2011年2月15日火曜日

必然と偶然

グラミー賞に日本人音楽家が4名も受賞しました。約50年の歴史の中で、過去4名の日本人受賞者だったのが、一気に倍になりました。いずれもインストゥルメント部門で、言葉には寄らず、ほとんどがいわゆる東洋的であるとか日本的なスタイルではないところが、いいですね。


音楽を奏でる音には演奏する人それぞれに違いがあり、同じ曲でもまるで違う感覚を受ける場合が多いです。まさに「音色」と言われるように、音そのものがオリジナリティーを表現する主たるものなのです。声も同じですね。受賞した皆さんはもちろん卓越した技術を持ち、音楽的才能もあり、日々研鑽を重ねながら、それぞれの楽器に対して向き合ってきた方なのだと思います。

なにより、自分の選んだ楽器を深く愛しているのでしょうね。自分が演奏しているわけで、楽器そのものは自ら奏でるものではありません。そこから出てくる音に対して、真摯に耳を傾け、誰よりも聞いていた観衆が演奏者自身なのです。そう、楽器はその製法や出生がどれほどのものであっても、結局は演奏者次第ですから。

だから、演奏者自身は自分自身が意図しない「音」もしょっちゅう聴いているわけで、その出てしまったと言える「音」に対して常に敏感に反応しているのだと思います。僕なんかの一音に対する集中や反応に比べたら、何百倍も大切にそして大事なものとして捉えているのです。そうでなければ、そこから出る色や感情が、多くの人に伝わるわけがありませんからね。

そして、それは偶然に起きる場合が多いと思うのです。完璧に自分が奏でる音を予想し、それが曲の中でどんなポジションにあるべきで、まさしく思いのまま自在に演奏しているとは思えませんし、人間ですから。得てして、そんな偶然の「音」から、オリジナリティーが生まれてくるような気もします。

一日中、そして年中楽器に触れ、音を聴いているから当然だと思われがちですが、僕はそれはちょっと違うと思っています。彼等はもちろん普通にいる人のそれこそ何百倍も練習をしていることは確かです。でもね、気付かなければ、気付くことを意識しなければ、それはただ通り過ぎていくだけなのです。

必然と偶然は密接な関係性を持って、いつも身の回りで闊歩しているのです。それを敏感に察知できる能力は鍛えられるものではないのかもしれませんが、ひとつの事を真摯に素直に見つめていれば、ふとした瞬間にそう思えることがあるはずです。

それはどんな世界でも共通して言えることなのです。

偶然が必然へと変わり、やがて確信になるその日が来るかどうかは、その人次第です。

でも、それは誰かから選ばれた人だけではなく、そうなりたい思い、実際に行動している全ての人に一様に与えられているのだと、僕は思うのです。

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