2011年1月7日金曜日

「矜持」

NHK 「あさイチ」に脚本、演出家の三谷幸喜さんがゲスト出演していました。今日が舞台「ろくでなし啄木」の初日のようで、朝からテレビ出演なんかして大丈夫なのと思いながら、少しだけ見ていました。三谷さんは今年7月に50歳を迎え、これを記念してこの1年を「大感謝祭」と銘打ち、舞台4本のほか、映画、ドラマ、小説と計7本の新作を発表するとのことです。


それにしても、その制作スケジュールを見ると、こんなペースで書けるのと思ってしまうほどの多さです。演出もするわけですから、本だけに専念することも出来ずによくもまあと、改めてその制作意欲と持続できる力に驚かされます。

三谷さんと言えば、シチュエーションコメディが得意で、暗転もしないまま芝居を進行させることが出来る、非常に構成力に秀でた脚本・演出家のひとりだと思っています。また、昨年放映されたテレビドラマ「わが家の歴史」でもあれほどの大人数の中、大きな破たんも無く、面白可笑しく、そして哀しく物語を綴れる力は並ではありません。

今回の「ろくでなし啄木」は珍しく評伝物のようですが、井上ひさしさんのそれとはまるで違った視点で芝居にするのだろうなと想像されます。舞台4本の内、どれか一つでも見られたらいいなとは考えています。

三谷さんはこの「大感謝祭」をたまたま同時進行の企画が集中してしまったからと話しているようですが、並大抵の覚悟では出来るものではありません。同時に、自分が影響を受けてきた舞台や映画・テレビ、これまで支えてくれた人たちへの恩返しと語っているあたりは、やはり人柄なんですね。

その気持ちはよく分かります。僕は三谷さんのようにその道で第一線の活躍をし、認められた人間ではありませんが、やはりどこかでそんな気持ちがあったのだと思います。でなきゃ、客観的に見て、これまで誰も手を出さなかったこと、これからどうなるかも分からないようなものを、この土地で行っていないですから。

今回の7作はいずれも本人曰く?喜劇ではないとしています。この辺りも、三谷幸喜たる所以のように感じます。僕自身同年代として、世の中元気な人間が少ないように感じますから、下の世代に希望を見せられる様なものであって欲しいと思っています。

なぜなら、この行為自体、三谷さんが持ちうる「矜持」なのですから。

2011年1月6日木曜日

小寒の日

今日は寒の入り、小寒らしいです。一年で一番寒さが厳しい時期の始まりです。年末年始には日本海側では大雪に見舞われ、大変な災害をもたらしましたが、昨日はお隣の北京やソウルでも大雪だったそうです。その寒気が日本へと向かっている為、7日頃までは大荒れになると各局の天気予報士は注意を促しています。


仙台は今、日差しがあるものの、ちらほらと雪が舞っています。まだ、降っているとの表現が似合わない程度の弱いものです。それにしても、そうなるよと注意を促されても、どうしたらいいの?とほとんどの人はそう感じていると思います。大人しく部屋にいなさいと言われても、仕事はあるだろうし、交通機関だって自分ではどうすることも出来ないわけですから、まさに災難が通り過ぎ、無事であることを願うしかないのかもしれません。

50年程度でも、生活をしていると、そんな状況に遭遇することが間々あり、それは個人の領域を越えているよなと感じると同時に、やっぱりひとりでは生きていけないことを実感させてくれます。自然との関係は、前触れも無く訪れる場合が多いのですが、人との関係は、その人が持つ経験知により、ある程度予想の範囲に収まる場合があります。

そんな時には、やっぱりそうなったかとか予想通りだねと言葉にしたりします。そして、その言葉を聞く場面の多くは、良くない結果の時が多いように感じます。あらかじめ自分の中で予防線を張っておくと、多少自嘲気味でもそんな言葉が出るものです。全く予想だにしない結果の場合、言葉すら出ませんからね。

また、自分にとって良くないことが続くと、誰しも物の考え方や捉え方がネガティブになってきます。特に体調が優れなくなると、ますますその傾向は強くなります。やがてそれは自分自身だけではなく、周りにも影響を与えてくるようになってきます。そうして、最終的には・・・・。



いやぁ、それは嫌だなと強く思います。同時に例えば明るい未来をじっと待ち望んでいるだけでは、解決出来ないことだよなとも思います。では、どうしたら良いのでしょう。

その答えを自分なりに出すことが、ここに写真ギャラリーを構えた理由でもあるのです。

2011年1月5日水曜日

残り2週間のメランコリック

昨日から年明け再スタートした江口敬写真展”Beyond”ですが、終幕まで休み無しで行う予定になっています。(16日土曜まで)とは言っても、残り約2週間ですから、それほど長いとの感覚はありません。むしろ、あと2週間でこの展示も見られなくなるほうに少しだけ寂しさを覚えます。


