2009年6月30日火曜日

河瀨直美さん

先週の金曜日、部屋に戻りテレビのスイッチを入れると、まるで予期しない女性の顔が映し出されました。河瀨直美さんでした。しかも、”金スマ”と言うバラエティー番組です。(バラエティ番組を卑下しているわけではありません)実は、僕はテレビを付けていても大抵は見ていないことが多く、もちろんこの番組も始めて見るものでした。

河瀨直美さんが1997年"萌の朱雀"でカンヌ国際映画祭カメラド-ル(新人監督賞)を史上最年少で受賞、2007年"殯の森"で同じくカンヌ国際映画祭グランプリを受賞したことは多くの方が知っていると思います。

彼女の映画の特徴は、描かれる自然の美しさとドキュメンタリー的な部分が絶妙なバランスで組み入れられ、独自の世界観を醸し出していることです。もともとが、ドキュメンタリー映画を制作していましたから、それは河瀨さんにとってはごく自然なことなのかもしれません。

出演者のほとんどが素人や新人と言うこともあり、徹底したリアリズム追及の演出は、意外な効果を発揮しますが、その反面映画(エンタテイメントとしての)自体の危うさも感じていました。事実、“萌の朱雀”以後制作された"火垂"、"沙羅双樹"は残念ながら商業的には成功しませんでした。

やはりこういう映画って、好き嫌いがはっきりするでしょうね。僕自身、"萌の朱雀"をビデオ(当時はDVD化されていなかった)で観た時は、奈良の圧倒的に美しい自然と繰り広げられる物語の静けさに戸惑いを覚えました。物語は非常に淡々と進められていきます。日常のありふれた情景がことさら強調されることもなく、哀しみがゆっくりと沁み込んでくる感じです。

河瀨さんの公式サイトを見ると、自身の好きな映画監督が載っていますが、タルコフスキー、ビクトル・エリセとあり、何となく納得してしまいました。彼らの共通点は、描かれる映像の一つ一つが詩的、もしくは抒情的であることだと思います。その為、描かれる表情や自然には監督自身の感情が投影し、一見何ひとつ無駄のない映像のように見える場面でも、時として観客にとっては難解で陳腐なものに映ってしまう場合があるのも事実だと思います。

なので、これまで僕は河瀨さんの映画をあまり人に勧めたことがありません。カンヌでグランプリを受賞し一時時の人のような扱いをされた時でも、周りの人にもことさら勧めたりはしませんでした。


番組では、河瀨さんの生い立ちから今までの流れの中で、映画監督としての顔とその反面非常に気さくで男っぽい性格に焦点を当てていましたが、僕自身は今後もあまり人には勧めないと思います。でも、こうしてブログに書くと言うことは、やはりいろいろな人に知ってもらいたいのかもしれません。

とても好きな映像作家ですので、なおさら微妙です。

2009年6月29日月曜日

蜷川実花さん


先日蜷川幸雄さんの話に触れたので、娘さんのことも話しておかないと不公平ですよね。
彼には確か2人の娘さんがいるのですが、写真ギャラリーをしていますので、長女で写真家の蜷川実花さんについてです。

蜷川実花さんと言えば、2000年度の木村伊兵衛賞をHIROMIX、長島有里恵さんと同時受賞し、”ガーリー・フォト”の代表としての印象が強いですよね。実際、1996年に写真新世紀、ひとつぼ展で同時受賞もしていますし、その後のマスメディアの対応もそうでしたから、世間の方もその形容で捉えていたと思います。

2008年東京オペラシティーで開かれた回顧展”蜷川実花展-地上の花、天井の色-“では、”ガーリー・フォト”から進化した姿を、テーマごとの作品を通して感じることが出来ました。

蜷川さんと言えば、強烈な色彩で彩られたものをイメージしますし、確かに直感的に蜷川実花、あるいは蜷川実花風と分かってしまいます。2007年六本木アクシス・ギャラリーで開かれた”ゼラチンシルバーセッション展”での、藤井保さんと同一ネガでプリントした作品を見たときも、その印象は拭えませんでした。

