2010年3月14日日曜日

ルーチンワークそして繋がり

毎日ギャラリーに降りてきてすること。


○朝一日に一回だけ、自動販売機で缶コーヒーを買う
○このブログを更新する。
○今は何もない白壁を一周して見て回る。
○パソコンの前で頭に浮かぶ企画(実現可能・不可能関係なく)や考えを思ったままに入力していく。

今は準備休廊で、比較的時間に余裕があり、その間に映画や芝居とかの映像も見たりするのですが、上の4つは必ずすること、もうルーチンワークのようになっています。ほとんどが一人での作業や行動なので、話すことはほとんどありません。

この2日間は私的な催しがあって、お客さんと話をさせてもらったこともあり、それだけで気が落ち着く感じがします。人と向かい合い話しをすることは、大抵の場合、立場や利害が付いてくるものなので、そのわずらわしさや気まずさに辟易してしまう事がありますが、やはり、人はどこかで世の中との接点を持たないときついんだろうなとも時々思います。今はそれが現実の世界でもネットといったバーチャルな世界でも有りなんだろうと思えるようになってきました。

顔の見えないネットの世界だから言えること、その全てを肯定するつもりはありませんけど、発せられる言葉には色々な思いを感じることも出来るし、共感を得ることは現実としてありますからね。そういった意味では、繋がりという概念も常に変容しつつ、それを理解しながら許容しなければ生きていけないのかもしれません。

今日もお客さんが来られます。楽しいひとときにしたいとの思いもあり、少しでも伝わればとも思っています。これもまさに繋がりなのですから。

2010年3月13日土曜日

永遠に解けないなぞなぞ

現在準備期間中のギャラリー内は、壁には作品も無く、いわゆるホワイトボックス化状態です。もうじき、展示を始めますが、それまではプロジェクターを設置し、壁面に直接投影しての映像を楽しみたいと思っています。もちろん、昼は雑事も含め、仕事をしていますので、見るのはもっぱら夜になります。


昨夜はもう何度となく見てきた、「ゴドーを待ちながら」という芝居を見ました。サミュエル・ベケットが作ったこの芝居は、演劇を知っている人はだれでも聞いたことがある有名なものです。いわゆる不条理劇の代表作です。

2幕仕立ての芝居の中で、主人公となる2人の男性(今で言うとホームレスのような人たち)がひたすらゴドーという者を待ち続けます。その間に交わされる会話にも、果たして意味があるのか無いのかさえ分かりません。舞台上には、大抵は一本の木だけがあります。でも、僕が見ているものは、何年かは不明ですが、串田和美さんと緒方拳さんがシアターコクーン内特設小劇場・TheatrePUPAで行ったものを、松本へ持って行って上演したもので、舞台上には何もありません。

舞台進行上、ドラマらしいドラマは何も起きません。初めて見た時(このバージョンではありません)は、これは一体何なのと思いましたが、不思議と気になり、ネットや本で調べたりもしました。実際、TheatrePUPAでの公演も観に行きましたが、やはり僕にとってはなぞなぞでした。そんなこともあり、テレビ放映があると知った時に、もう一度見ようと思い、録画していたものなのです。

不思議なことに、見るたびにその印象や感想が変わります。見えなかった部分が見えてくるというのか、ただ単にそう思えただけかもしれませんが、その時の自分の感情や世間との繋がり(立ち位置のようなもの)のようなものにも関係があるのかもしれません。それだけ、見る側の感覚が試される意地悪い芝居とも言えます。

20世紀を代表する写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真集の表紙に、サミュエル・ベケットのポートレートが使われています。いかにもといった風貌で、神経質で繊細な気質を感じます。


それを捉えるブレッソンもやはり大したもので、恐れ入りますね。多分、僕はこの写真集を手に取る度にベケットを思い出し、またその芝居を見てしまうような気がします。そして永遠に解けないなぞなぞに頭を巡らせるのだと思います。

2010年3月12日金曜日

新しい何か。

右下の演劇情報で紹介されている劇場は、PARCO劇場ですが、いわゆる民間企業が母体の劇場です。500名以上の収容人員、知名度も全国区であり、僕の感覚では大劇場のひとつです。ごくごくわずかな人だけが立てる舞台です。


