2010年12月6日月曜日

共感から共有へ

昨日でハービー・山口、ヨーガン・シャドバーグ写真展が終了しました。最終日とあって閉廊時間になるにつれてお客さんも増え始め、いつも感じる少しだけの寂しさと共に素直に嬉しさを感じました。こういったギャラリーは、常時お客さんで一杯になることは先ずありません。これは、首都圏だろうが、地域だろうがどこでも同じです。


それは公的な美術館や博物館、企業や財団が運営しているようなものとは、その方向性やあり方が全く違っているからです。もちろん多くの方が気軽にアートや写真に触れて欲しいとの共通点はありますが、誰もが分かるように、内容や規模といった点では、それぞれの特色を持って行われているのが常です。

歌舞伎評論では第一人者の渡辺保さんが以前話していたことです。要訳すると、演劇には極端なことを言えば2種類しかないと思っています。一度に100人に見せる為の演劇と1000人に見せる演劇です。前者は前衛的なものが可能であるし、後者は大衆的でなければ見に来てもらえません。おのずと、それぞれに求められる演劇の姿が違っているわけで、同じライン上では語れないものです。(ニュアンス的にはそんな感じですが、聞き間違っていたらごめんなさい)

このことはアートの世界でも同じだと思います。そして、僕が今していることは、前者の部類に入るのかもしれませんし、一般の方々もそのように認識しているように感じます。しかしながら、扱っているモノは写真作品と言う誰もが制作可能なものです。そこに付加価値を見いだし、皆さんにお見せしていく必要があるのです。その為にはある程度の大衆性や分かりやすさが重要になります。難解で、さも高尚なものを高飛車に押し付けて、理解出来る人だけが見てくれればいいんだなんてことは、微塵も思っていないわけです。

そういった意味では、昨日書いた「共感」は僕にとって必要不可欠なものです。そこから湧きあがる感動や驚きを直に体験し、それらを生み出す写真家らと同じ思いを共有してほしいということですね。

きっとその瞬間、今いる自分自身や周りの人たちが、実はとてもかけがえのない愛おしい存在であることに気付くはずです。

何はともあれ、多くの方の来廊に感謝します。

0 件のコメント:

コメントを投稿