2009年12月7日月曜日

漢字・・・そんな感じじゃ駄目です

昨日の記事にあるO高君であるが、本当の高は「はしごだか」だったことが今朝分かりました。実際は、「髙」であったわけで、なんか申し訳ないことをしたような気持ちになりました。


名前については、それぞれ使用する漢字にも意味があり気をつけてはいるのだけれど、名字はもうすでにあるものの意識が強く、名前ほどは良く確認していないことが多いのです。本当に失礼な話だと思いますが、僕自身も初めての人に名前を正確に呼ばれることは少なかったこともあり、それについてはあまり気にもかけていなかったことがそうさせているのかもしれません。

ワープロやPCで文字を入力するようになってからは、特に名前だけではなく、あらゆる漢字が書けなくなってきている気がします。実際メモを取ったりする時に、漢字に迷い、ひらがなで書いていることが多くなりました。それでも、以前は読む方はそれほど苦もなかったのですが、最近は読みや変換した漢字ですらどの漢字を使うのかに迷うようになってきました。やはり、本や文章を読む機会が減り、かつ型どおりのビジネス文書ぐらいしか書かなくなったからかもしれませんね。

そんなわけで、このブログも少ないボキャブラリーの中で、自分が理解できる漢字でしか書かれていないと思います。もっと文才があり、より分かりやすい言葉を使って書けたら、どれほど世界が広がるかといつも思っています。

また記事を読み返していると、いくつか障害に関わるものがあります。ものごとの妨げとなる障害という漢字が、一般的に「障害者」に使用されているケースが多いですが、戦前は「障碍」との混同があり、当用漢字表により「障害」への書き換えが進んだそうです。現在、その「害」(負としてのイメージが強いのだと思う)の当て方を巡って、さまざまな分野で検討されているとのことです。

僕自身はその漢字以前に、あらゆる人(僕も含め)が「ショウガイシャ」だと思っていて、だからこそひとりで生きていくことが難しいと感じているので、どの漢字が適当なのかよく分かりません。だから、この人はこんなショウガイを持っているのに、とても凄いことをしているんだよと声高に言いたいのではなく、素直にその行為や表現に感動し、記事として載せているのです。見ているだけで、元気や勇気や前向きな力を貰えますから。

それにしても、日本語って、特に漢字はいろいろと当てられるので難しいですが、気をつけて使っていこうと改めて感じた次第です。そんな感じじゃ駄目です。

O髙君、電報を打つ時にはちゃんと伝えますので、許してね。

2009年12月6日日曜日

結婚します・・・僕ではありません

今週末、5月と7月、2回もギャラリーに遊びに来てくれた前の会社の後輩が結婚します。7月には奥さんとなる女性と一緒に来てくれて、今準備をしていると聞いていたのですが、はて、そろそろだよなと思い、メールしたところ、今月12日に式を挙げると分かりました。


本当はお祝いに駆け付けたいところなんですが、彼も気を使ってか、(来てほしくなかったのか・・・冗談)招待状も無かったので、先ずはこの場でお祝いをしたいと思います。

結婚おめでとう。O高君!!

7月に一緒に遊びに来てくれて、その時は何か遠慮がちに彼女の名前を口に出していたけれど、これからはちゃんと紹介してあげて下さいね。その日の夜遅くまで、楽しい時間を2人とすごせたことは僕にとっても良い思い出の一つになっています。

思い起こせば、僕の部署を離れ、毎週新潟へ行くようになり会う機会も無くなった折、久しぶりに蒲田での夕食の帰り際、駅前で「今日は彼女の家に行きますから。」と話したことが、初めて彼女の存在を知った時でした。

平日は東京にはいないし、土日も朝早くから出かけ、写真ばかり撮っていたのに、良くそんな出会いがあったものだと感心しながら、内心はとても嬉しかったです。

あれから、もう3年ぐらい経つのかな。

その後、会社を辞め、どうなっちゃうのか心配していたのが、引っ越しして一緒に暮らすようになった時には、親御さんにもすでに了承を受けていたらしく、やはりその辺はO高らしいなと思っていました。その後、色々とありましたが、僕も仙台に戻り、O高も就職を決め、そしていよいよ結婚ですね。

