2011年6月30日木曜日

暑さに負けず

梅雨の晴れ間にしては、異常に暑すぎます。仙台でも30℃を越える最高気温で、日中、少しの間自転車を走らせただけでも、すぐ汗ばんでしまいます。ギャラリー内はそれほどでもなく、エアコンも使用していないのですが、湿度が上がりっぱなしで、作業をしていると暑さを感じます。


今年は節電、節電とうるさいほどに耳にしますから、余計暑さを感じる気がします。仮設住宅に入られた皆さんには、そんなことをあまり気にせずに暮らして欲しいと思ってしまいます。ギャラリーもお客さんがいらっしゃらない時は照明を落としていますけど、本当はいつでもお客さんが楽しんで下さる姿を見ていたいのです。快適な空間の中で、生活の余裕や豊かさ、表現の自由さと奥深さを感じて欲しいと思っているのです。

Love and Joyも準備が進むにつれ、熱さが増して来ているような感じがします。タイトルから想像されることを素直にギャラリー空間内に表現出来れば良いと思っています。奇をてらうことなく、見る人と作る側との境を取り去り、しっくりと身体に入ってくるような展示、そこから発せられる生の喜びや普段の営みの素晴らしさを感じてもらいたいのです。

だからというわけではないのですが、やや熱くなっているのかもしれません。でも、見せる側がそうでなくちゃ、見る側にも伝わりませんからね。

今日も出来るだけ頭は冷静に、それでも、気温に負けない程の熱い気持ちを持っていくことにします。

2011年6月29日水曜日

栞

昨日の続きで、今日はチケットの話。


いままでのチケットは、財布やカードケースに入るように小さなカード状にして、いつでも取り出せるようにしていました。その理由は、会期中何度でも鑑賞出来るパスポート制としていることにもあります。まぁ、無くても大抵は覚えていますので、特に提示していただかなくても良いのですが。

そんなこともあり、今回はこちらのような栞にしました。

少し厚手の和紙に両面プリントしています。手作りですから、サイズに若干の違いがありますが、その辺はご容赦を。


最近は本もあまり読まなくなってしまい、栞にも縁が薄くなりましたが、読みかけの雑誌に印してもらっても良いのではと思いそうしました。財布に入らないので、かさばると嫌がる人もいるでしょうが、そういう方は折っていただいて構いません。


もともと栞は、木の枝を折って、道案内の目印とした「枝折り」から来ているので、折ってもいいのではなんて勝手なことを考えています。今は単に、「読んだ本に挟む紙切れ」のような扱いを受けているようですが、こんな栞があっても良いのではないかと思っています。

「枝折り」は、自分が進んできた道を確認する為に、そして後から来る人が迷わないよう、自分も次に通る時にも間違えないようにするための心遣いや気遣いの形です。安心できるよう、記念になるよう、そして道しるべなのですね。

手に取られて、気に入ったなら、使ってみて下さい。

2011年6月28日火曜日

準備期間

撤収も終了し、壁にはほとんど何も残っていません。今日からは、次回Love and Joyの準備にかかります。展示レイアウトは参加者ごとに概略は決まっているので、その下準備をしておくことと、作品以外の掲示物等の作成が主になります。


開幕までまだ10日以上あるわけですから、それほど慌てる必要もないのですが、皆さん時間が無い方ばかりですから、その場できっちりとうまくいくようにするには、やはり段取りは重要ですし、やってみて初めて気付く場合もありますので、事前のシミュレーションはしておかないといけません。

実際に展示が出来る日となると、各々限られてくるし、重なる場合もありますから、そこまでのコミュニケーションが大事なことになります。今は、メールで実際のレイアウトや構想をファイルとして送付出来るので比較的説明がしやすくなっています。だから、実際に会って話す機会が多くなくても、特に問題にはなりません。

さて、今日は掲示物のプリントをして、入場券を作ろうと思っています。

今回の入場券には少し趣向があります。まぁ、今まではチケットとして、デザインしてきたのですが、チケット以外でも使えるようにしようと考えています。すでにデザインは済んでいますから、プリントし、ちょっとカット作業があるだけです。出来上がりは、明日のブログで報告します。

