2010年9月12日日曜日

自分を見つめること。

仙台に戻り、これまでには無い写真専門のギャラリーを開設したのですが、この1年半余りで様々な考えや感情が僕の心の中に生まれたような気がします。生まれたというよりも、これまでしまい込んでいたものであったり、気付かなかったことが自然に再認識出来たといった方が良いと思います。その理由として、以前と比べて、絶対的に自分自身を考える、あるいは見つめる時間が増えたことがあります。


役者は、ある芝居に出演する際に、大抵は台本をもらいます。その中の登場人物の一人を演ずるわけです。人によってその読み方に違いはあるのでしょうが、物語や演ずる人物は自分自身も、その世界も身の周りにあるものではないので、先ずはその中の環境や歴史と言った説明されている部分を理解します。その後、その中での自分の立ち位置、そして演ずる人物の心を見つめ、場面、場面あるいは物語全体を通しての気持ちの揺れを感じながら、最終的にテキスト(言葉)と身体で表現するように思います。

これは何も舞台の上だけの事では無く、社会の中で自分自身を意識し、生活している場合にもあてはまるような気がします。違いは、物語では無く自分の人生だということです。そして、それが非常に重要な点ではあります。

よく忙しさのあまり、自分を見失うと言われますが、確かにそれはある意味正しいことで、やはり物理的な時間も必要なんだなと感じます。そうして、自分を見つめることが出来なければ、何も生まれないのかもしれないとも思っています。僕の場合、時間がありすぎて、考えすぎる傾向になってやしないかと気にしていますが・・・。

さて、芝居も然り、何かを表現し、それを発表する行為は、自分自身を晒しものにすることを内包しています。だから、その発露を自分自身で理解出来ていなければ、そこから何かを伝えようとしても無理なんだし、そういう気にもなれないよですよね。

一日の数分でもいいですから、そんな時間を持ってはどうでしょう。その行為は、決して他人との比較では無く、自分への問いかけであって欲しいと思います。そこから、生まれてくる何かが、本当の個性や自分となって表れてくるのです。

まぁ、理解する前に、一歩踏み込んでしまうことも、ひとつの手段ではありますけど・・・。
(こちらの方が、現実的ではあります・・・なぜなら、人生には限りがありますから)

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