2011年7月31日日曜日

「枠」

結局昨日は自転車も直せず、たぶん今日も無理だろうから、休廊日の明日午前中に直すしかないようです。まぁ、ギャラリー営業時は、ほとんど使わないし、出かけるといっても近場がほとんどですから、歩いていきゃあいいやと思っています。


写真を撮っていた頃は、週末はかなりの距離を歩いていました。今はホントに歩くことも少なくなり、行く場所も限られてきているので、時折世の中が狭くなった気分になることがあります。特に、構想やアイデアに煮詰まってきた時なんかは、何も考えずにただぼんやりと街中をうろついてみたくなります。

人の考えの及ぶ範囲、「枠」といったものは、その人自身の置かれた環境や立場にかなり大きく影響を与えます。僕たちは乱暴に言ってしまうと、世の中全体の巨大な「枠」の中でしか生きてはいけません。いわゆる常識や慣習といったものもその中のひとつです。或いは、土地、地域、もっと小さい町や会社、集合住宅内の細かな取り決めのようなものまでその人自身の考えを制限するものです。

それでも、思考と感情が違っているように、時々は「枠」からはみ出してみたいと思ってしまうのも人なんだと思います。以前に、似たようなことを書いたかもしれませんが、人それぞれが持つキャパシティーは自身で決めるべきではないし、人のフリ見てわが身を振り返る的な比較も必要ないようにも思います。

社会通念上、しちゃいけないことの多くはしちゃいけないと分かっているはずですから、それ以外の事について、自分の「枠」をはみ出したところで、実質的に怪訝に思ったり、困ったりするのはそれほど多くではありません。一番そう感じるのが自分自身であることの方が多かったりしますし。

その後の自身への影響を考えると、かなり大胆で勇気ある行動なんでしょうが、それが許される期間は案外短いものですからね。そうすることで、自分の持つ器も形を変え、伸びたり大きくなったりするものです。

いつも俯瞰した眼で眺め、冷静に判断し対応することは確かに大人として必要なことではあるけれど、もしも感情がそれを許容出来なかったりしたのなら、時に自分の「枠」をはみ出す行いをするしかないように感じるのは僕だけでしょうか。

2011年7月30日土曜日

適正であるかどうか

自転車がパンクしたようです。


4,5日前に後輪の空気がだいぶ抜けていたので、しまい込んでいた空気入れを出してきて、入れてはみたのですが、一日経つと元に戻ってしまう状態です。この2日は雨模様だったこともあって、使うこともなく放っておいたままでした。今朝確認すると、ますます抜けているので、修理しないといけないようです。

原因は分かっています。常日頃自然に空気が抜けていたのに気付いていたのですが、そのまま乗り続けたことです。おそらくは、釘や鋭利なものを踏んづけてそうなったのではなく、空気が抜けているチューブが折れるような形でどこかにわずかな亀裂のようなものが入ったのだと思います。

普段使用しているモノの多くは、動くことが当たり前だとの感覚があり、結構ぞんざいな扱いをされています。それでも、いつも使っているものはまだましな方です。たまにしか使用せず、普段はそこいらに放り投げられているモノは、いざ使おうと思うと動かないなんてことは良くある話です。

使用すればそれなりに劣化は進むものです。でも、使用していないからといってもそれはありえることで、常に動かしていた方が良い場合もあります。今回は、普段から使っているのに、気を使わな過ぎが原因ですから、自業自得ですね。

僕もそうですが、大抵の人は使い慣れた、自分に合ったモノを使用しているものです。ちょっと変わっているからとかなんか便利そうだと考え、購入したけれど、いざ使ってみると何か違っていたり、これはこんな時にしか使えないなと思ってしまうと、ほとんどは使わなくなるようになります。

愛着のある道具やモノを使うこと自体、とても良いことです。そして、それらが自分の思い描く通りに動いてくれたり、使い勝手も良く、自分自身にしっくり合っているのなら、むしろその方が良いとさえ思います。

でもね、時代や流行、自分自身ですら常に変化をしているわけですから、その時々で本当に適正であるかどうかを考えた方が良いとは思うのです。結局のところ、それらを使い、他の何か価値あるモノを生み出すのは、その人自身ですからね。

今あるものではここまでしか出来ないし、と思う前に、もしかしたら以前は使えなかったモノが使えるかもしれないとかこんなものはどうだろうかとトライすべきなんだと思います。
適正であるかどうかも、先ずは自分が決めれば良いこと。
評価は嫌でもおのずと周りがしてくれます。


