2011年1月27日木曜日

現在、過去、未来、、、、。

現在、過去、未来、、、、。


どこかで聞いた歌のフレーズのようですが、誰しもがそれらを意識しながら生活していると思っています。もっとも大事なものは現在であり、その事はずっとここで書いていることです。

この中でここに或るもの、見えるものは、現在だけです。過去の遺産として残っているものにしても、当時のそれを見ているわけではなく、現在とは違っていますし、未来は大抵の人には見えません。しかしながら、もう今は無くなってしまったもの、その頃とはまるで違ってしまったことは、少なからず現在に影響を与え、繋がりを持っています。

物事の全ては、過去にあったものが姿、形を変え、意味や意義も変容しながら、現在へと受け継がれているだけのように感じます。これまでには無かったもの、画期的で新しいと思われることのほとんどは、過去に思い描いていた未来予想図の中に既にあったものだということです。

それゆえ、新しいことの発見や創造は、常にリスクをはらみ、難しいことなのです。綿々と拡がっている過去のフィールドの中に、新たな存在を与えるわけですから、当然のことです。しかも、僕たちが見えているフィールドはその中のごく一部でしかなく、生きていられる時間もそれほど長いわけではありませんから、残念ながらそれが出来る人は限られてしまうものです。

それでも、過去の繋がりから、それらをより良いものであったり、違った価値観や意味を持たせ高めていくことは、誰にでも出来ることのように思います。何も世の為、人の為と大上段に構えなくても、自分自身はもとより身近な人たち、地域といった限られた範囲で構わないのです。それが、希望ある未来へと引き継がれていくように思えるわけです。

そう、大事なのは希望ある未来へということです。過去と同じように未来は見えないし、思い描くしか出来ませんが、唯一違うところは既に起きてしまったことを覆すことは出来ないけれど、まだ起きていないことは変えられる可能性があるということです。

現在がたとえ過去の反省や後悔に基づいたものであったとしても、そのまま未来へと受け継がれるものではなく、ほんの少しの新しいことを加えながら、希望あるものに変えたいと望んでいる人は多くいるはずです。それを行動として起こせるのも現在なのですね。

アートや写真がその一端を担っているなどとは言えませんが、長い時間の積み重ねや繋がりの中で、人それぞれがかけがえのない存在として未来を担って生れてきたのだと、僕は思うのです。

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