2011年2月20日日曜日

Sha-gaku vol.2 最終日

気持ちの良い朝です。それほど寒くもなく、お日様が柔らかく全身を包み込み、まだ冬らしい澄んだ空気が気持ちをきりっとさせてくれます。


今日が、Sha-gaku vol.2の最終日になります。3週間に渡って行われた写真展ですが、やはりいつものように名残惜しい感があります。今夜からそれぞれの作品が壁から外され、一旦何もない部屋へ変わり、次の準備へと雑然とした雰囲気になるわけです。一番ギャラリーが動いている時期でもあります。

裏方の作業は、ほとんどお見せすることはありません。写真展に出展される方たちが一部その状況を見るぐらいです。Sha-gakuのような公募で参加を募る場合、一斉に展示を行うことは先ずありませんから、ざわざわとした空気感の中、徐々に壁が埋められていきます。個展として開催するのとは違い、僕自身も全てを把握しているわけではありません。本来はいけないのだろうとは思っているのですが、参加者自身の意思や動きを信用している、基本自由にしてくれればとの考えがあるので、そうしています。

もちろん展示初経験といった人には、かなり細かい部分まで話をしています(そうしないと一層不安になりますから)から、展示自体にトラブルが発生することはあまりありません。僕の場合、頭の中で展示構成を思い描き、それを具体化する為に、図面化します。この辺りは以前のエンジニアであった頃の名残でもありますし、そうしないと実際の作業で戸惑ってしまうからです。どこでも当たり前にしていることなのかもしれませんが、事前に具体的な絵を提示するだけでも、参加される方は安心しますしね。

一枚の紙に焼かれた、もしくはプリントされた写真は、額装などの化粧をされて、お披露目に至る工程で、これまでには無い違った姿態を見せてくれます。それが白い壁に思い描いていたように展示されるにつれ、さらに息づいてくるように感じます。参加者はその様子を自身で作業を行いながら、冷静かつ興奮しながら仔細に見ているのです。それはまるで自分の分身を見つめているようでもあり、一種不思議な気持ちになるのだろうなと思います。

そうして、展示を終えられた作品たちは、見も知らぬ観衆の前に出され、評価されるのです。一番ドキドキ、ワクワクする瞬間で、不安で仕方ない時間でもあります。

そんな時間を、3週間の間、僕はずっと眺めているわけです。大抵の場合、そこに大きなドラマはありません。ややもすれば、理解もされず、ただ淡々と時間だけが過ぎていってやしないかとさえ思うことがあります。それでも、小さなドラマはいくつか発生し、会期中に置いたコミュニケーション・ボードに書かれた文面を見れば、それは分かります。

今日一日で、この展示も参加者自身と一部のお客さんの記憶にしか残らないものとなります。少し寂しい感はありますが、これもライブである所以です。瞬間、瞬間でしか生きられない人間の営みと一緒で、はかなくも美しいものがそこにはあるのです。

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