徐々に壁が作品で埋められていくと、今までの準備の良し悪しがハッキリと見えてきます。想像や構想が実際の形として現れる瞬間、そのワクワク、ドキドキ感を味わえるのは参加者と僕だけと言っても良いものです。

準備期間って、そんな贅沢な時間でもあるのです。

2011年6月27日月曜日

Northeast Photographers “relation” in Miyagi 無事終了です。

Northeast Photographers “relation” in Miyagiが昨日無事終了しました。一日中雨降りのコンディションの中、来ていただいたお客さんにはホント感謝です。もちろん、今まで来ていただけた方や何度となく見えられた方に同様の気持ちです。


有難うございました。

今日は一抹の寂しさを抱えながら、撤収作業をします。お二人は既に昨夜ほとんどの作品を持ちかえりましたから、それほど大変ではありません。半日もあれば、終わってしまうと思われますので、後は少しのんびりとするつもりです。

さて、Northeast Photographersは、現在も募集をしています。今回は宮城のメンバーだけの繋がりになっていますが、本来は東北の写真家の集いの場として、他県で作品発表することの意味を感じて欲しいものです。地域性を重んじながら、そこにあるものをそこだけで理解されるのではなく、他の地域で発表することでどの場にも依存しない普遍性を見出していけないと、逆に地域としての写真が育たないと考えているからです。

個人としては出来るとは思えない大きなテーマではありますが、目指す先は遥か遠く大きなものの方が面白いですしね。

でもそれには、日々の着実な一歩が必要なわけで、時に後退することはあっても(しょっちゅうそうですが・・・)、考えや思いを形にしていかないといけないと思っています。

先ずは、次回”Love and Joy”を楽しみにお待ち下さい。

想いや気持ちを形にすることが、どれほど楽しく、いとおしく、そして大切なものあるかをお見せしたいと思っています。

2011年6月26日日曜日

最終日

泣いても笑っても、Northeast Photographers “relation” in Miyagiは今日が最終日です。多くの方が来られているかと言うと、残念ながらそうではないのが現状ですが、気持ち的に大きく落ち込んでいるわけではありません。


僕は前から評価は自分ではなく、他人がするものだと話していますが、僕にとっての他人とは参加者やお客さんになります。したがって、参加者を先ず評価する立場になります。評価するというと、上から目線で、何か差別や区別、ランク付け、成績といったことが頭に浮かびますが、ここでいう評価は、作品として理解しうることか、はたまた理解出来ない事であっても、それも有りだと思わせてくれるかを、作品そのものやその人自身から見て取る行為になります。

一方、作品や展示会についてのお客さんの評価は、非常に見て取るのが難しいです。ハッキリと自分にとっての良し悪しを話される方はまずいらっしゃいませんからね。だから、ほとんどの場合は、ギャラリー内で見られている様子や表情からしか得ることが出来ません。それでも、何となくは分かるものです。

参加者を評価し、それらを持って企画として主催することで、僕は評価されます。そこでは、見る側にここに到る経過や経緯を事細かに説明しているわけではありませんから、結果でしか見られません。僕が良しと考えていても、そう思わない方がいるのは当然のことで、結果、満足していかれない方もいらっしゃるのだと思います。

僕はそれらの評価を真摯に受け止めるしかないのです。そして、次のステップへの経験として自分自身の実となるようにと考えていくわけです。

だから、人数の多さはもちろん嬉しいことなのですけど、たったひとりしかいない理解者であったり、真剣に感想や助言や辛辣とも思えるような意見を話してくれる方を無意識に求めているのかもしれません。

何はともあれ、今日が最後です。

もし、偶然これを見た方、見たいと思われていた方は、是非お越し下さい。

それにしても、最終日はよく雨が降るなぁ・・・。

2011年6月25日土曜日

道楽

道楽


昔からいい意味では使われることのない言葉です。僕も充分それに値することをしているようなものかもしれないけど、楽しいことばかりではないから、全てが当てはまっているとは言えないと、言い訳のようなことを時々考えています。