結婚前から同棲のように一緒に暮らしていると、結婚式後もそれほど変わりないと思われがちですが、実際はそうではないことが徐々に分かってきます。やはり、責任とか信頼とか目に見えない部分での重さのようなものが違ってくるかなと思います。

目に見えないものって、実は見えるものよりよっぽど重要で大切です。常日頃の生活の波に揉まれてしまい隠れてしまうものや慢性化した生活リズムの中で気付かなくなってしまったものに、後々取り返しのつかない大きな出来事が埋もれているかもしれません。

なので、これからも新鮮な気持ちで彼女を見守ってあげて下さい。

O高はそれが出来る人ですから。

本当に良かった。繰り返しこころからおめでとうと言いたいです。



済みません。今日はほんとうの日記のようになってしまいました。

2009年12月5日土曜日

レオン・フライシャーというピアニスト

レオン・フライシャー


NHK芸術劇場で昨夜紹介されたアメリカの81歳になるピアニストです。盲目のピアニスト・辻井伸行さんのことを以前記事として載せましたが、昨夜の番組で紹介されたこの方も、物腰の柔らかさの中に人としての強さがとても印象に残りました。

僕は本当にクラシックには疎く、番組を見るまでは全く知りませんでした。がっしりとした体格で、哲学者然たる風貌も漂わせ、とても81歳の老人には見えません。しかも、37歳の時に、後々判明したジストニアという大変変わった病気の為、右手が不自由になり、事実上の引退となります。20代に「100年にひとりのピアニスト」と称され、前途有望であったレオンさんにとって、それは僕らの想像をはるかに超えるほどの衝撃だったに違いありません。

このジストニアという病気は、演奏家の方には少なからずいるようで、番組に出演していた整形外科医の方も200名程の治療に当たったと話していました。神経系の病気で、その原因は脳にあるとは分かっていますが、いくつかの治療のどれが効果的であるかはまだ解明されていないようです。しかも、演奏家の多くは、演奏をする時に症状が現れる(指が勝手に曲がってしまうとかしびれ・麻痺を起こす等)ので、余計に心的苦痛を感じるはずです。

レオンさんはこの症状の為、35年間左手だけの演奏を行うかたわら、指揮の勉強もして、後進への指導という立場を取りながら音楽と付き合うようになります。90年代後半に、ボツリヌス療法により目覚ましい回復を遂げ、2004年には両手で演奏、録音出来るまでになり、再びピアニストとしてステージに立てるようになったと言います。

番組で演奏している様子は、一音一音を慈しみながら、ひとつひとつの鍵盤に向かっているように感じます。時に激しく、時になでるように、現在も治療を行っている指先が自然に舞っているかのようです。それは、40年もの長い間、なんとか右手で演奏出来ないかと苦悶しながら毎日ピアノに向かっていたことが、とても信じられない話のように思えます。

レオンさんはインタビューで、「私が病気になった時、ピアノではなく音楽に向き合うようになり、指揮を学び同時に指導者としての立場でいれたことが私の人生にとって非常に重要な部分を占めていました・・・そして、突然、私にとってもっとも大事なことは両手で演奏することではないと気付きました。」と話していました。

81歳という年齢で、後何年現役としてステージに立つことができるかは誰にも分かりません。

レオンさんはこうも言っています。

「コンサートは僕にとって冒険です。・・・人生はあらゆる可能性がある限り決してあきらめないことです。」

まさに、アーティストですね。

2009年12月4日金曜日

「ポラロイド」カメラ、10年夏に復活

「ポラロイド」カメラ、10年夏に復活


昨日発表されたニュースです。

ニュースリリースによると、写真関連製品を世界展開するサミットグローバルグループがこのほど、Polaroidブランドのライセンスを獲得。日本法人を設立し、国内市場向けにフィルムやカメラを販売する、となっています。

以前、このブログでも紹介したオランダのプロジェクト「THE IMPOSSIBLE PROJECT」とも連携し、来年春から秋にかけて、フィルムも販売されるようです。「SX-70」の復刻版や「Polaroid One」も復活するようで、楽しみですね。僕自身も、手持ちのSX-70がまた使用出来るかもしれないので、今後のラインナップに注目していきたいと思っています。

