2011年1月13日木曜日

楽しみのひとつ

人はそれぞれいくつかの顔を持つ。


社会の中で生きていくに当たって、大抵はそれぞれの役割や肩書を持ちながら過ごしています。公的、私的といった区分けもあるでしょうし、仕事としていくつかの種類をこなし、その時々で違った側面を見せている場合もあります。

私的な顔は、家族であったり、ごく身近な人や気心の知れた仲間にしか見せない人が多いと思います。一方、公的な顔は、その立場や役割に応じて、自分が気に入らない場合でも、その役割を演じなければなりません。舞台という閉ざされた特殊な空間で演じる役者とは違い、一般社会が舞台ですから、慣習や常識、この立場であればそうすべきといった規範のようなものに縛られるわけです。(会社は特殊な空間でもあるわけで、ある意味役者以上に役を意識しているものですが)

そういった部分での緊張や義務感といったものが、日常的なストレスを発生させるものです。そんな日常を離れようとして、趣味を持ったり、家族との団らんを楽しんだり、友人や仲間との他愛のない会話や酒を交わしたりすることで、限られた時間の中で、私的な顔を見せているように思います。しかしながら、現代はそんな他人との関わりに煩わしさを覚え、ますます、私的な顔がどこにあるのかも分からなくなってきているような気がします。

ギャラリーに来られる方々の多くは、公的な顔ではいらっしゃいません。かと言って、私的な顔で来られるかと言えば、これも少し違います。ギャラリー内で眼にするものは、いわゆる有用性のあるものではなく、むしろそれを否定し、その上で美的価値を提示することで、鑑賞者たるお客さん自身の教養や趣味を高めようとしているものと言って良いと思います。(だいぶ大げさですが)その為、ギャラリーは商品(作品)を売る場という側面を持ちながら、お客さんにその世界の意味するところを感じて、考えてもらう場でもあります。

だから、多くのお客さんは、無意識のうちに、構えているような顔になります。公的、私的いずれでも無い顔になるわけです。無表情に近いかもしれませんね。そして、何かを自分自身で感じ、それが腑に落ちたり、納得し安心されると、初めて表情を和らげます。また、それとは逆に理解不能で困惑の表情を見せる場合もあります。

人はそれぞれいくつかの顔を持っています。自分で気がついていない顔もあります。

ギャラリーはそんな顔を自己発見出来る非日常的な空間でもあります。

さて、今日はどんな顔を見せてくれるのでしょうか。

これも、僕の楽しみのひとつです。(大変失礼ではありますが・・・。)

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