さてと、早いとこ直さないと。

2011年7月29日金曜日

悩みどころは尽きないけれど

このところ、雨模様ばかりで湿度が上がり、鬱陶しい日が続いています。今年もゲリラ豪雨が多く発生すると言っているし、7月の終わりに来て梅雨が戻ってきたような感じです。


体調も気分も落ち込み気味になってしまいそうな毎日ですが、Love and Joy は絶賛開催中です。雨が降ってくると、やはり出歩くことも億劫になってきますけど、是非見に来て欲しいと思っています。

約1カ月という長丁場と思われますが、残すところ10日となりました。入場券をパスポート制にしているのも、何度でも見に来て欲しいからです。大抵の人は一度きりで、毎日が忙しい中、何度も見に来るなんて出来ないよと考えているのでしょうが、はたしてそれだけが理由なのかなと思っていました。

実際、僕も期間中何度か見に行った展示会はあります。(その度にお金を払って)もちろん、それぞれ違った理由はあるのですが、共通して言えることは、もう一度見たいと思わせてくれる何かがそこにあったことだと思います。僕の場合、知り合いの展示会に行くことはほとんどありませんから、純粋に作家の作品性や世界観、会場等に興味を持って行くわけです。偶然目にした案内を見ただけで、作家すら知らずに見に行くこともありました。

ギャラリーはその位置づけや場所柄もあって、見ず知らずの人がひょいっと訪れるところではありません。興味を持った方以外には見向きもされないものです。それでも、そういった人だけが密かに楽しめる場所であって欲しくはないと考えています。

だから、僕の今の理想は、もう一度見てみたいと思わせるだけのものをこの場で提供することです。しかも、限られた人々に向けてではなく、ですね。

その為には・・・・。

悩みどころは尽きないけれど、これもまた楽しみのうちです。

2011年7月28日木曜日

「おひさま」

NHK連続テレビ小説「おひさま」のメインテーマに歌詞がついたものが、現在YouTubeで限定配信しています。歌っているのは、平原綾香さんです。


現在、「おひさま」は、戦争が終わり、物が無かったり、質素ながらもそこで普通の生活を取り戻しつつある市井の人々が描かれているのだけど、主人公である陽子に子供が出来たことで、物語の核心に迫ってきた感じがします。


そこに来て、この歌詞ですね。ものすごくストレートさを感じさせます。

ドラマというのは、何も派手な演出や効果があって生まれるわけではなく、この世界に生まれ、生きているだけで充分ドラマになりうるものなのです。波乱万丈とか冒険活劇とか、人はそんな人生を面白がり、感心させられたりすることはあるのですが、実際自分がそうでありたいとはあまり思わないものです。

普通に自分が望むように生きていきたいと考えているはずです。でも、そんな日常の流れの中で、自分が望む姿にはなかなかなってくれません。それを憂い、不平不満を言いながら生きている人がほとんどじゃないかと思います。(僕も含め)

それでも、どこかに自分自身が大切にしている、拠り所とも言えるものがあれば、何とかやっていけると思ってもいます。人がそうだからとか、世間はこうだからということを抜きにして、自分自身だけの大切な場所や行いそのものです。形にならないものでもいいのです。

たとえそれが、他の人にとってはとてもちっぽけで、そんなことと思われたとしても、ですね。自分が自分である為に、その人の一生があり、ただそうしていることで、図らずも身近な誰かや知らぬ誰かに、例えば幸せな気持ちとかを与えられていたとしたら、それはもうドラマなのです。

2011年7月27日水曜日

Tanabata Night ! 「4つの出会い」

一昨日サイトでは告知していますが、改めてここでお知らせします。


現在会期中の Love and Joyは残り2週間となりましたが、最終日である8月7日(日)にエンディング・パーティーのようなものをします。

題して、

Tanabata Night ! 「4つの出会い」
日時 8月7日(日) 17:30-20:00(多分延長あり)
場所 カロス・ギャラリー
参加者 Love and Joy 参加者全員(佐久間さんは18:30頃からの参加になります)
     その他、写真を愛する人々(おそらく?) 予約不要、入退出自由
参加料は、¥300(パスポートチケットをお持ちの方はそのまま入場になれます。)

