2010年10月16日土曜日

普通の生活

チリの落盤事故から救出された人々に、講演や執筆、テレビ出演等のオファーがものすごい量で来ているようです。すでに映画化も決まったとの報道もありました。言い方は悪いですが、これほど世界的に注目を浴び、いやが上にも目立つ存在になってしまった彼らをさまざまな世界の人間が利用しないわけがありません。


でも、当人は普通の暮らしに戻りたいだけなんだと思います。中にはこれを機にと考えている人もいるのかもしれませんが、実際のところそんなことまで思っている人はいないでしょうね。そっと普段の生活に戻ることを誰よりも願っているのです。

あまりにも強烈で極限的な状況を体験した人間はごく限られたもので、そこで得られたもの、失ったものはわれわれには計り知れないものです。そんな彼らの体験を広く多くの人に伝えることも、マスコミやメディアとして当然のことなのかもしれませんが、ここは少しおとなしく見守ることも大事なことなのではと、やや過熱ぎみに語られる映像や報道を見るたびに僕は感じてしまいます。

一方で普通の生活ってなんだろうかとも考えてしまいます。毎朝一定の時刻に仕事に向かい、ある程度意に介さないことに抵抗感を受けながらも日々の業務をこなし、少し疲れた体で帰宅し、ある人は家庭での団欒を持ち、ある人はひとりでありながらも自分自身の時間を持ち、そして眠りにつく。翌朝同じように一日が始まり、やがて週末や休みに身体を休め、余暇を楽しむ、それがいわゆる普通の生活なんだと思います。

こういったルーチンワーク的な生活は、そのほとんどが予定調和の中にあり、それはそれで居心地の良いものです。それでも、そうあることを願っているもしくは意識してそうしている人々にも、辛いことや苦しいことは必ず起きるわけで、その時その時で対応しながら生きているわけです。おそらく、救出された人の中にはそんな考えの人もいたと思います。

彼らが負った困難は、僕らのそれよりも遥かに大きいもので、想像しがたいものであることは充分に理解出来ます。困難を現実のものとして受け入れ、それらを克服しようとするには、意識的に無意識的に、困難の後には希望のようなものが見出せるのかどうかだと思います。それがごくごく普通の生活であっても、いや普通の生活だからこそと言ってもよいですね。

そして、彼らはそれを体現してくれ、僕らに目の前のものとして見せてくれたのですから、これ以上何を求める必要があるのかと、僕は思うのです。

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