2010年6月30日水曜日

深夜の決戦・・・ありがとう!

どれほどの日本人が深夜の戦いに眼を瞠り、そしてひとつのボールに一喜一憂したのでしょうか。ワールドカップ。様々なスポーツで使用される名称ではあるけれど、オリンピック以外に4年に一度開かれる大会として、世界中で認められているものは、昔からサッカーだけだと思っていました。そこで繰り広げられてきた歴史的な試合の数々、逸話にも劣らない程、試合後の選手たちの涙は輝いていました。


代表に選ばれた23人の選手たち。その中でピッチに立てる選手は、交代を含めても約半分です。一度も試合に出ることなく、大会を去る選手が多くいるわけです。そんな選手も含めて全員で戦い、もがいている姿は多くの人たちに感動を与えてくれました。もちろん僕も感動をもらったひとりです。

選手、スタッフとも非常に高い意識とモチベーションを持ち、お互いに違った個性のプロ意識を無用にぶつけ合うことなく、ひとつのチームとしてのたたずまいがそこにはありました。ひとりひとりが我先に日本を代表する選手としているのではなく、チームの一員として、任された仕事を実直にこなしていました。(決して悪い意味ではなく)

年齢やキャリアとかは関係なく、お互いを信頼し、常にフラットな感覚が選手の中に合ったようにも感じます。また、大人として何か斜に構えたり、変に気負ったりしがちな部分もなく、純粋にサッカーをしているなとの印象が、試合を重ねるたびに強くなっていきました。

おそらく、今回の大会を通して、選手個々には多くの教訓があったのだと思います。それは、見ている僕たちにも言えることなのかもしれません。

先ずはお疲れ様でした。そして、いちサッカーファンとして、心からありがとうと言いたいです。

2010年6月29日火曜日

また“Sha-gaku”のことですが・・・。

ここ数週間に渡り “Sha-gaku”のことばかり掲載してしまって、いささか食傷気味な方もいらっしゃると思います。それでもつい“Sha-gaku”について掲載してしまうのは、何も分からずに試行錯誤しながら、1年してきた思いや願望といったものをひとつ具体的に形にしたものだったからです。


この1年はプロの作家のオリジナルを紹介し、かつ出来るだけ直に触れる機会を作ることで、写真という誰もが作ることが出来るもので、さまざまな表現や感動を与えることが出来ることを知ってもらうことに集中していました。その為、ギャラリーとしての方向性というよりも、色々なジャンルや表現方法の違いによりその選択を行ってきました。(もちろん、ある一定の基準に従ってではありますが)

その結果として、お客さんもそれぞれの趣向や嗜好に合わせて見に来られるので、会期ごとに見えられる方は常に変化し、一定の固定客は案外少ないものでした。来られる方の80%程度は、自身でカメラを持ち、写真を撮られる方です。商業写真分野で活躍されている方も多くいらっしゃいます。そんな方々のほとんどは、表現の奥深さや明確なテーマ性、表現方法の面白さ等に感心されていましたし、それは予想の範疇ではありました。

そんな中で、この”Sha-gaku”の企画検討に入ったわけです。検討していく内に、もしかするとギャラリー自体の方向性や質のようなものを変えてしまうかもしれない企画だと思うようになり、少しの間ですが悩み、告知することを躊躇した時期がありました。結局は、僕自身、物事をあまりネガティブに考える方ではないこともあり、どんな人にも表現しそれを伝えてみたい願望はあるはずで、そんな人たちのサポートが出来るっていいんじゃないぐらいの気持ちで始めたのです。(自分なりに強い思いのようなものはありましたが)

予想通り参加者が集まらないことで、やきもきもしましたが、結果的にこの企画はやって良かったと思えるものでした。参加したメンバーは、おそらくはそれぞれの評価や結果を見つめ、また次のステップへと進んでいけると信じています。

また、これは単なる1周年記念企画とは捉えていません。現在募集をかけているClub ”Blossom”と共に、個人の表現・発表の場として皆さんに認識してもらえるようにしていきたいと考えています。自分ひとりではやれるだろうかと悩み、考えてる人は多くいらっしゃると思いますが、そんな人たちへの道標のようなものになっていければとも思っているのです。

自分が伝えたいこと、表現したいことを形とし、たとえ限られた人ではあっても、それが実際伝わり、評価を受けられることって、めったにあることではありません。いつの日かはと考えているうちに時間は否応なく過ぎ去っていくものです。

僕も含めて、ここから前に進めるかどうかは、結局は自分次第ですから、なかなか難しいところではありますが・・・。それでも、いろいろ考えてみても、実際やってみなければ分からないことばかりなのですから、先ずは自分の気持ちがどうしたがっているかが大事なのかもしれませんね。

