2010年3月21日日曜日

普通で或ること。

窓を叩く激しい風の音が目覚まし変わりでした。自室のサッシはかなり古いので、普通でもがたがたと言っているのですが、今日は壊れそうな勢いで身を震わせています。僕がサッシの揺れる音に目を覚まし、起きると、しばらくしてからpolkaは自分の寝床からいつものようにとことこと歩いて来ました。風の音に惹かれるように窓際に近づき外を眺めていましたが、あまり興味がないようなそぶりを見せたかと思うと、いつものように水を要供してきました。


polkaにとっての世界は、部屋の中だけなのです。外で何かが起きても、傍観者のようにただ見つめるだけ、身の安全が保たれ、望むもの(水とえさぐらい)は少なくとも、今の環境が変わらなければそれで良しなのです。会話をしたことが無いので、本心は分かりませんが、多分そうなんだろうと思います。

僕らにとっての世界は人それぞれですが、仕事として組織の一員となっている人の多くは、会社周りの人たちやそれに関する環境が現実の世界としては一番密接な関係になります。個人の欲求や希求よりも、むしろそちらの方が優先されるはずです。僕もある年代まではそうだったように思います。

もちろん、そういう生き方そのものを否定する気は全く有りませんし、実際僕もそうやって生きてきたわけですから、今更自己否定し、総括するようなこともありません。普通に暮らせて、普通に人と付き合い、平穏にしていられることが一番だと、心の中のどこかでは思っています。

でも、時々、普通って何だろうと考えることがあります。人にとっては、自分の周りの世界以外に、違った世界がたくさん存在し、それに触れたり入ったりすることは自由ですから、この人にとって普通なことは、他の人にはそうではないこともあるわけです。

結局は自分の在りようが一番なのかなと思いつつも、出来るだけ世間との繋がりの中、普通に暮らしていくことで安堵していたい気持ちがあるのも否めません。そのへんは、バランスなんでしょうね。

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