2011年1月3日月曜日

何もしない日

この2日間、何もしない日だったような気がします。気がしますと書いたのは、実際のところは必ず何かをしているわけで、そう感じるだけだからです。人間一日生きるうちに、テレビを見たり、食事をしたり、或いはお風呂に入ったりといろいろなことをしています。また行動としては表れないものの、考え事もしていますから、やはり生存のため以外に何かをしていないのは、寝ている時だけなのかと思ったりします。


でも、ある人は寝ている間に見る夢なんかからひらめきをもらい、何かを作りだすことだってあるのですから、そうとも言えないのかもしれません。まぁ、一般的にはそんなことを意識して寝る人をあまり知りませんので、何もしていないのだとは思います。

仕事をしていない休みの日に、人は良くその日は何もしなかったなと言います。それでも他人が見ればいろいろとしてるように感じることの方が多いように思えます。それは、自分自身は行わないことを、その人がしているからなのでしょうね。

また、することの頻度や中身にも寄るのだと言えます。一日に何時間も何度もその事をしていれば、今日はこれをずっとしていたと思えるでしょうし、たとえ短時間であっても、とても充実し満足することが出来れば、同じようにそう思えるものです。

仕事にしても、今日は何もしなかったなと思える日があります。サラリーマンの頃は、嫌でも職場に向かい、今日一日何事も無く過ごしたいと思えた日もありましたし、逆に思いのほか期待通りの結果が出ずに、今日は何もしていなかったのと同じだなと感じたこともありました。

ということは、何かをしたと思える多くの部分は、実際の行動よりも気持ちにあるのかということになります。行動した結果として、形が残らない場合は、特にそうなのかもしれませんし、形ある物として残る場合は、作り上げた満足度や充足度に影響されることになります。

さて、今日も何もしない日になるのでしょうか。僕自身は、そうしようと思っています。積極的に何もしないことで、フッと見えるものがあるかもしれません。

誰にも分かりませんけどね。

0 件のコメント:

コメントを投稿