2010年6月28日月曜日

公募写真展"Sha-gaku"を終えて

“Sha-gaku”が無事昨日で終了しました。最終日は生憎の雨模様となってしまいましたが、それでも多くの方が最後まで見にいらしてくれました。参加メンバーのほとんどが終了後の撤収も兼ねて来ていましたので、ギャラリーの中では人が絶えることなく、僕自身とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。


今回このようなアマチュア写真家による公募展を企画するに当たって、期待と不安が入り混じっていました。不安は、先ずホントに集まるのかということ。それから、違ったレベルの作品がお互いに悪い影響を及ぼして、写真展としての価値があるのかということでした。

一方、集客という点では、参加者の分だけ見に来る可能性があるので、これまでこのようなギャラリーに足を踏み入れたことのない方にも来ていただけるだろう、その中には作品を気に行って購入して下さるかもしれないという期待はあったわけです。

結果として、集客は普段の会期展と比較して約2倍程度となり、参加者自身驚いていたことですが、低価格とは言え、特にお知り合いではなくても作品を購入されたお客さんもいますし、参加料がその分で賄えてしまった方も実際います。

色々と反省するところもありますが、それでも充分に価値ある写真展だったと考えています。来られるお客さんの中には、もう次回の開催を望んでいる方もいらっしゃいます。僕も定期的に行うことを見据えながら、今回の開催に望んだわけですが、ひととおりの結果は出たと思っていますし、ちょっと落ち着いて見直しをしてから、次の展開にしたいと思っています。

参加された方々、そして見に来て下さった方々には、本当にお礼を申し上げます。

今後も、写真文化の可能性を皆さんと一緒にお伝え出来ればと考えています。

その為にお力を貸して頂ければ幸いです。

2010年6月27日日曜日

流れる曲とともに

写真展を楽しんでもらう一環として、いつもBGMを流しています。毎回、展示するイメージや作家の雰囲気や考えに合わせて、何にしようかと悩んでいます。僕自身はそれほど音楽について幅広く聴いているわけでもなく、最近ではCDも滅多に購入しなくなったりしていますので、今はやりの曲や歌手、グループなんかはまるで知りません。


おのずと昔好きで聴いていた人たちの楽曲を選んでしまうようです。お客さんの中には、音楽はどう選んでいるのですかとかとても合っていますよねとか言われることがたまにあり、そんな時はつい嬉しくなってしまいます。写真作品を見てもらうことが第一ですので、出来るだけその部分を阻害しないようには気を付けていますが、本当のところは個人的な好みと感覚だけで選んでいるのです。

“Sha-gaku”で流れているものは、以前ブログでも紹介した日向敏文さんの”ISIS2”というピアノソロアルバムからの曲です。昨日来られたお客さんに、もしかして流れている曲は日向敏文さんじゃないですかと言われた時は、正直驚きました。今では、ほとんど知られていないと僕自身思っていたからです。

今日が最終日ですので、取りあえずは聴き納めになりそうです。さまざまな個性で表現されている作品の数々、多様な展示表現の公募展ですので、どれかに合わせるといったことは考えませんでした。邪魔にならず、かといっていわゆるイージーリスニングではなく、サティーの作った「家具の音楽」みたいになれば良いなと思い、これを選んでいます。(そのままサティーを持ってきたのでは芸が無いので)


何気なく自然に入ってくる曲、そして、そこにある個性溢れる作品たち。

空間とともに楽しんでもらえたなら、それだけで良いのです。

2010年6月26日土曜日

最後の週末

“Sha-gaku”最後の週末です。いつもの企画展は、ほぼ2カ月の会期でしたので、あっと言う間に終わってしまう感覚があります。このまま終わってしまうのが、惜しいですね。何度も話しているようですが、”Sha-gaku”に参加して下さったメンバーは、どなたも個人的に知り合いではありません。それぞれが、それぞれの作品を持ちこみ、自分の表現を展示と言う形を通して、自分自身の現在ある姿を表わしているように思います。


全員他に仕事を持ち、忙しい毎日の中、プリントや額装、ポートフォリオ作成を行っています。おそらくは、この3カ月の間で、展示のことを考えなかった日は無いのではないかと思います。今回初めて使用するプリント用紙であったり、自ら額やマットを手配し、作業を行っているわけですから、時に不安を覚えることもあったのだろうと想像します。

それと、“壁一面ずつの自由な表現”が原則でしたし、僕が作品自体の見解を示すわけではないので、プロデュースなんてことはあまり考えていませんでした。もっと、作品同士の個性で、壁と壁が喧嘩し合ったり、何か枠から外れてしまっているようなものがあっても、それはそれで良いと思っていました。また、これはグループ展ではなく、壁面ごとの個展ですと、謳っているように、僕としては強く個を意識しています。この企画を行うことを考え始めた時に、ここだけは崩したくない部分ではありました。

偉そうなことは言えませんが、人ってそれぞれ違うわけだし、その違った部分を認め合うことから物事が始まるような思いを、ずっと持っています。許容というか寛容というか、そんなことかな・・・。自分自身の枠や世界だけに捉われることは、自分の自由度や価値観を狭めてしまうだけですしね。もちろん自分があっての話ですが。

話がずれそうですので、この辺で止めますが、”Sha-gaku”のメンバーは自らの個性を充分に発揮してくれています。見逃すと損をしますよ。

2010年6月25日金曜日

サッカー日本代表 グループリーグ突破おめでとう!!

