2010年1月29日金曜日

新聞っていいなと思える時。

唐突ですが、この頃、新聞っていいなと思える時があります。


なんでこんな事を書くかと言うと、僕は一昨年まで数年来新聞を読んでいない時期があり、挙句の果てにテレビも見ていなかったので、情報源はもっぱらネットだったからです。

冗談のように聞こえると思いますが、仕事の関係で部屋に帰ることもおぼつかず、新聞をゆっくり読む時間すら取れないほど忙しい日々が続き、当時住んでいた7.5畳の台所の片隅が、読まれていない新聞の山で埋まってしまったことがあります。次第に増殖し続けるその山を見るたびに、早く処分しないととは思うものの、紙類処理日と合わなかったりして、だんだん片付けることも面倒になり、結局は業者に頼んで処分してもらった事がありました。そんなことがあってから、いつしか新聞を取ることも止め、ニュースソースとしての新聞の存在が僕の中から消えてしまいました。

ネットで見ると言っても、それは自分の興味あるものや最新ニュースの表層だけで、結局は世間の動きや詳しい中身まではよく分からないまま、周りにいる人間に教えられることのほうが多かったように思います。今はたっぷり時間もあるので、ほぼ毎日見ています。

新聞を開くと分かりますが、先ず重要と思われる記事が真っ先に目に飛び込んできます。なので、先ずそれから読み始め、徐々に自分の興味ある記事へと読み進むことになりますよね。ここが新聞のもっとも重要な部分だと、僕は感じていて、それがとても効果的な紙面に出会うといいなと思うわけです。ただ時系列的にニュースとして載せているのではなくて、ニュースの重要性によりレイアウトを決め、読者に伝わるようにしているという点が、何かすごく人間的であるように感じられます。

ブログやネットでのニュースや記事は、その時に一番新しいものが上位に載ってくるか、常に更新されています。僕もそうなのですが、現在こうして書いている記事にしても、多分数日後にははるか昔の事のように思えて、その時どう書いているかさえ忘れているものです。(リアル感が薄れてくる)

本当はついさっき載せたものの方がより重要なものであっても、目に留まるのは常に新しい情報になるわけで、記事の重さのようなもの表現では新聞の方に分があると思えます。それでも、デジタル情報には、2次元情報以外のもの(音声や動画など)も含まれていて、より効果的に表現出来るので、一概に新聞の方がリアル感が上だとも言えません。

アナログもデジタルもそれぞれの良い部分があるわけで、それを上手に選択していくことが大事なのでしょうね。

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