2010年10月27日水曜日

少し遅めに目覚めた朝に

今日は遅くなってしまいました。いつもと同じつもりで目覚めたのですが、起きるとすぐ見える壁に付けている時計は、普段とは違う形になっていました。ウン?と思いながら、そばにある腕時計を見てみると、やはり同じ形になっています。


9:42でした。

久しぶりの寝坊ですね。今朝は5:00前に一旦目を醒ましたのですが、これはちょっとまだ早いでしょうと、いわゆる2度寝をしたことは覚えていました。2度寝することは、結構頻繁で特に変わったことではなく、いずれ2時間も経たない内にまた目を覚ますのが普通の状態です。

そんな調子で普段通り浅い眠りの状態から、目覚めたつもりだったわけです。会社勤めや仕事で朝出かける人は良く分かると思いますが、朝の10分とか20分ってすごく貴重というか、時間の進み方が違うように感じます。その為にちょっとした手違いにより、1日のリズムが崩れてしまう人もいるようです。

僕の場合は、それほど神経質でも繊細でもないし、まぁ、午後一にギャラリーを開ければ良いしと思えるので、あたふたはしなくて済みます。以前からそうだったような気もしますが・・・。そんなわけで、午前中は休みの日以上にのんびりとしてしまいました。きっと今日はそんな日なんだと自分に言い聞かせるように。

普段とは違うルールやルートで行動していると、違和感や不安を感じるものです。だから、ルーチンワークは意外にその存在自体が大事になるのだと思います。自分の中での予定調和を自ら意識して崩すあるいは他人から崩されることに大抵は拒否感を覚えます。後者の場合は、尚更ですね。

また、全てが決まり切ったシナリオの中で、その登場人物のひとりになって動いていると感じる時、そこで発せられる言葉や行動は本当の自分なのか、あるいはそれを演じている意識はあるのでしょうか。これは、日常生活で社会とのつながりがあり、組織のひとりとして存在している場合は、誰しもが感じる疑問のように思います。一方で、変化し続けないと進化しないという事実もあります。それは外見だけではなく、中身の方が更に重要になります。

自分が何者であるかなんて青臭い哲学を語るつもりはさらさらないし、決して誰にも分からない命題であるわけですが、でも今ここに存在している自分を見つける為にも、敢えて崩すことも必要なのではないかとは思います。それによって、思いもよらぬ発見があるかもしれないわけですから。

人は複雑な思考と意識を持っていながら、単純かつ愚かな失敗を何度も繰り返し起こします。でもその失敗があればこそ生まれるモノもあるわけです。

これ、単純に寝坊の言い訳みたいだ。

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