サッカー日本代表がグループリーグを突破しました。2度目となるワールドカップ16強入りです。深夜3:30のキックオフから5:30の終了まで、日本の多くの人たちがPVや自宅のテレビの前で一喜一憂していましたね。僕もその中のひとりでした。


それにしても、誰がこんな結果を予想していたでしょう。国際大会で3点を取って勝つことなんて久しぶりというか、ほとんど記憶に無い程です。いつもは、追いつかれたり、逆転されないかと終了間際までハラハラさせられることが多いのですが、今回は非常に落ち着いて見られました。

何と言っても選手の気持ちが前面に表れている姿は、とても美しく、心揺さぶられるものでした。選手個々はかなり熱い思いを持ちながらも、非常に冷静にプレーしていたと思います。これまでの場合、そのようなプレーをしていても、なかなか表れてこない場合が多く、下手すれば消極的なプレーに見られがちなのですが、今回はそんな風には見えませんでした。

フランス、イタリアと前回の優勝、準優勝国がグループリーグで消えてしまった現状を考えれば、何があってもおかしくはないし、よくも勝ち点6を取り、勝ち上がったと思います。本番前の強化試合の結果を見れば、誰もがそう感じるでしょうね。ホント素晴らしいことです。

さて、決勝トーナメントは、4日後の29日午後11時、南米の雄パラグアイとの試合になります。今回のような深夜帯ではありませんが、しばらくは寝不足の日々が続くのかもしれません。(ウィンブルドンもあるし)ここからは一発勝負になりますから、試合がもつれた場合は気持ちの強い方が残っていくような気もします。(ランク関係なく!)

昨日はこの曲を聞いた後に、テレビの前にいましたが、さて次はどうしようかと考えています。(内容は関係ありませんが・・・)

http://www.youtube.com/watch?v=8Y4ski3LkTI&feature=related

2010年6月24日木曜日

美しい夕焼け

昨日は”Sha-gaku”参加者2人がギャラリーに来てくれて、色々と話をしていたこともあり、時間があっという間に過ぎて行ったような感じでした。一昨日の河北新報夕刊に記事掲載してもらったおかげで、問い合わせの電話も何本か入りました。また、17:00以降、仕事帰りに訪れてくれたお客さんもいましたので、終了までの時間がいつもより早く感じられましたね。ホント、有難うございます。


そんな1日を終え、実家へ自転車で向かっていた途中、一人の女性が空に向けて携帯電話をかざしていました。一目で写真を撮っていることが分かりましたので、その先を見たところ、空にはまるでパステルで描かれたような夕焼けがありました。

自転車の速度を緩め、周りに注意しながら、僕もその夕焼けを見ていました。時間はすでに19:00をまわり、少し前ならすっかり日が暮れていてもおかしくない時間なのですが、昼の名残を惜しみながら、最後の明るさを保とうとしている様子でした。ビルの谷間に見えるいくらか緑がかった青色の上に、白い雲が4つ程層をなし、その間からピンクとオレンジの中間のような色合いが漏れています。そこから上はまた緑がかった青色が広がっていました。

秋の燃えるような夕焼けの景色ではなく、全てが淡いトーンに包まれた一種幻想的とも言えるような夕焼けです。家路へ急ぐ人々は、そんな夕焼けの存在に気付いていないかのように、歩みを速めています。僕は交差点の歩道の隅に自転車を止め、写真を撮っていた女性がその画像を身近の人に見せながら、美しい情景の仔細を話したり、あるいは自分のブログへ載せたりする様子を勝手に想像しながら、ぼんやりと夕焼けを眺めていました。

自然のあるいは日常で作りだされる一瞬の美しさや圧倒的な景観は、それ自体、見たまま、感じたままの姿で写真として切り取ることは、非常に難しいことだと僕は思います。今、ここで言葉として表現していても、その時感じたことのどれほどが伝わっているのかも疑問です。

だったら、写真を撮ったり、またその写真自体を言葉として説明する必要性なんかないよね、ということに繋がってしまいそうです。撮る側、見る側それぞれが写真と言うひとつのもの(あるいはまとまり)に対して、様々な解釈や感じ方をすることに何ら異論を唱えはしません。むしろ、そんな中にこそ表現の可能性があると思っています。

夕焼けからだいぶ話がずれてきました。まぁ、それにしても、昨日の夕焼けはそれ程美しく、わずか数分間のはかないものでしたが、とても素敵なひとときだったわけです。

気付かせてくれた女性に感謝ですね。