2011年10月14日金曜日

「点」

今週末はお天気が崩れそうです。西日本では今日あたりから局地的に大雨の予報が出ていますし、何か今年の自然は僕たちに厳しい一面を見せすぎているのではとの感がします。写真展最終週末の天気が良くないのには、もう慣れてしまっていますが、それでも出来るだけ雨は降らないで欲しいなと空を眺めるのが恒例となってしまいました。


さて、PHOTO AID Miyagi 2011も残り3日となり、次回の準備もぼちぼちと行わなければと考えています。次回は久々の個展になります。個展と言うと、開催までにかかる作家自体への負荷はグループ展の比ではありません。その為、ある程度の期間とエネルギーが必要になるわけです。

それでも、表現し発表し続けている方の多くは、いつかは個展をしたいと考えています。その時々で表現したいことや伝えたいことが変わる作家もいますが、大抵はひとつの目的や目標の中で随時個展を行う場合が多いものです。

極端な話、自分自身にとっての向かう先であったり、終着点といったものはほんの小さな点のようなもので、その点に達する為に紆余曲折を繰り返しながら、その間にいくつかの点や点を繋ぎ合わせ、面を作り、さらにその面自体を絞りながら、再びひとつの強固な「点」へと繋がっていくのだと思います。

誰しも始めはぼんやりとしか見えないもので、とても不安であり、自問自答を繰り返します。制作過程でもその思いは生まれては消えているのだと思います。それらの結果というか、その時点での自分なりの結論を覚悟を持って世に問いかけるのが個展だと僕は考えていて、つまりは最終的な「点」はまだ自分でも分かっていないのでは、と思うのです。

評価は常に周囲の評価に委ねられるわけだし、正しいだけの表現は、それだけで万人に受け入れられるかと言えばそうではありません。じゃあ、何でそんな着地点も定まらないモノの為に、覚悟を持って発表する必要があるかということになります。

んー、これって、悩ましく、難しい問題ですね。

でも、分かっていることは、これらの事実の積み重ねがあって、今があるということです。


○PHOTO AID Miyagi 2011~一歩前へ~

 2011年10月2日(日)~2011年10月16日(日)

 13:00~19:00、月曜日休み(10月10日は除く)、入場料 \300

 期間中何度でも入場出来るパスポート制です。

http://kalos-gallery.com/exhibition/current_exhibition.html

2011年10月13日木曜日

2つの企画

PHOTO AID Miyagi 2011は今週末で終了になります。普段は約1カ月程度の会期で行っていますから、今回もそうだろうと思っていると見逃してしまいますので、ご注意下さい。


これを読んで下さっている方は既に御存知かと思いますが、現在2つの企画を募集しています。

Story vol.3 "2011"

Sha-gaku vol.4 “人生は前にしか進まない”

http://kalos-gallery.com/event/planning.html


いずれもギャラリーに来て下さっている方やサイトを見ていただいている方には、タイトルはお馴染のものなので、新鮮さが無いように感じるかもしれません。

少し違う点は、サブタイトルが付いていることです。特に煽っているつもりはないし、殊更に強調したいとも思わずに、現在僕自身が感じているモヤモヤとしたものを言葉にしてしまったものです。

自分でも一言多いんじゃないと思うことがたまにあるので、入れようか入れまいかと若干悩んだ末に付けてしまいました。

しかも、また参加者を募っての企画ですから、現時点でどんなモノになるかは僕自身全く分かりません。主催がこんなことを言ってはいけないのですが、これから一から作り上げていくわけで、始めからこれを想定して、或いは目標として、皆さんに見せようとしている通常のやり方とはまるで違っています。

芝居にエチュードがあり、音楽にアドリブがあるように、その場その場の感情を大事にしながら、自由に表現することから思いがけないアイデアや状況が生まれることがあります。展示までのプロセスもその方法論もさまざまですが、突発的であったり、偶然性といった部分を自分自身楽しみたいのかもしれません。

でもね、最終的には参加者と見る側が同じように満足できるものじゃ無ければいけないことだけは分かっています。そうでなければ、商業ギャラリーとして以前に発表する意味がないですから。