しかしながら、そう言う手法や技術は蜷川さん自身の個性として強く観客に訴えかけるものであり、決してマイナス要素にはならないと思いますし、なにより彼女自身のエネルギーを直に感じます。

1998年に出版された初めての写真集”17 9 ’97―Seventeenth September ninety‐seven”では対象がセルフヌードであったり、自分の身近な環境のものだったのですが、2000年以降の作品にはほとんどその傾向は見られません。その辺りも作家としての彼女の強さではないかと思ったりします。

”蜷川実花展”は、2009年4月の岩手県立美術館から始まって、2010年3月まで全国4ヶ所で巡回展が開かれます。是非とも、蜷川さんのパワーを全身で浴びてほしいと思います。

個人的には、初写真集の蜷川さんの不安げなセルフ・ポートレートも好きです。

ギャラリーにお越しの際、お声を掛けて頂けばいつでもお見せ出来ます。

2009年6月28日日曜日

蜷川幸雄さんそして"さいたまゴールド・シアター"

蜷川幸雄さんが主宰をしている"さいたまゴールド・シアター"が、彩の国さいたま芸術劇場小劇場で現在公演をしています。(7/1まで)正式公演としては今回で3回目になります。

演目は、"アンドゥ家の一夜"と言い、ケラリーノ・サンドロビッチさんが書き下ろした新作を蜷川幸雄さんが演出するという、ほとんど考えられない組み合わせのものです。第1回公演が岩松了さんの新作でしたし、その公演を観に行ったケラさんは自身のブログでも絶賛していましたからね。と言っても、僕は今回観られないので、テレビ放映してくれないか願っているだけですが。

"さいたまゴールド・シアター"は、2006年に蜷川さん自ら選抜をして結成された、平均年齢70歳の劇団です。55歳以上の一般人を対象に募集したところ、約1200名の応募があり、その中の48名(現在は42名)が選ばれました。経歴はさまざまで、ほとんどの方はこれまでに演劇経験など無い人達です。そのメンバーと1年のレッスン期間を置き、中間発表会を経た後、2007年6月に第1回公演を行いました。

実は僕は彼らを生では観たことがありません。第1回公演の準備の様子を映したドキュメントとその公演をテレビ番組として見ただけです。1年間で何が出来ると言ってしまえばそれまでですが、劇団員の表情や蜷川さんとの接し方を見ていると、まさに俳優そのものであるように、僕の眼には映りました。実際、芝居から受ける印象は、その年齢や芝居経験の浅さを感じさせない程熱いものでした。

蜷川さん自身現在73歳で、年間10本以上の演出を行っている化け物のような方ですが(大変失礼な言い方ですが)、劇団員の方々は素人でしかも70歳近い年齢ですから、これは尋常ではありません。芝居として成立させること自体冒険だったと思います。

第1回公演"船上のピクニック"と第2回公演の清水邦夫作"95kgと97kgのあいだ"は、職歴など、劇団員の過去の経験を生かしたキャラクター設定とその身体表現で高い評価を受け、"95kgと97kgのあいだ"は国内外を代表する現代舞台芸術が集う祭典「フェスティバル/トーキョー」(2009年3月)に招聘されました。

ドキュメント番組の中で、稽古途中に劇団員の女性が、私にはこの状況でこのセリフは言えないと蜷川さんに話す場面があります。蜷川さんは、自分よりも年長のその女性に対し、自分の枠だけの考えだとその中でしか演技は出来ないし、台本に書かれたフィクションに意味を見出し(想像力)て行かなければ、他者との関係や繋がりを拡げることも出来ない。僕は99%台本に忠実に行う。それが僕の演劇哲学でもあると話していました。