展示はライブであって、永久保存でない限り、いつの日かは消えてしまうものです。見て下さった方々の記憶の片隅に残るだけです。写真という記録を役割づけられたものが、自らの展示を記録づけられないことに矛盾を感じながら、その場でしか味わえない空間構成や空気感、雰囲気といったものまでを伝える為にその場を作っているのです。

この世にある全てのものはいずれその形を失うもので、いちいちその内容に感傷的になっていても仕方ないことです。それでも、作家にとっての作品は自分自身の分身であったり子供のようなものです。そして、それらが文字通りお披露目され、人数の多い少ないに関わらず、見られ、評価されることはすごく稀なことだと言えます。(特にアマチュアの方は一生に一度なんてこともあり得ますし)

だからといって、展示、発表することは、いささかオオゴトのように感じますが、一大事ではありません。なぜなら、結局のところ、今ある自分を表現しうるものでしかないからです。それ以下になることはあっても、それ以上にはならないわけです。

ギャラリーで主催し参加を募っている企画で、唯一制限されていることは、出展するものが写真作品であることです。その他は参加者の自由に委ねられています。

これは、僕自身が仕事を放棄しているわけではなく、作品の制作やそれに対する思い、実際の展示手段、スタイルといったものは参加者それぞれ考え方が違うもので、それ自体を尊重する必要があると理解しているからです。なので、僕はそれらが最大限の力を出せるように、見守るだけしか出来ないように思えます。

そして、そんな形で展示・発表されたものは、自然と僕自身にも影響を与え、終演を迎えるにつれ寂しさに繋がっていくのです。

2011年1月4日火曜日

2011年の始まり

さてっと、今日から2011年の始まりです。昨日も一昨日もギャラリーにはいたので、仕事始めといった感じではないのですが、それでも何か違っているように思えます。これといって変わったことはしません。いや、出来ません。


写真を通して、皆さんに新しい何かを感じてもらえるように、静かに深く考えていくだけです。ふとしたきっかけでカメラを手にし、写真に興味や魅力を感じた方は、是非一度お越し下さい。写真を専門として、そのアート性や可能性といったものを見せられる場所は、東北ではここしかないと思っています。

少し上から目線のもの言いになっていますけど、根本はもっと楽しい領域があることを知ってもらい、自らが表現・発表する喜びを感じてもらいたいだけです。その為には、より面白いもの、知りえなかったこと、新しい発見をギャラリーで感じて欲しいのです。

そして、その一歩を踏み出そうとしている人々の作品に共感を覚えたら、支援・応援をしていただけると幸いです。水面に落ちる一滴は、やがて大きな波紋を生むように、その波を大きく拡げていってほしいのです。そのフィールドは、誰にでも開かれているものなのですから。

ひとりの人にとっての時間は有限です。しかし、創造の可能性は無限なんだと思います。まさにこの時が始まりであって良いわけで、そしてその機会や能力といったものは、決して特別な人々の為に与えられたものではないはずです。

僕はそんな思いを持った方々を心から待っています。

もちろん興味のみで来られても全然構いません。

先ずは、ギャラリーでお会いましょう。

2011年1月3日月曜日

何もしない日

この2日間、何もしない日だったような気がします。気がしますと書いたのは、実際のところは必ず何かをしているわけで、そう感じるだけだからです。人間一日生きるうちに、テレビを見たり、食事をしたり、或いはお風呂に入ったりといろいろなことをしています。また行動としては表れないものの、考え事もしていますから、やはり生存のため以外に何かをしていないのは、寝ている時だけなのかと思ったりします。


でも、ある人は寝ている間に見る夢なんかからひらめきをもらい、何かを作りだすことだってあるのですから、そうとも言えないのかもしれません。まぁ、一般的にはそんなことを意識して寝る人をあまり知りませんので、何もしていないのだとは思います。

仕事をしていない休みの日に、人は良くその日は何もしなかったなと言います。それでも他人が見ればいろいろとしてるように感じることの方が多いように思えます。それは、自分自身は行わないことを、その人がしているからなのでしょうね。

また、することの頻度や中身にも寄るのだと言えます。一日に何時間も何度もその事をしていれば、今日はこれをずっとしていたと思えるでしょうし、たとえ短時間であっても、とても充実し満足することが出来れば、同じようにそう思えるものです。

仕事にしても、今日は何もしなかったなと思える日があります。サラリーマンの頃は、嫌でも職場に向かい、今日一日何事も無く過ごしたいと思えた日もありましたし、逆に思いのほか期待通りの結果が出ずに、今日は何もしていなかったのと同じだなと感じたこともありました。

ということは、何かをしたと思える多くの部分は、実際の行動よりも気持ちにあるのかということになります。行動した結果として、形が残らない場合は、特にそうなのかもしれませんし、形ある物として残る場合は、作り上げた満足度や充足度に影響されることになります。