自分自身の新たな部分、逆に元から持っている芯とも言える部分を再認識し、発表することでしか体感出来ない楽しさや喜び(自分と周りに対して)を経験したい方は、迷わず参加してみて下さい。



○PHOTO AID Miyagi 2011~一歩前へ~

 2011年10月2日(日)~2011年10月16日(日)

 13:00~19:00、月曜日休み(10月10日は除く)、入場料 \300

 期間中何度でも入場出来るパスポート制です。

http://kalos-gallery.com/exhibition/current_exhibition.html

2011年10月12日水曜日

ちょっと出かけてきます。

今日はこれから出掛けてこようと思っています。


現在仙台メディアテークで開催している東日本大震災復興支援 第48回宮城県芸術祭を見に行く為です。最終日の今日までいつ行けるかと考えていたのですが、ようやく行けそうなので、自転車でひとっ走りしてくるつもりです。

宮城県芸術協会の方の何人かは懇意にしていただいているのですが、作品を見る機会はとても限られているのが現状です。点数はひとり1から2点と少ないとの話でしたが、どんなものが見られるかは楽しみではあります。

その後はいつもの一日が始まります。でも、おそらくは違った感覚でいられることを期待しています。普段とは少し違った写真に触れることが、僕に刺激を与えてくれるだろうから。

展示会や展覧会の多くは、見るという行為により、さまざまな情報や感情を僕たちに与えてくれる(呼び起こしてくれる)ものだと思っています。それらなにがしかのインプットによって、見る側は刺激を受け、想像を働かせます。またそこから受ける印象は良いにせよ悪いにせよ、とても個人的なものに依ってきます。

リテラシーという言葉があるように、その人自身が持つそれらにより、受け取り方はさまざまなわけです。それでも、そんな七面倒くさいことを抜きにして、誰しもを圧倒するような、体感として理解知り得る(頭ではなく)作品はあると思っています。作品自体やそれを作りだす作家を取り巻く情報は、時に素直な情感を阻害する場合がありますし、しかも、本来生活に関係の無いものとしてアートは生まれているのですから、情報や理屈は必要の無いものなのかもしれません。

それでも、そこに或る意味や真意といったものを、多くの人は知りたがります。僕もその中のひとりではあるのですが、何故そうしたいと思うかは単純に人が持ちうる知への欲求に他ならないわけで、特にアートで無くても同様だと思えるのです。

さてと、そろそろ出かけるとします。

どれだけ、僕が知りたいと思える作品と出会えるだろうか。



○PHOTO AID Miyagi 2011~一歩前へ~

 2011年10月2日(日)~2011年10月16日(日)

 13:00~19:00、月曜日休み(10月10日は除く)、入場料 \300

 期間中何度でも入場出来るパスポート制です。

http://kalos-gallery.com/exhibition/current_exhibition.html

2011年10月11日火曜日

当たり前のこととして

あれをしなくちゃ、これもやらなくちゃと急き立てられるように毎日を過ごしているのが普通になってくると、ひとつひとつの物事が雑になりがちです。かといって、じっくりと腰を据えて考え、結論を導き出す方が絶対に良いアイデアや結果と招くかというと、そうではないことも良くあることです。


絶対的な時間の流れは遥か昔からほとんど変わらないわけで、一日も24時間にほぼ決まっているし、その中で食事や睡眠は生きる為の必須事項であまりないがしろには出来ないから、おのずと自分の持っている時間の量は限られてきます。仕事での公的な時間が増えれば増えるほど、私的な時間が減るのは当然で、やりたいと思っていることがなかなか出来ないと感じている人が多いのだと思います。

僕の場合、公私の区別が比較的緩く、時間もある方なので、好きなことが出来ると思われがちですが、本人はあれこれと考えながら、瞬発力だけ行動してしまっていることがあります。そんな時は、もっと時間をかけて検討しろとかホントにそれでいいのかと自問自答しているのですが、大抵はそのまま継続してしまうようです。

