2009年9月2日水曜日

Michael Kenna 「IN HOKKAIDO」 Landscapes and Memory(RAM)


昨日届いた一冊の写真集。

Michael Kenna 「IN HOKKAIDO」 Landscapes and Memory(RAM)

ペーパーバック版の小ぶりなサイズですが、装丁も少し変わっていて、もちろん中の印刷も美しいものです。

マイケル・ケンナ写真展「In Japan」を東京都写真美術館に観に行ったのが、2006年5月終わり頃だと記憶していますが、そのとき展示されていた北海道の風景が未発表作品も含めてまとめられているようです。

マイケル・ケンナはあまりに有名ですので、いまさら説明する必要がないと思います。

僕は作品自体が持っている詩的な感じや美しすぎるほどのプリント品質はもとより、彼が写し撮る風景の精神世界(心的風景)に強く惹かれます。特にオリジナル・プリントを観ると一層その思いは強くなります。

眼に見える具象としての写真作品を観ながら、心的風景というのは少しおかしいかもしれませんが、どこか日本的な水墨画の世界のようでもあり、やはり伝統的なイギリス絵画に通じている印象も受けます。

僕はそんないくつかの作品から、時折、風景画家のターナーの絵が思い浮かぶことがあります。ターナーの作品は晩年になるにつれて物の輪郭がぼやけ、風景画でありながら一種抽象画のようでもあります。もともと風や大気といった眼に見えない、形の無いものを表現し続けていたので、当然の成り行きなのかもしれません。

一見して全然違う作風であるのに、マイケル・ケンナの作品からターナーを連想するのは、2人とも同じイギリス人のくくりとしてではないと思います。2人とも写実的であるにも関わらず、眼に見える目の前の風景を単純に切り取るという、いわゆる作業的な部分(そこには常に卓越した技術がありますが)以上のものを感じるからです。

写真集に収められているイメージは、マイケル・ケンナの作品を見るにはあまりに小さすぎますが、イメージひとつひとつの静寂の世界には、あらゆる感情や心情が風や大気が渦巻いているように広がっているのです。

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