2011年5月3日火曜日

ドラマは自分で作るものだから

ようやく風が収まり、柔らかな日差しが見え隠れしています。文字通りの五月晴れまではいかないのかもしれませんが、それでも気持ちは良いものです。暦通りでも今日から3連休、少しは心落ちつける時間が持てる気がします。


県美術館では、佐藤忠良追悼展が始まり、市博物館でもポンペイ展が再開され、徐々に文化施設でも動きが見られてきました。公的な施設はその地域の文化振興の担い手であるわけで、当然ながら行政そのものですから、継続し、恒久的に人々に生活の潤いや豊かさを与えなければなりません。

一方、商業ギャラリーといったビジネスの場でもあるものについては、独自性や質的満足、そして作る側、見る側のかけ橋となり、日常的に身近なものとしてアートが存在することに気づいてもらえるようにしなければなりません。スーパーやコンビニにでも行くように誰もがふらっと入れ、お気に入りの作家の作品やこれまでに眼にしたこともない表現に接し、それらを日常の空間において楽しめる、愛せることが出来たなら、どれほど心豊かになれるだろうにと夢のようなことを想像しているのです。

人は死ぬまで自分の夢を持ち続けなければならないと良く言われます。想像はたやすく、現実は厳しいことも良く知っています。そして、夢見たところで、何も変わらないよとも言われます。そう、想像だけでは何も変わらないことぐらい誰でも分かること、現実を見つめ、自分を見つめ、ためらいや諦めが頭をもたげることはしょっちゅうあることです。

想像から創造へ変える行為、そこには大きなエネルギーと忍耐が伴っているのですが、それをも凌駕するものが夢なんだと思います。これは何もアートのことだけに限らず、この世に生を受けたものの自身への欲求に近い感情なのかもしれません。

だいぶ大げさな話になってしまいましたが、結局それらは各々の考え方に依るものです。

今日も普段と変わらぬ、日常という幕が開きます。

夢見たり、想像することは日常の営みのひとつでもあります。

ドラマは自分で作るものだから・・・。

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