2010年11月1日月曜日

完成することなんて絶対にないのですから。

昨日はワークショップを行いました。参加された方は3名と若干少なかったのですが、その分レビューも含め濃い内容を話させてもらいました。時間もあっという間に過ぎ、気が付けば20:30をゆうに回っていました。


2人の写真を見せてもらい、話を聞かせてもらうと、写真が好きであることは充分に伝わってきます。そこから見えてくるものには、素直な感情や思いといったものが表れていて、僕自身とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。

それでも、その写真たちを作品として発表までとなると、本人も認識しているようでしたが、ほんの少し時間はかかります。なにより、発表する、伝えるもの自体が明確になっていなければいけません。人はだれしも、自分がする行為に対して、意味を求めるものですから。

また、どなたもそうなのですが、写真やそれを撮影していることに対して、非常に謙遜されます。東北人の気質もありますが、こちらでは特にそう感じます。人に見せ、評価を受けることは非常にこわいことです。これまで自分が信じてしていたことが、一言で崩されることもあるわけですし、基本的に批難されることや否定されることを嫌がりますから、その予防線として当たり前なのかもしれません。(実際平気でそんなことを言うレビューワーもいますから)

それと、よく聞くことは、今の私ではまだまだで・・・という言葉です。何を持ってそうは話されるのかは良く分かります。おそらくは、他の作品を展示会であったり、写真集であったり、それを目にし、こんな写真を取りたいと感じているからなのだと思います。そして、ひとつの到達点のようなものを、無意識に自分で決めてしまい、自分が本来撮りたいものであったり、望むものを撮り損なっているケースが多く、結局は何を撮っていいかいいのかとか自分には明確なテーマが見つからないと思ってしまうのです。

影響を受けたり、模倣したりすることは大事なことです。否定するつもりはありませんし、それを1つの目標とすることも悪いことではありません。それでも、同じカメラを何人かに持たせ、撮影をしてもらった場合、同じような写真が集まるかと言えば、そんなことはありえません。何故なら、そこには人それぞれの意思が働いているし、その意思自体は同じものであるはずが無いからですね。

人と違うから面白いわけで、私はまだまだで・・・といって、自分の中に理想や完成形を作らないほうが良いと思います。

だって、完成することなんて絶対にないのですから。

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