飲み物は、1ドリンク ¥300~¥500で提供する予定ですが、飲む飲まないは自由です。食べ物は若干用意しますが、追加等はしませんので、あらかじめご了承下さい。

また、この模様は下記チャンネルで、Ustream配信する予定です。

http://www.ustream.tv/channel/tanabata-night

七夕の夜に、Love and Joy 参加者4名との語らいを持っていただきたいと思っています。特に変わった趣向は無いと思いますが、是非とも集まって楽しいひと時を過ごしていただきたいと思っています。

今日は宣伝のみになってしまいました。

2011年7月26日火曜日

気付いてしまえば・・・。

さてと、いつもの一週間がまた始まります。そう書いてしまうと、変化も動きもなく、ただ時間だけが過ぎていくような印象を与えてしまうかもしれませんが、刻一刻と微妙に変化をしながら、日常は流れているわけで、それに気付かない事の方が多いものです。


ある日突然その事に気付いた時には、既に遅かったと思ったり、後悔したり、逆に感動や喜びを感じたりします。遅かったと思ったり、後悔しない為に何をすれば良いのと自分自身に問いかけてみても、明確な答えは返ってこないことが常です。そうして、今までしてきたことをハタと考えるわけです。

自分が望んでいることに対しては、人は積極的に物事を考え、達成するまでのプロセスを構想し、躍起になるものです。それ以外の物事は、仕事であることを除けば、頭に浮かぶことすらないのだと言えます。

人が考えた事のほとんどは、実現可能だと昔から言われています。そうした考えが、科学の進歩やさまざまな文化の創出、生活に役立つモノとして目の前に現れ、実際その恩恵を受けながら僕たちは生きています。

始まりはとんでもないこと、夢や戯言と思われていたとして、自分自身の為に実現したいと考えていることでさえ、結果として周りと関わりを持ち、影響を与え、徐々に浸透し、認められるようになることだってあるわけで、一概に馬鹿なこととは言えません。

でも、変化を嫌うのも人としての特性で、それが自分にとって害を及ぼしたり、周りの安心を脅かすものであればなおさらです。今、僕たちは変化を求められている時期でもあります。それは、個人としてだけではなく、身の回りにあるものや環境、そして社会全体として考えなければいけないことのように思います。

何も大それたことや、自分の今持っている力以上のことをして、変化していく必要はありません。しかし、少しの無理や苦労は必要なのかもしれません。倒れてしまっては元も子もありませんから、出来る範囲で変化し続けていけば良いのだと思います。

先ずは、自分自身の考えや思いといったものに気付くことです。

気付いてしまえば、そこから先はもうすでに決まってもいるのです。

2011年7月25日月曜日

穴倉に潜り込むクマのように

初めてギャラリーに来て下さるお客さんの多くは、入口の扉を見た瞬間に、穴倉に潜り込む感じを受けるかもしれません。入口はそこひとつだけ(実際は非常用にもうひとつドアはあります)だし、きっとここなのと思いながら小さな階段を降り、扉に手をかけるのだと思います。


重い扉を開けた先は、今は普段暗くしているので、本当に穴倉に潜り込んでしまったと感じるかもしれませんが、すぐに照明を入れるとその感覚はなくなります。とは言え、入口からはよく見えない奥の部屋に気付くとまた何があるの、と思うのです。

だから、どこからどう見ていけば良いかに戸惑う人もいらっしゃいますし、先に奥に行かれる方もいらっしゃいます。一見して白壁に包まれた窓の無い空間ですから、息苦しさを感じる人もいるかとは思うのですが、特にそんなことを聞くこともありません。

日差しが差し込むガラス張りのお店のように、明るい雰囲気ではないので、展示される作品によって中の表情も様変わりします。会期中のLove and Joyは、一言で言うと暖かい空間になっています。外は暑いのだから、涼しげな感じになっていればいいのにと思われる方には合わないかもしれませんね。

でも、心の中はいつも暖かく、心地よい状態でいたいと思いますし、扉ひとつ隔てた日常とはかけ離れた空間に違う暖かさを感じるのも良いのではと思っています。

実は、奥にある小部屋に窓はあります。今は外の気候によって開けたり、閉めたりとしています。先週2階のテナントに洋菓子屋さんが入り、オープンしたこともあって、時折甘い香りが漂ってきます。甘い香りもふと嗅ぐと、優しい気分になれます。今のところ、これは僕だけの特権です。

さて、今日はお休みです。ちょっと出かけたり、やらなければいけないこともあるのだけれど、ほんの少しだけゆっくりしようかと思っています。

そう、穴倉に潜り込むクマのように、心地よい音楽を聴きながら。