そんな劇場の舞台に立って、芝居を行える事は、多くの演劇人には夢のようなものだと思います。中にはそうではない人たちもいますが、それでも、多くの人に観てもらいたいという気持ちは変わらないものです。

古澤君が出演することが決まって、そのニュースを見た時に、あぁ、今年は芝居が出来るんだと単純に喜んでいたけれど、改めて考えると、渋谷にあるPARCOだよなと、いらんお世話だけど、少しだけ心配してしまいます。

これだけの出演陣で、話題にも上がるだろうし、観る側も大きな期待を持つわけです。興味の対象は主には作品自体の出来になりますが、それを構成する役者の演技や振る舞いにいやが上にも注目が集まります。世間の評価と言うのは、結構きついもので、ネット上のレビューを見ていると良く分かります。

僕自身、古澤君についての思い入れみたいな部分があり、普通に観に来られるお客さんとは多分違うと思うので、本当に楽しめるかなという不安はあります。それでも、出来るだけ客観視しながら、舞台から発せられる言葉や感情を受け止め、新しい何かを感じられたらとの期待もあります。

あっ、もしこれを彼が読んでいたら、プレッシャーになるかな。それでも、奇抜であるとか目新しいとかではなく、新しい何かが観たいですね。その何かは、今は何なのかは分かりませんが、そんな一端が垣間見られるだけでもいいかなと思っているのです。

2010年3月11日木曜日

雪道を歩くように。

歩きづらいです。ギャラリー前の通りは、車道と歩道の境が無く、車2台が行きかえる程の道なので、雪が溶けシャーベット状になってしまってしまうと、おのずと地面の露出している車道側を歩くようになってしまい、行きかう車を気にしなければなりません。大通りの方も同じで、車道はすっかり地面が見える状態になっていますが、歩道はほぼ変わりなく、とても歩きづらいのです。


もともと、雪道用の靴も持っていないので、だいぶ以前に買ったワーキング・ブーツを引っ張りだそうかとしましたが、普段ローファーしか履いていない僕にとっては、とても面倒で出しても履かないだろうなと思い、止めることにしました。今日はこれから晴れるようだし、明日以降かなり状況は良くなるだろうと楽観しながら、慎重に歩きながら、外に出ようと思っています。

今は会期準備中なので、外回りで営業もしなければいけないのですが、先日発表した6月の公募展やら「せんだいアート散歩」やらの資料やまとめの作業をしているので、PCの前に座っていることが多いです。

明日から3日間は、私的な催しを行いますので、そちらの準備もしなければなりません。今回はお集まりになるお客さんも少ないのでそれほど準備は取られません。映像用のスピーカーをセットするぐらいですか。いづれにしても、明日からは午後の時間に作業が出来ないので、今日出来るだけ進めようと思います。

いつも時間があるからと後回しにすると、結局はぎりぎりになってしまいますから、注意が必要です。僕の場合、その時はこれで良しと思っていても、後日見直してみるとこれじゃダメと自分でダメ出しするケースが多々あります。まぁ、考えすぎて前に進まないようにならない程度にはしていますが、結構優柔不断なんですね。

以前の商売柄、長年リスクばかりを考える癖が付いている影響もあります。大胆であることと無謀であることの違いを判断することは、この年になってもなかなか難しいものです。

それでも、結局、最後は思い切りが無いと何も出来ないし、その前に、今やることがあるもしくは思いつけることは大事なことです。雪道を歩くように、一歩ずつ進むこと、そして、枯れてしまったら、終わり。

2010年3月10日水曜日

大雪の日、スタンプが届きました。

春の珍事と言って良い程の、一面雪景色の朝です。仙台での積雪は、朝7:00現在で23cmと、5年振りの積雪量だそうです。昨日午後から降り始めた雪質を見て、これは積もるなぁと思っていたのですが、ここまでになるとは予想していませんでした。


そんな折り、朝からちょっとしたトラブルでごたごたとしてしまい、ようやくギャラリーに降りてきてこれを書いています。トラブルは事無く済んだので心配はいらないのですが、未だ降り続く雪はいかがなものかと感じながらも、反射する光で異様に明るい様子は何か心躍るものがあります。火や光といったものは、それだけで日常の何気ない情景を一変させてしまう効果がありますからね。

そんな雪の中、昨日「せんだいアート散歩」で使用するスタンプが届きました。先週の説明会の後、考えた末に参加を決めて、速攻デザインして、発注していたものです。

それがこれだ。ワン、ツー、スリー。(どこかで聞いたことがあるフレーズ)