これは、とても意外なことでした。セカイのニナガワと言われ、稽古場での厳しい言葉や行動が世間ではややもすると誇張気味に語られていた人ですからね。蜷川さん自身脚本は書かれないので、プロの演出家として作家を認めている(受け入れる幅が広い)から言ったのだと思いますし、逆に言えば、そういう作家としか仕事をしていないのでしょう。

いずれにせよ、"さいたまゴールド・シアター"は現在日本で最も刺激的な劇団のひとつだと言えます。

そして、個人の可能性は一つの意志の前では決して年齢には依存しないと言うことです。

また蜷川さんにとっては、シェークスピア全演目公演に並ぶライフワークなのかも知れません。
今後の活動を期待していますが、本を書く人は大変でしょうね。

今までの正式公演は、劇団員がほぼ全員が出演しているのですから。

2009年6月27日土曜日

色・・・いろ

6/19から日本マクドナルドが、 クォーターパウンダー「日本バラ色計画」キャンペーンを実施していますね。ニュースリリースのページでは、「キャンペーンの今回の計画について、「日本バラ色計画」は、“バラ色でいくぜ”という「BIG MOUTH!」を掲げ「クォーターパウンダー」を食べて、不況で暗くなっているニッポンを明るく幸せな“バラ色”に塗り替えていこうという計画です。」とあります。

僕自身はほとんどマクドナルドには行かないのですが、テレビコマーシャル等を見ると、何となく元気が出てきますね。色彩は人の心、感情に直接的に影響を与えるものですし、とても明確で、素敵なコンセプトだと思います。

テレビコマーシャルは、安室奈美恵さんが自分自身と戦い、最後は自分を超えて行くと言った造りをしていますが、実写とCGを織り交ぜ、しかもモノクロで展開するクールさは見事です。

それにしても、マクドナルドと言って即座に思い浮かぶ色は赤ですよね。コーポレートカラーとして長年使用していましたから、今回のキャンペーンは期間限定とはいえ、非常に大胆で冒険的なものだと誰しもが思うところです。しかしあえて、その色を変えてでも”日本を明るく幸せなバラ色に変える”というメッセージは単純に嬉しい感じがします。

今、ギャラリーの中はモノクロームの世界です。

モノクロームを直訳すると単色になりますが、実際は白と黒、そしてその中間であるグレーを始め、トーンの差により無限の色を表出させているわけです。その効果は、現実として人が見ている色彩の世界から、非現実の世界へと導いてもくれます。それでも写し出されたイメージは、確実にそこにあった事実なのです。だから、ある人はまだ生まれていなかった時代のイメージに妙に懐かしさを感じたり、逆に色彩の無い世界にその時の色や温度や光りを感じるのでしょう。


そんなことを考えていると、普段何気なく見ている色って、とても不思議に思えてきます。

2009年6月26日金曜日

HOPE 空、青くなる


ハービー山口さんの写真集”HOPE 空、青くなる”が、6月18日に発売されました。
ハービー山口さんは、写真を通して人々の気持ちをポジティブにし、そして人々の心に希望が溢れ、安らぎを取り戻し、優しい社会になることを願い、作品を発表し続けている作家です。
全点モノクロでセレクトされた一つ一つのイメージは、観る者に直接響き、心暖まるものばかりです。

また現在、川崎市民ミュージアムで、”ポートレイツ・オブ・ホープ ~この一瞬を永遠に~”、 東京銀座RING CUBEで”the Roots ~CHEMISTRY~”、丸の内新東京ビルにある丸の内カフェで”ルクセンブルク in 丸の内”の関連企画として、それぞれ写真展が開催されています。

3会場で同時期に行われることは、あまり聞いたことがありません。
近隣の方は是非観に行って下さい。
そうでない方は今は写真集を手に取ってみて下さい。
忘れかけていた大切なものが見えるかもしれません。

そして今秋になりますが、当ギャラリーでもハービー山口さんの企画展を予定しています。
その際は是非オリジナルを観て頂きたいと思います。

2009年6月25日木曜日

”イル・ポスティーノ”

“1Q84” 1,2巻本日同時購入しました。

いやぁ、厚いです、重いです!!