さて、今日も何もしない日になるのでしょうか。僕自身は、そうしようと思っています。積極的に何もしないことで、フッと見えるものがあるかもしれません。

誰にも分かりませんけどね。

2011年1月2日日曜日

シグナル

新年2日目。特に変わったことも無く、だらだらと過ごしています。polkaも普段と変わらずにマイペースで寝ては、食べを繰り返しています。僕がいつもと違って部屋にいるので気になるのかと言えばそうでもないようです。


きっとpolkaにとっては、新年とかまた歳をとったとかの感覚はないのかもしれません。普段と変わらぬペットフードを食べながら、日長一日、自由なまま過ごしているだけなのでしょう。これが本当の自然にいる動物とは違うところなんでしょうね。

僕が突然動き出しても驚きもせず、掃除機の音を嫌がって奥に隠れるくらいがせいぜい関の山です。一応何をしそうなのかをじっと眼で追っているようではありますが、特にそれに関心があるわけではなく、ただ見ているだけです。何事も危険を感じずに生きられることにすっかり慣れてしまっていますし、まさに部屋自体がpolkaにとっては自由の空間と感じているのだと思います。

犬の場合は、飼い主とペットとに主従関係がありますし、家族の中でも犬自身が順番を付けると言われています。ネコの場合は、それはないですし、まさに気ままを絵にかいたような生活スタイルです。まぁ、その辺りが僕の性格には合っているようで、特に困ったことはありません。

去年は何度か病院のお世話にもなり、なんかペットらしい気にさせてくれましたが、本人にとっては迷惑この上ない話だったに違いありません。もちろん、そんなことになることを僕自身も望んでいませんし、第一元気が無くなり、動きが鈍くなっていく姿を見るのは何にしても心地よいものではありません。

ときどき、polkaにも喜びや悲しみといった感情があるのではと思ったりすることもあるのですが、本当のところは分かりません。もしかしたら、人間以上に感情を持っているかもしれません。膝の上で身体を撫でつけている時に見せる表情に笑顔は見られずとも、そこには語らずとも感じるものはありますからね。

人にしても、この人は無表情で感情を表わさないから良く分からないと言ったりします。それでも、どこかでシグナルは出しているものです。あまりに身近である為に、気づかないこともありますけど、そういうものだと僕は思っています。ギャラリーに来られるお客さんにしても、きっとそうであって、出来るだけそれを感じようとしています。もちろん、polkaに対してのそれとは違っています。なにより、言葉を交わせるのですから。

さて、どうやら今日はギャラリーへお客さんが来るようです。素直に嬉しいことです。

どんなシグナルを出して下さるのか、楽しみです。

2011年1月1日土曜日

新年あけましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いいたします。

2011年始まりの日です。今年は個人的な理由で年賀状を出していませんので、この場をかりて皆さんへの新年のあいさつとします。大晦日から夜が明けたからといって、変わることもなく、いつものようにまだ暖まらないギャラリーにいます。

大荒れと言われていた天気も日本海側は大変そうですが、こちらでは雪が降るでもなく、雲は多いものの、比較的暖かく感じられます。車の行き来も普段よりもかなり少なく、休日の中でも特別な一日なんだなと思わせてくれます。

今日と明日は時に予定も立てずに、のんびりしようかと思っています。仙台は初売りが全国的にも有名で、2日の朝から一部の地域で買い物客が殺到する様子が見られます。おそらくは今日もその準備で出勤する方もいらっしゃるのではないでしょうか。ホント、ご苦労様です。

昨年もずっと変わらぬ不況の中、何か暗く重い感じを受けながら過ごしてきたように思いますが、さて今年はどうなるのでしょう。僕自身としては、すこしでも明るく、楽しみながら生きていたいと思うのですが、現実がそれに追いついていかない葛藤を感じながら、過ごしていたような気がします。

そうは言っても、いつも暗い顔をして、グチをこぼしながら、毎日をネガティブに捉えていても面白くもなく、生きている感覚も薄れていくようなので、前を向いていようとするわけです。人はそれをやせ我慢とか無理というようですが、気が付かないフリをしています。(ホントはとても小心者なんです)

さて、今年こそは、と意気込んでいる方もいらっしゃると思いますが、精神的には良いことです。僕は、自然な中でどれほどの出会いや喜びを感じられる瞬間を持てるか、その数が多ければ多いほど、結果は付いてくるものだと考えています。物的な喜びや対価はつかの間で、しかしながら現実としては必要不可欠なものです。でも、それ以上に大切なものは誰にもあるはずで、そんな「かけがいのない」ものをこぼさぬように大事にすくい取っていきたいと思っています。

皆さんはどう過ごしていきますか。