知っている人にはまたネコかよと突っ込まれそうなのを覚悟の上、あえて入れてしまいました。まぁ、このブログのプロフィールにもpolkaのイメージを本猫?には無許可で使用しているので、この際、統一しようかなと思ったわけです。アートって、何か敷居が高く、取っつきにくいものと思われがちですが、そんなことは決してなく、誰にでもその扉は開けられています。そんな思いも少しは込めてです。


デザインしていて感じたのですが、こんなものでもとても楽しい気持ちがしました。五十路のオヤジがパソコンに向かって制作している様子は、あまり気持ちの良いものではないと思いますが、本人は案外そんなことにはお構いなしです。

期間は4月中旬から約2カ月あります。是非、スタンプを押しにみえて下さい。

2010年3月9日火曜日

魂が震えた


昨夜届いた一通のメール。ブログに載せたからというわけではありませんが、古澤君からでした。なんと、偶然です。


それには、横浜美術館で行われているチェルフィッチュ公演を観に行って、ひどく感動、ショックを受けたことが書かれていました。彼の文面を引用すると、「魂が震えた」とまで書かれていました。

チェルフィッチュと言っても、多くの人は知らないと思います。主宰で作・演出の岡田利規さんは、「三月の5日間」で第9回岸田國士戯曲賞を受賞し、それを小説化した、「わたしたちに許された特別な時間の終わり」では第2回大江健三郎賞を受賞している程の才能の持ち主です。

芝居の特長は、セリフとも付かないような口語表現とそれとはまるで関係ないような身体表現ですかね。ある意味パフォーマンス的要素も感じられる全く新たな演劇手法で、主に若い年齢層に支持されています。こう書いても、おそらく想像は付かないと思います。

生で見ても、大抵の方には退屈なだけかもしれません。これまでの演劇における間であるとか観客との距離感とかがまるで違う為、会場を包む緊張感がある種の拒否感を生んでしまうからです。

それでも、常に注目を受けながら活動しているのは、古澤君のように「魂が震えた」と言ってしまうほどの人がいるからだと、僕は思います。そのことが、マイノリティーでありながらも、いつも自分の表現や言葉に向き合いながら、発表し続けている原動力のようにも思えます。

今朝ネットで調べると、約2年振りの新作公演で、タイトルは「わたしたちは無傷な別人であるのか?」です。明日まで横浜美術館レクチャーホールで行われています。当日券もあるかもしれないので、お近くの方は観に行かれてはいかがでしょうか。

2010年3月8日月曜日

再会の日を楽しみに。

昨日中に作品撤収を済ませて、少し筋肉痛の朝です。普段が体を動かさない生活をしているので、撤収の時は一気に済ませないと終わらない気がしてしまい、いつも休憩無しで行ってしまいます。やはり、年齢を考えないといけませんね。


それと、昨日から演劇情報を追加しています。演劇ライフのHPを見ていたら、貼り付けられるパーツがあったので、追加してみました。5月から始まるこの公演は、以前から何度か紹介している古澤君が出演するものです。

「裏切りの街」。なんて、昭和チックなタイトルでしょう。もっとも、作・演出の三浦さんは人の心の闇の部分を、これでもかと見せつける(客も引いてしまうほど)人なので、昭和だろうが平成だろうが関係ないと思いますが。今回はパルコ劇場という大舞台(よく知られた商業劇場といった意味で)と豪華出演陣ですが、いつもの嫌な劇空間を見せてくれるのか、それともまた違った一面を見せてくれるのか、いずれにしても楽しみです。

実はすでに古澤君に頼んで、チケットを予約しています。こちらでも会期中なので、とんぼ帰りになると思いますが、古澤君の出演している芝居は、2008年ポツドール公演「顔よ」以来ですから、実に2年ぶりになるのです。2009年シアタートップスで行われた「愛の渦(再演)」には、こちらの準備やらなにやらで観に行けなかったですから。

本当にいつの間にか時は経っているものです。少しですが、公演後会って話をしたいと思っています。実はこれが一番の楽しみであったりするわけです。

追記
情報の中の「新仙台」は「新世代」の間違いだと思います。仙台が入っていて、一瞬「おぉ!?」と考えてしまいました。