ないとの言葉を良く耳にします。でも、先なんて始めから見えないものですし、もし見えたとしたらひどくつまらないもののように感じられるのかもしれません。それに、これから先のことは、自分自身が思い、願い、行動として進めていかない限り、現れてこないものですから。

夢のあとさきではないけれど、今日参加者それぞれはまた違ったスタートラインに立つわけです。ゴールは遥か遠くにある方がいい。振り返り考えられるだけの余裕もあった方がいい。一歩ずつ確実に進んでいけばいい。

そんな彼らの姿を見に来て下さい。



○Love and Joy Ending Party Tanabata Night ! 「4つの出会い」

8月7日(日)17:30-20:00(延長あり)

Kalos Gallery

http://kalos-gallery.com/index01.html

2011年8月6日土曜日

選ばれてしまった人間

テレビに映し出される広島の空は青く、太陽が降り注いでいました。今日は66年目の広島「原爆の日」です。被爆者の平均年齢が77歳を超え、すでに多くの人は歴史のひとこまのような感覚になっているのでしょうが、66年前に現実にあったことです。


今年は東北大震災を発端とした福島原発事故が今現実に起きてしまっています。両方とも人が生み出した「核の力」が原因です。一方は忌わしい戦争の担い手として、そして他方はエネルギー政策の一環として、その時点で必要と思われると信じられていたものです。しかしながら、そこから見えてきたものは、決してあってはならない悲惨さと悔恨だけです。その時々でその恩恵を受けてきた人たちはいるのでしょうが、他人の犠牲の上に成り立つわけはないと思っています。

広島、長崎の原爆投下の事実は、時の経過から歴史となり、その場で生き、暮らしてきた人々の思いや感情までを正しく伝えられなくなりつつあります。語り継がれるべきものは、その時の状況やデータといった情報ではなく、むしろそこで懸命に生き、耐えてきた言葉にならない本当の思いなのだと思います。

目の前にある現実から目をそむけて生きていくことは、誰にも出来ません。その場を離れたとしても、同じなのだと思います。福島原発については、まだこれからの話で、刻一刻と状況も変わっていくはずです。僕を含めその場にはいない人たちも、その推移やその地に暮らす人々をしっかりと見ていかなければいけません。

今後繰り返し起こることが無いようにする為にも、国やメディアといった大きなものではなく、この時代に生きていた僕たちが語り継いでいかなければいけないのだと思います。
ある意味、僕たちは選ばれてしまった人間でもあるのです。



○Love and Joy Ending Party Tanabata Night ! 「4つの出会い」

8月7日(日)17:30-20:00(延長あり)

Kalos Gallery

http://kalos-gallery.com/index01.html

2011年8月5日金曜日

七夕前日

今週末は東北各地で夏祭りが行われます。仙台も明日から七夕です。でも、今年はやはり規模自体は小さいのかもしれないなと思わせます。普段ですと近所のお店の前にも竹飾りが出ていたりして、あぁ、七夕の季節なんだと自然に感じられたりしていたのです。今年はそんな姿はあまり見られず、市中央の商店街に行かないと見られないのかもしれません。


また、今日は七夕前夜祭として、市内で花火大会も開かれます。中止も考えたのでしょうが、夏の夜空にきれいな花火が上がる姿をみんな見たいのだと思います。お天気が心配ですが、今はとても気持ちの良い青空が見えてますし、何とか持って欲しいですね。

打ち上げ花火の美しさは、一瞬さにあります。ダラダラと長く輝くのではなく、夜空をスクリーンにして、迫力を持ってその姿を表わします。人生の内で必ず一度は輝ける時期が来ることを思い起こさせてくれる感じさえします。

しかも、一回一回の打ち上げには様々な表現があって、いくつかの花火を組み合わせることでそれらを表わしたりもしています。花火師の人とは付き合いは無いのですが、きっと職人であるのでしょうが、その前に表現者としての顔を持っているに違いないと思うのです。

花火に仕込む火薬の種類や大きさ、配置によって見え方は変わるわけですが、そこには、職人さんの技術や経験、知識といったものが集約されています。でも、見る側はいちいちそんなことを想像したり考えたりすることはありません。目の前に見えているもの、そこから感じられるものが全てです。

アートもやや似ている部分があります。技術や技法、道具といった部分はあくまでも作り手の言い分で、見る側にはあまり関係の無いことです。これを使って、こんな風にすれば間違いなしなんてことも無いし、たとえそうしたことで生み出された作品たちであっても、見る人の感覚によって捉えられ方はさまざまです。

だから、前提とか形式はあまり必要ないし、ただそれだけにこだわっているのでは何も生まれてこないとも言えます。

大抵の人は、そんな小さなこと以外の、そこにある何ものかに惹かれるのです。



○Love and Joy Ending Party Tanabata Night ! 「4つの出会い」

8月7日(日)17:30-20:00(延長あり)