フィルムは、従来のものとは違っていると思うので、色合いやゆるい調子の再現がどの程度になるかがキーですね。現在、トイカメラも一部の女性を始め、人気がありますから、またまた再燃するのでしょうか。

そんなこともあり、今日はポラロイドで撮影し、コラージュのように作った写真集をひとつご紹介。


「Come Again」Robert Frank Steidl 2006年


歴史的写真集「The Americans」を発表したロバート・フランクのチョット変わった写真集です。「Come Again」は、自身でポラロイドを使って、スケッチブック1冊分にコラージュ作品を作り上げたものを複製した写真集です。ポラロイド部分にのみワニスをかけ、4色のつや消しインクで印刷されています。ばっと見、本物のポラロイド写真がつぎはぎで貼り付けられたように見えます。スケッチブック上についてしまったシミなんかも忠実に再現されていますので、写真集そのものが作品となっていると言ってよいと思います。

今年になって、文字通り「Polaroid」という写真集も発表しています。

それにしても、ポラロイド復活のニュースは、温故知新ではないのですが、とても嬉しいニュースではあります。

2009年12月3日木曜日

燐光群公演「ハシムラ東郷」

2,3日前の新聞に、舞台公演の記事が載っていました。


燐光群公演「ハシムラ東郷」エル・パーク仙台 12月8日、9日

このところ公演情報なんかはずっとご無沙汰で全く知らなかったのですが、へぇ、仙台公演があるんだといった感じで記事を読んでいました。

燐光群はわりと好きな劇団の1つです。主宰の坂手洋二さんの戯曲に惹かれて、毎回のように下北沢まで観に行っていました。と言っても、古くから知っていたわけではなくて、「ダルマさんがころんだ」を、スズナリの前から3番目の席で観たのが初めてでした。

最初の印象は、一言でいうとずいぶん説明が多い芝居だなでした。とてもメッセージ性が強く、ややもすればそれだけで拒否反応が出てしまい、芝居自体に没頭出来ない感覚になってしまいます。それでも、何回か観ていくうちに、坂手さんが描いている世界観や言葉の一つ一つの重さのようなものに感心させられ、そして表現というものの多様性に驚かされ、いつのまにか良く観るようになっていました。

燐光群は、スズナリを始め、比較的小さめの劇場で公演を行っていますので、最前列なんかの席になると、本当に役者が目の前で演じている姿が見られます。役者の息遣いまで感じられた上に、いわゆる小劇場での舞台設営のうまさも見ることが出来ます。

今回の公演は、目立った客演もないようですし、燐光群、劇団公演の新作として見られるのではないでしょうか。あるいはアトリエ公演のような雰囲気もあるかもしれません。クレジットを見ると、美術は島次郎さんがしているようです。坂手さん同様絵画から入った人ですので、2人のこだわりがどのような形で見れるのかも楽しみの一つですね。

残念ながら、僕は仕事で観に行けませんが、料金も非常に安い設定になっていますので、是非多くの人に観てほしい舞台です。

100年前にアメリカでもっとも有名であったコラムニスト、ハシムラ東郷と現在とがどんな形で繋がってくるのか、はたまた、坂手さんの決してシニカルではない眼で見つめた日本とアメリカの現在に至る関係を垣間見られるのではないかと思います。

公演情報は燐光群HPからどうぞ。

http://www.alles.or.jp/~rinkogun/
 
 

2009年12月2日水曜日

ハービー・山口スペシャルイベント準備中

ハービー・山口イベント機器リハーサルに行ってきました。


今回はDVDの映像と音声をスライドショーのように流しながらトークをしてもらうので、PCと音響・プロジェクターの接続確認が主な確認内容です。

PCはデスクトップをカートに乗せて運んで行きました。手持ちのノートは3年以上前のものなので、非力なのか、ドライブの関係なのか、音声が途切れることがあり、今年購入したデスクトップで行うことにしたのです。