一方、道究、そんな言葉はありませんが、よく聞く道を究めるというと、とてもストイックでえらいことをしているような感じがします。同じ道でも、楽しむと究めるでは、その印象に大きな違いがあるわけです。

じゃあ、何が違うのかというと、単純にそこから生み出されるもの、考えといった有形、無形に捉われず、向いているベクトルが違うのです。いずれも、個人に関わることで、他人がどうこう出来る、指図することではありませんが、前者は自己にだけ向かっているのに対して、後者は表面的にはそう見えたとしても、そこから他へと影響を与え、共感の対象となります。

もちろん後者の方がいいに決まっています。エゴからは何も生まれませんから。

それでも、時々、最初はどれも道楽だったのではないかと思うことがあります。その道に興味を持ち、次第にそれが楽しさになり、夢中になっていく過程から始まるものだし、そこには非常にパーソナルな部分がなければなりません。

人からあれこれ言われ、ああしろ、こうしろと指図されている内は、そこに楽しさは見出せないものだし、そんな道を歩むことに疑問を持つはずです。だから、道楽は究めることへの第一歩だと思うわけです。先ずは、自分にとって楽しめることかどうかですね。

そうして、その楽しさや奥深さといったものを伝えようとする行為というか、思いでもいいわけだけど、そこに意味を見出せたなら、方向が変わってくるのかもしれません。

それにはやはり行動が伴わなければならないし、自分に問い、世に問う必要があるのだと思います。

さて、これを読んでくださっている皆さんの中には、写真に興味を抱き、楽しみを見出している方もいらっしゃると思いますが、道楽のままで終わらせたいと思いますか。

2011年6月24日金曜日

シグナル

いやぁ、蒸し暑いです。


外はすでに30℃近くまで気温が上がっているらしく、おまけにいつ雨が落ちてきてもおかしくない状態だから、湿気がじっとりと肌に絡みつく感じです。

今日は、除湿機を稼働しなくてはいけないですね。もしかしたら、エアコンもドライで動かさないといけないかもしれません。ギャラリーは半地下で湿気がこもりやすいのが困りものですが、気温は低めになっているから、除湿だけでかなり環境は改善します。除湿機の周りが2~3℃ぐらい上がってしまうのですが、湿度よりはまだましです。

大きな美術館のように空調完備まではしていないのが現状ですから、少しでも作品にダメージを与えないことが重要です。以前から、照明(スポット)は、お客さんがいらっしゃる時にだけ付けているようにしています。これは節電を意識してというより、作品保護の観点からそうしています。

今回の展示は、額装をした状態のものですし、会期も1カ月程度ですので、それほどまでに気を使うこともないのですが、壁に直接作品を貼り付けたり、作品表面が裸で出ている場合は要注意です。基本、写真作品は紙で出来ていますから、紫外線といった光や湿度、温度変化には影響されてしまうものですから。

しかも、人と違って我慢することなく、かと言って急激に変わるわけではなく、徐々に反応しますから、気がついた時には手遅れなんてことも考えられます。ときおり、少しでも言葉でもって不平、不満を言ってくれたらどれほど助かるのにと思ってしまいます。

人も口に出して文句を言ったり、辛さを語ったりすることはあまりしないもので、やはり周りで見ている人が必要なんだけど、それでもその表情や態度から何となく感じるものです。シグナルのようなものを、どこかで発しているものです。

でも、周りにその余裕すらないと、そのシグナルはどこかへ消えていってしまします。そうして次第にそれが本人にとって当たり前に感じられると、シグナルは外から内へとかわってしまいます。

人はいろいろな形で他人と接し、自分を表現し、何かを伝えようとする生き物だと思っているのですが、人それぞれ形は違うものです。きちんと額装されているものもあれば、直接裸のまま現れていることもあります。

受け取る側の扱いによっては、発するシグナルが内側に向かってしまうこともありますから、そうならないようにしたいとはいつも考えています。

急に変ってしまったと思うのは自分だけで、その人自身は徐々に変化しているものですし、

それこそ、手遅れにならないようにしなければいけないですから。