Kalos Gallery

http://kalos-gallery.com/index01.html

2011年8月4日木曜日

「自分自身へ・・・そして誰かに向けて」

昨日思いつきのまま、新企画を発表しました。あまり変わりばえしないじゃないと言われそうですが、ギャラリーですから、作品を展示、発表し気に入ったものを購入してもらうことが本来の姿だと思っています。その為、質の良い、面白い、見る人の共感を得られるような作品をお見せすれば良いのです。


但し、個人的にしていることもあり、またもともとアートの世界にいたわけではありませんから、その範囲も限られるものです。乱暴な言い方をすれば、首都圏で活躍する著名な作家の作品を持ってきて、それを見せさえすれば良いわけでもなく、また新参のギャラリーに作品を預けてくれるかというとそうではありません。

昨年の5月まで、先ずは写真の本来持つ表現の素晴らしさを現物のものとして、目の前で見てもらっていました。一種のカルチャー・ショックのようなことをしようとしたわけです。その後、それらに興味を抱き、自分でも発表を考えている在仙や福島の人たちを集めて、Sha-gaku、Story、Photo Showcase、そして今回のLove and Joyといくつかのコンセプトの元いわゆる公募のような形に方向を変えてきました。

経験は人を進化させるのかもしれませんが、何度か行ってくると次の道がなんとなく見えてくることがあります。これまでずっとアマチュアの方による企画展でしたが、決して質が落ちているとは思っていません。むしろ、その逆であるような感覚さえします。

理由はさまざまあるのでしょうが、自身の作品を提示、発表をしない職業的なカメラマン(もちろんそうではない写真家はたくさんいます)よりも純粋に自分の世界を追い求め、表現しようとしているアマチュア写真家の方が、今の僕にとってはとても大事なのです。

さて、今回はと言えば、対象はずばりビギナーです。

ギャラリーで展示なんてとてもとてもということを良く聞きます。そんな方々に主役になってほしいのです。写真やカメラに関する経験や学習も少ないいわゆる好きで撮っているんだよねという人たちの中にも、いずれは発表をしたいと考えている方はいるはずです。

特別ではない普通の人たちが、真摯に展示に取り組む姿を僕は何度も見ています。彼らの多くは、展示が近付くにつれ表情が良くなっていきます。たぶん気持ちやモチベーションのようなものがそうさせるのだと思います。

恐れる(何にではなく、たぶん自分に)必要はありません。自分の望むほんの少しだけ特別なことをするだけです。自分の思い描くことが、目の前に現れ、見る人に驚きや感動を与えることが出来るかもしれません。

それって、すごく素敵なことだと思いませんか。

「自分自身へ・・・そして誰かに向けて」





○Love and Joy Ending Party Tanabata Night ! 「4つの出会い」
8月7日(日)17:30-20:00(延長あり) 場所 Kalos Gallery

http://kalos-gallery.com/index01.html



2011年8月3日水曜日

大事なのは考え続けること

2日前に、Sha-gaku vol.3 の情報更新をしました。今回で3回目となるSha-gaku ですが、以前にも増して個性溢れる作品をお見せできそうです。参加メンバーも、以前に参加された3名に加え、5名の新たなメンバーを加え、しかも狙ったように男女4名ずつとなっています。詳細はこちらです。


Sha-gakuは、テーマやコンセプトに制限なく、写真作品であれば基本的にどんなものでも受け入れようとしてスタートしました。おそらく、参加を考える人たちも迷ったのだと思います。やはり、何か決めごとがないと逆にまとまりづらく、参加するにも迷ってしまうのかなと、なかなか集まらない日々に悶々としていたことを思い出します。


今だって、それほど多くの人が参加をしたいと言ってくるわけではありませんが、震災後のこの時期を考慮すれば、直接的にチャリティーとか義援(現在のギャラリーの全体の趣旨としてはありますが)ということもなく、よく集まってくれたものだというのが本当のところです。

今だからとか今こそと意気込んで行えるものかと言えば、気持ち的にはそういう部分が必要かなとは思いますが、そことは別の部分が無いと出来ないものです。つまりは、表現することの発露であり、そこから生み出した作品足り得るものが自分にあるかどうかですね。

でも、時にはそんなことは抜きにしても、何か伝えたいこと、表現したいものがある、それだけで始めてしまっても良いのではとも思います。

じゃあ、作品は二の次なのと言われそうですが、決してそうではありません。見る人によっては稚拙だとかいまいちだとかの評価を受けるかもしれませんが、Sha-gakuでは既に完成されてしまったものは望んでいません。中途半端ということではなく、今自分が持っている能力や経験から、等身大の作品を発表してくれれば良いのです。

