2011年7月14日木曜日

自由であること,自然であること

今日は朝4:00から、なでしこジャパンの試合を見ていたこともあって、まだ9時前だというのに、気持ち的にはすっかり昼のような感じです。通りでは会社へと向かう人波がいつものように見られるのだけど、この中の何人かは寝不足の目を擦りながら、今日は一日が長いなと感じているのかもしれません。


ギャラリーを始めてから、分刻みというか、カツカツで仕事をすることが無くなった分、時間がゆっくりと進んでいるように感じています。それでも、たまに瞬間的に決めなくちゃいけないような時はあるもので、しかもそういう時に限っていくつかのことが重なることが多いわけで、やはり瞬発力も必要になります。

締め切りや期限に追われている内は、自分がしているという感覚よりさせられている感覚を受け、嫌になったりすることがあるのだけど、でもそれすらないような場合、している感覚自体どこかに置き忘れてしまったりするものです。事が他者に影響を与えてしまうものであれば、仕事であれプライベートであれ、やはり自分で目標なり、スケジュールを決めて行います。

一方、自分の中で全てが完結することに関しては、なかなか進んでいかない方が多いようです。自分なりの目標を掲げたとしても、そこまでのプロセスがあきらかに違っています。中断や猶予、或いは設定の変更も自由ですから、システマティックに物事が進むわけがありません。

自由であることは、一見して良いように見えたりするけど、自分で設定したことの達成や完結に対しては、不安定要素の何物でもないわけです。だから、時に自分で縛ってみたり、えいやと瞬間的にしてしまってみたりして、自由であることを拒否することも必要になります。そして、それらの行為は、他人には不自然に見え、自分ですら違和感を持ったりするものです。

実は、自由に見える人でも、大小あるにせよ、同じような感じを持っていると思うのです。でも、その人がそう見えるのはそれが不自然ではないからなのです。

当たり前ですが、自由であることと自然であることとは、似ているようだけど全く違ったものなのです。

個人的には、自然でありたいと思っています。

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