2011年4月13日水曜日

自分自身のやり方で

僕が今までここに書いている内容にはそれほど多くの事を語られてはいません。有益な情報や生活のために役立つものとはおよそかけ離れていることばかりです。全く有識ではないし、ましてや知名度もない僕の一言が人々に影響を与えるとは思ってもいないし、自分が考えられることぐらいしか書くことがないからです。


ただし、言動することには大小はあるにせよ責任が伴うことだと思っています。なので、下手な文章の中でも、自分自身言葉を選びながら書いていることを感じることがよくあります。(保身とか他人の批判を恐れてとかではなく)もっと、赤裸々に大胆に書いてしまっても良いと思いながらも、一瞬キーボードを叩く指が止まることが実際あるということです。

今回の震災についても、もっと多くの感情的な言葉が浮かんではきますが、実際、家や家族を失ってもいない僕が、それを体験したように書くことは出来ません。伝えることは出来るのかもしれませんが、何か空回りした、薄っぺらなものにしかならないと思ってもいるからです。

性格的に、見てきたような話は出来ないし、自分が現実にこの眼で、体で、心で感じ、その時に受けたものしか言葉やその反応としての行動が出来ないわけです。そして、僕はそれらを自分の出来る範囲で形として表わそうとしているだけですから、他の人にとっては物足りない、自己満足の世界のように感じるのかもしれません。

でも、これが僕の表現の方法で、その為にギャラリーなんてものをやっているわけで、今は変えられないのだと思います。先ずは形あるもの、触れられるものとして人々の記憶や心に残してもらえること、それも自分自身のやり方で。


全てを無くされた人々は、これから新たな形を作り上げていく必要に迫られます。さまざまな援助や支援の手が差し伸べられなければ出来ないことは確かです。

甘んじてそれらを受けましょう。

そして、出来得るなら、自分自身のやり方で少しずつ築いていってほしいと心から思います。

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