最近はその瞬発力も徐々に弱っている感がしているので、出来るだけ当たり前のことを当たり前にすることを心掛けています。失敗は誰にもあることで、やってみなければ分からないことも多いし、想像や予想はあくまでもその人の経験知にも依ってくるわけだから、今するべきと思うことを、さも当たり前のように出来れば良いのではと考えているのです。

ところが、その当たり前も自分の経験や周りの状況によって変わってきますから、実はとても難しいことなのです。自分の当たり前は、あの人の当たり前である確証も無く、世間で言われる常識や慣習が全て正しいこととも限らない程、現在の流れは早いのですからね。

さて、じゃぁ、今するべきことが当たり前のこととして、自分は元より他人もそう思える、そしてそれを実際の行動として表わす為にはどうすればいいのかということになります。



答えはありません。全くもって無責任と言われそうだけど、それって個人の問題としてだけで扱われることがないからですね。とは言うものの、そうしたい、そうありたいという気持ちは、あくまでも個人に委ねられているものです。

しかも、瞬発力で選択したものであってもじっくりと考えた末の行動であっても、それが自然で当たり前のことと考えていても、評価は自分がするものではないし、良いにしろ悪いにしろ帰ってくるのは常に自分に対してですからね。

その上、行動へ至るプロセスは自分が決めなくちゃいけないことだし、その為の時間は限られているのですから、ないがしろには出来ないわけです。

やっぱり、考えていかなくちゃね。

今、自分が出来ることは何かってことを・・・しかも当たり前に。



○PHOTO AID Miyagi 2011~一歩前へ~

 2011年10月2日(日)~2011年10月16日(日)

 13:00~19:00、月曜日休み(10月10日は除く)、入場料 ¥300

 期間中何度でも入場出来るパスポート制です。

http://kalos-gallery.com/exhibition/current_exhibition.html

2011年10月10日月曜日

良き一日を

連休最終日の今日は体育の日です。現在はこの日に因んで、各地で運動会を開いているかどうかは定かではありませんが、身体を動かすには気持ちの良い天気です。まさに、秋晴れですね。


ちょっと調べてみると、今日はいろいろな記念日になっているようです。国内に限れば、肉だんごの日、銭湯の日、トマトの日、お好み焼きの日等がありました。いずれも語呂合わせでそうなっているものが多いようです。中にはちょっと無理があるなと感じるものもありますし、祝日に合わせて作ったと思われるものもあります。明日はどうなっているかと調べてみると、やはり語呂合わせでの記念日はひとつだけで、数も今日の三分の一程度です。

祝日に絡めて、何かのPRにするためにそう設定にしているものが多いのです。特にこの日がそうじゃなくちゃいけないわけではありませんからね。それでも、一年365日、なにかしらの記念日があるようですし、個人的な記念日も含めると、ホント毎日が記念日ということになります。もっとも、その人に直接関係する記念日は個人的なものの方が多いから、その他については、そうなんだの感覚すら覚えないのかもしれません。

僕も企画を思い立った時に、これっといったフレーズを考えるのですが、語呂合わせだけでは単純にオヤジギャグにしかならないし、結構ピンと来るものが浮かばないものです。だから、CM等で流れてくるキャッチコピーに感心させられることが良くあるし、こうして記念日とすることが悪いことだとは思っていません。

それにしても、このように毎日が何かの記念日になっていることって、それらを思い起こさせるべくして作っていることもあるとは思うのだけど、普段何気なく過ごしている毎日は、特別な一日が積み重なって進んでいることなのかなとも思わせてくれます。



これを読んで下さっている皆さんは、今日一日をどう過ごされるのでしょうか。

大切で特別な一日と思えるようにするのも、本人次第なんだと思います。

良き一日を。



○PHOTO AID Miyagi 2011~一歩前へ~

 2011年10月2日(日)~2011年10月16日(日)

 13:00~19:00、月曜日休み(10月10日は除く)、入場料 \300

 期間中何度でも入場出来るパスポート制です。

http://kalos-gallery.com/exhibition/current_exhibition.html

2011年10月9日日曜日

言い足りない事

昨夜は久々に楽しい夜でした。ギャラリーに出展、展示してくれた数名との懇親会というか、熱いトークに心躍らされた時間でした。このところ、ちょっとだけ体調が思わしくなかっただけに、それだけで元気が貰えましたね。


