2009年10月31日土曜日

憂世と浮世

3日前に歌舞伎公演「女殺油地獄」について掲載しましたが、その放送があった週の爆笑問題のニッポンの教養で偶然にも「カブキズム!」と題された放送がありました。

登場していたのが、早稲田大学名誉教授で比較演劇学者の河竹登志夫さんでした。河竹と聞いて、えっと思う方は結構多くいらっしゃると思いますが、「こいつは春から縁起がいいわえ」など数々の名台詞を残した天才歌舞伎作者・河竹黙阿弥のひ孫でもある人です。

僕が河竹さんを初めて知ったのは、かなり昔のテレビ放送だったと思いますが、その時紹介された「憂世と浮世―世阿弥から黙阿弥へ」 (1994年刊行NHKブックス)という本が読んでみて、改めてとても面白い方だなと思っていました。

本の題名である憂世と浮世ですが、これは両方とも「うきよ」と読みます。(そんなこと解ってるわいとツッコまれそうですが)河竹さんは本の中で、この2つの「うきよ」を次のように言っています。

中世武家社会の芸能である能の世界観と 近世町人社会の芸能である歌舞伎に流れる世界観を 対比させたもの。 簡単にいうと、この世の悲劇をシリアスに受けとめ、 そこからの救済を願うのが「憂世」観であり、「どうせこの世は憂きことばかり」と開き直って、いま、この時を 楽しんでしまおうというのが「浮世」観。洋の東西を超えて、人間が生きるところにはいつも、この二つの世界観が楕円の二つの中心のようにあるのだ。

番組で、現在はどちらですかの質問に対して、河竹さんは「浮世」だと話していました。価値観の多様化や生活習慣・レベルの差はもとより、社会構造自体複雑極まりなくなってきた現代において、憂きことは、簡単に解消しきれないし、死ぬまでに残ってしまう可能性の方が高いと言えます。それだったら、いま、この時を「浮世」と思い、生きることを楽しむことのために、日々送った方がましで、むしろその為の問題解決の手助けをした方が良いのだと考え、そう話したのかもしれません。
まぁ、そうは言っても、生きていくだけでもそれはそれでしんどい世の中でもあるわけで、一筋縄では行かないのが現実です。

一昨日の深夜、8月に遊びにきた元部下(こういう言い方はあまりしたくないが)から1通のメールが届きました。その中には以前の会社にアルバイトに来ていて、とても親しくしていた古澤君の近況が書かれていました。

古澤君は8/9の「ひとときの幸せ」にちょっと載せた演劇をしている若者です。フルネームは、古澤裕介君と言います。ポツドール公演では劇団員でもないのに、ほぼレギュラーで出演し、鉄割アルバトロスケット公演にもよく出ていたりしていて、その方面では、結構ファンもいます。普段の彼はとても真面目でとてもいい奴なので、芝居をしている彼を見ると何か同じ人間のようには思えないほどです。
そんな古澤君も最近テレビの端役(失礼な言い方ですが)で出演していました。(クレジットも出ています。)

http://www.veoh.com/browse/videos/category/action_adventure/watch/v19264722qqEg67sH#

http://dramato.blog98.fc2.com/blog-entry-11457.html

1つは東京DOGS、もう1つはNHK ママさんバレーでつかまえて、です。
いずれも中盤から後半にかけて、登場してきます。

彼とメールのやり取りをした最後が、9月の始めです。その時には、ここ何カ月かはアルバイトに集中しています。アルバイト先が必要な時入れるようにしないと解雇される恐れがある為です。いまは日々の生活で目一杯です、と言うようなことが書かれていました。

やはり不況の影響は大きいのですが、頑張って芝居を続けて欲しいなとずっと思っていたのです。そんな折、この知らせで、テレビ出演して良かったなとホッとした感情と同時に、自分は約2ヵ月も連絡すらしていなかったことに気付き、愕然としてしまいました。

昨日も書きましたが、気持ちだけではダメなんです。

このブログもそうですが、今日にでも、言葉として伝えようと思います。

僕自身、河竹さん同様、この世は「浮世」だと思っている人間ですから。

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