ネット上では様々なレビューやコメントが飛び交っていますが、気にせず1000ページの大作をゆっくりと楽しみたいと思います。

1984年で思い浮かぶのは、ジョージ・オーウェルの小説やその映画です。たしか、ヴァン・ヘイレンも同じタイトルのアルバムを出していたような気がします。

映画”1984”の監督は誰だったろうと調べてみると、マイケル・ラドフォードだったのですね。日本では2005年公開されたアル・パチーノ主演の”ヴェニスの商人”が最近の作品ですが、代表作は何と言っても”イル・ポスティーノ”だと思います。

なんか、出だしと違った方向に行っていますが、今日はこの映画の紹介をします。

”イル・ポスティーノ”は、1994年制作のイタリア映画です。題名は日本語では郵便配達人を意味します。簡単に書いてしまうと、1950年代イタリアのとある小島が舞台で、チリの反体制派の著名な詩人とその詩人に手紙を配達していたどこにでもいるような普通の青年との心の交流を描いたものです。

この映画の良い所は、”すべてにおいて美しい”の一言に尽きると思います。綴られる言葉、描かれる自然の描写、一音一音染み入るような音楽、すべてが調和しているのです。後半部に好き嫌いが分かれると思いますが、生きることの哀しみと素晴らしさを自然に感じられる映画です。

主人公の若者を演じたマッシモ・トロイージ(イタリアの喜劇俳優ですが、この映画ではとてもそうは見えません。)は、心臓に持病を抱えながら撮影に挑み、ロケ中に倒れてしまいます。そして、”今度は僕の最高のものをあげるからね”とスタッフに言い残し、撮影後間もなく亡くなったことはとても有名な話です。またもうひとりの主役であるフィリップ・ノワレの存在感ある演技も素晴らしいです。(”ニュー・シネマ・パラダイス”に出演、2006年に亡くなっています。)

詩というものを通し浮かび上がる言葉の力強さ。

それら珠玉のような一言、一言により表現される日常の情景や心の機微。

眼に見えるものだけが真実ではないことを再認識出来ます。


晴れた日の午後、ゆったりとした気持ちで見てほしい映画です。

2009年6月24日水曜日

polka近況報告




今日は朝から頭痛がします。頭痛持ちではないのですが、忘れた頃に顔を出します。
梅雨時で気温が変動しがちですので、色々と注意して行きたいと思っている次第です。
そんなわけで、あまり考えがまとまりそうにないので、今日はもう一人(一匹?)の住人であるpolkaの近況報告をします。

早朝に鳴きはしますが、相変わらず元気でいます。僕が部屋にいる時は大抵ソファーが定位置で、表を眺めたり、寝たりしています。
小さい頃は僕がソファーで寝たりしていると、体に乗ってきたりしていましたが、ここ数年は我関せずといった感じです。もう11歳ですから当たり前ですけど。

また、猫は夜行性と言われていますが、こいつは昼も夜もよく寝ます。環境が変化したこともあるのか、良く食べてもいますね。以前はいわゆる猫食いそのもので、気が向いたら食べ、キャットフードが乾燥してしまうと見向きもしなかったのですが、最近はそうでもなく、餌をたびたび交換することもありません。お腹のたるみも一層大きくなっているようです。

時々、以前の写真を見ますが、あまり変わっていないように思います。毎日一緒にいるとその変化に気付かない場合がありますが、純粋に変化が少ない印象です。老いていくのは自分ばかり、そんな気さえします。

でも、僕自身は年を取ることはそれ程悪いものではないと思っています。いまさら若かったあの頃に戻りたいとも思いません。結局、その瞬間を生きていくことが、生きているもの全てに共通しているものですからね。