2011年2月23日水曜日

ぼちぼちと展示作業をしています。

撤収と同時に”Gallery Collection & Photo Showcase”の展示も始まっています。Gallery Collectionでは、以前の写真展とはサイズや額装のスタイルが違っていますので、先ずは額装から始め、順に展示をしている感じです。


最近の写真展を見ていると、やたら作品の大きさばかりが目立ち、何かそれだけで存在感を出しているようなものが見受けられます。現代アートとの関連性があるのですが、中にはどうしてこんなに大きく伸ばしているのかと考えさせられるタイプの写真も実際あります。

「見せる」といったことを検討する場合、作品のサイズは大きな要素にはなります。しかしながら、意味もなく大きくすることはないわけで、そこには必然性が無ければなりません。理由はさまざまで、例えば展示構成として必要であったり、作家の世界観を導き出す為等が考えられます。

写真作品の多くは、作家自身がプリントするケースが多いのですが、大判になるとそうはいかなくなり、それ相当の設備や技術を持った業者が行います。絵画や彫刻といった他のアート作品とは違い、全てを自らで行わなくても作品として成立してしまいますので、その辺りの部分が一般の方にとって芸術性という点で少し違和感を覚えるのかもしれません。

Gallery Collectionに展示される作品は、用紙で言うとA3程度のもので、やや小ぶりになりますが、全て作家がプリントしたものになります。プリントはその技術はもとより、作家自身のセンスが問われるものです。一部の著名な写真家の方は、自身のプリントより、信頼出来るプリンター(マシンではありません、職業です)へプリントを依頼している程ですから、作家にとって非常に重要なものであるわけです。

目に見えるものはプリント品ですから、当然の話です。そこに至る工程は言わば裏方の処理で、見る人にとっては必要の無いことなのだと思います。作家によって、プリント方法はさまざま、技術以上に個性的で、いわゆるブラック・ボックスのようなものです。

暗室という真っ暗な部屋でプリント作業を行っていますから、まさしくその行為自体がブラック・ボックスの中で行われているのです。しかも、浮かび上がってくるイメージは、自身のブラック・ボックスから発生しているものであったりするわけで、二重、三重の闇の中から作品となって出てくるのです。

そんな暗闇から生まれ出る一部の作品たちが、アート足り得る写真作品として陽の目を浴びることになるのです。多くの賞賛や少なくはない非難と共に。

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