2009年10月7日水曜日

主観的って何だろう


昨日の続きというわけではありませんが、上の画像は「カニッツァの三角形」と言われているものです。イタリアの心理学者ガニエタ・カニッツァにより1955年に発表されました。

周辺の図形と一緒に、中心に白い正三角形があるように感じますが、物理的に中央の三角形は存在しません。また、白い三角形は周りよりも明るく見えますが、実際は周囲と同じ明るさだそうです。

人の眼は非常に高性能で、あらゆる物を一瞬にして判断します。(実際は脳が判断しているのでしょうが)某メーカーのCMでは、デジタルカメラのセンサー開発の中で「目で見たとおりの、キレイな写真が撮れるように、人間の眼をお手本につくったEXRセンサー」と謳っているほどです。

そんな素晴らしい眼を持っていながら、錯視を起こす例として「カニッツァの三角形」は提示され、このほかにもさまざまな錯視を起こす図形が存在しています。そして、この効果は、主観的輪郭と呼ばれています。

若い頃、会社の上司から、「エンジニアとして大事なことのひとつは、物事を出来るだけ客観的に判断し、実証を重ねることで結論を出し、決して主観だけで動いてはいけない」と言われたことがあります。まぁ、ここで言う主観と主観的輪郭で使われているものとは、分野も使用方法も違うので、意味合い的には違いはあるのですが、何か共通している部分があるようにも感じます。

右にあるカレンダーの画像も、カメラ技法でいう「あおり」を用いて、風景や動く物や人がミニチュアや人形のように見えています。これも、一種の錯視とも言えますね。

さて、写真に限らず絵や彫刻といったアート作品について、主観的過ぎて、自己満足にしか見えないとか言われたりしますが、そのあたりはとても微妙な部分ですね。基本的にアートは自発的なものであるし、作家自身の心情や生き様や行動が、結果として作品の力強さとか繊細さや感傷を生むわけだからです。その上、経験知や時代にも影響されるのですから、ますます理解することが困難になるのかもしれません。

皆さんご存じの岡本太郎さんは、「芸術は爆発だ!」と言っています。また、自著の中で革命だとも表現していたように記憶しています。

そう思うと、アート作品を目の前にして、個々の感性に基づき、主観的に錯視することも決して間違いではないように考えます。

むしろ、アートにはそんな自由さがあっても良いのだと、僕は思っています。

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