2010年3月16日火曜日

クリープ試験のような一生

2,3日前から少し腰の具合が芳しくないのですが、いよいよ展示が始まります。もう何十年と付き合ってきて、ふとした時に現われる症状ですが、病院に行くといつも言われることが、疲労性という言葉です。このところ、あまり体も動かしていないし、思い当たる節は無いので、そんな感じでもないのかなと思っています。


人は生まれてからしばらくは成長の期間ですが、後の大半は衰退というか色々な部分が衰えていくものです。最終的に死に行きわたることは、明白の事実で、唯一生まれてから確実に自分の身に起こることを保障されたものです。保障されたといういい方は語弊があると思っていますが、生まれてこの方自分の思い描いた通りに生きられる人はほとんどいないわけで、何の保証もないまま生活しているような気がします。

以前の仕事で、プラスチックのクリープ試験に立ち会ったことがあります。クリープ試験というのは、簡単に言うと、一定の試験片を定荷重で引っ張った時に、どの時点で破壊するかを試験するものです。長期間に渡って行われることもありますが、僕が立ち会ったのは加熱状態のそれだったので、とても短い時間で結果が出るものでした。最初の内は何も変化しないように見えていますが、徐々に温度が上がるにつれて伸びを見せると、ある時点で突然破断してしまいます。これは、疲労性によるクリープ試験ではありません。なので、結果はすぐ出てしまいます。

その試験を見ながら、人の一生は疲労性によるクリープ試験のような感じなのかなと、ふと思いました。一生をかけて、肉体的な衰えや精神的な要因で徐々に疲労し、死に至るわけです。でも、人は試験機に取り付けられているモノではありませんから、ただ単純に破壊に向かっているわけではありません。その為の学習や知恵が備わっているのです。

長いようで短い一生。

結果はすぐには見えないけれど、破壊してしまうままに任せることはしたくないと思います。

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