2009年9月17日木曜日

写実であること。

ギャラリーに足を運んで下さるお客様の何人かが、展示されている作品を見た後、「写真じゃないみたいですね。」と言われることがあります。特に大判(1200×1500mm)作品の一枚を見られて言われることが多いように思います。

その作品は波が交じり合っている様子を、上から捉えているものですが、泡立つ様子や色合いから、一見して海には見えないようです。何か絵画を見ているかのように、不思議な感じでその前で佇んでいる場合があります。

僕自身も初めてその作品を写真集で見たときには、全体の雰囲気とは違った印象を直感的に受けました。しかし、その時はある違和感のみで、それが何であるかは言葉に出来ませんでした。
写真集では海と月の写真が見開きで一対のように構成されているので、その作品が海であることは理解していました。そして、大判となり、いわゆる個の作品として目の前にした時に、何故か腑に落ちたような気がしました。

言い方があっているかどうかは判りませんが、その作品はとても写実的であるということでした。写真とは極論から言えば、そこに確かにあるものしか写りません。そしてそれは、それ以上でもそれ以下でもないはずです。

しかしながら、写実であるというのは、ある瞬間の本質的姿を切り取って描くことを意味します。これを当てはめると、もちろん絵を描く行為ではありませんが、カメラとそれを扱う技術、作家自身の持っている感性をフィルターにして抽出していることで、見るものの心の琴線に訴えかけ、絵画のそれにも似た感覚を受けるのだと思います。

そして、同時に、僕はかなり昔、茶道をしていた方に受けた話を突然思い出しました。

それは、「利休七則」の一つです。

「花は野にあるように」

その方は、たとえば花を生ける場合、注意したいのは、「あるように」ということで、自然に咲いていた「あるままに」ではないということ、たとえ花一輪であってもその瞬間(あるいは全体)を表現していればそれで良いのだと僕に話してくれました。
又、余計な物が無い程、見る側の想像力が入りこみ、より豊かなものになるとも言っていました。

ひとつの作品が、作家の思いと受け手の想像により、ひろがりを持つなんて、とても素敵で楽しいことだと思います。極端かもしれませんが、幸せを感じる瞬間でもあるわけです。

そんな作品が、ここにはあります。

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