2009年11月1日日曜日

「決定的に自由であるために」

世の中にはすごい人がいるものだと、衝撃を受けることって誰にでもあることだと思いますが、まさにそんな人を見てしまった気分です。

その人は、生け花作家の中川幸夫さんでした。

偶然スイッチを入れたテレビから映し出されたこの作品を見た瞬間、なにかとんでもないものを見てしまったような感覚を覚え、作品の映像が無くなってもしばらくは画面から眼を離すことが出来ませんでした。

中川幸夫「花坊主」1973年 

カーネーション900本を自作のガラスの器に密閉状態にし、白いふすま紙の上に逆さに1~2週間程置くと、赤い液体が流れ出てきて、このように拡がった状態になると解説していました。こういう生け花としての表現があること、そしてそれ自体が決して奇抜さだけではなく、アートとして成立している姿に、僕は感動していたのだと思います。

中川幸夫さんのことは、多くの方がすでに知っているのかもしれません。しかし、僕自身生け花はおろか、花の名前さえよく知らない門外漢ですので、どんな人なのか興味が湧き、少し調べてみました。

中川さんは、3才のとき、怪我がもとで脊椎カリエスにかかり、それ以来背中は曲がったままです。小学校卒後、大阪の石版印刷屋へ奉公に出るが、病気により9年後帰郷。祖父、おばが池坊に属していたことから、いけばなを始め、1949年「いけばな芸術」へ送った作品写真が重森三玲に認められました。しかしながら、1951年家元と衝突、絶縁状を叩きつけて上京。それ以降は、どの流派にも所属せず、独自の前衛華道の道を歩むようになったそうです。

「決定的に自由であるために」が、池坊脱退声明でした。戦後間もない頃ですから、当時は並々ならぬ決意と行動であったと想像出来ます。それからは、生活も困窮の極みではありましたが、個展をはじめ作品制作を精力的に行い、現在は故郷の香川で過ごされているようです。

おどろおどろしいまでの赤の色彩と密閉された空間で悲鳴を上げているかのようなカーネーションの花びら達、死してもなおその生の美しさを、「活ける」ことによって表現していかのように僕には感じられます。

中川さんはガラス作品制作も行っています。また、写真との関わりも深く、自身の作品の写真も撮ら、図録に載せています。師事した写真家は土門拳さんだと言います。

まだまだ勉強不足ですね。世の中には僕の知らないとてつもない人がまだまだ沢山いるのでしょう。

「決定的に自由であるために」…… それにしても、すごい言葉です。

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