先日もある方とギャラリーで話していた時に、今日は熱くなってますねと言われたのですが、僕としてはそれほど意識しているわけではなく、普段と同じように話していたつもりでした。でも、どこかにそういう部分が見えたということは、現状に満足していない表れなのでしょうね。

僕自身、普段は出来るだけ言葉を選びながら人と接するようにと考えてはいるのですが、感じたり、思ったりしたことをそのまま話してしまうタイプなので、案外それが熱く語っているように感じるのかもしれません。でも、実のところ言いたいことを話しているだけで、本人はいたって冷静である方が多いのです。

人を傷つけるべくして話をする人も見られる昨今ですが、思ったこと、言うべきことを素直に話すこととは明らかに違うことです。人は誰しも他人であれ身内にしても、触れられたくない部分があるもので、その点を突かれた時には決して良い思いをしないものです。その辺りをオブラートに包み込むことを美徳としているのが、日本的と言えばそうなのかもしれません。

それでも、果たして何も言わずにいることが、美徳であるかと言えばそうではありません。分かってはいても、バランスがとても大事で、その上難しいものです。まぁ、今はゆるく、ぬるいような環境の方が居心地も良く、その中で当たり障りのない言葉のやり取りをしている方が安心なのかもしれません。

それでも、その仮面と言うべきものに隠され、語られることのなかった多くの言葉にこそ、真実があるのだと思うのです。無関心を装い、目の前にある現実という表層に諦めを感じ、何も言えないような(言わない)世界に希望は見出せないようにも思います。

随分と大げさな言い回しになってしまいました。済みません。

いやはや、まだまだ言い足りない事があるんだな・・・。

○PHOTO AID Miyagi 2011~一歩前へ~

 2011年10月2日(日)~2011年10月16日(日)

 13:00~19:00、月曜日休み(10月10日は除く)、入場料 \300

 期間中何度でも入場出来るパスポート制です。

http://kalos-gallery.com/exhibition/current_exhibition.html

2011年10月8日土曜日

三連休・・・なの?

今日から三連休で、外出の予定をされている方も多くいるのだと思います。お天気も良さそうですから、外に出て気持ちの良い風に当たるのもいいですよね。


僕はと言えば、最終日まで休みなくギャラリーにいます。今日、明日は出展者の方々が多く在廊しますので、もし時間があれば来ていただきたいと思っています。缶バッチも予定より早く入荷し、早速販売しています。

ギャラリーのある場所は、仙台の中心部からそれほど遠くにあるわけではなく、しょっちゅうイベントを行っている勾当台公園から歩いて15分から20分程度です。メディアテークに行く時間より、少しだけ遠いかなぐらいの距離にあります。

周りに何か見て回れる所があまり無いので、フラッと来る場所ではありません。もっと街中にと言われることもあるのですが、僕はこれで良いと思っています。敢えて分かりづらいところを選んだつもりは無いのですが、やはり入口は分かりづらく、しかも入口の重い扉はそれだけで入るのを躊躇してしまうようです。

そんなこともあり、今は入口を開け放っています。でも、入る時は、気をつけて下さいね。少し段差がありますから、下を見ながら入ってきて下さい。そうして入口を抜け、顔を上げた瞬間に作品が目に飛び込んでくるはずです。

後は、思い思いに楽しんでいただければ良いのです。かしこまって見る必要は全くなく、ひそひそ声で話すこともありません。自分の感性に従って、好き勝手に見て欲しいと思っています。誰にでも好き嫌いはあるし、それが良く分からないと思っても、それだけで何かを感じているのですから。

遠出をされない方は、散歩を兼ねてといった軽い気持ちで来ていただければと思います。

お待ちしています。

○PHOTO AID Miyagi 2011~一歩前へ~

 2011年10月2日(日)~2011年10月16日(日)

 13:00~19:00、月曜日休み(10月10日は除く)、入場料 \300

 期間中何度でも入場出来るパスポート制です。

http://kalos-gallery.com/exhibition/current_exhibition.html