2011年7月24日日曜日

文化の担い手

仙台はこのところ祭りづいています。先週あった東北6県の祭りを一堂に会した六魂祭では予想以上の人出で一部中止になったりもしました。今日も、仙台駅東口ですずめ踊りを始めいろいろなイベントが行われます。プロ野球のオールスター戦もありますから、また相当数の観客が集まるのではないかと思います。


来月初めには、七夕祭り、そして東北各地でも恒例の夏祭りが次々と行われるわけですから、震災の影響で規模縮小をしているとしても、関わる人々のパワーには感心させられます。

以前に東北人は粘り強く、我慢強いとの件を書きましたが、やはりそれだけでは生きていけないのです。どこかでそれらを発散する機会が必要なんだなと思ってしまいます。夏の祭りが昔からのそういう場であったとしたなら、すごく真っ当な事のように感じます。

短い夏の期間に、一年の想いを乗せて、これまで溜めてきたエネルギーを一気に吐き出す、花火が一瞬の美しさや輝きを放ち、その直後に何も無かったかのように消えていくかのような美学にも似ているように思います。

そして、それは特別な日の特別なこととして、みんなが捉えているようにも思えます。この時、この場所でなければいけないし、この為に他の期間を一所懸命生きているわけで、その行為は自分自身のみならず、見ず知らずの人々に向けられてもいるのです。

これもまた自己表現のひとつです。あるまとまりに向けてひとりひとりがそれぞれの役割や立ち位置を考えながら、個々が表現しているものです。また、同時に地域独特に発生した文化でもあるわけですから、さまざまな決まりごともあるのでしょう。

でもね、個人的には自由に、そして伝統といったものだけにこだわる必要もないように感じます。だって、既にここにいる、そして表現者のひとりとしてあるのですから、それだけでもう立派な文化の担い手なのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