最近に限らず、意図の感じられる写真や企画を多く見かけるのですが、そればかりだと何となくしらけてしまっている自分を感じます。
写真の多くは表面、外見が写されている(抽象表現は別にして)ので特にそう感じるのかもしれませんが、意図ばかり突出している作品が目立つような気がします。それらが演出であれ何であれ、ある意思を伝達する方法として恣意的に考えられているのならまだしも、どちらが目的なのか、本末転倒じゃないのとさえ思えてきます。
でも、まったく意図も無く提示されるものは、捉えどころがなく、本当に分からないとしかいいようがなかったりで、それはそれで困ってしまいます。やはりそこにはバランスが必要なんですね。
あるセオリーや方法論を自分の表現に取り入れることは決して悪いことではないし、むしろそういった既成事実を理解した上で、オリジナリティーを掴んでいくものだと思っています。結果として、内側にある意思が見えてくるかどうかだと思うのです。
極端な話、意図はある意味、姿、形、箱のようなものであって、決して中身=意思ではないってことです。
例えば、誰かに贈り物をもらった時、誰もが、袋を開ける或いは箱を開け、そこにあるモノを理解した瞬間に、心揺れるものでしょう。
○「GIFT」企画参加者募集中!!
写真による贈り物。メッセージを贈り、届ける、それは表現の基本です。
皆様の参加を心からお持ちしています。
Sha-gaku vol.6
2013年6月15日(土)- 7月7日(日)
13:00~19:00、月曜日休廊
13:00~19:00、月曜日休廊
入場料 \300(期間中何度でも入場出来るパスポート制)
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