2009年9月8日火曜日

言葉ってむずかしい。

5月から始めたこのブログ。もともと文章を書くことが苦手で、他の著名なブロガーのブログを読むたびに、毎日毎日よく記事をアップしているなと感心していたくらいですから、本当に拙筆で、読まれる方には申し訳ないと思っています。

言葉って、話す時とそれを文章としてまとめる時とでは全然違いますし、僕の場合、小学生の頃から”てにをは”の使い方や文章の構成も苦手なので、アップする前に読みなおすと、いつも何だこれと思ってしまいます。

8月後半、地元の新聞に、詩人のアーサー・ビナードさんの講演が仙台で行われたことが小さく載っていました。アーサーさんはニューヨーク州コルゲート大学英米文学部に在籍していた頃、日本語に触れ、卒業後1990年に来日、日本語での詩作、翻訳を始めました。

その後、2001年にアメリカ人としては初めての中原中也賞を、「釣り上げては」で受賞しました。アーサーさんの敬愛する詩人である菅原克己さんが宮城県出身でもあることから、今回の講演が行われたようです。

ことば使い

「吠えろ」と怒鳴り
「芸になってない」
と鞭打つ。

一行の
輪抜け跳びを
何回もさせる。

いくらおとなしく
馴れているようでもやつらは
猛獣。

――詩集「釣り上げては」から――

アーサーさんは上の詩に添えて、このようなことを話しています。

「言葉っておっかないものだけど、道具でもある。詩を書く人にとっては言葉はパートナー。生き物のような言葉とつきあいながら、詩をつくる。言葉との共同作業なんだ、詩作ってのは。馴れ合って安心して、相手を軽くみると、あっという間に食われちゃうんだ。」

このことは、人間関係が希薄になっている現代の状況に照らし合わすと、何も詩だけに言えることではないですね。不特定多数に発するブログでの発言や日々何気に使っているメールや会話にも深く関わっているように思えます。

僕らは普段使っている言葉を通して、文字通りの意味や逆にそうではなくそこに隠されたものを伝えようとしているけど、なかなか伝わらなかったり、誤解されたりするケースがよくあります。今は、相手の顔が見えない方が普通になってきているので、ますます伝えることは難しいですね。

そんなことを考えながら、今日もブログを書いているわけですが、とりあえずは、出来るだけ自分に正直でありたいと、思っています。

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