2009年9月24日木曜日

情感が表情に表れること

シルバーウィークも終わり、ギャラリーの前の通りには、いつもにも増して車の往来が多いように感じます。また、地下鉄や近くの会社に向かう人々の表情は、いつもの日常的な朝の顔に変わっています。

そんな顔の表情について、少し前に読んだ本で面白いことが載っていました。顔の表情は大脳皮質が関与し、いろいろな部分を動かしていることが分かっています。それでも、大脳皮質に制御されにくい部分もあり、コミュニケーションにおいて表情を誤魔化せないことがあるようです。

その顕著な個所が、眼輪筋だそうです。昔から「目は口ほどにものを言う」と言いますが、どうやら本当のようです。僕たちは日常で人と会話し、その会話の中で感情の動きが表情として表れるわけですが、なかなか仕事なんかでは、情感を表情としてストレートに出すことが出来ない場合が多いですよね。むしろ、それを隠すことが大事だったりもします。

この研究結果は、「目は口ほどにものを言う」といわれる以降に判明されたことなので、顔における表情の象徴として自然と目が意識されていたことが分ります。

さて、それでは役者はどのようにして表情を出しているのかを考えてしまいました。

役者は、大抵の場合、決められた脚本があり、その登場人物の性格や置かれた状況を考え、場面、場面によって、演出家の意図を組み入れた演技として言葉や表情で一瞬、一瞬を表現しています。

僕は、その芝居がリアリスムであれ、そうでないものであれ、ある意味演ずる人物と役者が同化しなければ、観る側に感動や感情が伝わってこないものだと思っています。但し、役者と言うものは、自分以外の誰かを演じることに特異な才能を持っていたり、それらの教育を受けた人たちとも認識しているので、それが自然に表れた表情であるかは疑問ではあります。

そこには、テクニックや経験も存在しているわけです。テレビで数秒後に泣くこと(涙が流せる)ができる女の子が出演していましたが、あれは技術以外の何ものでもありません。
それを見ただけでは、感心はしますが、感動はしません。

でも、結果として観る側に感動を与える芝居においては、表情や言葉が自然に表れているものではなく、演技として導かれたものとしても一向に構わないのではないかと思います。
表情の豊かな役者は数多くいます。その多くは稽古や演出、自身の経験によって演技し、芝居の中で自然に表情が表れているのだと思っています。

まぁ、その時に大脳皮質が云々ということは議論されないはずですが、研究することは面白いことです。それはむしろ日常的に演技?している普通の人にとって、有益な何かをもたらす可能性があると思うからです。

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