2010年9月25日土曜日

「敷居が高い」

「敷居が高い」


よくお客さんに言われる言葉のひとつです。おそらくは、ギャラリーの雰囲気や展示されている作品を見て、あるいは僕のいかつい顔を見て、「手が届かない。ハードルが高い」と感じて話しているのだと思います。僕はその言葉を聞からせると、いつも疑問に持ちながら、曖昧な笑みを浮かべているだけです。

本来の意味は「相手の家に不義理や不面目があって、その家に再び行きづらい」と広辞苑にはあります。時代と共に言葉の使われ方や意味が変わってくることは実際あることで、特にそのことをとやかく言うつもりはありません。僕自身も後者の意味合いで使用する場合もありますからね。

僕としては、全くそんな意味も方向性もこのギャラリーに持っていません。まずは、写真本来の良さ、そこから派生してアートとしての存在や価値を知ってもらいたいのが第一でした。なので、様々な作風の作家を選択し、展示会を重ね、よそでは決して見られないものを行ってきました。それは、上から単にあてがえられるものではなく、身近なものとして接して欲しいとの思いからでもあります。

確かにそんなレベルの高い作品を見てもらっているわけですから、「手が届かない。ハードルが高い」と感じるのは当たり前かもしれません。それは、多分にこれまでの環境や周りの状況によるものが大きいと思っています。つまりは、慣れていないということです。

僕が今行っていることは決して新しいことでもなんでもありません。ただ、このような文化的な事業(大げさ!)は東京一極集中の時代が今も続いていて、地域にはあまりなかっただけです。かといって、ただこちらに持ってきて見せるといったことだけをしようとは考えてはいません。東京と同じ事をしても面白くないですからね。

そのひとつとして、商業ギャラリーではあまり行わないであろう”Sha-gaku”なんて言う審査すらない公募展を行ったわけです。写真を撮られる多くの方は、いずれは自分の作品を展示し、発表出来ればと考えています。そんな方々にとってのきっかけになればと思ったからですし、広く東北圏で、独自性を持った写真家の方が現れないかなとの期待感もありました。

自分の中では一応の結果はあったのですが、まだまだです。僕もギャラリーとしても常にオープンな状況でありたいと思っています。そして、可能性というハードルを自らの手で押し上げないようにして欲しいとも思っています。

「敷居が高い」とは、一度経験してこそ言える言葉なのですから。

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