2011年1月31日月曜日

Sha-gakuというステージ

Sha-gaku vol.2でも、前回行った「Communication Board」を設置していて、来られた方の何人かは記入して下さっています。そこにある言葉や実際に作品を購入してもらえることは、展示・発表した参加者にとっては何よりの力になります。


支援・応援、もしくは援助というと、ボランティア的な風潮を感じますし、特に芸術に関しては作品の価値をお金により代償する行為自体、何か人とは違っていると受け止められがちです。衣食住というように、生活をするには少なくてもこの3つが揃い、それを賄えるだけのお金が得られれば良いわけです。その為に、仕事を選択し、身の程に合った必要不可欠な消費財を手に入れます。

極端な話、それだけを繰り返し行っていければ、生きていけます。それでも、大抵の人たちは知的好奇心やより自分自身の価値観を高めるもの、または娯楽といった楽しさに魅力を感じ、余力の範囲で生活の中に取り入れようとします。そして、それらはあくまで個人的な趣向からの発生なのですが、多くの人々から支持され、認知されると大きく拡がりをみせ、誰でも行えたり、手に入れたりして楽しめるものになっていくものです。

写真は古くからいわゆるマニアのもののカテゴリーと一般に家族や旅行等の記録として使用されるものと、大きく分けられていたように思います。特にフィルムが全盛の頃は、自身で現像・プリントを行う人たち、または近くの写真屋さんでプリントしてもらったりと、それぞれがそれぞれの立場で、楽しんでいました。その辺りは今でも変わらないのかもしれませんし、大多数の人たちは後者になるのではないかと思います。

そして、前者の中のごく一部が、自身の表現の手段として発表をし、自らも意識的に、無意識的に大多数の人々とは一線を画す思いを持ちつつ、写真の(表現の)可能性を模索していたのです。そんな彼らの作品を見ながら、あのような写真が撮りたいとかどうしたらああいった表現が出来るのかと思い始めた方々が集い始め、様々なコミュニティーが発生していったように思います。

さて、現在はと言えば、デジタルの普及により、誰もが写真を撮れる環境になっています。表現の種類も多様化し、以前と比較しても可能性は拡がり、さらに深いものになっています。したがって、それらを自身で駆使し、アートとしての作品化(大げさな言い方ですが)を目指しやすい環境になって来ているとも言えるのです。

だから、皆さんには失敗を恐れずに発表し、自己表現をして欲しいのです。(特に作品というものを意識している人にとっては)それが当たり前のように拡がりをみせれば、きっとその輪も大きなものとなり、見る人々にとっても実質的な支援をしやすくなるはずなのです。
Sha-gakuはそれを現実化する最初のステージです。

これは皆さんへの問いかけでもあり、勧めでもあります。

一度でいいです。ギャラリーへお越し下さい。

ひとつの回答がそこにはあると考えています。

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