2009年7月2日木曜日

1982

マイケル・ジャクソンさん死亡のニュースが流れてから、連日ワイドショーでは関連する話題を放映しています。80年代の音楽シーンを一気に変え、全世界にその存在が認められた最後のアーティストとも言える人ですので、当然と言えば当然ですね。

スリラーがヒットした1982年は、歩いていても街じゅうで流れていたように思いますが、はてその頃は何をしていたのかなと思い出してみました。

当時僕は東京に出て1年経った頃で、映画ばかり観ていたと思います。その頃はTSUTAYAもありませんでしたから、もちろん映画館に行って観ていました。大学が山形だった僕は、キネマ旬報を読みながら、東京に行ったら絶対に岩波ホールに行ってやると思っていたのですが、実際はロードショー館ばかりを毎週のように通っていました。

1982年に日本で公開された映画を調べてみると、洋画では”ブレードランナー”、”ET”、邦画では”蒲田行進曲”が目につきました。特に”ブレードランナー”は、あまりSF映画が得意でない僕でも面白かったですね。当時の記事を見ると、”ブレードランナー”は、アメリカでも日本でも、封切りではそのSF映画らしからぬ陰鬱な雰囲気が災いし、早々に打ち切られたそうです。その後もカルト・ムービーの扱いを受ける一方で、ビデオ化されたのち、評価が見直され、今やSF映画の名作と言われるまでになりました。

確かに、描かれている近未来は非常に退廃的で、登場人物も勧善懲悪ではなく、一種フィルム・ノワールっぽい感じがします。そしてこの映画の最大の特徴は、ビジュアル・イメージの卓越さと視覚効果の美しさではなかったかと思います。いま観ても感心させられます。


一方、邦画の”蒲田行進曲”は、舞台から小説、そして映画化されたものです。つかこうへい主宰の劇団つかこうへい事務所の代表作の一つですね。本来、つかこうへいさんの芝居には台本が存在しない場合が多く、つかさん自身が口伝いで役者に演出を行います。この”蒲田行進曲”は、一旦つかさんが小説化されたものを、自ら映画用に脚色して制作されています。蒲田にはかつて松竹キネマの撮影所があり、そこが舞台になっています。僕の以前の会社は、蒲田にあり、東口からまっすぐ行ったところにキネマ通りと言う道があります。毎日そこを通っていましたので、なんとなく縁を感じます。

この映画では、自虐的なヤスを演じた平田満さんがとても印象に残っています。(舞台でも解散公演で演じていました)平田さんとは3年前に両国付近の本当に小さな中華料理店で偶然見かけたことがありましたが、とても普通のおじさんでした。

今は映画館で映画を観る機会は年に数えるほどになってしまいましたが、真っ暗の中座席にもたれかけ、巨大なスクリーンで観ていた頃が懐かしく感じられる今日この頃です。

そう言えば、当時はまだチケットを購入するのに並びましたからね。

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