昨夜はもう何度となく見てきた、「ゴドーを待ちながら」という芝居を見ました。サミュエル・ベケットが作ったこの芝居は、演劇を知っている人はだれでも聞いたことがある有名なものです。いわゆる不条理劇の代表作です。
2幕仕立ての芝居の中で、主人公となる2人の男性(今で言うとホームレスのような人たち)がひたすらゴドーという者を待ち続けます。その間に交わされる会話にも、果たして意味があるのか無いのかさえ分かりません。舞台上には、大抵は一本の木だけがあります。でも、僕が見ているものは、何年かは不明ですが、串田和美さんと緒方拳さんがシアターコクーン内特設小劇場・TheatrePUPAで行ったものを、松本へ持って行って上演したもので、舞台上には何もありません。
舞台進行上、ドラマらしいドラマは何も起きません。初めて見た時(このバージョンではありません)は、これは一体何なのと思いましたが、不思議と気になり、ネットや本で調べたりもしました。実際、TheatrePUPAでの公演も観に行きましたが、やはり僕にとってはなぞなぞでした。そんなこともあり、テレビ放映があると知った時に、もう一度見ようと思い、録画していたものなのです。
不思議なことに、見るたびにその印象や感想が変わります。見えなかった部分が見えてくるというのか、ただ単にそう思えただけかもしれませんが、その時の自分の感情や世間との繋がり(立ち位置のようなもの)のようなものにも関係があるのかもしれません。それだけ、見る側の感覚が試される意地悪い芝居とも言えます。
20世紀を代表する写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真集の表紙に、サミュエル・ベケットのポートレートが使われています。いかにもといった風貌で、神経質で繊細な気質を感じます。
それを捉えるブレッソンもやはり大したもので、恐れ入りますね。多分、僕はこの写真集を手に取る度にベケットを思い出し、またその芝居を見てしまうような気がします。そして永遠に解けないなぞなぞに頭を巡らせるのだと思います。
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