その為に発表に際しては、彼らのほとんどは自分を見つめ、写真に問いかけ、自分自身をも見直し、考えることを続けています。おそらくは、展示終了し、会期中であってもそうなのだと思います。

そう、大事なのは考え続けること、そこからしか何物も生まれないのです。

2011年8月2日火曜日

一週間の始まりです。

Love and Joy は今週が最終週となります。


1か月、長いなと思われる期間は、案外あっという間に過ぎて行くものです。今回もさまざまな人たちとの出会いがありました。いくら写真が好きだからといって、毎回訪れて下さる方は多くは無く、やはり好き嫌いもありますから、今回はいいかなと思われる方もいらっしゃるのだと思うのです。

だから、初めてギャラリーを訪れて下さるお客さんの率は、毎回6割以上になります。その方々が興味を持ってくれ、また来られることを願いながら接しているのですが、僕の悪い癖でお名前をお聞きするのを忘れてしまうことが良くあります。

今は個人情報云々が取りざたされていますので、こちらからあれこれと聞き出すわけにはいかないですから、ますますそうなってしまうようです。そんな時は、毎回反省と後悔をしているのです。

今回は参加者それぞれがノート等を用意して、来られたお客さんからコメントを受けられるようにしています。名刺のようなものまであります。次回行われるSha-gukuでは、ボードを壁面に準備して、好きなように書いてもらうようにしています。好きに何でも書いていいよと謳っていても、始めはなかなか書かれないものです。誰かが書き残したものを見ながら、徐々に埋まっていく感じです。

Love and Joy では、コメントを残してくれているお客さんが多いように感じます。文面には元気や笑顔、優しい、暖かいといった言葉が多く見られます。まぁ、コメントを書いて下さるくらいですから、批判めいた言葉は無いのですが、とても素直な感想が多いようです。

コメントを強要することはありません。でも、何か感じてくれたのなら、それを表わして欲しいなとは思っています。特に、同じように表現をしている人たちについては、自分が感じた部分を言葉やその他の手段であっても構わないけど、即時的に残して欲しいのですね。

表現者って、その存在自体やその時々の感情といった人間くさい部分がもっとも大事だと、個人的に思っているからです。言いかえると、さまざまなものを表わし、残すことが表現者たる所以であるように思えるからですね。

最終日には、Tanabata Night!なるものもあります。

今日がその一週間の始まりです。

2011年8月1日月曜日

今日から8月

外は曇り空、気温も低く、少し肌寒い感じです。そして、今日から8月、このまま秋に突入しやしないかと憂いながらも、まぁ、過ごしやすいし、それでもいいかなとも思ってしまいます。


何かをしても、何もしなくても月日は否応なく進んでいくものです。何もしていないなんてことはあり得ないのですが、普段の生活だけを繰り返し行っているだけでは、何もしていないような感覚に陥りやすいものです。

生きていく為の行いは、基本的に自分に向けられたものだと僕は思っています。毎日の食事や仕事、その他生活に必要不可欠なさまざまなことは、最終的に自分自身に帰ってくるものだからです。これは、人は皆自分のことだけしか考えていないエゴイストな存在だといっているつもりでは無く、ごく自然の成り行きなのだと思っています。

ごくごく自然で当たり前であることが、逆に何もしていないような印象を自分自身に持たせてしまうわけです。でも、この当たり前の事が本当はもっとも大事な部分で、それさえ出来ていれば良いとさえ言えます。

一方、自己表現を形として世に問うようなことは、生活に必要不可欠な行為ではありません。しかも、その内容がただ自分に向けられたモノだけでは、見る側(見せられる側)にとっては理解しがたく、不可思議かつ状況によっては苦痛や不快感さえ与えてしまいます。ですので、こういった行為は、多くの人にとっては、とっても不自然なもののように感じられます。

しかしながら、自分自身を含めて他者に向けられた表現(作者は常にそれを意識しているものですが)は、共感やつながりを覚え、あるいはこれまでに気づかなかった発見を生み、お互いに喜びや感動を分け与えるものとしてあります。これらは、とても自然なものとして受け入れられます。

じゃぁ、ここで言う自然と生きる行為としての自然とに違いがあるのかというと、僕はあまり違っていないのではないかなと考えています。向けられている方向が逆であることが重要なポイントなのですけど、乱暴に言ってしまうと、表現し、発表することは決して特別なことではなく、ごく自然の成り行きの一部だということです。

そんな素敵な自然な行為を多くの人に伝えたい、毎回そう思いながら写真展を行っているわけです。作者らと一緒に悩み、楽しみながら、自然のままに。