受付でホールのカギを受け取り、係の人と一緒に3階までエレベーターで上がり、会場の重い扉を開けた途端、久しぶりの劇場のような空間に、懐かしい気持ちと高揚している自分を感じました。(役者でもないのに)

PCをセットして、係の人が音声機器やプロジェクターへの接続を行う姿を見ていると、不思議とモチベーションが上がります。いよいよ、再生となり、明かりが消され、映像が写り始まりました。やや遅れて音声も流れ始め、ホール特有の残響音も感じられます。それから、画面の調整に移りましたが、予想通り、少し手間取りました。

僕もプロジェクターを持っているので、PC側の画面設定とプロジェクター側のそれとの違いで比率が合わなくなることを知っていました。ましてや、今回会場で使用するプロジェクターが良く分からなかったので、この調整が主な目的だったわけです。

さまざまなやり取りがあって、映し出された画像がこれ。(ピンボケで済みません)




200インチの4:3仕様ですので、最後尾の方でも充分見えると思います。日曜日に近くの市庁舎前で行われたベガルタ仙台のパブリック・ビューイングで使用されたスクリーンが190インチで、ちょっと覗きに行った時に小さく感じたのですが、同様なサイズでも密閉された空間ではとても大きく見えます。


当日再度調整は必要だと思いますが、先ずは一安心といったところです。
それにしても、借りた時間が1時間だったのですけど、短いですね。
当日はさっさと行わないと、間に合わないかもと若干焦り気味です。

さて、お席の方はまだありますので、ぜひご参加していただければと思っている次第です。

イベント詳細はこちらから。
http://kalos-gallery.com/event/planning.html

2009年12月1日火曜日

「過去のない男」

昨日は日中陽が射して、いくらか暖かい陽気にも関わらず、午前中は雑務に追われ、午後から買い物やらこれから予定しているハービー・山口イベント機器リハーサルの準備などでいつの間にか夕方になっていました。夕食後やっと一息付けましたので、久しぶりに映画(DVD)を見る気になりまして、この映画を選びました。



「過去のない男」アキ・カウリスマキ 2002年


アキ・カウリスマキは、以前、カルト映画の巨匠のような言われ方をしていましたが、この「過去のない男」はカンヌでもグランプリを取った作品で、美男・美女が出てくるでもなく、決してハッピーでもないんですが、妙に心に響く映画です。アキ・カウリスマキの映画シリーズには労働者(敗者)3部作と言われているものがあって、これは2作目に当たります。

ですので、ストーリーも展開も明るいわけでなく、セリフ回しもいつものように非常に淡々としていて、何が面白いんだと思われる人も多くいるはずです。それでも、映像的には非常に美しいし、人生そのものを感じさせてくれる役者の演技や表情を見ているだけで、その味わい深さに魅了されてしまいます。音楽にクレイジーケンバンドの「ハワイの夜」と「Motto Wasabi」が、あまりドラマと関連していないところで採用されていたりしているのも面白いところですね。

アキ・カウリスマキの作品を見ていると、やっぱり小津安二郎の影響が強く感じられるし、ジャームッシュやベンダーズなんかも思い起こさせます。そう考えると小津安二郎ってすごい人だったんだなと改めて分かるわけです。あの黒澤明が自宅で熱心に「東京物語」のビデオで見ていたほどですから。

さて、「過去のない男」を一言で表すと、人間再生のドラマということになると思います。不幸にして過去の記憶を失ってしまい、徐々に自分の過去を知るにつれ、先ず、それが本当に自分であると理解し、認めることが出来るかですよね。でももっと重要なのは、記憶を失ってしまった今の自分を理解してくれる誰かが、そこにいるだけで、人は生きていけるということです。

アキ・カウリスマキは、ドラマチックにそして声高に訴えるのではなく、日常の生活の中にこそ見出せるものだと、静かに語っているように思えます。

それにしても、僕はこのフィンランドの映画監督の名前をいつも正確に言うことが出来ません。あの、ちょっと変わったフィンランドの映画監督とか映画のタイトルを言ってしまいますが、そうそう分かる人はいないのが現実です。やっぱり好きな人や物はちゃんと覚えようと思います。

おっと、そろそろ会場に行かないといけない時間です。それでは、又、明日。